第2話 彼女の家で

 携帯電話を切った山本圭吾には、二つの全く異なった感情が湧き上がるのを感じた。


 鳴沢由美―自分の彼女への怒りと、白石琴音への今晩の期待である。

 まさか、本気で琴音の家に行けるとは思わなかった。


 由美への恨みから思わず、口をついて出た言葉だった。美少女相手に告白するのでさえ、よほどの自信がなければ不可能なのに。

 美人でかわいい琴音と夜の約束をするなんてあり得ないことだった。

 

「あっ……」

 俺の相棒も早々とショックから回復していた。こちらは自重してもらわないと困る。下心は隠さないと期待していても女は引く生き物なのだ。

 

 でも心で、何度も反芻してしまう。


「今日は誰もいないから」

「今日は誰もいないから」

「今日は誰も……」


 冷静になれよ、俺。

 相手も彼氏がいる身。未経験では無いはずだ。迫っても大丈夫、だよな。

 

 これ以上マンションを見上げていても仕方がない。今日一日を共にする琴音の家に向かって移動することにした。

 琴音の家は、自宅から電車に乗って5駅目。高級住宅街の一角、角地に赤い屋根とクリーム色の壁のヨーロッパ風建築様式の家だった。


 琴音の連絡通り両親が留守なのか、横付けの駐車場は空いていた。本気で抱けるかと思うと、鼓動が高鳴る。何かいけないもの―初めてエロ本を手に取ったような―手に汗握る感覚だった。


 圭吾は目の前のインターフォンのボタンを見る。これを押したらもう戻られない。きっと部屋の琴音も思っているだろうが。後戻りはできないダムのバルブのような。


 圭吾はインターフォンに震える手を近づける。ピンポーンという音があたりに響き渡った。

 

「あ、圭吾君、ちょっと待って……」

 数十秒後、インターホンから琴音の声がした。照明のついた二階の窓から琴音の姿がチラッと見えて消えた。パタパタという足音が響き、玄関が明るくなる。


「いらっしゃい」

 扉を開けて、琴音が二階の部屋へと促す。両足をついて、スリッパを出し『どうぞ』と履かせる。階段数歩前を登る琴音の少し短めのスカート。足が上がるたびにスカートが捲れる。圭吾は中身が見えるのか凝視した。計算し尽くされたスカート丈はギリギリ下着までは見えない。少しの残念さとこれからの期待を込めた感情。圭吾はその両方を感じた。


「圭吾くん、入って」

 琴音の部屋は女の子らしいピンクを基調した部屋だった。ぬいぐるみはあまり多くはないが数体いた。ピンクの抱き枕がベッド中央にあった。圭吾も抱き枕になりたいと思った。


「夜遅くにごめんね」

「僕から連絡したわけですから」

「ううん、連絡してくれたのはそうだけど」

「今日はひとりは嫌だった」

「朝までいてね」

 俺はもちろんと伝える。下心は気づかれないように。そうだ、これは決して下心じゃないんだ。どちらかと言うと人助け。圭吾は偽りの感情―言い訳―を持ちながら部屋に入った。


「それじゃあ」

 先に入った琴音はベッドを椅子代わりに座る。抱き枕を抱きながら、キョロキョロとあたりを見渡した。


「今日は近くで話したいから」

「どうぞ」

 ベッドの隣の席に誘導する。


「えっ、いいの」

「どうして?」

 圭吾は何も言わずに座った。確かにそう言う関係になりたいとは思ってる。でもあまりにもガード甘すぎない。もしかして誘われてるとか。


 目の前に大きな存在感のある二つの膨らみ。白いブラウスに黒を基調としたフリルのミニスカート。足を組んだふとももからは、見えそうで見えない絶対領域。


 確かに、常識的に考えればあり得ないことだった。学園一の美少女の家にお泊まり。しかも、彼女の方から誘ってくるなんて。ただ、ふたりとも―特に琴音は傷心の身。寂しさを紛らわせるために関係を持つことは充分考えられる。


「ごくっ……」

 無音の寝室に圭吾の唾を飲み込む音が響き渡る。やべえ、さすがに下心を気かれると女の子は引く。不思議なことだがここら辺が女心なんだ。


 視線を琴音の方にやると、にっこりと笑顔。唾を飲み込む音は聞こえたはずだが対応は変わらない。これは充分可能性あるんじゃない。むしろ誘ってますか。

 

「今日は優しくしてね」

 隣に座る琴音の手が震えてた。顔はピンクに染まり、期待と不安の入り混じった表情を見せる。


 俺は琴音の手に自分の手を絡めて恋人繋ぎをする。熱った身体が圭吾の身体に委ねられる。


「後悔させねえから」

 琴音の身体に両手をまわし、圭吾の手は腰から頭に。琴音の唇に圭吾の唇が触れる。

そのまま圭吾の舌が琴音の舌に重ねられる。

長い長いキス……。舌と舌は生き物のように上に下に重なり合う。琴音の唇から離れるとスーッと線のような涎。


「忘れさせてあげるよ」

 圭吾は琴音のブラウスをたくしあげ……。

 

「なに、飲みます?」

「はっ……」

 あまりの急展開に、想像が現実を追い越してしまった。俺は急激に高まった欲望を力づくで抑える。視線の先には琴音の瞳があった。潤いをたたえたような瞳が。俺は慌てて話してた内容を再度聞く。


「何か言いました?」

「だから、何飲みますかって」

「あー、ごめん」

「ちゃんと聞いてくださいよ」

「それより、もしかしてエロいこと考えてました」

「えっ」

 琴音の悪気ない笑顔。さすがに二人きりのこの場面でそれを言われると期待しても良いのかなって思ってしまう。


「ウソ、ウソ、冗談」

「本気にするんですから」

「目怖いですよ」

「ま、それはさておき注文どうしましょうか」

 本気なのか冗談なのか琴音の表情からはうかがい知れない。ただ、今はシラフだからお酒が入ってくれば展開も変わってくる。

期待していいんだよな。俺はいつもの注文をした。


「じゃあ、ビールで」

「ビールでいいんですか?」

 あれ、一杯目はビールじゃないの。一般的にはビールと思うんだけれども。


「えっ、ビールじゃダメですか」

「ダメですよー、そんな弱いお酒」

「わかりました」

「わたしが選んであげますね」

 鈴木という彼氏は相当強いのだろうか。目の前には、予想外のお酒が置かれていた。


「ウイスキー、ピッチャーグラスって」

「あの、水……」

「水入れるんですか」

「入れませんか」

「入れませんよね」

「はい」

「ですよねえ、そんなことありえないです」

 話の流れから、琴音は俺に恨みでもあるのだろうか。さすがに普通の大学生が―大学生でなくても―ウイスキーをピッチャーで飲むなんて見たことがない。

 アルコール度数からもあり得ない。


 ただの冗談だと思い注いだまま放置することにした。琴音は、見た目通りであればお酒にはそんなに強くない、と思う。

 そうであれば彼女は暫くすれば眠るだろう。寝込みを襲うのは最低かもしれないけど。男を夜中に連れ込んでるのだから、襲ったことにはならないと思う、多分……。


 そして、30分が過ぎた。

「酷いと思いませんか。彼女がいるのに別の女のところに行くなんて」

「あっ……」

「ごめんなさい、由美の彼氏さんの前で、可愛くないと言ってるわけじゃないですよ」

「おれは気にしてませんから」

「そうじゃなくて、啓介のセリフ」

「僕には君だけだよ」

「あり得なくないですか」

「はい……」

「マヂ、あり得ない」

「浮気するなんて」

「万死に値しますよね」

「……」

「じゃあ、飲んでください」

「なんで、俺?」

「いや、それは男の子の仕事でしょ」

「一気に……」

 これは鈴木さんの仕事ではなかろうか。少なくとも、圭吾が飲まないとならない義理はない。しかも、このご時世に一気飲みとか色々とヤバいのではなかろうか。


「男でしょ!」

 琴音は酒が入ると豹変するのか。強い口調で言う。今回のケースはイレギュラーなのかもしれない。流石にこの量を飲むというのは規格外。


「飲まないの?」

「いえ、飲みます」

 なぜ飲むと言ってしまったのだろう。圭吾は目の前の琴音を見る。確かに可愛かった。普通、飲み会などで一気飲みなんて絶対しない。アルコール中毒で最悪死んでしまう可能性すらある。ただ、目の前の琴音に言われると断れなかった。そのくらい可愛い。その笑顔は天使に見えた。


「じゃあ、飲み会らしく」

「カウントダウンしましょうか」

「いや、しなくっていいよ」

 そもそも飲み会違うし……。

「3……」

「2…」

「1」


 俺は一気にピッチャー風グラスを持ち、ウイスキーを一気飲み込んだ。濃厚なアルコールが喉に侵入して来る。熱い、それもかなりの熱さで。その熱さのまま胃に流れていくを感じる。


 突然、意識が途絶えた。薄れていく記憶の中で、誰かが呼んでる声がしたり。


「圭吾く」

「圭吾くん」

「ごめんなさい……」


 ピピピ、ピピピ…。

 ここはどこだ。

 そう言えば昨日はウイスキーを飲んで記憶が途絶えて。

 

 そうなると、ここは天国、それとも地獄。

 意識がハッキリして来ると今度は頭が割れるように痛い。

 奇跡的に生きてたのか。圭吾の意識は次第に覚醒していく。起きて来ると今度は喉の強い渇き感じた。

 

「カンカンカン、ジュワー、チン……」

 さらに意識レベルが上がると一階から卵を焼く音に、ベーコンの焦げる音、それにパン焼き器から、チンという音ともに飛び出す音。様々な生活音が聞こえて来る。

 生活音を聞いているうちに、階段を駆け上がる音が響き、扉が開く音が聞こえた。


「おはようございます」

 エプロン姿で走って来た琴音は、ベッドに横になっている圭吾の方を向く。

 圭吾が頭を押さえながら身体を起こすと。


「昨日はごめんなさい」

「わたし、たまにお酒飲むとこうなっちゃって」

「ごめんなさい、もう絶対しませんから」

 何度も頭を下げた。髪の毛を結えたポニーテールが何度も行ったり来たりを繰り返す。

 かわいいな、と単純に思った。


 圭吾が一階のダイニングルームに行くと、朝食のハムエッグ、サラダ、牛乳が用意されていた。琴音にご飯を作ってくれた礼を言い食べる。見た目と同じく琴音の食事は、美味しかった。琴音を食べれなかったのは残念だったけれども。


「圭吾さん、それより共同戦線張りませんか」

 暗く落ち込んだ琴音の表情が明るくなる。

 コロコロと表情豊かな子だな、と圭吾は思った。共同戦線は鈴木と由美への仕返しだった。浮気をされているふたりが力を合わせて、反撃をしようと言う内容だった。


 リビングで談笑してると自動車が近づく音がする。

 インターフォンが鳴った。


「まずい、パパだ」

「ちょっと逃げて、見つかったらきっと殺されるよ」

「嘘、マヂ……」


 結局、圭吾は二階をつたって逃げ出すという夜這い男でもびっくりの逃走ルートで辛くも脱出した。

 可愛いけど、こんなこと繰り返したらきっと俺死んじゃうよ。

「それにしても」

「共同戦線か」


 由美の浮気への仕返しにはいいかもしれないと圭吾は思った。


あとがき


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