GGRalter Sister's Flower

亜阿相界

第1話 教会に咲く花

 教会の裏に咲く小さな花が、生暖かい風に揺れる。今日ほど、葬式にあう麗らかな日はない。

 シスター・レイラが亡くなった。修道院に預けられた頃から、彼女は心臓が悪かった。十四歳の誕生日を迎える前に、彼女は静かに息を引き取った。

「レイラ、安心して眠ってくださいね」

 木棺の中で眠るレイラに、シスター・アイリスはそう声をかけた。真っ白いシーツの上に横たわるレイラの亜麻色の柔らかい髪を、アイリスの白い指がかき分けた。ふと、彼女の肌に触れる。冷たさが指先に伝わった。死人とは到底思えない、まだあどけなさが残る少女の顔。もう、その瞼が開くことはない。

 手を離し、アイリスは棺桶を閉じた。その蒼い瞳は、どこか憂いに満ちていた。


***


「ここにいたんですか、シスター」

 教会に隣接する修道院の裏手で、シスター・アイリスは一人、胸元のロザリオを眺めていた。時折、指先で鉄製のそれを弄びながら。

 俺が声を掛けると、シスターは眉を潜めながら笑った。

「ここなら誰にも見つからないと思ったのに。こんな音さえ聞こえてしまうのですか?」

 整った顔立ちの彼女だ。どんな表情でも美しく映えてしまうところが素晴らしい。

「すみません、地獄耳なもので」

かちゃり、と、鉄と爪がぶつかり合う音は、些細ながらも普段から静かな修道院の敷地内でよく耳に入る。彼女の手癖が災いしたのか、その音が聞こえるたびに彼女の居場所が否が応でもわかってしまう。そして、今日が葬儀の日だからと言って、それは変わらなかった。

「いつもと立場が逆だ。この時間になったら、必ずシスターが俺を呼びに来るのに」

買い出しは当番制だった。約束の十一時はとっくに過ぎている。冗談交じりに口にすると、彼女は少しばかり顔を赤くして答えた。

「ごめんなさい。ちょっと、考え事をしていて」

「いいや、無理もないですよ。今日ばかりは」

朝早くから慎ましやかに行われた葬儀の後、教会内は未だ重々しい空気が漂っていた。黒いレンガの屋根上に広がる青空は、春風と共に教会を包む。それだけが、教会に暖かさをもたらしていた。家族同然のシスターの一人を亡くしたのだ。そうなるのも当然だった。勿論、シスターも例外ではない。

「あいつ、この前まで元気でしたよね?中庭で子供の面倒を見てたような」

「ええ。あの子がいないと、教会の子供たちも寂しそうで」

 どこか遠くを見つめながら、彼女はそう答えた。

 心地よい三月の日差しを躱して、影をつくる教会の壁に並んで背を合わせる。胸元まで伸びた金色の髪は、陰っていても美しい。碧眼を伏せ、足元で揺れる薄紫色の花に視線を落としたまま、彼女は問いかける。

「田之倉さんも、なんだかんだ言ってレイラのことを気にしていたのですか?」

「シスターほどじゃないですよ」

 俺は、空を仰ぎながら答えた。雲が青空を邪魔しないように、斑に浮かんでいる。

同僚の死を慈しむ程度には、まだ俺の中に情が残っている。つい最近まで、彼女が中庭で幼い子供に読み聞かせをしていたことを思い出した。利口で、愛想もよくて、面倒見のよい性格だったと記憶している。直接言葉を交わすことは少なかったが、彼女の姿を見るたびに、彼女の純真さが目に映った。彼女だってまだ幼い子供だ。

「わたくし、そんなにレイラを気にしていましたか?」

 彼女は驚いたように反応してみせた。

「俺はシスターを気にしてますけど、シスターは皆平等に気にしてるように見えますね。だからレイラのことも」

「もう、冗談もほどほどにしてください」

 俺のさりげない口説きを華麗にかわし、彼女は少しだけ唇を尖らせる。彼女が修道院で暮らすシスターたちを誰よりも思っていることは、ここで暮らしていれば自然とわかる。彼女自身が心配りに無自覚なところもそうだ。

 レイラの死。彼女にとって、ショックな出来事であったことは容易に予想がついた。彼女のことだ。本物の妹のように愛していたレイラを失った悲しみは、そう簡単に晴れるものではないのだろう。

「家族のことなんです。気にするなんて当たり前でしょう?田之倉さんの可愛い弟さんと妹さんと同じです」

 シスターは、弁解をするように、全く棘のない反論をする。弟と妹のことを突然言われ、俺は二人のことを思い浮かべた。

「可愛い弟妹、ですか」

 二人ともまだ高校生だっただろうか。士官学校辺りで精進する弟に、お茶の水の女子高に通う妹。二人とも芯が通っていて、そう簡単に脇道に逸れたりしない。確か、そんな奴らだった。どうせアイツらのことだ。奴らに可愛げがあったかどうかはともかく、今頃、俺より上手に生きているはずだろう。

「たまにはご家族と顔を合わせたらどうです?」

 少し気が落ち着いたのだろうか。シスターは優しく微笑みながら、さりげなく俺に提案をした。

「そうですね、気が向いたら行くとしますよ」

 そういいながら、実際そんな気は毛頭なかった。高校を中退し、家を飛び出し、聖域をうろついていたのが二年前だっただろうか。それ以降、家族のことを気にかけてこなかった。きっと、それはあちら側も同じことで。家族という枠組みに特別な感情は抱いていない。聴力おばけに育ててくれたことに関しては、両親に感謝しないこともないが、昔からそんな両親と温情は不思議と結びつかなかった。

 そんなことを一人考えているうちに、ようやく彼女は顔を上げ、シスターはレンガ造りの壁から背を離す。

「さて、気持ちを切り替えましょう。田之倉さんの言う通りですわ。市場へ寄らないと」

 陰から抜け、シスターは歩み出す。ふと足を止め、金色の髪を翻しながら俺に満面の笑みを向けた。

「ほら、行きましょう?ここでいつまでも落ち込んでいては、レイラに示しがつきませんわ」

まるで強く自分自身に言い聞かせるように、彼女は微笑んだ。ロザリオを握りしめる手を決してほどくことなく、日差しを受けて笑う聖女が、この瞬間何より美しい。

教会から伸びている小道から大通りに出て、目当ての市場へ向かう。大通りといっても、新宿や渋谷といった中心地のスケールとは違い、開放的な大通りである。土曜日の昼であるからか、家族連れや学生など、いつもより人が多い。遠くから聞こえる、さまざまな笑い声。都市の中では珍しい、平和を具現したその風景は、穏やかな春の日差しを浴びてより一層麗らかさを増している。

「それにしても、ここ最近の聖域はどうなってしまったのでしょう」

 そんな人々を眺めながら、シスターは呟いた。

「以前よりもオカルトが多く見受けられます。修道院でも、教会でも、皆さん不安がっていますわ」

 結界が張られ、外の都市と見えない壁で隔たれたのが聖域だった。そして、シスターや修道院の人々はそんな場所にわざわざ暮らす人間だ。心配するのも無理はない。

聖域、かつては文京区、といったらしい。教育機関や宗教寺院が多く立ち並び、東京の中でも、人間たちの英知と文化力の中心といっても過言ではない。約百五十年前、人間の生活に魑魅魍魎が干渉を始めた頃、国からの指示でここに結界が張られることになり、わざわざ結界師を集結させて結界を張った。常にオカルトと関わり続ける外の都市とは違い、外部からの干渉をある程度断っている、よくできた街だ。その分、他と比べて、恒常的な騒がしさとはあまり縁のない街である。年に数回、祭式が執り行われれば、寺院を中心に賑やかさが生まれるが、それは聖域外の都市的な喧騒とはベクトルが違う。

しかし、彼女の言う通り、ここ最近の聖域は妙だった。聖域の外側、他の都市に似通ってきているのだ。

「これ以上ここでの被害が出たら、ここも聖域なんて言っていられないですね」

 俺の言葉に、彼女は不安そうな顔で呟く。

「……やはり、何か、異変でもあったのでしょうか」

「万が一の為の自警団がいます。それに、ここらのオカルトは俺が対処します」

「その万が一が、今では万が一どころではないのですわ」

 顔をこちらに向けて、シスターは真剣な表情を見せる。時折、俺が携える長杖に視線を向けて。

「教会に来る皆さんも心配しているんです。最近はよく化け物が出てくるって」

 肩から下げたシックなポーチをぎゅっと握りながら、彼女は答える。

「化け物?」

「ええ。奇妙な形の化け物、なんて耳にしましたわ」

 ここに定住する人間からすれば、外のどんなオカルトでも奇妙な化け物に見えるだろう。自我を持つ特異なオカルトたちから侵攻をしているのか、はたまた人為的な現象なのか。本当のことは知れたことではないが、俺たちがすべきことは根本の解決ではなく、目の前の化け物退治だろう。著しい事件ともなれば、いずれ国の軍やら管理局やらが動き出す。

「あまり心配しないでください、シスター。貴女が気を落としていたら、ほかのシスターたちも心配する」

 未だ暗い顔の彼女に俺はなるべく明るく声をかけた。

「ほら、こんなにいい天気なんです。少し肩の力、抜きませんか?」

こういった春先の気候は、ここで暮らす身として非常に貴重なものだった。

「こう暖かいと、睡眠タイムにより拍車がかかりますよ」

 俺は、そう口にしながら暖かな日差しの恩恵を受けるように伸びをした。俺の冗談に本気になったのか、シスターのさっきまでの憂慮を浮かべた表情は消えた。

「また読書中に居眠りですか?聖書を読むことも、大事な修練ですわ」

 シスターはそういって俺を諫めた。その表情に、少し安堵を覚える。

「田之倉さん。このまま『不良』を続けていたら、主はもちろん院長様も黙っていませんわよ?」

 隣から俺を見上げて、シスターは訝しげな顔を向けた。つんと口を尖らせても、どうしたって彼女の可憐さが先立つ。

「俺も少しは精進してますよ、シスター。ほら、現に規則通り買い出しに」

「その心配りを他の修練にも向けろ、ということですわ」

ヴェールの下から覗く金髪が揺れた。俺の言葉を遮り、彼女は言葉を走らせる。

「貴方が聖域外でオカルトと戦っていること、修道院内で、あまりよく思っている人はいませんのよ。それに、その耳飾りのことも」

 ちらりとこちらを振り返り、俺の耳元に目線を向ける。指摘されて、俺は右耳にぶら下がる小さな真鍮製の鈴に触れた。鈴は、ちりん、とチープな音を立てる。

「あー、これはダメなんです。おしゃれとかじゃなくて」

「事情は知っていますが、戒律に違反しかねませんからね」

 優しく俺を咎め、彼女は再び前を向く。

「一応、修道院に所属する身なんです。自覚をし」

ぱんっ

 頭上から聞こえた、銃声。警戒心が働きかけ、俺は頭上を仰ぐ。刹那、晴天に生まれた黒く大きな穴。それは瞬く間にビルとビルの間の青空を覆い、日の光を遮る。その奥で、何かが軋む音。耳の奥に微かに届き、俺はシスターの手を引いた。

「え、たのくらさ」

一瞬の出来事だった。直後、

 がじゃん‼がらがrががr

 大通りに鳴り響く轟音。穏やかな春の日の車道に、真っ赤な鉄骨が降り注ぐ。鉄骨たちは、ちょうど真下を通過した不運なクリーニング屋のワゴン車に見事降り注ぎ、

ばががんっつつ!

轟音と共に土煙を上げる。落下地点から同心円状に広がる爆風。俺はシスターの小さな体を抱え、その爆風から彼女を守る。遅れて、ざわめき始める大通り。

微かに揺れた反対側の鼓膜。鈴の音よりも遥かに微細な、何か、銃声のような音。明らかに、麗かな聖域にミスマッチな音であった。そして、その小さな音は俺の嫌な予感を見事に射貫いた。

あの銃声を聞き逃していたら、今頃冗談なんて言っていられない。異質な音に警戒を向けるのは、もはや俺の本能といっても過言ではなかった。

「な、何ですの、今の」

俺の腕の中で、シスターは震えた声を出した。落下した方を向く。目の前に広がる歩道に刺さった、三メートルは悠に超える鉄骨。空を仰ぐ。先ほどまで清々しく広がっていた晴天の下に、大きくぽっかりと空いた空洞。その中はどす黒く、文字通り先が見えない。

「シスター、逃げて下さい。他の人たちも連れて」

 俺は短く伝え、長杖と共に再び歩道へ飛び出す。車道と歩道を隔てるフェンスを乗り越える。文字通り乱立した鉄骨の間をかき分け、下敷きになったと思われるワゴン車を探す。コンクリートの地面は、めり込んだ鉄骨を中心に隆起していた。すると、

「ちょっとちょっとー!狙い外してんじゃん!」

 甲高い声が頭上から降り注ぐ。空を仰ぐが、土煙で視界が遮られている。しかし、砂塵越しでも、どうやら鉄骨と同じく、あのどす黒い何かから声が落ちてきていることがわかった。男にしては高く、女にしては低い声である。

「誰だお前」

「あー?修道士?」

 どうやら、あちらからこちらの様子を伺っているらしい。俺の纏う黒いローブを見て反応したのか、それは怪訝そうな声を上げる。しかし、その声にはどこか喜々としたものがあった。

「まあ、誰でもいい。少しアイツの相手になってよ」

 こちらを試すように降りかかる声。アイツ、が何を指しているのか、そう思案する必要はなかった。

 がらごろ、と音を立て、鉄骨の下で何かが蠢く。そして、鉄骨から四足歩行の何かが姿を現した。クリーニング屋のロゴが描かれた金属と、真っ赤なH型鋼が三本、孔雀の羽のように刺さった胴体から成るそれは、歪な獣であった。ライオンほどの大きさであると見える。頭部とおぼわしき鉄の塊をこちらに向け、四つん這いの状態で威嚇をする。鳴き声はなく、関節部の鉄同士が擦れる音が耳を突く。

 それは、生物と呼ぶにはあまりに歪で、無生物と呼ぶには野性的であった。

「キメラか?それとも鵺か?」

「まあそんなところ。あ、名前は四十三郎ね。今付けた」

 前足で地面を均す猛獣に意識を向ける。今は声の主に構っている場合ではない。シスターが人々の避難を促してくれたおかげで、俺としても戦いやすい。この好機で、目の前の化け物を退治するのが、今全うすべき行いである。

俺は携えた杖の先端を覆う麻布をはぎ取る。布の内側から、小環が連なる頭部の環が露わになる。

「なんだお前、修道士のくせに錫杖?」

「戦いに戒律もクソもあるか」

 ケチをつける声にそう言い捨て、俺は錫杖を構えた。

 神経を研ぎ澄ます。刹那、キメラは地面を蹴ってこちらに猛進する。すかさず、俺は右腕を勢いよくかざし、錫杖を垂直に地面へ突く。しゃんっという妙音は、たちまち轟音と変貌し、環を中心に衝撃波を伝える。その波にキメラは一瞬怯む。狙い通りだ。その隙をついて、俺は地面を蹴り上げ、キメラの頭部に錫杖を叩きつける。

しゃんっ――――

これまた妙音を立て、キメラは頭を地面に打ち付けられる。奴に脳があるかはさておき、頭部にかなりの衝撃が入ったことを願う。俺は間髪入れずに後退し、鉄の擦れる音を聞き逃すまいと、意識を研磨する。さすが鋼鉄のボディといったところか。先ほど食らった攻撃をものともせず、キメラは再び頭部を上げ、走り出す。粗雑な鉄の身体が災いしたのか、奴はさほどの素早さを持ち合わせていないようである。金属音と共に突進してくるキメラを躱すと、自らの重みを制御できないのか、奴はその巨体をフェンスへと打ち付けた。後方から追い打ちをかけるように、俺は錫杖の環の反対側—――鋭利に尖った矛先を、槍のように奴の首元へ刺す。

「ここを荒らしたツケは大きいぞ、お前」

 ぎしゃり、と音を立て、キメラは割れたコンクリートの上に崩れ落ちた。胴部分に刺さった真っ赤な鉄骨と鉄骨の間に錫杖を振り下ろす。金属音だけが耳を突く。それは二度と動かなかった。

「お前のペットもこんなもんなのか?」

 頭上の黒に向けて、嘲笑うつもりで声を張り上げる。声の主は心底悔しそうに、

「ふん‼また来るもんね‼今日は実験なの‼」

 対抗して声を張る。すると、例の高らかな銃声と共に、空に広がる黒は音も立てずに忽然と消えた。荒れた車道のコンクリートに、再び日差しが降り注いだ。

「田之倉さん‼」

 背後から、シスターの声が近づいてくる。すかさず、捨てた麻布を拾い、錫杖の頭部に掛ける。まもなく、彼女は息を切らしてこちらに辿り着いた。

「お怪我はありませんか?」

「心配しないでください、シスター。このことは、俺から院長に報告しておきます」

「それなら、わたくしも」

「シスター」

 焦燥の混じった彼女の声を遮る。戸惑いとやるせなさを宿した碧眼が、俺をじっと見つめている。

 錫杖を握る右手に力を籠め、

「俺に任せておいてください。この件は」

なるべく優しい声で、俺は声をかけた。シスターは、視線を逸らし、

「……ええ、わかりましたわ」

 どこか釈然としない顔で頷いた。

 彼女を巻き込みたくない。それが、俺の意志だった。

「さて、まだ買い出しは終わってないですよ」

 立ち込めた不穏な空気を断つべく、俺は彼女の左手を取った。暖かく、そしてまだあどけなさが残る小さな白い手である。

 シスターは顔を上げ、こくりと頷いた。返答の声はなかった。その瞳は、動揺に揺らいでいた。

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