人類の滅びた世界で、貴方と
@asia_narahara
第1話 希望の死んだ世界
2人の少女の目の前には人類の滅びた世界が広がっていた。
「ねぇ、アイン。目の前の建物ってなんだと思う?」
肩口で金髪の髪を切り揃えている中学生程の少女が隣のメイド服の長い黒髪の別の少女の声をかける。
その少女が指さす先には蔦と枝の緑に覆われ、周囲の建造物よりもひと際大きな二階建ての建物があった。
数十年以上は放置されたような外観だが、廃墟然としているのはその建物だけではない。二人の少女の足元の歩道はひび割れ、乗り物はおろか徒歩でしか通行できない程風化している。周囲の建物も緑に覆われていて、酷いものは倒壊して小さな雑木林のようになっていた。
「そう、ですね。おそらくショッピングモールだと考えられます、未来」
アイン、と呼びかけられた大人びたメイド服の黒髪の少女が手を顎に当て、少し考えた後に発言した。
彼女は小さな子供位ならすっぽり入りそうなリュックサックを背負いながら、全く微動だにせずに相方の少女が指さした建物を見つめている。
「ショッピングモール? え、これが?」
「おそらくですが」
「えぇ?」
アインからの返答に未来と呼ばれた少女は目の前の光景が信じられないように眉根を寄せる。こちらは動きやすさ重視の服装、と言った風貌である。長袖、長ズボン。そして厚手のシューズ。まるでこれから運動でも始めそうな格好だったがそれは、この廃墟の中で少しでも怪我を避けるための服装だった。
「看板」
「あそこに落下しているのがそうかと」
「観覧車」
「存在してたショッピングモールの方が珍しいかと」
「これがショッピングモールのなれの果てかぁ」
会話を進めるごとに未来の目が落胆から期待に輝き始める。アインは次に未来の言う事が予測出来ていた。
「ねぇ、アイン」
「入るのは構いませんが、まずは付近に今日眠る場所を確保しましょう」
未来のモールの中に入る、という要望に先手を打ってアインがまずやるべきことを切り出す。
「あの中じゃ駄目なの?」
「地震でも発生しようものなら、起きた時には瓦礫の下になりますよ。それに中がどれだけ荒れているか分かりませんから。中を探索するにも時間がかかります。まずは拠点を決めたから入ってみましょう」
「はーい」
アインの説明に未来は素直に頷く。そのまま周囲をきょろきょろと見渡し始めた。
「うわぁ」
「これはまた」
荷物を付近の比較的崩壊の少ない建物に置いてきた二人は先ほどのショッピングモールに戻ってきていた。
正面の大きなガラス戸は無残にも砕け散っており、残ったガラス片に注意すれば中に入れそうである。
その奥には薄暗い通路が広がっていた。
「……未来、少し待ってくださいね」
「アイン?」
室内を凝視していたアインが未来に先に進むのを止める。そのまま近くから手のひら位の石を手に取った。
「なに」
「よっ、と」
アインはそのまま躊躇なく残ったガラスに石を投げつける。破砕音を響かせながらガラスを貫通した石はそのまま暗がりの奥に飛んでいった。
「ちょっ、アイン!?」
「しっ」
いきなりの事に驚いた未来の口にアインが人差し指を押し付けて黙らせた。
そのまま数秒間、動きを止める。
「ふむ。大丈夫そうですね」
「えと、何が?」
相方の不可解な行動に未来が訳が分からないと言った様子で視線を向ける。
「今の音に対して何かが動いたような反応はありませんでした。大型の動物が住み着いては無いようです」
「あ、そういう」
「流石に熊などは危険ですから」
「……この辺り、熊でるの?」
「人間が滅んで久しいようですしね。可能性はあるかと」
アインが表情を全く変えずに告げた言葉に未来の顔が強張る。そして躊躇するような視線を建物の中に向けた。
「さて、では行きますよ未来」
しかしアインはそんな未来の様子を気にも止めず、手を引いて歩きだす。
「あ、アイン? ちょ、ちょっと心の準備を」
「大丈夫ですよ、ほらほら」
「あ、あ、あーー!?」
怖がる未来に少しいたずら気な表情を見せながらアインはショッピングモールの中へ歩きだした。
二人がモールの中に入ると目の前にはエスカレーターがあった。その横を通りすぎるとメインストリートに出る。
そこは吹き抜けになっていたため、天井から日光が入り込んでいた。そのため電気は通っていなかったが周辺を見渡す事くらいはできる。
「だ、大丈夫?」
「えぇ、小動物はいるようですが」
アインの声に合わせる様にして何処かで鳥が飛び立つ音が聞こえた。
「ひっ」
しかし恐怖で神経が過敏になっている未来はそんな些細な音にも敏感に反応した。すばやく隣のアインの腕に抱き着く。
「未来。そんなに怖がらなくても」
「私は幽霊とかは怖くは無いけどね! 野生動物とかリアル命の危機じゃん!!」
「ふふっ、あんまり大きな声を出すと動物が反応しますよ」
恐怖に顔を引きつらせながら叫ぶ未来にアインが微笑みながら答える。未来をからかっているのか、本当に微笑ましく思っているのか判断はつかなかった。
そして未来はというと、アインの言葉に声を抑えるだけでいいのに両手で自らの口を押さえていた。
「それで未来。何処を探索したいのですか?」
「どこって……」
未来は周囲におびえながらきょろきょろと視線を向ける。
「いや、少し入ってみたかっただけなんだけど……。ほら、廃墟の大きな建物とか珍しいじゃん」
「あぁ、なるほど。好奇心からでしたか」
「う、ごめんね」
「いいえ。急いでるわけでは無いですし。何か他の人間の手掛かりが見つかるかもしれませんしね」
「そうだね……。あ! そうだ!!」
「未来?」
会話の途中で未来が何かをひらめいたかのように顔を上げる。
「本屋! 本屋に行けば新聞とか資料とかあるんじゃないかな? どうして他の人類が滅んでいるのか分かるかも」
「……あぁ、そうですね」
未来の提案にアインが納得したように反応する。
「とりあえず、本屋を探してみよう!!」
そうして未来とアインは二人で本屋を探すことにした。
ほどなくして本屋は見つかった。幸い1階部分に存在していたので落下の危険のある2階には上がらずに済んだ。しかし。
「何、これ……?」
目の前の光景に未来は立ちすくんでいる。本自体は室内で雨風を避けることが出来たからか風化しているものは少なかった。問題はその内容だ。
本の表紙にかいている文字が未来には読めなかったのだ。
未来は一冊手に取り、本を開いてみる。しかしその中の文章も全てアルファベットで書かれていた。洋書なのか、と文章に目を通してみるもそれは英語ですらない。
未来はもしやと思い、レジの上のすすけた店名に目を凝らすとそこも日本語ではない。『Mizuno Librovendejo』とある。
「ね、ねぇアイン? これって」
未来は本を片手に持ち、後ろから追いついてきたアインに恐る恐る声をかける。
「あぁ、エスペラント語ですね」
「エスペラント語?」
しかしアインは未来とは違い、特に驚くようなことは無かった。むしろ慣れ親しんだように一冊の本を手に取る。
「ふむ、という事はここは比較的新しい建物の様ですね。滅んだのも今までの土地と比べれば後なのでしょう。ここは近辺の中核都市だったのかもしれません」
アインはそのまま納得したようにこの建物の推測を進めていく。しかし未来には何も理解できていなかった。
「……ねぇ、アイン。エスペラント語って、何? ここは日本でしょ? だったら日本語が使われているはずじゃ?」
「……ふむ」
アインは言語よりも未来の反応の方に驚く。しばし考えたのち、顎に手を当て考え込むようにして口を開く。
「……そう、ですか。やはり未来はおそらく私よりもだいぶ前にコールドスリープされたのでしょうね」
「アイン?」
正確に返答していないアインの言葉に未来は焦ったように彼女の名前を呟く。
アインはそんな未来の目としっかり視線を合わせ、説明を始めた。
「未来、これはエスペラント語と呼ばれるものです。見覚えは無いんですね?」
「う、うん。私が知ってるのは日本語と英語が少し位……」
アインは未来の知識を確認するように一つずつ説明をしていく。
「私も日本語、英語などは確かに知識としては知っています。日本語は旧母国語として学び、実際喋ることができています」
アインはよどみない日本語を喋りながら、手元の本を顔の前まで持ってくる。
「しかし人類は皆、共通の言葉としてエスペラント語を使用していました」
「これが、そうなの?」
「はい。ちなみにこれは『銀河鉄道の夜』です。知っていますか?」
「宮沢賢治の……」
「はい」
アインが手に持った本には『Galaksia Fervoja Nokto』とある。未来には全く理解できない言葉だった。
「で、でも、アインは最初から日本語だった、よね?」
「それは未来が日本語で話しかけてきましたから。エスペラント語で話すこともできますよ。Mirai. Ĉu vi komprenas miajn vortojn?」
「や、止めて!!」
すらすらと日本語では無い言葉を話し出したアインを未来が強い声で止めた。未来は自分の体を抱き締めながら目をきつく閉じる。
その未来の様子でアインも状況を理解したようだった。一瞬目を見開くもすぐに表情を和らげ、優しく未来を抱き締める。
「ごめんなさい、未来。軽率でしたね」
「う、ううん。私こそごめん。アインは別に何も悪くないのに……」
「いいえ。貴方をこんな状態にした事、それは私の言動が原因ですから」
「でも、別にアインは」
「いいんです」
顔を見上げてこようとした未来をアインは自分の胸に埋めさせる。
「むぐ!?」
「まずはゆっくり呼吸をして落ちついてください」
「むぐぐぐ!? むごっごまみん!!」
「未来? じたばたするのでは無く落ちついて、あら?」
アインは自身の腕の中でもがき始めた未来を見下ろす。そして一瞬力が緩んだ隙に未来はアインの胸から脱した。
「ぷっはぁ!! 死んじゃうよ!?」
「ご、ごめんなさい……」
未来はアインから一歩距離を取り何度も大きく息を吸う。
「ふうぅ。……よし。アイン。改めてエスペラント語について教えて」
「未来?」
「うん。さすがに知らないままに出来ないから」
そして大きく息を吐き、ゆっくりと顔を上げた未来はアインを見上げて統一言語の説明を頼んだ。
アインも未来の様子を心配そうに見つめていたが、持ち直した彼女の表情に納得したように口を開き始める。
「エスペラント語とは19世紀に作られた人造言語です。人類は2160年頃からこの言語を全世界共通の言葉として使い始めました」
「2160年に? なんで?」
アインの言葉に未来が目を見開いて驚く。
「……申し訳ありません。理由までは何とも。しかし未来がこの言葉を知らないとなると、この以前の生まれという可能性が高いですね」
「……ちなみにアインはどの位の生まれなの?」
未来の言葉にアインは顎に手を当て、記憶を思い出すような仕草をする。
「……だめですね。私も未来と同じでコールドスリープの影響か記憶が曖昧で。エスペラント語が普及していた事を知っているので2160年以降だと思うのですが」
しかし、アインは申し訳なさそうに頭を振りながら話した。
「んー、つまり2160年位までは人類は無事だったんだね」
「そうだったかと思いますよ」
「むー」
未来はうなりながら周囲の本を見渡す。しかしいくら視線を凝らしても視界がいきわたるほどの大きさの書店の中に何かが見つかるわけでは無かった。
「アイン、ここに何か手掛かりがあると思う?」
「難しいですね。ここにあるのは物語ばかりのようなので」
「そっか」
未来とアインは二人目を見合わせる。
「なんで、人類は滅んだんだろうね。そして生き残ってる人はいるのかな?」
「どう、でしょうね?」
そうして力なく今の何も分からないままの現状を嘆いた。
「んー、結局収穫は無しかぁ」
二人は書店での情報収集を諦めて、モール内のメインストリートに戻ってきていた。
吹き抜けから入り込んできている日の光もまだまだ明るい。しばらくはモール内の探索をしても問題なさそうだった。
「それで、これからどうします? 外にでて今日の寝る場所に戻りますか?」
「それも勿体無いような」
未来はなんだか物足りないように顔をしかめている。そのまま何か面白い物を探すように周囲を見渡す。
「あ、そうだ」
そして何かを思いついたかのように何かを探し始めた。
「未来?」
アインは未来に何を思いついたのか聞き出そうとする。
「服を探そうよ」
しかしアインが訪ねる前に未来が答えを言った。
「服、ですか?」
「そう。モールなら、ほら此処とか」
未来は通りがかった店の前で足を止める。未来の身体の向く先には確かにブティックが存在していた。
「行ってみよ、アイン」
「え、えぇ。けど未来」
「ほらほら」
何かを言おうとしているアインの手を引いて未来は店に入っていく。
しかし。
「うっ!!」
「あぁ、やはり。未来、こっちに」
未来が陳列されていた衣類を手に取った瞬間、埃や塵が店内に舞い上がる。未来は咄嗟に口元を覆い、そんな彼女をアインが逆に手を引いて下がらせた。
「けほっ、けほ!!」
「未来、まだ後ろに」
全ての粉塵を遮る事が出来なかった未来が咳き込みながら後退する。よほど降り積もっていたのか、目の前の店内には未だに埃が舞い上がっている。
「うぇえぇぇ。最悪……」
「ほら、未来。目を閉じてください」
未来の身体の埃をアインが丁寧に払い落としていく。
「ごめんなさい未来。早く止めるべきでした」
「いや、うん。まさかここまで酷いとは」
やっと落ち着いてきた未来が目の前の白煙のような粉塵に目をやる。
「これは、流石に着るのは無理だね」
「ですね。おそらく劣化も進行しているでしょう」
「はぁ、せっかくアインに似合いそうだったのに」
「え、私ですか?」
アインは未来の言葉に意外そうに目を見開いた。
「けれど私はこれで十分ですよ?」
アインは自らのメイド服の縁をつまみながら視線を自分の身体に落とす。
「えぇー。アインはスタイル良いし絶対色々似合うって」
しかし未来は納得していないようにアインを見上げながら反論した。
「でも、アインって初めて会った時からその服だったよね? 私の記憶が間違ってないならその服って従者の服だったと思うんだけど」
「私もそのように記憶していますね」
「なんでそれを着てるの?」
「何故、といわれても」
アインはメイド服に視線を移した。
「似合ってませんか?」
「いや、似合ってはいるけどさ」
未来はアインの返答に納得していないようである。
「アインは別の服を着てみたいとは思わないの?」
「いえ、特には」
「全く?」
「えぇ、はい」
「そっかぁ」
しかし未来はアインの反応が全く変わらないことを確認すると素直に諦めた。そのまま埃まみれの店舗から離れる。
「ま、ならしょうがないね。ごめんね。時間取らせちゃって」
「いいえ、構いませんよ」
そして二人は再びモール内の探索に戻った。
「はぁ、結局手掛かりなしかぁ」
しかし、モール内を一通り見て回ってもめぼしい物は何も見つからなかった。
分かった事と言えば、この建物内はエスペラント語が使われている事から2160年以降にできた事。そして埃や品物の風化の様子から長い年月が経過している事だった。
「何なんだろうね? モールの中は荒らされた形跡も無い。というか……」
「急に使用されなくなって放置されていた、でしょうか」
未来がどう言葉にしたものか悩んでいた言葉をアインが引き継ぐ。
「うんそう、そんな感じ。けど、さ。それはそれで変だよね?」
「なにがでしょうか?」
「いや人類が滅亡するくらい危機に瀕してたにしては物がありすぎるような。危機的な状況なら物品を集めに誰か来ててもおかしくないよね?」
未来は今まで見渡してきた店内の様子を思い出しながら頭をひねる。思い出されるのは綺麗に品物が陳列された様子ばかりだった。品物が異様に少なかったり、荒らされていた様子の店舗は一軒も無かった。
「建物の損傷から災害や戦争などの可能性は低い。また物資が無くなり生活に瀕していた様子も無い」
アインが未来の悩んでいる事を声に出して整理してくれる。けれど分かったのは現在では何も分からないという事だった。
「ほんとになんで滅んだんだよー、人類。私達だけコールドスリープにしやがってー」
「生きているから幸運、とは素直には言えない状況ですね」
「……はぁ、もう外にでようか」
未来はアインの手を引いて近くの出入り口から外に出ようとする。
「いえ、未来まだ行っていない場所がありますよ」
しかし踵を返そうとしていた未来をアインが引き留める。
「い、いや、もういいんじゃないかなー、って」
しかし未来はアインの言葉に挙動不審な返事を返した。明らかに嫌そうな様子だ。
「ほ、ほら。もう日が暮れるしさ。早くテント張ったりしないと……」
「いえ未来。その場所は必要な場所です。荷物が増えるでしょうから最後にしていましたが、行くべきです」
しかしアインは未来の様子にも毅然として意見を告げる。
「絶対行かないとダメ?」
そんな彼女の様子に未来は一縷の望みをかけて遠回しな拒否を示した。
「駄目です」
案の定、というか当たり前のようにアインが未来の言葉を突っぱねる。
「うぇえぇええ~~っ!?」
「ほら、行きますよ未来」
そうして駄々をこねるようにうめき声を漏らす未来をアインは引きずって歩き始めた。
観念した未来がアインに手を引かれてその場所にやってくる。
そこには天井から『Nutraĵvendrjo』と書かれた看板が掲げられていた。
「さぁ、未来。何を食べたいですか?」
嫌がる未来の手を引いて食料品館にやってきたアインが向き直りながら笑顔で質問をする。
「いや、まだお腹空いてないし……」
しかし未来はアインの言葉に目を逸らしながら返答する。
「未来」
そんな彼女にアインは笑顔のまま言葉に少しの圧を込めて名前を繰り返した。
「うっ……。あぁ、もう。分かったってば」
相方がこうなると頑固な事を理解していた未来は観念して周囲の棚を見渡し始めた。
二人の周囲には保存食らしき食べ物が棚いっぱいに並べられている。その状況にアインが今後のために、と言っていくつか持ち帰る事が予測でき未来はげんなりしてきた。
「な、なんかあっさりして食べやすい物とか……」
未来はお肉などから必死の目を逸らしつつ、野菜や麺類を凝視し続ける。
「未来、バランス良く食べましょうね」
けれどアインはそんな彼女を咎めるように定食を模したような複数の品がパッケージされたものを手に取る。
「そ、そんなに食べられないって」
「食べるんですよ。前に食事をとったのは3日前でしょう?」
「う。で、でもまだ平気だし」
「そうでしょうね。けれどその時に食べ物が手に入るか分からないのですから、できるだけでも食べておくべきです。それともまた、野生動物と野草の煮込みがいいですか?」
「分かったてばぁ……」
未来は観念してアインが手に持っている定食様の物を選ぶ。
「はぁ、食べきれるかな……」
「できるだけでも食べましょう」
「はーい」
拗ねた子供の様な声を出しながら未来は食べ物を持ったまま歩き出す。
「……ねぇ、アイン。ここ食べ物が売ってあった場所なんだよね?」
しかし途中で足を止めて何かに気付いたようにアインに声をかけた。
「はい。そのはずですが?」
「何か足りなくない?」
「そうですか?」
未来は周囲を見渡しながらアインに疑問を口に出す。先ほどの本屋と同じで、そこまで面積の多くない食料品売り場は一周するのにさほど時間はかからない。アインも未来が何に違和感を感じているのか分からないようだった。
「なんか、狭い?」
「? 食品売り場はこの程度では無いですか?」
「そうだっけ?」
その後も未来は何かに違和感を感じていたようだったが、結局何かを口にすることは無かった。
「まぁ、いいか」
「えぇ、行きましょう未来」
暗くなる前にこのモールを出よう、と二人で小さな小売店ほどの食品売り場を後にした。
「んぅー」
入った時とは別の出入り口からモールを出て未来は太陽の光の下で伸びをする。太陽は傾いてはいるがまだまだ沈む様子はない。それまであと数時間は時間の猶予があるようだった。
「日の光が眩しいぃ」
しかしすぐに目を閉じて手で太陽の光を遮った。
「まだ日が沈む様子は無いですね」
アインはというと未来とは対照的に太陽を見つながら冷静に状況を把握する。
「とりあえずテントをどこかに、ん?」
アインと二人で荷物を置いた建物まで歩き出そうとした未来が何をに視線を向けて足を止める。
「未来?」
そんな彼女を様子をアインがどうしたのかと声を出した。
「いや、あれなんだろうなって」
そんな風に未来が指さす先には地下鉄の入り口のような建物があった。しかしこれまでの街中で地下鉄の入り口なんてものは見なかったし、その出入り口は金属の扉で厳重に封鎖されている。
「……何なのでしょうね?」
アインも少し悩むように言葉が途切れたが結局分からないと口にする。
その建物は扉だけで無く、全面が金属で作られていた。
周囲の建物は木造やコンクリートなど多種多様であるのにその物体だけ明らかに浮いている。
二人が近づいてみると入り口の上にかすれて『subtera ŝirmejo』とあった。
また近くにはモニターのようなものとキーボードも設置されている。
「なんて書いてあるのアイン?」
「……地下通路、ですね」
未来からの質問にアインが上の文字を読んで伝える。
「そのまんまだね。なんか物々しいけど」
未来はアインの返答に苦笑いを浮かべながら扉に近づいていく。そしてあからさまに設置されているキーボードの前に立った。
「さてさて」
「未来?」
未来はそのままキーボードをカタカタと打ち込んでいく。
「何か心あたりがあるのですか?」
「いや適当に、うわ!?」
驚く未来の目の前でモニターが起動する。
「え!? なんで!?」
「えと、未来? 何か確証があったんじゃ?」
「そんな訳ないじゃん!? 適当に押してみてアインからのツッコミ待ちだったんだよ!!」
「未来……」
アインが未来に対して微かに笑みを見せる。しかしその笑みは明らかにしょうがないな、という憐みの笑みだった。
そんな風に二人でモニターの前で慌てていると起動画面から何かの入力待ちの画面に変わった。『Bonvolu enigi vian pasvorton』とある。
相変わらずの言語だったがこれは未来でも意味を読み取れたようだ。
「パスワードを入力してください?」
「そうですね」
アインが未来に変わり機械の目の前に立つ。
「ふむ、けれど何も手掛かりは無いですしね」
「パスワード」
「はい、ですからそのパスワードを」
「いや、だからパスワードはパスワードってことは無い?」
「……未来」
「い、いやあるかもしれないじゃん!!」
未来がアインからの咎めるような、また呆れるような視線に慌てて両手を振って弁明する。
「パスワードの初期設定は0000かパスワードって相場が決まってるんだよ!?」
「……一応入力してみますけれど」
アインが滑らかにキーボードを打ち込んでいく。しかし。
「やはり駄目ですね」
表示されるのは『eraro』という単語と短い警報音が鳴るばかりだった。
「なんか他に無いの? パスワードを忘れた方はこちらから、とか」
「未来の時代はそのようなセキュリティだったのですか?」
アインは未来に正気を疑うような視線を向けてくる。
「ごめんなさい……。それは会員登録の救済措置です……」
さすがにそれは無いと未来も思ったのか素直に謝る。
「会員、登録?」
しかしアインは未来のその言葉が良く理解できないように首をかしげた。
「あ、あれ。もしかしてそんなの無いの? えとネットのサイトを利用するのに個人情報を入力しないといけなくて、その時にパスワードがいるんだけど」
「? そんなもの無くてもすべて個人コードで管理されてるのでは?」
「え、えぇ!? い、いやマイナンバーとかはあったけど別にそこまではできなかったかなぁ」
二人の話はどうにもかみ合っていなかった。
「でしたら収支等はどのように管理していたのですか?」
「えと、なんだっけ? か、確定申告? とか、だったかな? それを年一回作って国に提出するの」
「じ、自己申告なのですか?」
「う、うん。その後に国からの確認が入るけど、まぁ」
「それは、大変でしょうに」
二人は思いがけずジェネレーションギャップに驚くが、その間も当たり前だが扉には何も変化は訪れない。
「……とりあえずこの話やめようか」
「そ、そうですね」
二人が思ったのは同じことだった。おそらくこの話を続けたら絶対に終わらない。
「反応無いねぇ」
「ですね」
あの後二人で思いつく単語をいくつか入力してみたが何も変化は見られなかった。
どだい桁数も分からないアルファベット込みのパスワードを引き当てろ、というのが無理な話である。
「えぇい!! こうなったら!!」
そうしているとやけになった未来が適当にキーボードを叩き出した。
「み、未来?」
鬼気迫る彼女の様子にアインが心配そうに声をかける。
「この! これなら!!」
アインの心配する様子をそのままにアインは手当たり次第にパスワードを打ち込んでいく。
するとある瞬間、今までとは明らかに違う音が鳴った。
「え!? 嘘!?」
「まさか!?」
入力してた未来と心配そうに見ていたアインが二人で驚いて扉に目をやる。しかし扉に変化した様子は無かった。
「あれ?」
「……これは」
未来は期待を顔を膨らませていたが変化の無い扉に拍子抜けをする。その間にアインは未来の手元の機械を覗き込んだ。
その画面には『Malĝusta pasvorto enigita plurfoje. Ŝlosu por certa tempodaŭro.』と表示されている。
「……なるほど」
「ア、アイン?」
「ロックがかかりました」
「え?」
「パスワードを間違えすぎたみたいですね」
アインが未来へ話しながらキーボードを打ち込むもすでに入力画面すら表示されていないため何も変わらない。画面の隅に『0:59:30』と表示されており数字が変化して言っているためこの時間だけロックをかけているのだろう。つまり後一時間ほどは何も操作を受け付けなくなっている。
「残念ですが未来、ここまでの様ですね」
「そんなぁ……」
アインの言葉に未来は肩を大きく落とす。
「これだけ厳重なら何か中に残ってるかもしれないのに。電力が通ってるから中に誰かいるかもしれないし」
「……いえ、電力だけなら説明が付きます。どこかの太陽光発電が生きていたのでしょう」
アインは周囲の高い建物を見渡していく。そして最後に道路に視線を移した。
「え、でも太陽光電池なんて見なかったような」
「この道路やあの建物の壁面などがそうですよ」
アインは当たり前の事を説明するように付近の建物や目の前の道路を指差した。
「え!? これ!?」
アインの言葉に未来が驚く。
「あぁ、そっか。未来の技術ってすごいんだなぁ」
「自然だけで電力を賄ってましたから。郊外にはメガソーラー等もありましたけれどそれだけでは心もとないですしね」
「火力発電とか原子力発電とかは?」
「たしか、そういったものは人的被害が出た時が危険だからと廃止されたかと」
未来はアインの指先を追う様に周囲の街並みを見渡していく。感心するような表情だったがすぐにため息を吐いた。
「じゃあ、この中も」
「人がいる、という確証はありませんね」
「そんなぁ」
アインの言葉に未来はさらに肩を落とす。
「そもそもなんで地下通路のくせにこんな頑丈なんだよー!!」
しかしすぐに一転し先ほどから全く変化の無い扉に叫ぶ。そのまま近くに押していた手のひらほどの石を投げつけた。
扉にぶつかった石は扉の向こうの空洞を響かせるような音を鳴らしたが、外見的な変化は全くない。金属製だからか傷一つ着いていなかった。
無機物のはずの扉が憎たらしく感じてきた未来。もう一つ石を投げつけようとしたが、隣に立つアインが手で制した。
「アイ」
「しーっ」
そのまま未来の口元に指先を当てて静かにするいうに指示を出す。
しばらくするとアインは声を抑えながらしゃべりだした。
「……未来、静かにここを離れましょう」
「アイン?」
ささやくように話しかけてくるアインに合わせて未来も声の大きさを落とす。
しかしアインの様子が真剣であることからそのまま黙ってアインの指示に従うことにした。
ゆっくりできるだけ足音も立てないように動き出したアインに合わせて未来もついて行く。
「わずかにですが中から獣のうめき声のようなものが聞こえました。どこかからか入り込んでいるのかもしれません」
アインの言葉に未来は目を見開くも状況を理解して返事はうなずくのみに留める。
2人はそのまま静かにその場を立ち去る事にした。
「あ、美味しい」
未来とアインは地下通路入り口から立ち去った後、荷物を回収して比較的損傷が少ない橋の下に来ていた。
近くに2人が寝るためのテントが建てられており、その近くで焚き火がおこされている。
そして今、未来が口にしているのは先ほどモールから持ってきた食料品であった。
「だから食べておいた方が良い、と言ったでしょう?」
アインは自らの分も湯煎しつつ、言った通りでしょうと視線で訴えていた。
「うん。今まで食べたものより美味しいね」
「うっ……」
しかし未来の何気無い一言でアインが顔をしかめる。
「あ、いや、違うんだよ。私は作って貰ってる立場だしいつもの食事に文句がある訳じゃあ」
「いえ、言い返せないのは自覚してますから……」
アインが下を向きながら返事をする。
「……一応言い訳をさせてもらえるのなら、食材の問題もあります」
「あー、なるほど」
彼女が下を向きながら放った言葉に未来も納得する。
「動物も植物も野生化しているので味があまり良くないんですよ」
「だよねぇ。私この前トマトなってたから食べてみたら酸っぱかったのなんの」
「調味料も無いのが痛いですね。塩位ならばなんとかなりますが」
「そうかぁ。あ!!」
「未来?」
会話を続けていると未来が何かに気付いたように声を上げる。
「さっきの食料品売り場!! あそこ調味料とか生ものとか無かったんだ!!」
「え?」
「だからさっきの場所。調理済の物、っていうか保存食ばっかりだった」
未来は先ほどの食料品館を思い出しながら言葉を発していく。
先ほどの場所は生鮮食品などが陳列されていた様子が無かった。全て調理済みの物であり、それも保存の利くものばかり。だからこそこうして二人は食事を取ることが出来ていた。
「なるほど。これもジェネレーションギャップ、というやつでしょうか」
しかしアインはやはり今までと同じで未来ほど驚いていない。
「もしかしてこれもアインの時代じゃあ常識だった?」
未来も流石に彼女とのギャップに慣れてきたようだった。
「えぇ、基本的に料理は材料などを取り寄せて行う趣味でしたね。食事は基本的にこのような物が中心でした」
アインはそう言いつつ手元のパックを指差す。
「そっかぁ……。まぁ、別にこれが人類滅亡に関係は無いだろうしなぁ」
「けれど、私の記憶している年代とそうは変わらない事が今日で分かりました」
「あ、そうだね。アインの方の常識に近かったし」
「ですので、私の年代と滅亡はそう離れていないはずです」
「2160年以降、かぁ」
「すいません。私がもう少し細かく記憶していれば良かったのですが」
「いやいや、流石にこれはどうしようもないって」
気落ちしたようなアインを未来は慰める。そしてそんな風にしているうちにアインの準備していたパックから蒸気が吹き出した。
「あ、アイン。そろそろなんじゃない?」
「え? あぁ、そうですね」
ぼー、っとしていたような彼女は未来からの言葉で手元に視線を落とす。
そうやって自らの食事の準備を始めた。
「ご馳走さまでした」
「此方も食べ終わりました」
二人は食事を食べ終わるとゴミを一纏めにしていく。
片付けが終わるとアインがバッグから手持ちランプを取り出し、中に火をつけた。
「アイン、何かするの?」
彼女の普段とは違う行動を未来が指摘する。
いつもならば暗くなったら行動は控え、明日に備えて眠る筈である。アインの行動はまるで何処かに向かおうとしているようだった。
「少し周囲の見回りを。先ほどの獣の件などありますから」
アインは未来を安心させるように笑顔を向けつつ、立ち上がった。
「あ、じゃあ私も」
「いえ、未来はここにいてください。あくまで念のため、ですから」
「けど」
「未来は眠るための準備をお願いします」
未来は一緒に行こうと立ち上がろうとしたが、アインが押しとどめる。そうして未来の手にあるものを渡してきた。
「そしてこれの使い方は分かりますね」
「……相手に向けて引き金を引く、だよね」
「えぇ、良く出来ました」
アインから拳銃を渡された未来は少し緊張した面持ちで受け取る。
「未来、そう緊張しなくても良いですよ。あくまで大きな音で相手を怖がらせる事、そして私を呼ぶことが目的ですから。何かがここに近づいてきたら躊躇なく撃ってくださいね」
「う、うん。けどもし相手が人間だったら?」
「構いません。素人の銃は当たるものではありませんから。未来が覚える事は一つだけ。なんであれ私以外が近づいてきたら銃を向け、赤い点を相手に合わせて引き金を引く。それだけです」
アインは未来に念を押すように自分がいない間の対応を説明していく。そうして未来が理解したのを確認したら、ランプを持って彼女から一歩離れた。
「では未来。すこし行ってきますね。30分程で戻りますので」
「分かった。行ってらっしゃい」
「えぇ、行ってきます」
アインは焚火と未来を後にして再びモールの方角へ歩き出した。
夜空には綺麗な星空が浮かんでいた。人工の光が手元のランプのみであるので星明かりが克明に煌めいている。
未来と共に来れば彼女は喜んだのだろうな、と彼女の様子が思い浮かび微笑ましい気分になる。しかし彼女を付いて来させる事は絶対にできなかった。いつかの機会に彼女と夜に出歩いてみようと考えながら、アインは目的の場所まで歩き続ける。
星明かりと手持ちランプのみを光源として、彼女は廃墟と化した道のりを苦も無く歩き続ける。未来には周囲の見回りと説明していたが、彼女が周囲を見渡す様子は無くどこか目的地に向けて歩いている様子だ。
足元の悪い暗闇をしばらく歩き続け、彼女がたどり着いたのは昼間に探索したモールだった。そのままモールに中に入る。外よりもさらに暗い建物内も難なく歩き続け、別の出入り口から出た。そんな彼女の目の前にあるのは昼間に訪れた金属の扉だった。
アインは扉前の機械の前に立つと画面を起動させる。
昼間に未来によりロックがかかっていた画面は元のパスワード入力画面に戻っていた。
その画面にアインは躊躇なく文字を打ち込んでいく。
『Lernu en ia pasinteco, vivi en la nuntempo, esperi pri la estonteco』
アインがよどみなく打ち込んだ文字によって扉は昼間とは違う反応を見せる。軽い電子音が鳴り響くと共にモニターに『La pordo malfermiĝas』と表示され、扉がわずかに動いた。
彼女が前に立つと扉が自動的に開く。扉の先には電灯で照らされた地下に続く階段が伸びていた。
この場所が新人類において地下シェルター兼集会所、そして先ほどの言葉が彼らの指標であることを知っていたアインはそのまま中に入る。後ろで扉が閉まったのを確認すると手元のランプを扉近くに置き、懐から懐中時計を取り出し中を確認する。
「……」
アインは中を見て僅かに顔をしかめると階段を降りていく。
そして目に入ってきたのは10人ほどがゆうに入れそうな部屋だった。室内には大きなテーブルと椅子がいくつか置かれている。そしてアインが入ってきた扉以外にも左右と正面の壁にも扉があった。
これが地下シェルターの一般的構造であり、左右は個室に正面の部屋はさらに大きな部屋に続いている。
彼女は念のため、左右の部屋から見回ることにした。
それぞれ片方に15部屋ずつ。全てが個室であり中だけで生活に必要な設備は整っている。個室ごとに食料も常備されていた。部屋ごとに食料の減りには差があるものの、無くなっている部屋は無かった。また衣類などの違いはあれど全て状況は同じだ。
生活設備は残っている。部屋が荒らされた様子は無い。電力が生きていて空調設備も稼働しているため、埃などもほとんどない。人が生きていける環境は残っていた。しかし死体も含めて人間だけがその場所にいなかった。
あまり遅くなっては未来が心配するので探索は手短に行わなければならない。そして彼女が予測していた通りに、どうやらすべては正面の大部屋で起きたようだった。念のため、と左右の部屋から調べたが予想は当たっていたようだ。
左右の居住空間に誰もいないことを確認したアインは最初の部屋に戻ってきた。
そうして綺麗に置かれているテーブルの間を通り、扉に前に立つ。これも軽い電子音と共にすぐに開いた。
そこに広がっていたのは彼女の予想通りの光景だった。
中には人間の死体が積み重なっていた。人数はざっと30人ほどで、部屋数とも一致している。その全てが未来と同年代の10代前半の体格であり、空調と除菌設備が働いて長期間放置されたためミイラのように干からびていた。死体になり何年経過しているのか、すでに腐敗臭などは存在していない。ただただこの施設内の廃墟の一部として存在していた。
そしてやはり、というか遺体に損傷は無く大部屋の中もきれいに整っている。この部屋の中には緊急時の備蓄食料や毛布などあったはずだがそれらも手が付けられた様子は無かった。ただ積み重なった死体のみがあるのみだ。
「rest in prace. ご冥福をお祈りします。とは言ったものの、どういう言葉が適切なのか分かりませんね」
アインはとりあえずいくつか知っている死者への言葉を口にしてみるが、しっくり来ていないようだ。
どういう言葉が良いのか、と幾つかの言葉を頭で巡らせる。しかし答えが出る事は無かった。
「……そう、ですね。えぇ。では皆様。どうか安らかに」
結局、アインは深々と頭を下げて、積み重なる死体に労いの言葉を掛ける事しかできなかった。
「おはようございます、未来」
「んぅん?」
未来がアインから声を掛けられて覚醒する。すでに日は上りだしており二人が拠点にしていた橋下にも朝日が差し込んできていた。
未来がもぞもぞと寝袋から這い出てテントから顔を出すと目の前でアインが焚火を起こしてお湯を沸かしている。その近くには別の大きめの容器に水が張られていた。
「煮沸したぬるま湯があるので顔を洗ってください。いま飲み物を用意しますので。お茶で良いですか?」
「んん。ふぁりがとう」
「ふふ、大きな欠伸ですね。まぁ、昨日は疲れてしまったのでしょう」
未来がアインへと返事と共に大きな欠伸をする。その様子を微笑ましく見つめているアインは普段と全く変わらなかった。
彼女は未来の様子を横目に眺めつつ手元では手際よくティーパックからお茶を抽出していく。
「昨日はって、昨日ってアインいつ帰ってきたっけ」
顔を洗ってからアインの隣に来た未来が昨夜の事を話す。どうやらまだ寝ぼけているからか昨日の記憶が曖昧の様だった。
「40分ほどで戻りましたよ。けれど帰って来たら未来は私に抱き着いてそのまますぐに寝てしまいましたが」
「あ、あれ? そうだっけ?」
未来は昨日の夜も事が記憶に無いらしく驚いた顔でアインを見返す。
「えぇ、そしてすいません。一人にした事、そして念のためとはいえ銃を持たせたことがストレスになったみたいですね」
「あぁ、うん。いや、確かに緊張はしてたけど。え、それよりも私アインに抱き着いたまま寝たの?」
アインは未来にストレスがかかるような事をしたことを気にしているようだったが、未来は別の事が気になっていた。
「? えぇ。帰るなり抱き着いてきて。良かった、心配したと一通り話した後気付いたら眠ってましたね」
「ぉおお……」
昨夜の説明を受けて未来が顔を抱えて羞恥に悶える。
「み、未来? 大丈夫ですか?」
その様子に尋常ではない物を感じたのかアインが珍しく動揺したように声をかけた。
「だ、大丈夫……。いやさすがに子供っぽすぎる、とか思ってるけどアインは全く悪くないから」
「は、はぁ……?」
アインは理解できないように目を瞬かせる。しかし自分ではどうしようも無いと理解したのか何も言わずにお茶をコップに移した。
「えと、とりあえず飲んで下さい」
「……いただきます」
「さて、それで今日はどうしようか」
お茶を飲み終わりテントなどの荷物を片付け終えたのち、未来は橋下から出る。アインもすべての荷物が入ったリュックサックを背負いなおすと未来に続いてきた。
「付近の探索、もこの辺りでめぼしい場所は昨日のモール位でしたし。他に何かあるでしょうか」
「私としては昨日の地下通路も気になるし、とりあえず昨日のモールまで、あれ?」
今日の予定を話し合いながら歩き出した未来だったが、とある方向に視線を向けると動きを止めた。
その方角は昨日探索したモールのほうであり、そこからは黒い煙が上がっていた。
「もしかして他の人が!」
「未来」
「アイン!! 他にも人がいるかも!!」
「未来」
他の人の人間の痕跡に当たるかもしれない物を見つけて興奮する未来だったが、アインは対照的に悲痛な表情で彼女を押しとどめた。
「アイン?」
未来もそんなアインの様子に気が付き言葉を止める。
「いくら何でも煙の勢いが強すぎます。これは」
アインは険しい顔で未来に言葉を告げていく。
「とりあえず未来。様子を見に行きましょう。くれぐれも慎重に」
「う、うん」
「嘘……」
「……」
そうして二人が移動した先で見たのは火が燃え盛っているショッピングモールだった。崩れかけていた外観から中で燃焼している炎が見え隠れしていて、すでに何もかも手遅れなのが見て取れる。スプリンクラーすら稼働していない建物は、一度燃えてしまったら可燃物が燃え尽きるか雨でも降らない限り止めるすべは二人には無かった。
また、二人が周囲を見て回ると地下への扉が何故か開いており、中から煙を吐き出している。その中でも消火設備は生きていたはずなのに火災が発生しているのが見て取れた。
「なんで……」
目の前に光景に未来は茫然と立ち尽くす。火災の原因や何故扉が開いているのか分からないことだらけだった。
「……おそらく太陽光発電の設備や電気配線がショートしたのでしょう。埃や衣類など燃えやすい物も多かったですから」
「こんな急に。それにあの地下通路だって」
「おそらくですがあれは緊急装置の一種です。災害が発生したらロックが解除されるようになっていたのでしょう」
茫然としている未来に不思議なほど落ち着いているアインが声をかけていく。
「どうして、……アイン?」
驚いていた未来だったが隣に立っているアインが真剣な表情で地下通路の入り口を眺め続けているのに気が付く。言葉こそ未来を落ち着けるために吐いた言葉だったのだろうがその思考は別の所にあるようだった。
そしてそのアインの表情が何故か辛そうに見えた未来はアインの手をそっと握る。そうしてその事にすら気付かないままのアインと二人で扉から煙が吐き出され続ける様子を眺め続けていた。
「……未来、離れましょうか」
しばらく炎を見つめていたアインだったが数分もすると徐に未来に切り出した。
「もう、いいの?」
「何がでしょうか?」
「アイン。なんだか辛そうだったから」
「私が?」
「うん」
未来の言葉にアインはわずかに目を見開く。そうして未来が繋がれた手を動かすと、その瞬間に気が付いたように視線を手に落とした。
「……私が、辛い?」
アインはその手と未来の言葉に信じられないという様に言葉を漏らす。
「アイン?」
「いえ、行きましょうか、未来。ここは危険です」
「う、うん」
考えを振り払うように頭をかぶり振ったアインは未来の手を引いて歩き出す。
「どの口でそんな事が言えるものか」
炎と巻き上げられた風によって吹き飛ばされたアインの言葉は未来に届くことは無かった。
「とりあえずこの場所から離れましょう。他の建物に延焼するかもしれません」
火元から離れて二人は改めて今後の方針を話し合う。
「アイン、大丈夫なの?」
しかし未来はアインの先ほどの様子が気になるようだった。アインは心配そうに見上げてくる彼女に視線を合わせると笑顔を浮かべながら答える。
「えぇ、ありがとう未来。思っていたより大きな火災だったのでびっくりしただけですよ」
「そうなの?」
「えぇ、もう落ち着きました。被害が広がらないうちにここを離れましょう」
「分かった」
アインの様子に未来はひとまず安心したようだった。アインに返事をすると二人は来た道とは逆方向に歩き出す。
「このまま国道沿いに歩きましょう。また別の街にたどり着けるはずです」
「今度の所はどんなところかなぁ」
「この場所が近辺の中核都市だったようなのでしばらくこの場所のような大きな町は無いかもしれませんね」
アインはチラリと後ろを振り向いて未だに立ち上り続けている煙を見上げた。しかしすぐに前を向くとこれからの事の話し合いに戻る。
「もしかしたら農村部や小さな町が続くかもしれませんね。そうしたらまた食べ物が」
「野草と、野生生物の煮込み……」
食生活の事を思いだしてアインが顔をしかめる。あれがコールドスリープを出てから初めてのきちんとした食事だったのだろう。一度美味しいものを食べて舌が肥えてしまったようだ。
「ボイルやソテーもできますよ」
「蒸したり焼いたりするだけじゃん!! それはさすがに分かるよ!!」
「ふふっ、ごめんなさい」
アインが冗談交じりに発した言葉に未来がさらに頭を抱えた。
「けれど、しばらくはモールから取ってきたものがありますから。しばらくは大丈夫かと」
「え、本当に?」
昨日のモールで顔をしかめていたのが嘘のように未来は顔を上げる。その顔は希望に満ち溢れていた。
「えぇ、本当に。ですからこの食料が持つうちに次の食料が手に入ることを祈りましょうね」
「本当にね!!」
そうして二人は次の街に向かい歩いて行った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます