第8話 嘘つきばかりの祭り

優子と別れ、自転車を漕きながら、優子にいわれた事柄を考えていた。

「わたしが、寧音を殺したと」

優子からのメールを見た美波は、急いで公園に来たので、日除けの麦わら帽子を被り忘れていた。それを心配した尊が麦わら帽子を持って店の外まで出て来たのを、美波は知らない。汗が流れ、洋服は下着までビショビショになっていた。スカートが汗で足に纏わりつき、上手く自転車を漕げない。仕方がないので、自転車を降りた。

優子は美波にこう言い放った。調べたところ、今現在鍵を持っているのはスタッフ以外、美波ただ一人だけ。クラブへの出入りを禁止された美波が勝手にクラブに立ち入り、無理な運動で寧音を骨折させたが、美波はその事実を隠し帰宅したと。以前、照之は美波から鍵を返されたといっていたが、それが、美波を庇うための虚言だったこともわかった。事実を隠蔽した照之の処分は、これからだという。そして、美波が鍵を隠し持っていたことを、優子に暴露したのは凌馬だといった。

「凌馬さんから聞いたって?」

「そうよー」

「本当に?」

「なんで嘘つくのよ、わたしが。逆に本当ってどういう意味よ」

あの夜、美波が鍵を持っていることは口外しないと凌馬はいっていた。

「凌馬さんが、優子ちゃんにいったのね」

再び美波が聞くと、優子は頬をひきつらせてうなずいた。


「わたし、あの朝、クラブに行ったのかな?」

どこからどう見ても、怪しいのは自分だった。美波は、寧音を骨折させたという事実の、余りの恐ろしさに、記憶を一部、失くしてしまったのではないかと思った。そう考えると、自分自身のことさえわからなくなる。

「どうしよう」

店が見えた時、直射日光の下で、麦わら帽子を持って立っている尊を見た。

「おーい」

尊は美波に走り寄り、麦わら帽子を被せた。

「だめじゃない、ちゃんと帽子を被らないと」

「お父ちゃん」

「どうした?」

「わたしね」

「ん、どうしたんだい」

「ごめんね、わたしが、寧音ちゃんを殺したみたい」

美波はそのまま、尊に倒れかかった。


医者は熱中症ではないという。心理的な何か衝撃を受けたのではないか、元々メンタルが弱い方なので、気を付けてあげて下さいといわれた。以前、倒れて意識を失くした後、都心の病院に検査に行ったが、何も異常はなかった。至って健康だと太鼓判を押されたのだ。それで安心していた矢先の出来事に、両親は不安になった。

「なんて、なんていったの?」

美波にうどんを拵える美浜の隣で、尊はそっと耳打ちした。

「だからね、ごめんなさい、わたしが寧音ちゃんを殺したみたいだって、そういったんだよ」

「あの日の朝に美波が」

「そうなのかな?」

悩んでいたら、店の玄関扉が開いた。

「すみませーん、おじさん、おばさん」

誰かが叫んでる。聞き慣れた声だ。

「あら、照之くん」

うどんを尊に任せ、美浜は照之の元へ行った。

「どうしたのよ、営業時間外だけど、ご飯食べて行く」

「いや、もう食べたんで」

「そう、それで、なんか用なの?」

「はい」

照之は苦虫を嚙み潰したような顔をした。

「美波、大丈夫ですか」

「それが大丈夫じゃないのよ」

「やっぱり」

「何、何よやっぱりって、あの子、何にもいわないから」

美浜は照之の服をひっぱり、座敷に掛けさせ、自分も隣に腰を下ろした。

「麦茶でも飲む?」

「いや、持ってます」

照之は腰に下げていたペットボトルを見せた。

「便利なものがあるものね、そんなところに下げて」

「それはいいから、お母さん、美波のこと」

「そう、そうなのよ。昼休憩の時に急に出掛けて来るっていうから、どこに行くのかと聞いたんだけど言わないし、帰って来たら、倒れちゃって」

「誰に会ったのか知ってますか?」

美浜は首を振った。

「それが聞いてもいわないの。頑固なところがあるというか」

「芯が強いですよ、美波は」

「そうそう、こんなこと、いっていたらしいわ」

美浜は照之の腕に両手を置いて、顔を近づけた。照之は少し仰け反った。

「わたしが、寧音ちゃんを殺したとか」

「やはり」

照之は頭をがくんと下げた。

「やはりって、どういうこと?」

「実は…」

乗馬クラブで、まことしやかに囁かれていることを、照之は話した。説明を受けている最中、美浜は終始、首を振っていた。

「そんなことない」

「わかってます。僕だって、絶対にあり得ないと思っているんですが、なにせ、あいつが」

「あいつって?」

「いやっいいんです」

照之は立ち上がったのと同時に美浜も立ち、照之の顔を見たが、照之は視線を逸らして、玄関へと歩いた。

「ごめんなさい。仕事の時間なので行かないと」

「照之くん、わたし、クラブに行こうかな」

「それは、いまは止めた方がいいです。返って油に水を注ぐことになるので、

僕がちゃんと真相を究明するから」

照之が出て行った後も、美浜はずっと玄関を見つめていた。

「おう、どうした。だれかいたのか?」

尊が声を掛けた。

「ううん」

そういって美浜は尊を見上げた。

「わたしね、許せることと、許せないことがある。許せることというのは、自分が傷つくこと。許せないことことは、子供達が傷つけられること」

美浜は行き場のない怒りを必死で抑えた。


夏休みも後半に入る頃、美月が合宿から帰宅し、家の中が一気に賑やかになる。美紀子の腰痛も改善の兆しを見せていた。

「未だまだ、暑い日が続くけど、日の入りは早くなったね」

縁側に座り、団扇で風を送りながら美紀子がいった。藍色の着物を着て、髪もお洒落に結い上げていた。

「朝日が昇るのも遅くなったよ」

孫の美月も浴衣を着ている。縁側の下に水を張ったタライを置いて、そこに足をつけている。

「これからどんどん日照時間が短くなるけど、島は温暖だから生活がし易い」

「真夏は怖い程、暑いけどね」

そういって足をばたつかせ、水を弾いて美月は遊んでいた。

「そろそろ行くわよ」

母の美浜はふたりにそういった。きょうは町でいちばん大きな夏祭りだ。例年なら、店を開けて大忙しといったところなのだが、今年は尊の提案で、家族で祭りに参加することにした。町の青年部の者たちは、打ち上げする場所がないと残念がっていたが、町役場を借りて、そこに仕出しを用意することで納得させた。

「美波も用意できた?」

自分で着付けのできる美波が、二階から降りて来た。あの日、以来、笑顔を失ってしまった美波だが、仕事の時だけはがんばって愛想を振りまいている。仕事が終わると、二階に引きこもり、食事もひとりで取った。家族の心配は増すばかりだったが、いまはそっと見守るしかない。

「はい」

階段の下で、美波は浴衣の袖を掴んで、広げて見せた。

「きれいじゃない」

美浜が寄って来て、娘の周りをぐるりと回った。

「着物が似合うのは、お母さん譲りねえ」

「美月も着物、似合うかな?」

後ろ手について、美月はこちらを見ていった。

「そんなお転婆な恰好をしていたら、浴衣も台無しだわよ」

美浜にいわれ、美月は渋々、タライから足を上げた。

尊は先に商工会の人間と落ちあっているので、女だけ4人で祭りに向かった。全員が着物姿なので、道行く観光客の視線を浴びている。賑やかな会場は神社の境内と参道に広がり、夕刻の町を彩っていた。

「あっあれ」

露天商の建ち並ぶ参道を歩いていると、向かいから、凌馬と優子のふたりが歩いてくるのが見える。ふたりとも浴衣姿だ。ふたりは射撃の前で立ち止まり、何やら愉し気に話していた。

「凌馬さんと優子ちゃん、久しぶりに見た」

美月が見邪気な笑顔を見せ、声を掛けに行こうとしたのを美浜が止めた。

「やめときなさい」

美浜にしては珍しく神妙な物言いだ。

「どうして?」

「いいから、やめときましょう」

「う、うん」

美月はうなずきながら、もう一度、凌馬たちを見た。凌馬は鉄砲を持って、狙いを定めている。すると視線に気づいたのか優子が振り向いた。こちらを向いて、小さく手を振っている。以前より派手になった気がするのは、紫の浴衣のせいだろうか。

その時、美波は、綿あめが出来上がってゆくのをじっと見ていた。少し口角を上げ、虚ろだった目を見開いて見ている。凌馬たちには全く気が付いていない様子だ。

「綿あめ、食べようか」

そう言ったのは美月だった。大人たちの只ならぬ雰囲気を読み取ったのだろう。これ以上、優子に絡むのは良くない気がした。

「いろんな種類の綿あめがあるんだね」

美月は違う柄模様をした袋に詰まっている綿あめを珍しそうに眺めた。

「どれどれ、ひとつ買って食べようか」

美紀子が帯に挟んでいた財布を取り出した。鈴のついたがま口は、祖母のお気に入りだ。

「ひとつといわずに、たくさん買ってよー」

「あ、あー照之お兄ちゃん」

綿あめを作っていたのは照之だった。モクモクとした飴の影から、ひょいと顔を出した。

「美月、美波、元気にしてるか?」

姉妹を見つけた照之は、作りたての綿あめを持って、ふたりに手渡した。

「好きだろう?」

「はい……」

綿あめを受け取った美波は、ニコニコと笑っていた。

「元気にしてたのか、店に行っても愛想笑いしかしないし、メールしても返って来ないし、心配してたんだぞ」

美波が倒れたと聞いた日から、照之は心配して、ちょこちょこ店に顔を見せてくれている。しかし美波はただ笑顔を浮かべるだけで、店の用事が済むと、すぐに厨房に入ってしまい、話し掛ける切欠がなかった。

「まあ、元気だったらいいんだけど」

照之は腰に手を置いていたが、急に美波の手を引っ張った。

「美波のお母さん、ちょっと娘さん借りますよ」

「え、え、」

戸惑う美波を後目に美浜は、よろしくねーと手を振った。

「どこに行くの?」

「射撃だよ。お前、見掛けに寄らず得意だっただろう。気分転換しよう」

射撃の屋台の手前に来ると、美波の足は止まった。

「どうした?」

振りほどかれた自分の手をちらりと見て、照之は聞いた。

「帰るね」

「なんで?」

照之は改めて射撃の屋台を見た。そこには仲良く遊ぶ凌馬と優子の姿があった。

「だな、他に行こうか」

そう、踵を返した時、優子に呼び止められた。

「照之くんと美波ちゃんじゃない」

優子は凌馬の手を取り、美波の元へ来た。

「美波ちゃん、お久しぶり。元気にしてた。ごめんね、なかなかお店に行けなくて。乗馬クラブと大学が忙しくて」

「ううん」

美波はうつむいて首を振った。

「ふたりで来たの。仲良しね。そうそう子供の頃から仲良しだものね」

「ふたりで来たんじゃないのですけど」

照之は答えた。

「またまた照れちゃって、もしかしてふたり付き合ってるの?」

「そんなんじゃないです」

照之は苛立ちを隠せない様子で、地団駄を踏んでいる。

「あの」

「なに、美波ちゃん」

「優子ちゃん、なんでテルさんのことを照之くんって呼ぶの」

美波はうつむいたまま、小さな声でそういった。

「ん、どうして?」

「前は、テルさんて呼んでたじゃない」

「いいんだよ、美波ちゃん」

「それに、テルさん、敬語なのに。上司だっていうけど、子供の頃からの知り合いなのに」

「気にしてないよ、行こう」

ふたりが、その場を離れようとした時、優子が美波の腕を取った。

「凌馬くんの前でわたしに恥をかかせたかったの?」

優子の話口調は静かだった。

「そんなことはないよ」

美波は優子に持たれた腕を見ている。優子はその手を離し、凌馬に向いた。

「凌馬くん、聞いて。寧音を骨折させ、放置し、殺したのは美波ちゃんのなのよ」

「何を言い出すんだよ!」

かなり強い口調で照之は言い返した。

「優子ちゃん、何も根拠もない話しをするのは止めよう。むやみに人を傷つけることになる」

凌馬は優子の両腕にそっと触れ、そういった。

「根拠がない訳じゃないのよ。わたし聞いたの、本人から」

「そんなことある訳ない!」

再び、照之が声を荒げると、優子は凌馬に見えない様にして、照之を鋭く睨みつけた。その顔を見て、美波はすーっと息を吐きだした。

「テルさんもうやめて、いいの。優子ちゃんのいってることは真実だから」

「美波ちゃん」

行き場のない怒りを堪え、照之は美波の名を呼んだ。

「美波ちゃん、そんなことないよね」

凌馬は美波の前に立った。

「お久しぶりです」

美波は頭を下げた。

「暫く、東京に帰ってて、つい先日、島に戻ったんだよ。連絡もしないで、ごめんね。ご家族のみなさんにも、不躾なことをして」

「関係ない話しだな」

照之が言い放つと、凌馬は納得したようにうなずき、美波ちゃんといった。

「寧音が亡くなった日の朝のことで、煩わしい動きがあるけど、気にすることはないよ。美波ちゃんには関係のないことなんだから」

「凌馬くん、どうしてそんなこと」

優子は後ろから、凌馬の浴衣を掴んだ。

「優子ちゃん、もうやめよう。こんなことを深堀したところで、だれも得をしないし、傷つく人が増えるだけだ」

「おい、ちょっと待てよ。お前が美波の鍵のことを優子さんに喋ったんだろう。なのになに男前を気取ってんだよ。この裏切り野郎」

照之は凌馬の肩を押し、自分に向かせた。

「それは、どういう意味だ」

凌馬は答えず、困った様な顔つきで照之を見ていた。

「偽善者だな、お前」

照之はそう言い放つと、美波の手を繋ぎ、祭りの人並みの中に消えて行った。その様子を、凌馬は泣き出しそうな顔で見つめていた。

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