第6話 それぞれの事情
店の昼休憩時間、美波は店内の座敷でご飯を食べていた。
「しかしさあ、全くなんで美波が辞めさせられなきゃならないのよ」
あれから1週間がすぎていたが、美浜の怒りは消えない様だ。
「だいたいあの所長、もう信用ならないわね」
「お前、食べるのか、しゃべるのか、どっちかにしなさいよ」
父親の尊は眉をしかめ、白飯を口に運んだ。
「照之くんも冷たいわよね、慎一郎の友達だったのに、何もいえなかったのかしら、ほんとうにもう」
照之というのは、乗馬クラブの所長の息子のことである。
「テルさんは良くしてくれたよ。無償で乗馬させてくれていたし。このことで何度も電話してくれた。謝ってばかりで可哀想だった」
「そうだけど美波、出勤当日に解雇なんて裁判ものよ」
そういって美浜は自慢のからあげを頬張った。
「ところであの子はどうしたんだい?クラブで働いているのかい?」
食事中、珍しく美紀子が口を開いた。
「ん、わからない」
「連絡先は知らないの?」
尊が聞いた。食事も終わり、お茶をすすっている。
「うん、聞いてなかった」
「わたしも、お父さんも聞き忘れたのよね」
「店の電話があるし、なんかあったら連絡あるでしょう」
ごちそうさまといって美波が立ち上がろうと中腰になると、店の扉が開いた。
「こんにちは」
顔を見せたのは凌馬であった。土産の紙袋を何個も持ち、申し訳なさそうに
覗いている。
「おお、凌馬くん。いま君の話しをしていたところなんだよ。ささ、入って」
「ご無沙汰して」
「いいんだよ、いいんだよ。元気ならいいんだよ」
尊は凌馬の肩を抱いて、自宅の方へと連れて行った。
凌馬に出すお茶は美紀子が煎れてくれた。美紀子がいうには、昔馴染みが送ってくれる特別な狭山茶だという。なにせ離島は送料が高い。
「美味しいお茶ですね」
凌馬がいうと、美紀子はいえいえと少女の様に照れていた。
片付けが終わった美浜と美波がやってくると、凌馬は美浜に3つの土産を渡した。それぞれ違う店のお菓子だという。見た目から高そうな品と察しが付く。
「こんな気を使わないで、なんにもしてないのに」
美浜は袋の中身が見たくて仕方がない様子。ソワソワと居間を出て行った。美波も一緒に出ようとしたが、父親に呼び止められ残った。
仏壇が置かれているこの居間には縁側があり、和の雰囲気を醸し出している庭が目を惹く。
「前から思っていたのですが、この庭園はお父様がお造りになられたと」
「いやいや庭園なんて代物じゃありませんよ、恥ずかしい。ただ獅子落としを置いただけで。しかし油断するとすぐにうちの婆さんが腰巻を干したりするんで。獅子落としにだよ」
「腰巻ですか、それもまた昭和な感じでいいですね」
「そうかな、いやー、婆さんの腰巻じゃあね」
「なんの話をしてるんだい!」
襖を挟んで隣の部屋にいる美紀子が叫んだ。
「どう、島の生活は」
尊は話しを変えた。
「きょう着いたばかりなので、まだなんとも」
「あれ、先月じゃなかったの?もう乗馬クラブで働いているかと」
「実家の事情がありまして、来るのが伸びてしまったんです」
「そうだって、美波」
「えっ」
部屋の隅の方で正座をしていた美波は、急に自分に振られたので驚いている。
「そっそうなのですか」
「美波ちゃん、何か印象かわった?」
座布団に正座をしている凌馬が身体をこちらに向けたので、美波の緊張は一層、高まった。
「たぶん、め」
美波は眼鏡をかけていないことを教えるため、フレームをつかむ仕草をした。
「ああ、眼鏡ね。コンタクトにしたんですか?」
「あ、はい」
「この子ね、自転車で転んじゃって、その時に眼鏡が歪んでね、いま新しいのを作って貰ってるんだけど、これがひと月かかるんだよ離島だから」
尊は元々下がり気味の眉尻を更に下げて語っている。
「裸眼もすてきですね」
「いえ」
聞き慣れない言葉をいわれた美波は下を向き、前髪と横の髪で顔を隠そうと、手で寄せ集めている。
「いまだけです。眼鏡が来たら眼鏡にします」
「いいと思うんですけどね、ねえお父様」
「確かになあ、眼鏡をすると、美波の魅力は半減するな。なんせ度近眼だからさ、目が小さく見えちゃうんだよね」
「あの、わたし」
極度の緊張状態になり、美波は部屋を出ようとしたが、そこでひとつ気になることを思い出した。
「あの、凌馬さん」
「はい」
凌馬は身体ごと、美波に向けた。
「いつから、美しの島乗馬クラブに」
「これから挨拶に向かうのですが、最初のバイトの日は1週間後です。そうだ、美波ちゃんも一緒ですよね」
「わたしは…」
「美波はね、内定取り消しになったんだ」
「そんな、どうして?」
初耳だったのだろう。凌馬は慌てていた。
「経営者が変わったらしいんだ。まあ詳しいことは当事者に聞いてみてよ」
そういって、尊は部屋を出た。手洗いに行くらしい。
「どういうことだろう」
尊は口元を片手で覆い、眉を寄せている。美波の不採用に、自分のことが絡んでいるのかと疑ってる様だった。
「あの、わたしのことはもういいんです。このお店、人手不足でしたし、このまま実家で働こうかと」
「すみません」
「なんで凌馬さんが謝るの」
「いえ」
凌馬は首を振った。
「あの、凌馬さん、馬の寧音って知ってます」
「うん、栗毛の牝馬?」
「そうです、その子が元気かなって、気になります」
「乗馬クラブに行ってないの?」
「忙しくて、なかなか行けなくて」
「そうなんだ。きょう行くから、様子を見てくるよ」
それを聞いた時、美浜が入って来たので、入れ代わりで、美波は部屋を出た。
「あの子、乗馬クラブで働くことを本当に楽しみにしていたから、本当にショックだったと思う」
美浜は凌馬の向かい側に座ると、凌馬の土産のプリンを出した。本物の卵の殻にプリンが入っている限定商品だ。美浜はパクパク食べ始めた。
「人員削減だというのなら、わたしも入れない筈なのですが」
凌馬は首を傾げ、頭を掻いた。
「これ、美味しいわね、凌馬くん食べな」
「あっはい」
凌馬はプリンの殻を持ち、スプーンを取ったが、なかなか食べようとはしなかった。
「あっ、凌馬くんが気にすることじゃないのよ。たださ、新しいオーナーっていうのがね、優子ちゃんのお父さんらしいのよ」
「優子ちゃんの?」
凌馬はプリンとスプーンを戻し、身体を乗り出した。
「うーん、そうなの。乗馬クラブは経営不振だったらしく、優子ちゃんの実家が買い取ったらしいよ。優子ちゃんは美波とは幼い時からの友達だし、なんとかならかなったのかなって勝手に思ってしまうのよ」
「優子ちゃんのご両親て、どの様なお仕事をされているのですか?」
「あら、知らなかったの?」
「いえ、ぜんぜん」
「面識は?」
「ありません」
「そうだったの?」
「なにか、おかしいですか?」
「いいえ、なんでもないのよ」
美浜は目を伏せた。美波は何もいわないが、凌馬と優子の関係は、ただの友達同士ではないと感じていた。少なくても、優子が彼に好意を持っているのは確かだろう。そして我が娘も同じ感情を凌馬に抱いている。
「あの、美浜さん。優子ちゃんのご両親との親交がおありで?」
「ちらりと見掛けるくらいかな?」
不思議だなと凌馬は思った。この島の住人は全体で3000人余りしかいない。島の中心地とは反対側になるここの地域に至っては、1000人も住んでいないだろう。住人の殆どは親族で、そうでなくても何かしら繋がっている。新しく移り住んだ人間の詳細も、事細かく知っている様な場所だ、それが見掛けるくらいの関係性とは。
「あっなんか悩んでるわね」
凌馬の表情を読み取ったのか、美浜はケラケラ笑い出した。本当に可笑しい時も、困った時も笑い出す癖が美浜にはある。
「いや、ここの人たち、みんな知り合いかと思っていたので」
そういって直ぐに凌馬は手を振った。
「すみません、悪い意味ではないんです」
「わかってる、わかってる。住人同士が密なことは、良いこともあれば、悪いこともあるのよね。わたしもさ、移住者だから」
美浜は口元に手をあて、ひそひそ話をする振りをしたが、声の大きさはそんなに変わっていない。
「そうそう優子ちゃんのご両親の話しよね」
美浜は座り直した。
「優子ちゃんのご両親は静岡の人でね、石油、不動産、リゾートなど、手広く事業をしているらしいんだけど、結婚してから長く子宝に恵まれなかったの。それで、確かご両親が40歳代の時、児童養護施設から1歳なったばかりの優子ちゃんを養子に引き取ったの」
「そうだったんですか」
凌馬は驚きを隠せない表情をしていた。
「そうなのよ、そうなんだけどさ、なんとそのすぐ後に奥さんが妊娠したのよ。だからといって養護施設に返す訳にもいかないでしょう。だけど、実際に子供が生まれると、やはり実子が可愛くなり、しかも生まれた子も女の子だったから尚更で。それでもお父さんの方は優子ちゃんを可愛がってたみたい。だけど、お父さんは仕事で殆ど家にいない。奥さんは実子ばかりを可愛がる。お父さんは、そんな優子ちゃんを不憫に思って、もっと愛情をそそぐ。それが奥さんは気に入らない、次第に奥さんは優子ちゃんをいじめるようになる。見兼ねたお父さんは、近しい部下の親戚にあたる人に、優子ちゃんの養育を託したというわけ」
「それが、この島だったのですね」
「そういうこと」
「可哀想に」
「そうね、可哀想なのよ。金銭面では優遇されていても、内面的には満たされていない」
「ぜんぜん知らなかった」
「言わないでね」
「言いません。言いません絶対に」
そういってうなずく凌馬を、美浜は複雑な表情で見ていた。凌馬は明らかに優子に感情移入している。娘の初恋の人なのに、なんてことをいってしまったのかと、少し後悔したが、この事実を凌馬が知るのも時間の問題だった。この話を知らない島の住人はいない筈だからだ。
凌馬は乗馬クラブに来ていた。スタッフの土産を渡し、仕事の説明を受け、サロンで暫く談笑をしていた。
「あの、寧音は元気ですか?会いに行きたいのですが」
そう聞くと、スタッフの顔色が変わった。
「え、寧音は?」
寧音に何か良くないことが起きたのではないかと、凌馬は不安になった。そしてその予感は的中する。
「寧音はね、死んだんだ」
そういったのは照之だった。
「死んだってなんで」
照之によると、朝、馬房に行くと、寧音の様子が明らかにおかしかったという。発汗し、右の後脚を地面に着けずに浮かしていた。とても辛そうだったという。すぐに獣医に連絡をしたが、獣医の車の音を聞いて、外に出た時、馬房から凄まじい音がした。急いで馬房に戻ると、寧音が壁に頭を打って倒れていたのだ。獣医の検視では、折れた脚の痛さと、片脚立ちの苦しみから、倒れてしまい、その時に壁に頭を打ち付けたのだろうと。
「こんなこというのは不謹慎かも知れないけど、即死だったのが何よりも救いだった」
「そうだったんですか…何とも言葉になりません。しかしなぜ、寧音は骨折をしたのですか。馬房にいたんですよね」
「それがわからないんだ」
照之はつらそうに頭を抱えた。
「すみません、なんか」
「いいんだよ。ただ……」
照之は窓の前に立つと、寧音の馬房がある場所を見た。
「僕がクラブに着く前に、誰かが馬を走らせていた形跡があるんだ」
「まさか、そんな」
凌馬も立ち上がり、照之の背後に行き、彼の顔を覗いた。
「帰宅時に、馬場を整えていたんだけど、その時の様子と、翌朝の様子が違うんだ。誰かが馬に乗ってた。絶対に」
「わからないんですか、誰が乗っていたか」
「クラブの鍵を持っている者は限られているから、でもここのスタッフではないみたいで」
「それじゃあ一体、だれが」
「わからない」
照之は振り返り、凌馬を見た。目の縁が赤くなっている。
「でも犯人捜しみたいなのはしないでおこうと思って。その人だって、まさか馬が脚を折るなんて思ってなかっただろうし、ただね、なんで早朝なのかなって。普通にクラブに来たら乗れるのに」
そんな時、この雰囲気には不釣り合いな甲高い声が事務所に響いた。
「凌馬くーん」
声の主は優子だった。真っ白なドレスを纏い。片手を上げて、大きく左右に振っている。と思ったら凄い速さで駆け寄って来た。
「久しぶり!」
凌馬に抱きついたので、凌馬はぎこちなく固まった。照之は見てはいけない物を見たかのように、右手で目の辺りを覆っている。
「ちょっと優子ちゃん」
「いいじゃない、寂しかったんだもん」
優子は周囲も目も気にせず、更に強い力で凌馬を腰回りを抱きしめた。
「苦しいから離して」
凌馬が無理やり優子を離すと、優子は唇を尖らせて身体を揺らした。
「冷たいね、まあ、そんなところも好きなんだけどね」
優子は凌馬の頬を人差し指でついた。凌馬はその頬に違和感を感じ、手でさすっている。
「きょうね、うちの父が来るのよ。クラブの様子もそうだけど、是非、凌馬くんに会いたいって」
「僕に会う、そう」
凌馬はそういうと、馬場に目をやり、虚ろに眺めた。
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