2ー①
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間もなく昼休みの時間となったので地下三階に戻ったが、まだ事務用品の補充は半分も終わっていなかった。
「少し早いけど、社食行こうか」
僕らの帰りを待っていたらしい大門が誘うのに、
「俺、先約ありなんで」
桐生は明るく断り、部屋を出ていってしまった。三条は返事をせずに相変わらずパソコンの画面に集中している。
「宗正君も、誰かと約束しているのならそっちを優先してね」
大門課長が弱々しく笑う。
「いえ、ご一緒します」
頼れる上司像というのが、僕の中にはあった。いざというときの決断力、リーダーシップ、それに懐の深さ。そういう上司のもとで働けるといい。そんな希望を抱いていたときもありました、と目の前の大門を見る。
頼れそう――ではない。優しそうではあるが、単にことなかれ主義なのかもしれない。覇気がないのが一番気になる。しかし、やる気の持ちようがない部署だからか。となると自分もそのうちにやる気を失ってしまうのか。
それは嫌だ。自然と僕は拳を握っていた。
「今日は社食も混むだろうなあ。ああ、そうだ、社員証忘れないようにね。精算できないから」
のんびりした口調で大門がそう話しかけてくる。礼を言い、彼のあとに続いて階段を一階上り、『普通の』エレベーターホールを突っ切って社食に向かうと、ちょうどいくつもの箱が開き、大勢の社員たちがエレベーターから降りてきた。
数人、同期もいて目が合うも、皆、『あ』というように口を開いたあとは同情的な視線を向けてきて、なんともいたたまれない気持ちになる。
正午ちょうどという時間だからだろう、社食は混雑していた。メニューは定食類や蕎麦うどん、それにラーメンといった麺類、あとはサンドイッチなどで、食品模型がウインドウに並んでいる。
「メニュー数は豊富なんだけど、味の評判はイマイチなんだ。僕は結構美味しいと思うんだけどね」
支払いは食堂を出るときにするので、好きなメニューを選んだあとは適当に座っておいてと言われ、注文カウンター前で別れる。実は新人研修のときに、社食の評判は聞いていた。
不味くはないが決して美味しくはない。そして安くもない。グループ企業の一つが運営しているため競争相手がいないからだろう。味以外にも社員からは不満が寄せられているらしいが一向に改善されないのだという。
なので若い社員はほとんど社食を使わないそうだ。今日、混雑しているのは、新入社員の配属日だからで、言われてみれば若手は新人以外、あまりいないような気もする。
さて何を食べようと迷うも、並ぶのも面倒だったのと、大門が既にうどんの購入を終えてテーブルへと向かったのが見えたので、人が少ない列を探した。ラーメンは殆ど並んでいなかったので選んだのだが、出てきたものを見て納得する。少しも美味しそうじゃない上、冷めているようだが、文句を言えるものでもない。支払いはあとということだったので、美味しくなさそうなラーメンを載せたトレイを手に、食堂内を見回し大門を捜した。壁側の四人掛けの席にいた彼を見つけ、急いで向かう。
「すみません、お待たせしました」
「いや、全然」
大門は僕が来るまで待っていてくれたようだ。冷めてしまったのではないかと案じたが、何も言わずに食べ始めたので、僕もまたラーメンに箸をつけた。
やはりあまり美味しくはない。うどんは美味しいのかとちらと大門を見やると、考えていることがわかったのか苦笑された。
「うどんも特に美味しいわけじゃないよ」
「そ、そうなんですね」
「ところで、どうだった? 桐生君と社内を巡ってみて。明日から一人で大丈夫そうかな?」
「はい……多分。あ、いえ、大丈夫です」
各フロアの事務用品コーナーは同じ場所にあるので、迷うことはないだろう。午前中も補充はほぼ一人でやった。桐生は近くにいた事務職や若手社員とお喋りをしており、その間にすませたのだ。
しかしそれを言えば、桐生がサボっていると言いつけるようで躊躇う。あのお喋りさえなければもっと早く回れただろうから、明日は昼休みよりも随分早い時間にすべて終わらせることができるのではないか。
「桐生君はどう?」
と、まるで僕の頭の中を覗いたような質問を大門がしてきたものだから、ラーメンに噎せそうになった。
「大丈夫かい?」
水、飲む? と大門が心配そうに声をかけてくれる。
「すみません、大丈夫です」
失礼しました、と謝り、どう答えようかと考えを巡らせつつ口を開く。
「あの、『どう』というのは?」
桐生の何が聞きたいのか、まずは確認をと、問うてみる。
「ちゃんと指導をしてくれているかな?」
「はい、丁寧に教えてくださってます」
これは嘘ではない。仕事の上で困ることはなかったと頷く。
「それならいい。彼、サボったりしてない? 君一人に仕事を押しつけたり」
「そんなことは」
あるのだが、それを告げることはやはりできなかった。しかし嘘をつくのもどうかと思い、ここで言葉を途切れさせる。
「それならいい。桐生君が来ると事務職が雑談に集まって困ると、いくつか苦情が来ているんだ。面倒はごめんなんだよね」
「……そうなんですか」
苦情が来るのもわかる気がする。しかしそれを『面倒』と思うなんて上司としてどうなんだと、僕は大門に対し心底がっかりしてしまっていた。どうして他人事でいられるんだろう。自分の部下のことじゃないのか。商社パーソンらしくないくたびれた見た目や中身以上に、覇気のなさにも上司としての責任感のなさにもがっかりだ。つい、睨みそうになったので目を伏せる。溜め息をついたらどういう反応をみせるんだろう。むっとするだろうか。それとも『面倒はごめん』とスルーされるだろうか。試してみたくなったが、配属初日から上司に喧嘩を売るわけにはいかないとなんとか思い留まった。
出会ってからまだ数時間で、尊敬できない上司と決めつけるのも、あまりに性急すぎると反省したこともあった。早とちりや思い込みということもある。多分、僕はやけになっているのだ。配属先の希望がかなわなかったこと、どう考えても雑務としか思えない仕事だったこと、人当たりはいいがチャラい先輩と覇気のない上司を目の当たりにしたこと。思い描いていた商社パーソンとしての一歩を踏み出すことができなかったことで、必要以上に仕事に関しても上司に関しても、厳しい見方になってしまっているのではないかと思う。
常に前向きでいよう。やさぐれていいことなんて一つもない。美味しくないラーメンを啜りながら、気持ちを落ち着けていく。幸いなことに、大門も食べることに集中しているのか、それから食事が終わるまで彼が話しかけてくることはなかった。
食べ終わったあとはすぐに席を立つ。そのまま戻るという大門と別れ、カフェに行ってみることにした。コーヒーを飲みたかったのと、一人になってちょっと落ち着こうと考えたのだ。
カフェは混雑しており、午前中に相手をしてくれた光田ともう一人、若い男の店員が忙しそうに働いていた。自分の番になったとき、光田に挨拶をしようとしたが、迷惑かもと思い「アイスコーヒー」と注文するだけにした。
「さっきと同じですね」
光田は僕のことを覚えていたようだ。ぼそりと告げられたあと、「サイズは?」と問われ、Mと答えた。
「ここから出しますんで」
相変わらず愛想はない。が、渡されたサイズはどう見ても先程と同じLだった。
「あの」
「社員証、かざしてください」
指摘しようとしたが、淡々と指示され、焦って社員証をリーダーにかざす。レシートをくれたので確かめたが、Mサイズとなっていた。おまけしてくれたのだろうか。そうだとしたら満足にお礼も言えていないと振り返ったが、これだけの客の前で、おまけをしてくれてありがとうと言うのはマズいだろうと思ったので、あとで言いに行くことにした。
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