1ー②
「それじゃ、宗正君」
上司に振られ、挨拶する。
「宗正義人、W大商学部出身です。どうぞよろしくお願いします!」
挨拶では、発展途上国のインフラ整備に携わりたいという希望をもって入社したと言おうと考えていたが、配属先が営業ではないことに不満を抱いているととられかねない。それで随分と短い挨拶になってしまったが、この長さでも二人の注意を引くことはできなかったようだった。途中で下を向いてしまった二人に、上司が注意を促す。
「君たちも自己紹介をしてくれよ」
「あーはい。わかりました」
と、茶髪が立ち上がったかと思うと、Bluetoothのイヤホンを外しながら僕に頭を下げる。
「桐生です。院卒四年目。よろしく」
そうしてすぐに彼が座ると、今度は女性が立ち上がった。
「……派遣の三条です」
「よろしくお願いします」
名前を言っただけで再び座り、ディスプレイを凝視している彼女の年齢は三十代半ば、化粧っ気もなく服装はリクルート用のような黒一色の、少々型崩れした古びたスーツだった。
そうも忙しいのだろうか。挨拶をはしょるほど? それとも単に歓迎されていないだけなのだろうか。自然と気持ちが沈んでくる。
「大門さんは自己紹介したんですか?」
茶髪が――ではなかった。桐生が上司に声をかける。
「したよ」
「えっ」
さも当然、というように頷いたのを聞き、されてないんだが、と思わず声を上げてしまう。
「あれ? してなかったかな。失敬失敬」
上司が頭を掻きながら僕に謝る。随分ぼんやりしているようだが大丈夫だろうか。案じてしまったが、やはり顔には出さないようにと心がけた。
「大門だ。ここ、総務部第三課の課長職についている。三課のメンバーは桐生君と三条さん以外にもう一人いるんだけど、顔合わせは少し先になるかな。君の席は桐生君の横で僕の前だ。パソコンとスマートフォンは机の上にあるから」
「はい」
「ここ、Wi―Fiの入りがイマイチなんだ。ネットは有線で繋いでくれる?」
「は……はい」
「それから、地下三階にはお茶室や自動販売機がないんだ。朝、買ってから来ることをお勧めするよ。これから仕事の説明をしたいんだけど、その前に何か買ってきたほうがいいんじゃないかな?」
「あの……はい」
「あ、俺買ってきますよ。自分のコーヒーも買いたいんで」
と、それを聞いていた桐生が手を挙げ、立ち上がる。
「カフェモカ」
と、ディスプレイから視線を逸らすことなく、三条が声を発する。
「じゃあ僕はソイラテで。宗正君は?」
「あ、あの、僕が行きます」
先輩社員に頼むのも、と遠慮すると、
「それなら一緒に行こう」
と桐生はニッと笑い、誘ってくれた。
「そうだね、行ってくるといい。社員食堂の隣にカフェがあるんだ。そこは社員証で精算できるから」
教えてあげて、と大門に送り出され、桐生と共に執務室を出た。
「社員食堂とカフェは地下二階にあるから。階段で行こうか」
桐生が僕を振り返る。
「そうですね」
「びっくりした? 荷物用エレベーターに乗らされて」
「はい……あ、いやその」
面倒くさそうな応対をしていた第一印象に反し、桐生は実にフレンドリーだった。口調のせいか笑顔のせいか、つい、気を許して本心を喋りそうになる。
今の問いへの答えは『びっくりした』だが、聞きようによっては配属先への不満ととられるかもしれない。不満は正直あるけれども、それをその部署の人には言うべきではない。
失礼にあたるし、言われたほうもいい気持ちがしないだろうからと、それで返事を誤魔化そうとしたのだが、桐生はどこまでもフレンドリーだった。
「あはは、失礼とかそういうのは気にしなくていいよ。俺は荷物用のエレベーター、不便だと思ってるから。あれ、遅いし、なかなか来ないんだよ。だから出社したときはたいてい、階段使ってる。でも退社のときはエレベーター待ってるよ。階段ってさ、下りはいいけど上りはキツくない? 一階二階ならともかく、三階となるとさすがにキツいんだよね。あ、宗正君、スポーツやってたんだっけ?」
立て板に水のごとき桐生の喋りに圧倒されていたところに不意に問いかけられ、はっとして答えを返す。
「サークルですけど、テニスをやってました」
「テニスか。ゴルフはやらないの? 一緒にラウンドしようよ」
「やったことなくて」
「教えるよ」
そんな会話をしている間に二人は階段を上り、カフェへと到着していた。
「すみません、カフェモカとソイラテ、あとはアイスコーヒーと、宗正君、何?」
「あ、僕もアイスコーヒーで」
カウンターの内側にいる店員に対する注文もスムーズで、流れるような動作や口調というのはこういうことを言うのかと、感心してしまう。
「光田さん、彼、ウチの新人の宗正君。彼女はカフェの天使、光田さん。いつもおまけしてくれるんだ」
にこやかに微笑み、紹介の労を執ってくれる。光田という店員は僕と同い年くらいの若い女の子だった。
「おまけなんてしたことありましたっけ?」
桐生とは気の置けない仲なのか、間髪を容れずに返してくる。
「スマイルくれるじゃない」
「スマイルは〇円なので」
「せめてアイスコーヒーの一つはLサイズにしてやって。入社祝いってことで」
「いえ、そんな! 大丈夫です!」
自分の分のおまけを求める桐生を慌てて止める。
「先輩がLサイズ奢ってあげればいいんじゃないですか」
しかし案じるまでもなく、光田は辛辣だった。涼しい顔でそう言うと、飲み物を作り始める。
「他にも新人、来た?」
「誰も。配属時間、今日の十時半じゃなかったですか? 今、まだ十時四十分だし」
桐生の問いに光田が首を横に振る。確かに配属時間は十時半だが、なぜ知っているのだろうと、手際よく作業をしている光田に思わず注目してしまった。
「今朝、そんな話をしてるお客さんがいたんですよ。その時間には席にいなきゃいけないとか」
「そうそう。新人は温かく迎えてあげたいもんね」
店員の光田より、桐生のほうが愛想がいいように見える。しかし彼は自分を温かく迎えてくれようとしていただろうか。イヤホンをしてスマートフォンを見ていたような、と、思い出していた僕を桐生が振り返る。
「なんやかんやいって光田さんがLサイズにしてくれたよ。今日は奢るけど、明日からも通ってあげてね」
バチ、とウインクされ、ぎょっとする。ウインクなんて漫画か映画の世界の人間しかしないものだと思っていた。少なくとも自分はしたことがない。
「お会計、いいですか?」
固まってしまっていた僕の耳に、光田の愛想のない声が響く。
「あれ? アイスコーヒー、一つLサイズの価格になってる。もう光田ちゃん、容赦ないなー」
桐生は相変わらずふざけた口調で光田に返し、社員証を差し出している。支払いはちゃんとするんだなと感心しかけ、いやいや、普通ちゃんとするだろうと思い直した。
あまり僕の周りにはいなかったタイプの人だ。一言で言うと『チャラい』。これに尽きる。悪い人ではなさそうだが、調子がよすぎてなんだかついていけないものを感じる。会ったばかりなのだから決めつけはよくないが、信用できないといった印象を抱いてしまう。
「じゃ、行こうか」
四つのカップを光田は紙袋に入れてくれていた。それを手に笑顔を向けてきた桐生に頷きかけ、それを持つのは自分かと気づく。
「すみません、持ちます」
「いいよ、別に。俺、体育会系っぽい上下関係、苦手なんだよね」
肩を竦めてみせる仕草も、まるで映画か漫画の登場人物のようだ。想像していた商社マンとは随分違うが、顔立ちも整っているし背も高い。きっとモテるんだろうなと、僕はついまじまじと桐生を見やってしまっていた。
桐生にとっては僕の視線など取るに足らないもののようで、カフェを出ると社員食堂を突っ切り、非常階段へと向かっていく。
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