先輩と僕 総務部社内公安課

愁堂れな/角川文庫 キャラクター文芸

1ー①

       1

『令和×年四月一日付をもって藤菱商事株式会社の社員に採用し、総務部総務第三課勤務を命ずる』

 人事部長から渡された辞令を見た瞬間、がっかりしなかったといえば嘘になる。

 大学二年の夏、先輩に誘われて参加した青年海外協力隊でモンゴルに行き、インフラの整っていない国での貧しい人々の生活を目の当たりにしたときから、就職先は総合商社と決めていた。

 念願叶って無事、大手といわれる商社に入社できることを喜んだのも束の間、年明けに『例の事件』が起こり、教授からも家族からも、そして友人からも、就職先を変えたほうがいいのではと心配されたが、たった三ヶ月では就職活動もままならなかったのと、やはり商社に勤めたいという思いから、初志貫徹と、ここ藤菱商事への入社を決めた。

 内定辞退者も結構いたそうで、同期入社は例年の約半分の人数となった。それだけに配属先は希望が通るという噂が、新入社員の間で広まっていたのだ。

 それなのに。

 僕が希望したのは当然、海外でのインフラ事業に関連する部署だった。そのために苦手な英語も頑張り、TOEICもこの会社で海外駐在に出られるレベルの点数まで入社前になんとか到達できた。三年目あたりでアフリカかアジアに駐在、発電所建設や上下水道整備の仕事に携わる――という夢を描いていた。

 それなのに。

 ホールに集められた新入社員は、一人ずつ名前を呼ばれ、人事部長から辞令を手渡される。その後はホールを出て、迎えに来てくれている配属先の管理職と共に部署に向かうことになっていた。

 一人、また一人といなくなり、僕は最後の一人だった。他の同期は皆噂どおり、希望する部署に配属されていたように思う。

 総務部が何をする部署かは今日までの社内研修で説明があった。会社のコーポレート部門、いわゆる管理部署で、株主総会や取締役会を取り仕切るのではなかったか。

 あとは社則を管理したり、そうだ、秘書課も総務部の中にあった。しかしまさか自分がコーポレートに配属されるとは思わなかった。コーポレートは成績優秀で、見た目も中身もかっちりしたタイプが好まれるというイメージがあったからだ。

 自分の見た目は、そこまで真面目そうだろうか。中身は、不真面目ではないけれども、成績は『優秀』というにはBやCが多い気がする。何より、希望部署に配属されるのではなかったのか。とはいえ、新入社員が配属先に文句など言えるはずもない。

 コーポレートは社内の中枢部署。なぜ自分が配属されたかは謎だが、この先の会社生活を送るのにプラスになるに違いない。そう自分を鼓舞し、辞令をもらったあとホールを出る。

「ええと、君が宗正義人君だね」

 ホールの外には、ぽつんと一人、中年の男が立っていた。笑顔で声をかけてくれたその人はなんというか――僕のイメージする『商社パーソン』ではなかった。

 研修中には人事部を始めとする様々な部署の人が講師としてやってきたが、皆が皆、服装や髪型といったルックスも含め、僕が思い描いていた商社パーソン、そのものだった。なんといっても覇気がある。世界を背負って立つという表現がぴったりだったというのに、今、目の前にいるのはどう見ても『くたびれた中年』だ。

 上司になる人に対して失礼だとは重々承知している。人を見た目で判断すべきではないということも勿論、わかっていた。でも――でも、がっかりせずにはいられない。

 とはいえ、そのがっかり感を顔や態度に出すほど、僕は子供ではなかった。

「よろしくお願いします!」

 第一印象は大切だ。自分で言うのも悲しいが、僕には『これ』という売りがない。同期は皆、英語日本語以外にもう一カ国語、喋れるのがスタンダードといってよかった。語学力の不足分を『やる気』でカバーできるかはさておき、アピールしない手はない。そう思っての元気な挨拶だったのだが、リアクションは薄かった。

「そんなに大きな声を出さなくても聞こえるよ。それじゃ、行こうか」

「あ……はい」

 嫌みという感じではなかった。のれんに腕押しという言葉が頭に浮かぶ。元気が空回りしているのをひしひしと感じつつ、彼のあとに続きエレベーターホールへと向かった。

 しかし上司はエレベーターが八基並ぶ広々としたエレベーターホールを通り抜け、非常口と書かれた扉へと向かっていく。新人が集められたホールは二階にあった。エレベーターには乗らずに階段で行くということか。総務部のフロアは三階くらいにあるのだろうか。コーポレートは高層階だったような。疑問に思いながらも上司に続いていた僕は、今さらのように彼が名乗っていないことに気づいた。

 上司だよな? 非常口の扉の向こうには荷物用のエレベーターがあり、その奥に階段に通じると思われる扉があった。僕が彼を本当に上司かと疑ったのは、階段へは向かわず荷物用のエレベーターのボタンを――しかも下へと向かうボタンを押したからだ。

「あの……?」

 一階はエントランスだ。行き先は外なのか? 総務部はここ、本社ビルとは違うところにあるんだろうか。しかし一階なら階段で降りてもいいような。

「ああ、総務は二十三階なのに、なんで下のボタンを押すのかって? それは総務三課が地下三階にあるからだよ。普通のエレベーターは地下二階までしかいかないから、こうして荷物用を使うんだ」

「…………え?」

 不審そうにしていた僕に上司が説明してくれたが、聞いてもすぐには理解できなかった。地下三階? 普通のエレベーターではいけない場所に執務フロアがある?

 頭の中がクエスチョンマークで一杯になっているところにエレベーターの扉が開く。無人の箱にまず上司が乗り込み、僕が続く。

「荷物用は一つしかないから、清掃時間と重なるとなかなか来なかったりするんだよね。君は若くて元気だから、朝は階段を使うといいよ。僕はもうトシだからエレベーターを使っているけど」

 上司はにこにこ笑いながらそんな言葉をかけてくる。冗談でもなんでもなく、自分の執務フロアは普通のエレベーターが通わない地下三階なのかと思い知り、なんともいえない気持ちになった。

 荷物用のエレベーターのスピードは緩やかだった。地下三階にようやく到着し、扉が開く。

「ここは文書保存箱の倉庫、その隣が事務用品の倉庫、その隣が貸し出し備品置き場、三課が管理しているんだ。で、その隣が三課だよ」

 エレベーターから降り、廊下を進みながら上司が説明してくれる。文書保存箱の倉庫が広大なこともあって、『三課だよ』と言われた部屋はエレベーターから一番奥まったところにあった。

「社員証をここにかざしてドアを開ける。ないと中に入れないから、忘れないようにね」

 言いながら上司が自分の社員証をリーダーにかざすと、カチャ、と解錠される音がした。そのまま取っ手を掴んで上司がドアを開く。

「あれ、まだみんな揃ってないな。今日は新人配属だって言っておいたのに」

 ぶつぶつ言いながら部屋に入る上司に続いたが、まずは部屋の狭さに驚いた。

 向かい合わせに並んだデスクは一ライン。机の数は五つ、ラインの先頭に課長のものと思われるデスクがある。室内には今、二人の男女がいるだけだった。一番ドア側の席、堆く積まれた書類の間で、デスクにアームで取り付けられたディスプレイの画面に前のめりになっている女性と、その斜め向かいの席でスマートフォンをいじっている茶髪の男性。二人とも『商社パーソン』というには違和感がある、と、思わず注目してしまう。

 何せ二人は上司が部屋に入ってきたというのに、まったく反応していない。よく見ると茶髪の男性の耳にはイヤホンがささっていた。勤務時間中に? いや、まだ始業前なのか? 十時過ぎているけど? 呆然としていた僕の前で、上司がパンッと手を叩く。

「新人を連れてきたよ。自己紹介してもらうから注目してくれるかな?」

 上司なのにえらく腰が低い。そして声をかけられた二人の、面倒くさそうに顔を上げるという態度にも驚く。

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