紅茶

赤川凌我

第1話 紅茶

紅茶

 まだ爛熟していない青年の魂は芸術にとって何よりも甘美な果実である。その青年期の懊悩、蠱惑、おののき、その他あらゆる感情的な七転八倒が男をさらに高次の存在へと押し上げるのだ。青年である響も例外ではない。彼は紅茶を飲みながら様々な思索を巡らせていた。彼は独自に小説の材料を多くの人に予め根掘り葉掘り聞いていた。今は編成意識状態を虎視眈々と狙い、ただ静謐な時間を過ごしている。古代ギリシアの賢者達の文明や思想、発明などは閑散とした環境により編み出されたものだ。彼自身は今現在無職である。先日パワハラ問題を筆頭とし多種多様な問題を跋扈させていた職場に辟易とし、その職場を辞した。彼の体躯が茫漠たる荒野を蹴立て、意気軒昂に疾駆して言っているような心地を彼は享受していた。このような奔放な想像力は作家にとって金の卵だ。そしてそのような能力を摩耗させない為に彼は毎日小説執筆の時間を取り、意識的日常的に小説を書いている。彼は今24歳である。彼もまた小説家に羨望を向け、のみならず場違いな幻想を抱いている男に相違なかった。

 彼は孤独だった。10代までに慣れ親しんだ実家の団欒を彼は反芻していた。その和やかな記憶が彼を癒す一因となっていたのだ。また好々爺である彼の祖父は今現在90歳であり、病弱ではないにせよもう余命幾許もないだろう。彼は年甲斐もなく彼の葬儀で号泣するつもりは毛頭ない。しかし彼はその祖父に対して愛を抱いていた。少年期には一人で彼の家に宿泊した事もある。彼は感傷的になりながら、乾いた笑いを禁じ得なかった。15歳で統合失調症を発症してからの彼の人生は怒涛の如く、彼を打ちのめした。血走り、支離滅裂な言葉を口にする彼には彼の予想に反して不憫な言葉を投げかける人間はいなかった。彼の才能は少年期より絢爛であった。しかしながら統合失調症の余波でそれは更に理解しがたいものとなった。学業などの分かりやすい指標によれば彼は外ならぬ凡人としかみなされていなかった。彼は15歳で抑うつ的になっていた際、文学の世界に闖入し、その世界に没入する事でいささか不安や孤独を解消していた。

 「フレイザーの呪術理論は宗教理論において根源的なものだと思わないか?私は宗教学を勉強しているのだが、宗教学って素晴らしいね」

「僕は宗教はあまり興味がないんだ」

「そんなんだから君には密度がないんだ。宗教は人間とは不可分なものだし、今現在でも人間を分析する際には表立って使われる事が散見されないにせよ、人間の活動全般の中核に迫るものなのだ」響は難詰された。そして彼は宗教学に情熱を持つ相田という響と同年代の男にも一理あるように思えた。

「小説にも、宗教学は必要かね?」

「無論必要だ」

響と間は紅茶を飲みながら平日の昼下がりにリラックスしながら談話に興じていた。相田も小説を書く小説仲間だ。響はプログレッシブツイストという小説家を名乗っているが、何時からか相田も同じプログレッシブツイストの作家として活動し始めた。響と相田は高校時代の友達同士であり、ラインで二人は繋がっていた。そして両者とも自身の執筆した小説をネットで公開していた。彼ら二人は相補的に忌憚のない意見を交わしていた。相田は几帳面な男で小説の材料を学問から見出そうと、連日図書館に通っている。無職の割には非常に旺盛なバイタリティを持つ男である。相田は東大を今年の四月に卒業した。彼は高校時代から成績優秀で、難解な学術書を当時から愛撫するように耽読していた。実際いじめられたりしていた訳ではないにせよ彼一人が唯我的に校内で孤立していた。しかし響はそのような相田に好感を抱き、彼に話しかけた。二人は即座に打ち解けた。響は16歳から精神科に通っており投薬治療も継続的に励行しており、彼の主治医からは響が知的に早熟だと言われていた。憶測だが彼らの卓抜な知性が彼らを友達にしたのだろう。この両者にとって学校内で自分達二人が現人神であり、頓珍漢な事を言う他の生徒や教師を持ち前のブラックユーモアで罵ったり、彼らを元にブラックユーモアの掌編の小説を書いたりした。彼らにとって芸術は安住の地であり、その中ではどのようなエログロであっても許容されると彼らは感じていた。もっとも過激なエロもグロも彼らは当時は特段好んだりはしなかったが。それは単に公序良俗を死守する目的ではなく単に芸術の最高潮は読者が目を背けたくなるようなエロやグロにはないと思っていた。彼らは邂逅して以来、俄然活動的になった。彼らは女性との逢瀬に興味関心がなかったので恋愛以外で二人とも芸術の為と称して観光地に赴いたり、登山をしたりした。彼らは友愛によって結びついていた。

 しかし響は退廃的な精神であるから学業が優秀ではなかった。持久力を要する受験勉強なんてものには響は疎ましささえ感じていた。結果的に相田は東大に、そして響は関東の中堅私立大学に進学した。

 「僕は最近職業について色々と手段を講じていて、障害者職業相談所に行ったんだよ。障害年金の更新をする為に精神科まで金を払いに行ったり、精神医療の相談員が僕の家に来て、今後の事について話し合ったりしたよ。精神科に行ったついでに朝マックも食べた、美味しかった」

「最近創作意欲はどうだ?」

「総毛立つくらい何も着想が思い浮かばないし、創作意欲も減衰したかな。まあ時間を置いたらまた何か出来るかも知れないけれど」

「俺は最近ダダイズムにはまってるよ。ああいう芸術はプログレッシブツイストに活かせると思ってる。更なる芸術の発展の為にお互い頑張ろうじゃないか」

「うん」

「少し出かけよう。最近行楽日和だし、空気も澄んでいて良い気分転換になるかも」

二人は響の家の外に出かけた。相田は二人で歩いている途中に「分かった!そうか、そうだったのか」などと咆哮したしたので往来の人間は凝固していた。響は冷や汗をかきながらそれは何時もの事であるからやむを得ないと考え暗黙し歩いていた。

 外は今年の猛暑と打って変わって、紅葉の木々が立ち並んでいた。街路樹の木々も、公園の木々も、響には心地よく感じた。響は視覚過敏なので度付きのサングラスをかけているためどことなく人相が悪い。しかしそんなことを響は気にしなかった。また錯綜する精神異常に狼狽し、理路整然さを喪失した響の精神にとって破綻しそうな危険性のある雑踏よりも自然の耽美こそが何よりも彼にとって有効な治療であった。

「元気ないみたいだね」

「まあ、そうだね」響は嘆息交じりにそう答えた。「何だか最近生きるのが辛くてさ」響は何故か毅然とした顔立ちを取り繕い、そう言った。

「芸術家にとって精神的な問題は好都合だ。君の統合失調症は、多分君の天才性により惹起されたものだと思うよ。無論統合失調症が天才病なんて風に一般化は出来ないけど、君の場合は確かに天才すぎるから統合失調症になったんだろう」

「ありがとう」響は鼓舞されるような言辞に刹那的に感動した。

「まあ芸術は出来る時にすれば良いさ。無理やりしても生半可な作品が出来るだけだし。毎日少しずつ創作していけば良いんじゃないかな」相田は響に諭すように言った。

二人とも長い間小説の方面に熱量を注ぎ、小説の世界でプログレッシブツイストの作品を創っていった。響は自身のトラウマや諧謔や統合失調症を売りにし、相田は犯罪や学問を売りにした小説を書いていった。プログレッシブツイストとは「高度なひねり」である。効果的に作者のリソースを高度に変形させ、小説に落とし込み、極上の語りとセンスで作品に仕上げる、プログレッシブツイストという芸術の一分野は概してそのような教条を主としていた。

「統合失調症ってドラッグなしで幻聴や幻覚のトリップ体験が出来るんだろ?それってエキサイティングじゃないか」

「そういうのは統合失調症になってから言いな」

響達はそのような会話をしながら冷涼で爽やかな夏の残滓を感じさせない野外を享楽した。

「カールロジャースと彼のクライアントとの会話、英文だけどかなり面白いよ。確か君は英語に堪能だったよね?学生時代も英語と社会の成績だけは優秀だったし」

「まあ、ある程度は読めるし書けるよ。ただ会話になると、途端に自分の拙劣な英語を苦に病んで申し訳なくて中々話せないけど」

「それじゃあ、これ。こういうカウンセリングも小説のネタになると思うよ。君に渡しておくよ」相田は分厚い英語で書かれた書物を響に差し出した。何やら至極簡易な表紙だった。中身を見やると会話文とその解説が際限なく書かれているように見えた。会話の個所は当然口述筆記だろうか、と彼は思った。響は学生時代プラトンの対話篇が苦手であった。対話形式で書かれた書物は中学時代に読んだガリレオの天文対話などでも実証済みであった。しかし相田の厚意を無為にするのも気が引けたので彼はその書物を受け取った。

「また読んでみるよ、ありがとう」その後二人は久しぶりの再会だという事で焼肉屋に行った。幸い双方とも無駄遣いはしないのでそれなりの金はあった。そして焼き肉屋で彼らは逡巡する事無く肉を食べた。貪欲な食欲は健在である、響は普段から大食いをする事無く、悶々としていた体に焼肉は堪らなかった。それは相田だって同じであった。相田は普段からジムで筋トレをして体を鍛えている。彼もまだ20代なので新陳代謝が良い。筋トレはその代謝の良さに拍車をかけていた。また筋トレの蓄積によって間の体はボディビルダーのような体躯となっていた。響は身長が210㎝なので巨人なので間の183㎝よりも高い。しかし体の筋骨隆々さで言えば響より間に軍配が上がる。響は相田の肉体に憧れていた。憧れてはいたものの中々筋トレをする気にはなれなかった。彼にとって筋トレのハードルはかなり高かった。そんな事より自分の想像したフィクションに逗留する事の方が楽しかった。勿論相田もそうであったが、相田以上に響は筋トレを嫌忌していた。

「やっぱ最近の日本は腑抜けているよ。俺はそう思う、議論の是非は問うところではない」

「特にどういう点で腑抜けていると思うんだい?僕は日本が駄目駄目なのは昔からそうだと思うけど。三島由紀夫も色々警鐘を鳴らしていたしね」

「集団の圧力に屈して、陰湿で、非効率なのが良くない。日本には誇るべき科学技術や練磨すべき分野がある筈なのに。賢い者や実力のある者でさえ、あまり声高に主張したりしないか、主張しても黙殺される。温厚で鷹揚に見えて本当は気が短く、吝嗇家なのが日本人の大部分だと思うね」

「それだけなら昔からそうじゃなかったのかい?」

「まあ、そうかもね」

二人は吹き出し、身を捩らせて笑った。何故そんなに面白いのか、二人には説明できなかったが。二人は別の店に行き、酒を飲んだ。そこでも二人は会話を楽しんだ。元来気の許せる者以外には愛想も良くない彼らだが、二人は素面でも酩酊でも饒舌だった。そしてアウトプットの機会だと乗じて洒落や面白い話を延々とし続けた。ある程度時間が過ぎ、もう深夜の12時を回ったので二人は自宅に戻った。翌日は特に仕事や幼児はなかったのだが、妄りに生活リズムを狂わせるのは彼らにとってナンセンスであった。

 響は翌日午前10時までベッドで仰臥し、無意識の中にいた。夢では彼の敬愛する小説家が出てきて響は彼と仲良くしようと努めるのだが夢の中の現在では文豪とも御大とも呼べる小説家は終始響に冷たかった。そして悲嘆や陰鬱を甘受しながら夢を見ていると徐々に意識が明瞭とし出して起きたのが朝の10時頃だった。

 彼は空気が涼しく散歩日和だと思ったので近所の公園に出かけた。今日もガラスに映る自分は手足の長い巨人であった。光の投射加減によって210㎝の長身が低く見えたり足が短く見えたりするので彼にとってはこれが占いのような通俗心理学の一環であった。すると公園に一際大きな長身美人がいた。余りにも長身なので男かと思ったが彼女にはくびれもあり、女性らしい体つきであった。また声も高かった。185㎝以上はあるようだった。彼女は公園のベンチに座った。響は彼女に声をかけた。「こんにちは」普段は無口である事を考慮するとこの発言は些か非現実感を拭えない。「こんにちは」長身美人は嬉しそうに微笑み、響の挨拶に応じた。

「今日は散歩ですか?」「いえ、友人と食事に行くんです。ただ時間が早すぎたので座ってぼーっとしてるんです」

「姉さん、モテるでしょ?凄い美人だし。正直僕のタイプ」

長身美人は生娘のように赤面しながら笑った。ナンパにはなれていないらしい。響もナンパをしなれていないのでそれはお互い様だった。響のコミュニケーションは何時でも受動的で無味乾燥なものだった。ここまで社交に関して響が意気軒昂としているのは目の前に自分好みの175㎝以上の長身美人を見つけたからだ。響は気になる女性がいても告白も会話も出来ずに終わる事が多く、いつももっと積極的にならないといけないと自身に言い聞かせてきたのだ。このナンパは響にとっては重大な一歩だった。「いえ、でかすぎるし、何の魅力も私にはありませんから。187㎝で幼い頃から巨人だの、クソデカだのと嘲笑されてきたし。今日食事をする友達だって本当は私の事を見下しているに決まっています。いつも私への当たりが酷いですし。顔は整っている方だと自負していますが、もう29歳でアラサーだと言うのにまだ恋愛経験ゼロなんですよ?親戚からは行き遅れババアなんて言われるし。あなたみたいは素敵な男性に声をかけられて、今すごく舞い上がっています。昇天しそうです」

響は思った。こんなにグラマー美人なのに長身というだけでここまで被害妄想が激しくなるのか、と。少し頑迷固陋そうな性格だが彼女の受けてきた仕打ちが相当あると考えればそれも至極当然なのかも知れない。響は20歳から40㎝も身長が伸びて長身の仲間入りをしたのだが長身というだけでデメリットが生じた事はなかった。男と女には優劣はないが、区別があるのかも知れない。女の長身が憂き目を見るなんて許せない。彼女は幸せになるべきだ、響はそう思った。

「じゃあ僕と友達になりましょう。僕は友達が1人しかいなくて寂寞なんです。女性の友達なんて初めてですけど、姉さんは面白そうな人だし、色々話したいです」

「良いんですか?嬉しい、ありがとうございます」彼女は笑いながらそう言った。女神か天使のような笑みで見ているだけで自分の苦悩などはどうでもよくなる。響は胸の高まりを抑えられなかった。脈拍が上がり、頭部が紅潮するのが自分でも分かった。本心は友達よりも恋人になりたかった。185㎝以上の長身美人というだけで100点満点なのに、その上年上だなんて。響は昔から年上の女性との逢瀬を楽しみたかった。まあ昔からと言っても19歳からなのだが。

両者は無事にラインの交換を行った。そして響はラインの最初の会話で「姉さんは最高!可愛いし、かっこ良いし、性格も良い。こんな女性が苦しむ姿は見たくないので僕がこれから姉さんを元気溌剌にさせます。リラックスさせます」と送った。

長身美人は涙を浮かべながら「ありがとうございます。あと姉さんじゃ他人行儀なので私の事は佳織と呼んでください。立花佳織です。あと敬語じゃなくて良いですよ。私も敬語を辞めます。あなたは私のタイプです」「分かったよ、佳織。僕は響ね、天音響。いじめや迫害の経験で天音という苗字にはコンプレックスがあるから響と呼んでほしいな。よろしく!」二人は直接話せば良いもののメールを使って会話をした。そして二人は一緒に笑いあった。それは断じて作り笑いではなかった。響は大学時代、特に好みでもない女の子にナンパしてライン交換を申し出て失敗した事がある。このやりとりの際にもその苦い記憶が脳裡を縦横に駆け巡ったが最悪の事態には至らなかった事と佳織の可愛さに響は安堵し、愉悦を感じた。これは響の恋愛史にとって伝説級の出来事であった。

 二人はそれから少し話をして佳織は食事の予定があるのでその待ち合わせ場所に行った。響は特に予定がなかったので神社に参拝をした。最近響の大学時代に執筆した論文の過半数が世の中に認められ始めていた。その諸論文はネットに公開しているのだが、高評価がついたのだ。響の天才の閃きが理解できる人物がいたという事だ。幸福は、時間差でやってくる。大学時代の3年間の豊饒の期間の努力は無意味ではなかったのだ。響はその事実に感涙した。神社参拝では彼が今現在勢いを増して、現実味を帯びている願望成就のお礼を兼ねて行った。また将来の伴侶になるかも知れない、性格も良さげな女性と知り合えた事で彼は有頂天になっていた。これから先は喘息前進なのだ、と響は自分に言い聞かせていた。波が来ている。後はこの波に乗れば良い。その事実が長期にわたって抱いていた虚無感や厭世観にどれほど決定的な打撃を与えた事か。世の中の凡人達の中には彼を過小評価する人物もいたのだがそれでも彼はめげなかった。理解してくれない、理解する能力の欠如している人間にどれだけ訴えようと、その思い込みを消失させるのは甚だ時間の無駄である事を彼は分かっていた。それは強靭さとも呼べるかもしれない。しかし彼はいつでも強靭な訳ではなかった。実際前向きに生きようとしても前向きを習慣づける事にいつも頓挫していた。

 響は家に帰り、相田に連絡した。「僕、初めて彼女出来たよ!念願の長身美人で可愛くて、自慢の彼女だよ」とんだ大嘘である。しかし佳織が脈ありなのは明白であったため、響は誇張してこのような事を相田に言ったのである。「良かったね。響は結構前から175㎝以上の長身美人が好きって言ってたもんな。長身美人以外を可愛いとは思えないなんて極端な事もツイートしてたしな。正直あの頃は冷っとしたし、こいつ大丈夫か?なんて思ったけど、ようやく響にも恋愛がやってきたか。おめでとう。でも流石に彼女にガロア理論とか代数学とかトポロジーとか調和解析なんかの話はするなよ、ああいう話は俺のような人間だからこそ、受けるんだぞ」

「分かってるよ。僕は昔誰彼構わずそんな話をしてしまって、多くの人から敬遠されたって暗鬱な過去があるしね。まあ敬遠されたのは話の内容よりも僕の病気の症状があったからだろうけど」

「俺と飲んでた時は響は懸命に隠蔽しているみたいだったけど退廃感凄かったしな。あの時は流石に心配したよ。まあ何はともあれ、論文のアイデアも次第に認められてきているみたいだし、小説執筆のネタも大体揃ってきた感じだし、恋愛でも良い事があって良かったよ。響は俺の事尊敬していると言ってるし、俺の幸せを心から願ってるみたいで、俺も響の幸せを願っていたけど、そう思っていた矢先良い報告が聞けて良かったよ。人生も案外捨てたもんじゃないだろ?」

「うん。彼女も僕と同じように大人しくて影があるみたいな女性だったし、年上だしね。気弱そうだけど僕がリードしてみたくなったよ。僕は幸い話題も語彙も豊富だし、彼女を捧腹絶倒の未開の地へと誘いたいよ。彼女を沢山笑わせたい。それもポジティブな意味で。初めて自分の為だけじゃなくて他人の為に尽力したいと思えたんだ。こんな思い初めてだよ」

「お前の芸術的洞察力や学問での慧眼は大したものだけど、恋愛の経験値はまだ足りないからな。余り調子に乗らないように。あと親しき仲にも礼儀ありだ、人間の距離感も大事だという事を念頭において恋愛を謳歌しな」

「うん、ありがとう」

響はその晩熟睡したと言う。その日の夕方頃から響の自宅の界隈に通り魔が出没しているという報道がなされていた。犯人はその抜群かつ用意周到の犯行から未だその全貌が明かされていないらしかった。その事を当然響は知る由もなかった。ただ彼は有頂天になって幸福に横溢した気持ちで熟睡したのであった。彼のその時には心のローレンツ収縮が働いていた。

 翌日、響はいつものように買い物をした。そしてその序に区役所に少し用があったのでそこに向かった。すると大柄の覆面でサングラスの男が前方から獅子奮迅に突進してきた。響は日頃の運動不足が祟ったのかその際即座に適切な反応をする事が出来ず、茫然自失としていた。男は響きの腹部に鋭利な刃物を突き立てた。響は吐血し、その場に倒れ伏した。その様子を遠くから見ていた老若男女はすぐに警察に通報し、のみならず救急車も呼んだ。また手持ちのタオルで彼の止血を試みた。タオルはすぐに血で染色された。老獪な犯人は忽然と姿を消していた。何故だか響は嬉しさを感じていた。この上昇傾向の人生を眼前に、死んでゆくのもありかも知れないと思った。激痛は時間と共に和らいでいった。救急車がやってくると響を連れて東京の病院に搬送された。その昼は余りにも思い昼だった。彼の意識は混濁していった。

 気が付くと響は病室らしき場所にいた。どうやら自分は助かったらしい。落胆と安堵が渾然一体となったその感情が引き起こされた時、自分は改めてその感情が機能する現実に戻ったのだと気づかされた。すると看護師がやってきた。「天音さん、目が覚めましたか。自分の名前を言えますか?」「天音響」「良かった、早速医師に知らせてきます」看護師はそう言うと慌ただしく病室から出ていった。医療費はきっと高額に違いない。また自分は両親に医療費を負担させるのか。20歳の時もそうだった。両親に負担してもらって、情けない。しかしながら成功や功績の予兆はあるとは言え自分はまだ成功者や天才だとは世間からみなされていない。したがって、自分は大金持ちではない。確か医療費はかなり高額だった筈だ。退院したらまた豆腐生活か。そのような事を響が考えている内に佳織がやってきた。彼女は響と言った。目には大粒の涙を溜めていた。「心配だったのよ、まさか巷で話題の通り魔に響きが襲われるなんて。こんな良い人が、どうして…」響はその言葉と様子に愛らしさを感じつつこう言った。「まあこんな日もあるさ。流石に僕も死を覚悟したけどね。何とか生きていて良かったよ。ここまで僕の不幸を悲しんでくれる佳織を捨てて先に逝去するなんてナンセンスだからね」「なんだか、他にも長身の男の人が見舞いに来てたけど」「ああ、相田の事ね。彼とは学生時代からの付き合いなんだ。付き合いいたって別に同性愛ではないよ。僕は佳織一図さ」響はほぼ告白のようなセリフを言った。彼は少し気が狂っているのかも知れない。「ありがとう、私みたいな魅力皆無の女にそんなこと言ってくれるたは初めてだよ」佳織はそう言った。その瞳に邪念はなかった。また相当慌てて来たのだろうか、息をハアハアさせていた。佳織は一体何でここまで来たのだろう?東京ならタクシーや電車もある筈だが、響はそう思った。そして数時間、響と佳織は会話をした。時間も忘れる程の平穏無事で心のこもった会話だった。世間では冷徹な人非人も多い中、このような会話はかなり稀少価値が高い。「色々話したいけど、私OLで仕事があるの。何だか相田さんは入院中暇だろうってことで、響の好きなビートルズ、ブラックサバス、ピンクフロイドのアルバムが全て入った音楽プレーヤーを持ってきてたよ。何でもベスト盤も入ってるって。でも驚いたなあ、響もヘヴィメタルやプログレを聴くんだ。噂には仄聞していたけどプログレッシブツイストの白眉である響もああいう玄人が好みそうな音楽聴くんだって感心しちゃったよ」

「海外では素人にも好まれている音楽だけどね。日本人は音楽に真剣に向き合わず、ただチヤホヤされたいばかりに音楽活動をする有象無象が多すぎて閉口してしまうよ」言ってから響はしまったと思った。他人の感情を歯牙にもかけないその言葉は聞く人を失望させる可能性があったからだ。しかしそんな心配は杞憂だった。

「響は結構手厳しいのね、でもそれでこそ真の芸術家だと思うわ。響は謗られる事もあるだろうけど独自の道を猪突猛進していってほしいわ」佳織は寛大な人間であった。

そして佳織は帰って行った。帰り際に「響、愛しているわ」なんて言うものだから響はしばらく微笑を辞められなかった。このような高揚感は少年期以来で、統合失調症になってからは無縁の経験だとばかり響は思っていたのだから良い意味で彼の期待は裏切られた。

 その時気づいたのだが、隣の患者の青年は何故だかベッドに備え付けの机に一心不乱に何かを書いていた。何をしているのかとその患者に問うと数学の研究をしているのだと言う。響はかつての自分を見ているような心地がした。どのような分野なのかと問うと代数幾何学だと言う。その青年は事故で入院する前は東大の大学院で数学の研究をしていたと言う。響も昔代数幾何学の研究をしていたが職業にまではしようとは思わなかった。彼はその青年患者に感服しつつ相田の到着を待った。入院経験は響にとって鮮烈で未来永劫記憶に残りそうな気がした。

相田が来ると響きは開口一番「音楽プレイヤーは相田の持ってるやつ?」「いや違うよ、君の為に買って来たんだ。勿論中の音楽もね。今俺の作品は世間でベストセラーになってるらしく、収入も巨額になって金に余裕が出て来たんだ。そのタイミングで響が入院したもんだから吃驚仰天したよ。大丈夫か?」

「腹膜炎の一歩手前かと思うくらいまだお腹が痛いよ。でも何とか会話は出来るよ」

 病院では様々な事があった。作業療法なるものもあり、響は暇だったのでそれに参加した。絵を描くこともあったので響きは周囲の人間をその圧倒的な画力で驚愕させた。何か工作のようなものもつくった。裁縫でカバンを作ったりもした。響は自分で作ったカバンにルイヴィトンと名付けた。彼は中学校の時、家庭科の時間に自分で作ったものにマリファナ、とつけた事もある。それは中学校の頃の二番煎じであった。カラオケもした。響は洋楽ばかり歌うので何故洋楽ばかり歌うのですかとある患者に聞かれた。すると響は「単純に洋楽にしか良いものがないからですよ。邦楽もちゃんと質が高ければ歌いますし、聴きます。しかし現実はそうじゃない。僕はやむを得ず洋楽を歌って、聴いているに過ぎないのです」それでも響は時折方邦楽を聴く。それはゲーム音楽やウルトラマンの楽曲である。これらは彼のコンフォートゾーンと有機的に結びついているので中々手放せない。

また入院している患者の中にはまだ青年のガン患者もいた。ステージ4らしかった。彼には妻子もいたようだが、忙しいのかその妻子は彼の見舞いに来なかった。彼は昔はよくスポーツをやっていたという。実際身長もそこそこ高く、体も均整がとれていてスタイルが良い。ガン、悪性新生物について響は詳しくないからよく分からないが、骨髄移植だの、肝臓がんだのをよく聞く。無知を露骨に露呈する訳にはいかなかったので響はその患者、山田という患者とはがん以外の話をした。

「男性ホルモンはテストステロンといい、女性ホルモンはエストロゲンというんだ。この両者の分泌により健康が維持されたりするんだ。セカールなんて男はその成分を使って初めて肉体改造を試みたんだよ。医学史も中々面白くてね。それは生命倫理学とも不可分なんだが、出生前診断とか、試験管ベビーとかね、臓器移植もその例かな。また古代にはヒポクラテスという男もいて、彼は医学に携わるものの信条として誓いを提唱したんだ。これは一般にヒポクラテスの誓いと言われている。ウェルビーイングな人間の周囲に医学を置くのはマストだね。またフロイトなんかも医療業務を行いながら精神分析の理論をしたためたみたいだよ。20世紀のヨーロッパはヴントだの、ブロイラーだの、クレペリンだの、シャルコーなどがいてフロイトも彼の影響を存分に受けたんだ。統合失調症の旧名、早発性痴呆や精神分裂病という名称を提起したのもクレペリンやブロイラーだね。君は統合失調症だから自分なりに調べて知っていると思うけど。催眠療法も行われていたし、フロイトは治療にマリファナを使ったらしいね。当時はロボトミー手術なんかもあったしね。また脳の一部が損傷したゲージという男の例では脳が損傷した事で性格が変わったらしい。一命はとりとめたんだけどね。フロイトは今や無意識の発見や防衛機制でも知られていて倫理か何かの教科書にも載っているね。DNAの二重らせん構造はワトソンとクリックだったかな。分子レベルで生命の根源に迫るためには彼らの発見は無視できないよ。まあロザリンドフランクリンという人間も彼らより先にDNAの二重らせん構造を見つけていたらしいとする説もあるけど。ワトソンとクリックの論文は非常に短かったらしいね。論文と言えば仰々しい、高尚な感じもするけど中身が伴っていれば長さや文体なんて関係ないよ。脳細胞の樹状細胞やゴルジ体ならカハールやカミッロゴルジだね、カハールは少年時代画家になりたかったみたいだけど、結局向いていないってことで医者の道に進んだよ。響は絵画に向いているから彼とは違うね。脳は凄いよね。デカルトの提唱した松果体や誰かの発見した視床下部によって視覚の研究も進んだ。脳下垂体なんかも発育の為に大切だとされるし。中世のヨーロッパ社会は解剖が禁じられていたらしいけど、万能の天才であるレオナルドダヴィンチは勝手に解剖して素描や文字で記録を残したらしいね。彼はガレノスの旧態依然とした解剖学に代わる新しい教科書を作りたかったらしいけど、彼の完璧主義と飽きやすさによってついにそれは日の目を見る事がなかった。ダヴィンチはアテローム性動脈硬化症の予想も立てていたらしい。ダヴィンチの手稿は時代を先取りしたものでヘリコプターの原案や兵器の原案が描かれていたらしい。まあヴェサリウスという男がダヴィンチよりも解剖学に貢献したと言えるね。また顕微鏡の発明で赤血球や白血球などの発見もあったね。顕微鏡を初めて作ったのはフックだって言われているけど。人体は小宇宙だよ、素晴らしい。また医学とはあまり関係ないかも知れないけど今科学的に実証されている有力な説としてダーウィンの進化論があるね。彼は膨大なデータから帰納で結論を導き出し、その検証を行い、論文にまとめるといった科学研究のお手本のようなことをしていた。彼の着想を助けたのはマルサスの著書やラマルク、ウォレスなどの影響もあったんだ。ダーウィンはビーグル号の航海で地質学者として様々な思索を巡らせた。長い歳月を経て進化論は完成した。進化という性質はよくキリンの首で例えられるけど、生物にとっては重要な理論だ。医学にとってても進化という概念は度外視できないだろう。またさっきの話に戻るがフロイトなどのヨーロッパの医者などが台頭していた時期、行動心理学や社会心理学も勃興した。ワトソンやフロム、パブロフなどが出て来たんだ。人間の未来は条件付けや行動の修正によって開かれると。これは幾分か正しいよね。行動によって人生が変わるのは何ら珍奇な事ではない。ある意味慧眼だとは思うね。他にもユングだね、象徴やアニマアニムス、集合的無意識などの、彼はフロイトの袂を分かったんだけど彼もまた医者で多くの研究をしていたのだとか。また精神的に不調であった時に曼荼羅を一心不乱に描いていたのだとか。彼はどの文化圏においても象徴などの存在や集合的無意識は存在していると、半ば考古学的な考察を加えた。今でもフロイトと同様彼を支持する派閥が存在するのだとか。母国スイスでは無名らしいけどね。またアルフレッドアドラーもまたフロイトやユングに並ぶ心理学の巨頭だね。彼は人間自身が世の中を複雑にしてしまっているのだと言っていたね。まあ確かに下らない事で悩むような人間も多いしね。また人と少しでも違う事をすれば烈火の如く憤激し、怒気鋭く糾弾したり非難したりする人間も日本には相当数いるからね、彼らのような勢力が現実をハードなものにしているんだろう。また精神病に対する研究も最近進んでいるらしいね。統合失調症なんかは原因不明の疾病群を一括して統合失調症と名付けているらしいし。精神については哲学などでもよく取り沙汰されているけど」

 山田の長広舌はようやく収まった。響は既に知っている知識を向けられていたのだが響は山田に博識なんですね、と言った。この言葉は響が高校生の時分から言われてきた皮肉のニュアンスが込められているように思える言葉だ。医学に詳しい人間はあまり響の周囲にはいなかったから響は新鮮な心持がした。二人はそれ以後、話し相手として認め合った。山田も響の高知能を認めていた。

響はよく病院内で音楽を聴いていた。病室でも彼の好きな音楽を聴いて悦に入っている事もあった。音楽というのは療法にもなるほど絶大な可能性を内包しているのだ。しかし響は治療という大義名分よりも単に音楽がないと落ち着かないし、刺激が足りないから聴いているのであった。響は楽器演奏も出来た。脳内で自分の好きな楽曲を演奏している姿を妄想するのは彼の普段からの癖であった。

看護師達は響と話したりもした。おそらく幻聴なのだろうが女性の看護師は響に対し、性的な事を口に出したと言う。そして響は院内で幻聴や被害妄想が激化していったのだがそれでも気を紛らわせようと音楽を聴いたり、他の患者と話したりした。余りにも症状がひどい時は専用の向精神薬を処方してもらったりもした。しかしこの入院は通り魔による傷害なので、精神医療についてあまり詳しい人間はいなかった。響は良く眠れないので病室の電気を深夜までつけていた事もあったが同じ病室の人に眩しくて寝られないと苦情が入り、伝電灯を遅い時間につけるのは自粛した。

病院内の食事はシンプルなものであった。響は少し食事量が足りなかったので看護師に言って多めのものに切り替えてもらった。すると今度は病院食が美味しくかんじられるようになった。病院内で響は美食家のような存在として振舞っていた。彼は病院に入院してからというもの、あまり内向的になる事はなく、むしろ病院に来た事で病院内では外交的になる事が出来ていた。環境が変われば人間も変わるのだ。また佳織もしょっちゅう病院の響のいる病室に来ていた。彼女は響に何かプレゼントをしたり響に愛の言葉を言ったりしていた。彼女自身も恋愛に対しては奥手であったものの、もう完全に響に心を許してしまい、彼女は自分の学生時代などの身の上話を響にしたりしていた。看護師達や患者達も佳織を響の彼女とみなしていたらしく彼らの邪魔をするものは一人としていなかった。彼ら二人が話している時、二人は自分達だけの世界に没入しているようであった。

佳織はその並外れた長身で無理やりバスケ部に入らされた事もあったらしい、しかし気が弱く、繊細で、運動音痴だった彼女はすぐに部活を辞める事になったという。響は彼女の過去から彼女を斟酌し災難だったねと言った。佳織は響より年下であったが不思議とずっと前から、前世から一緒にいたような心地がした。話を聞くと佳織は結婚や出産も望んでいるらしい。響は自分で良ければ僕を佳織の伴侶にしてほしい、と彼女に哀願した。彼女は当然了承した。両者にとってその事は自明の理であった。二人の間には阿吽の呼吸が宿っており、お互いに気を使い、欲する事を承知して行動していた。まるで仲睦まじい熟年夫婦のようであった。彼女には高い教養はなかったが、響は自分の教養を分かりやすく佳織に伝える事で両者にとってウィンウィンの関係を構築するようになった。彼は古代ギリシアの幾何学的アプローチを取ったピタゴラスの定理の証明やガウス少年の小学校の頃の等差数列のエピソード、ユークリッド幾何学の定理の事などから話した。自分は数学に魅了され、その熱狂に支配された男であった事や大学時代はガウスやガロアやオイラーのみならず、カント―ルの研究もしていた事を話した。特に数学では無限という概念が神秘的だという話の中で円周率を例に話した。20世紀の数学界ではヒルベルトやラッセル、ゲーデルなどの存在によって数学そのものの道具としての本質に迫った事も響は意気揚々と喋った。また微分積分や行列式に貢献したライプニッツの話もした。無限級数をシグマという記号を用いて如何に表現できるかも話した。もっとも彼の話は高校数学までの知識があればある程度理解できるものであった。しかし佳織は数学を高校時代に挫折して以来、全く触れておらず、むしろ数式を見ただけで拒否反応を示す女性であった。また響は哲学と数学の間の関係を示す為、先程のライプニッツやパスカル、デカルトを交えて説明した。佳織は数学を初めて面白いと思えた。響も好きな事の説明が初めて面白いと思えた。直交座標はデカルトの発明である事、高校時代のパスカルの定理はパスカルが自身の論文である円錐曲線試論の中で証明が展開されたものである事を話した。パスカルはパンセなどで有名だし、デカルトはコギトエルゴスム、我思う、故に我ありの哲学の第一原理でかなり哲学界に貢献した事を話した。ライプニッツも大陸豪理論の中でモナド論を提唱した事も響は佳織に話した。思わず周囲の患者も聞き入ってしまう程の極上の語りであった。そして彼の天才性は瞬く間に病院内に広まった。

また響は、自分は男の癖にゲームが苦手である事を佳織に語った。昔から友達と一緒にゲームをプレイしていても余りにも下手くそだからそれが友達の逆鱗に触れた事も話した。今では響はゲームをまったくやらないと言った。佳織もゲームは得意ではなかったので響の気持ちが痛い程分かった。

響は病院内の看護師からはめちゃくちゃ綺麗な顔だと大絶賛されていた。しかしその事を響は知らない。また彼は音楽の知識も豊穣だったので病院内の音楽好きな患者と話したりもした。偶然にも彼らの年齢は近かったので彼らは敬語を廃絶し、会話をした。

「僕はやっぱり最高のバンドと言えばビートルズとブラックサバスとピンクフロイドだと思いますよ、私見だけど。同列一位だよ、これら三種のバンドは。僕は高校時代からずっと洋楽ばかり聴いていてその中で一筋の光を放っていたのがこのビートルズ、ブラックサバス、ピンクフロイドなんだ。彼らの音楽は曲調が刺激的だし、実験的なサウンドも多い。また変にポップさがない。今の日本の音楽界には欠けている要素だよ。彼らは音楽の黎明期のバンドだけど、ストイックなところも良いね。また音楽家自体も素晴らしい。紆余曲折あって、その経験を音楽に生かす。それも中途半端な生かし方ではなく、コツを抑えた昇華だよ。彼らには脱帽だなあ。僕は中学時代はライトノベルなんかを読んで、またアニソンもそれなりに聞いていたオタクだったけど、高校以降は完全にそんな気配はなくなったな。僕は自分の精神的危機に苦しみながら、音楽を聴き続けた。また僕は左利きのギタリストだから同じ左利きのブラックサバスの大黒柱であるトニーアイオミは尊敬しているよ。彼は技巧的なミュージシャンだし、怖そうに見えて意外と温厚らしいよ。それにサバスのボーカルはディオも良いけどやっぱりオジーが一番しっくりくるね。彼のボーカルは天上天下唯我独尊。ビートルズの曲もよく日本のテレビ番組のバックグラウンドミュージックに使われてるけどそれだけポップってことだよね。アーティストの中にもビートルズの音楽を聴いて研究し、琴線に触れてる連中がいるらしいけど、そういう連中は何故だか声が弱いんだよな。自己主張をあまりしないと言うか。もっと情報発信して、良さを十二分に伝えていけば良いのにね、僕はそう思うよ。僕ももっと活動的にならないと。情報発信をしていく上では誹謗中傷は不可避だけどそれに拘泥したり、恥を恐れていては人間は何もできないよ。ビートルズを退屈なバンドと言う奴がいるが、そんな輩は全ての時期のビートルズの楽曲を聴いているのかね?まあ芸術なんてものは得てして聴衆や観衆がその芸術に耽溺出来るレベルにならないと楽しめないものだしな。賛否両論、多種多様で当然なところはあるけど。現代の音楽は細分化されすぎたし、総括して日本人はこんな音楽が好きだなんて断言する事に僕は抵抗もあるんだけど。まあ人に聞いてもらうためには多少の脚色や修辞は必要だよね。特にビートルズのリズム隊の一体感は凄いよね、後の有名バンドはビートルズのこの流れをもろにパクってる。まあ芸術なんてものは模倣から始まるんだからそれは全然悪い事ではないけどね。ピンクフロイドも中々プログレの中では聴きやすいよ。彼らはプログレ界の覇者だね。狂気なんてものはギネス級だし、僕の還暦過ぎた友達もよくピンクフロイドの音楽を聴いているよ。彼はピンクフロイドのアルバムはLP版もあわせて全部持ってるし、グッズもそろえている、稀代のピンクフロイドマニアだよ。僕は彼からピンクフロイドのアルバムを借りた事もあるし。彼とはギター同好会で知り合ったんだけど、彼は通勤の際、いつもピンクフロイドを聴いていると言っていたよ。まあ身近でピンクフロイドファンは彼くらいだね。ブラックサバスファンは多いよ。サバスは第一メタルの総本山だし、それにファーストからフィフスまでのアルバムは全て傑作だね。僕も大学時代サバスの曲を演奏した事もあるよ。もっとも当時はチビでデブだったからかっこいいとは言われなかったけど。今は210㎝だから長身のボーカリスト、ジョーイラモーンやロバートプラント、イアンギランよりもステージ上のインパクトがある男だよ、僕は。いつかバンドを結成して活動しようかと思っている。バンド名は決まっているよ。単体のソロとロサンゼルスのロスと悲しみのソローをかけてザソルロス。ビートルズも造語なら僕の子のバンドも造語だよ。その方がクールだと思ってさ。精神科にも僕のギターの才能を認めてくれる人はいたよ。まあレパートリーは少ないけど、かなり褒められた。しばらくギターは弾いていないんだけどね。また弾こうかと思っている。僕の所持しているのは初心者セットの白いストラトだよ。アンプなどもついたセットで某密林サイトで1万円くらい。かなり質が良いよ。教則本もついてきたしね。僕が持っている楽器はそのエレキくらいだな。本当はギブソンSGも欲しいんだけど、金がなくてさ、届かないのよ。でも僕は他のバンドも聴くよ。キンクス、レッドツェッペリン、クイーン、AC/DC、ビーチボーイズなんかもね。まあ60年代から90年代までの音楽は英国と米国の圧倒的な勝利だな。彼らは非常に素晴らしい功績を成し遂げたよ。日本の音楽とは比べ物にならない。様々な要素をインストールし、さらにそれを独自に変化させて表現した。日本じゃ音楽だけに限らず、実験的な事をしてる人間を白眼視する傾向があるけど、海外じゃそうじゃないのかな。いや、海外でもそうなんだけど、民衆の個性や能力を重宝するメンタルから革命や成功が生まれたのかな。日本の学問なんかでも良くも悪くも戦後は欧米の追随だしな。まあ実際日本が武士道やら内乱やらちょんまげやらに明け暮れていた時代、特にヨーロッパでは芸術や学問の発見発明が行われていたしな。無論海外にも内乱や戦争はあったけどそんな中でも先駆者は本当に突拍子もなく凄かった。ニュートンなんかもその一例だね。17世紀の元いじめられっこが科学史上燦然と輝く業績を成し遂げた。数学の言葉で天の理と地上の理を結び付けて、彼はニュートン力学という一大理論の製作者になった。それ以後も換骨奪胎、温故知新の改革はなされたし、ニュートンの絶対空間を訂正してアインシュタインが時空の織物を提唱し、一般相対性理論を作ったのもある。まあしかし大天才は単に物事を刷新するのではなく、パラダイムシフトを起こし、新たな独創的な体系を作り出し、のみならず人間の生活基盤そのものを変革する人間なのだと思うよ。ただ大天才のやっている事はすぐには理解されないがね。人間は理解できないものを嫌う性質を持っているし、それは芸術についても言える事だろう。僕の邦楽批判ももしかしたらその至極当然の原理原則に当てはまるものなのかもしれない。まあ感性なんて白紙の状態から出発して、漸進していくのが常だからね。何が正解かどうかなんて歴史が決めるしかない。同時代の人間が評価出来る事、感じ取れることなんてたかが知れてるしね。これは多くの人が言ってきた事と同じだ。人間全体を俯瞰しなくては、このような哲学を編み出す事すらも困難を極める。まあ世の中には竜頭蛇尾のハリボテも多いから僕らはよくよく自分の審美眼や慧眼を養っていく必要があるね。物事の真理を発見する為には努力なしでは言語道断だ。まあ僕自身もすぐにスタミナ切れて、持久戦はかなり不得手だから人の事は言えないのだけれど。それでも音楽、音楽、音楽。音楽だけは疲れ果てた心にも染み渡る。悲観している時は勿論、気分の良い時にも立派な効能がある。これが普遍的なものかどうかは分からない。僕はそのような論文を読んだことがないし、読んだところで理解できるかどうかは疑問符がつくところだしね」

「響は凄いね。言葉の奔流というか、常軌を逸した知識量と豊富な哲学的思考。まさに圧巻だよ。響は大学時代哲学科だったけど出身大学は別に有名大学じゃないのに、よくここまで本物になれたもんだ。僕は初めて見たよ、本物の人間を」響の大弁舌を相槌を入れながら穏やかな雰囲気で聞いていた話し相手はそう言った。彼は下平という名前の若者だった。

「まあ大学では独学が大半だったかな。でもさ、15歳からは統合失調症になるわ、恋愛も勉強も出来なくなるわ、バイトも続かないわで辛かったよ。まるで自分が人間じゃないみたいに思えてさ。僕をいじめた連中もいた。彼らはしばしば僕を軽蔑していた。僕には何故彼らが僕をいじめるのか分からなかった。僕は彼らに何ら悪い事はしていなかった。向精神薬で太る前、僕はイケメンだと言われていたよ。多くの老若男女が僕の容貌を褒めた。美貌だなんて言う奴もいたな。でも僕には友達すらいなかった。僕は学校の図書館に入りびたり書物を片っ端から読んでいた。僕にとっての親友は本と音楽だった。この二つはどんな時にも僕を見捨てなかった。むしろ励ましてくれた。また著者の考えを吸収して自分なりの軸も完成していた。僕は年齢の割には早熟でしっかりとした理論理性や判断力を持つ青年だった。文学も多く愛読したよ。ラノベなんかとは比較にならないくらい海外の文豪たちの本は面白かった。日本の文豪はそれ程僕には合わなかったね。僕は文学の古典に触れ、現在に至るまでの自分の創作にその経験を生かそうと考えていた。これは正しい道だったと今では思うよ。でも幻聴は収まらず、僕はどこにいても悪口を言われていた。電車でも、道でも、家族にも、兄弟にも。しかし確認するとそんな声は存在しない事が分かった。発言者にそういう事言わないでと言っても悪口なんて言っていないと言う。遂に僕は頭がおかしくなったんだと悟ったよ。半ば陰謀論のようなものにもとりつかれていた時期もあったよ。皆が一緒くたになって僕を迫害している、僕を不愉快にしているのだと。合理的に考えれば僕一人にそんな大掛かりな陰謀を企てる人物がいる訳がないし、明らかに妄想であるのは一目瞭然だったんだけどね。まあそんな訳で色んな苦難を乗り越えて来たんだよ。ここは精神病院じゃないけど実は病院への入院は二回目なんだ。20歳の頃に精神病院に入院してさ。その時も入院したところで幻聴や被害妄想は収まらず、むしろかえって悪化したけど、入院自体は良い経験になったよ。僕の父親は入院する程の重症じゃないと判断してたけど、僕の父親は今でも僕が統合失調症である事を認めようとはしないから僕は彼を見ると苛立ちが募ってしまうよ。まあ昔の日本人はあまり精神疾患に対して理解がないからね、現代の若者以上に精神疾患に対して偏見や固定観念を持っているよ、それも執拗なレベルでね。まあそれでも歴史はそう言った障害や事件が錯綜し、大きなうねりを伴って進んでいくものだ。尚も悠然とね。これは誰が何を言おうと世界の真理であるのだよ。まあ僕は本当につらかったよ。統合失調症は幻聴や被害妄想が有名だけど鬱病に似た抑うつ状態もあるし、認知症みたいな認知機能障害もある。全ての症状を解消する薬は未だ開発されていないんだけど、昔のパキシルなんかと比較して良い薬が最近は発売されているよ。副作用なんかも極限までカットした薬もあるしね、本当人間の発展度合いにはいつもの事ながら驚かされるよ。中学時代の友達は僕の病気の惨状を知るやいなや触らぬ神に祟りなしと言わんばかりに離れていったよ。あれはトラウマだよ、似たような失望は夢の中でさえ反芻される。無意識というものは恐ろしいものだ。でもさ、統合失調症なんてポピュラーな病気なんだからこれから皆もっとこの病気への認知を高めるべきだと僕は思うよ。100人に1人が発症するんだぜ、統計上では。それに好発期が10代後半から20代の破瓜型が特徴だし。まあ高齢になって発病するケースもあるけど。僕は未だこの病気に苦しんでいる事からあまり予後は良くないのかな。僕には詳しい事は良く分からないけど。他の統失患者も妄想に囚われてる人も多くてね、デイケアや病院で僕は狂人を観察し、論文をしたためてたんだ。勿論僕自身もその狂人に相当する事は厳然たる事実なんだけどね。統合失調症の原因ははっきりとは分かっていなくて、脳内の情報を伝える神経伝達物質のバランスが崩れる事が関係しているって言われているね。また大きなストレスがかかることも関係しているみたい。遺伝子も関与しているらしいけど単に遺伝子だけの問題ではなくて様々な要因が関与してると考えられているよ。まあ僕の精神病院時代には遺伝は関係ないのが最新の研究だって言ってたけど。仮説や結論は流動的なのが常だからね、本職の医師であっても正しい精神医学の知見を持つことは難しいと思う」

「統合失調症患者って支離滅裂で思考障害のある人が多いけど響は違うんだね。丁寧だし、正鵠を射る話し方だ。聞いているこっちも感心させられるよ」下平はそう言った。もはや病院での会話は響の独壇場だった。しかしながらそのような響であっても周囲の人間は不思議と不快には思わなかった。のみならず彼の話をもっと聞きたいという患者が圧倒的大多数であった。響は自分の紹介状を読んだことがある。そこには幻聴と感情の平板化の二点しか記されていなかった。高校時代の彼と懇意だった医師は響には認知機能障害はないとしており、また発達障害のような奇異な感じも見られないとしていた。その意思は響が海外に行く事を強く勧めた。広い世界を見てこいという事なのだろうか。閉塞した日本にいる事にはずっと響は飽き飽きしていた。また長身美人の外国人と恋愛をしたいと響は思ってた。その為には英語の勉強を精力的に行う必要がある、と響は考え、日進月歩に英語の勉強をしていた事もある。しかし中々、海外には行かなかった。それは丁度10代の作家志望の若者が作家になりたいと血気盛んに言っているにも関わらず、自分自身は小説を書かない心理に酷似していた。響もそれは理解していた。海外に行くとなれば甚大な不安や恐怖もある。異国の地で夏目漱石は精神を病んだと言うし、自分のような男が海外でやっていけるだろうか、と響は疑問に感じてもいた。そうしている内に時は過ぎ去り、今や響は大学を卒業し、24歳になった。24歳には8月5日になった。8月5日はニールスアーベルの誕生日である。この事に彼は並々ならぬ縁があるように思えた。自分もまた数学者であり、革命的な理論を多数作っていた事もその思考に影響を与えたのだろう。彼は学生時代、人付き合いが苦手だったので毎日論文を書き、数式を書く事で自分の心の寂寞や空虚さを埋めていたのだ。しかしそれらは完全に埋める事は出来なかったし、自身の業績も論文を発表しても暫く認められる事はなかった。また響はブログも高校生後期から書いていた。そのブログは特に著名という訳ではなかったのだが、それでも彼は好きな事を文章にする事に快感を感じていた。もうブログの記事も500記事を超えた。これは外ならぬ彼の生きた証だった。響はもう満足に生きたように思えていた。自分の学問的、芸術的名声は確定しているのだからいつ死んでも良いと思えるようになっていた。通り魔による被害があって、響は自分の死を極めて明瞭に意識した。しかし死ぬ事はなかった。これは天の意志であり、まだ響を死なせまいとする天からの寵愛であったのだと響は思った。それなら生ききってやる、と響は入院生活で思っていた。生に対してここまで真剣になれたのは響にとって初めての経験だった。彼は自殺未遂をしたこともあったが、その時彼は死を真面目に考えず、単に一切皆苦の現実から自由になる関門であるようにしか思っていなかった。まだまだ考えが甘かった。死はそのようなものではない。死はもっと壮大なものなのだ。しかし響の言語能力でそれを明晰判明に記す事は出来なかった。それが彼にはもどかしかった。芸術家としての苦渋だった。

響が24歳になる数か月前、彼の家に彼の両親が来た。彼はパワハラと業務の壮絶さから仕事を辞めており、既に彼は次の将来の準備を推し進めていた。両親は一旦実家の山梨に帰るかと彼に尋ねたが東京の方が色々と充実していると思ったので彼は東京にいると両親に言った。そして今彼は入院しているのだが、入院する前は小説の執筆をしながら障碍者職業相談所に相談に行っていた。23歳で大学を卒業した彼は大学在学中に就職活動をせず、卒業に専念していた。無論それと同時並行で数学や自然科学、哲学などの論文も書いていたので、卒業の為だけに就職活動をしていた訳ではない。大学を卒業してからは早く資金を稼ぎたかったので近所の障害者作業所の清掃の仕事に就いた。そこでは明らかに210㎝の巨人の自分を170ちょっとだなんて言う耄碌したババアがいた。また業務自体も彼の凋落した体力ではかなりの激務であった。慣れるまでの辛抱だと思っていたが、それに加えて上司からの当たりが自分にだけきつかった。したがって響は仕事を辞める決心をしたのだ。決定打だったのだがその悩みを統合失調症ユーチューバーの生放送のコメント欄で響が書いた事でアドバイスをもらった事であった。時期尚早な仕事もある、仕事自体が合わない事もある、病めるのも一つの手だ、と言うおそらく年配らしき同病の患者から響はアドバイスをもらったのだ。

彼は病院内で小説の執筆を開始していた。彼が取り組んでいるのは長編小説である。佳織からの話も小説のネタとして十分機能していた。また入院生活や突発的に邂逅した事件とのつながりも彼にとってはやはり小説のネタに相違なかった。自分の不幸や経験を文章に落とし込んでいるんだから不謹慎も何もない。彼には自分の作品が酷評されることも気にしなかった。彼は23歳の頃、小説を書きまくっており、ネットで公開した自身の小説が貶される事には慣れていた。無論最初の内は辛かったし、極力見ないようにしていたが、それでも一部の人が自分の作品を好きだと言ってくれる事に響は恐悦していた。作者冥利に尽きるとでも言うのだろうか。文学賞にもかなり応募したがまだ知らせは来ていない。響は自分の能力を過信している訳ではないので、1次選考で落ちるだろうと思っていた。響は自分の小説を自分の自己満足の為に書いていた。プログレッシブツイストなんてものもそれを使って、商業化しようとする意欲よりも自分自身の芸術家として作品を創作する事の愉悦を彼は重視していた。相田はプログレッシブツイストの作家として響が入院していた事頃、既に世間でもてはやされていた。響は先を越されたと思った。自分は相田よりも面白い作品を作っているという自負もあった。しかし世間なんてそんなものだし、天才の仕事はタイムラグつきで理解されるのがセオリーである。彼はただ機会を待っていた。自分の芸術が正当に評価され、理解されるのは忍耐が必要だと彼は思った。その為の布石は既に敷いてある。しかし芸術よりもその頃、響の論文のアイデアが世の中の学者に認められ、その応用性から様々な科学技術に応用されていた。認められ、応用されるのが早いと響は感じていた。それは想定外の早さであった。魑魅魍魎たる現実を響はまだ完全には掴めていなかったのである。しかし自分にとってのこれは魑魅魍魎というより、喜ばしい知らせであった。彼は自分の奔走し、作り上げた芸術が理解されないのは少し残念だったが、その代わり学者としての十分な名声を得られつつあることに微笑を禁じ得なかった。これに関して彼は本当に満足していた。

 今の響には彼女がいる。佳織がいる。佳織に直接告白した事はない。告白は日本人の恋愛において鉄板であるように思われているが、佳織と響の間にはそんなものはなかった。自然に二人は恋人同士になっていた。

「響は優しいよね、しかも精神的にタフだし」

「そんなことないよ。優しいのは君だからだよ。それに精神的にタフなら精神病なんかにならないんじゃないかな」

「精神病と言っても全ての出来ない言い訳になるわけじゃないわ。私の友達も精神病だけど今は弁護士として働いているわ。それに響は統合失調症を覆す程の魅力があるんだからそんなの関係ないわよ。響の小説、読んだけどあなたが言っている程つまらないものではなかったわよ。とても面白い、読み進めたくなるような、読者を魅了するような文才があなたにはあるわ。今はあなたは学者として偉人扱いされているけど、あなたの芸術が正当に扱われるのもそう遠くない未来だと思う。あんな面白い作品は文豪だって書けるもんじゃないわ。自信を持って。それに相田さんに聞いたけど、響は高校時代女の子みたいな顔の男子と言われていたらしいじゃない。まあ無理もないわね。響は本当に女の子みたいな可愛い顔だもの。太っていた時期もあったらしいけど、そんなの関係ないわ。食事にも気を使っている響ならその女顔を維持できるとは思う。なんか陰で響のファンクラブもあったのだとか」

「僕がそんな風に思われていたのは想定外だね。僕はずっと周囲の高校生から迫害されていると怯えていたから。それに友達もいなかったし、僕が生徒の会話に入っていくと皆迷惑そうにしていたし、ずっと嫌われているのかと思っていたよ。幻聴かもだけど悪口を頻繁に言われていたし。まあ僕は偉人になったからね、歴史上の人物さ。だから皆手のひら返して僕から金をむしり取ろうとしているんだろう。拝金主義者、金の亡者たちめ」

「そんな事ないと思うわ。まだあなたには被害妄想があるみたいね。現実はあなたが思っている程悪意に満ちてはないわよ。悪意は全くないわけじゃないけど。まあ気持ちは分かるわ。私も長身過ぎて多くの人から嫌われている、迫害されていると思い込んでいたもの」

「それは分かってるよ。そうだね、素直に喜ぶのが良いよね。当然中傷したり揶揄してくる連中はいるだろうけど、自分の好きな情報だけを信じていても良いよね。別に修行僧じゃないんだ、倫理的な節制があって、自分に負荷を強いるのは統合失調症の僕にとっては自殺行為そのものだ」

「統合失調症をまるで自分に課せられた十字架のように考えるからふさぎ込んでしまっていたのよ、高校生の頃の響は。それでもこのままじゃ駄目だって自分で思って行動して、私にナンパしてくれたのよね、本当に運命的な出会いだわ。私なんてナンパされたの初めてだしね。正直女としてすごく嬉しかったのを覚えているわ、女はいつまでたっても特別扱いに憧れているの。まあこんな一般化はあなたならナンセンスだと思われるかも知れないけれど」

「思想は自由だ、それにナンセンスだなんて思わないよ。僕は佳織をもっと特別扱いをしたい。君の為に会話のネタを仕入れたり、諧謔を勉強したりしているんだよ。僕、恋愛経験が浅薄だから女性が何したら喜ぶかってのが分からなくて。僕は図体だけは巨人並みにでかいけど、正直男らしさに自身なんてないし、それならばと僕は自分が明るくなれるように自分の思考のバイアス、偏りを直していったんだ。これは骨が折れたよ。でも最愛の人の為だ。僕は自分の考えを文章に書き起こしたり、たまに作品にしたりすることで認知行動療法的に自分の歪みを認識し、矯正しようとした。勿論慢性的に内向的で自閉的だったからこの変革はかなり難題だったよ。それでも愛の力があれば何でも出来る気がした。僕は一生懸命に頑張った。そして、今や通り魔からの襲撃を経て、入院生活で、だいぶ明るくなれてる。それでもたまに落ち込む日もあるけど、いつまでもくよくよするのは人生にとって馬鹿げた判断だからね。そういう習慣は辞めるようにしたんだ。多分僕は祖父母が死んでもいつまでもくよくよしたりはしないだろう。それどころか彼らの強さや優しさを引き継ごうと一念発起する事だろう。僕は今、確信を持ってそう思っているんだ」

「良い事だね。響が前向きになっているのを見ると私も元気になれるよ、あなたは私の癒しだよ、ありがとう」

「とんでもない、当然の事だよ。それと僕は最近病院内に伊坂幸太郎の小説が置いてあるから読んでいるんだけど、彼の作品は良いね。平易な文体で適切な表現、心情描写、風景描写、彼には様々な知識があるし、読んでいる僕も圧倒されるよ。大学時代に人に勧められて読んだときは何だこりゃって思ったけど、小説家志望の身分で研究という名目で読んでみると中々面白い。売れているのも納得だよ。相田も伊坂幸太郎好きだよ。僕はまた12作品しか読んでないけど、一定以上の質を保ったまま小説を量産している作家は本当に敬愛するよ。仰ぎ見るような巨星は何時の世にもあった方が良い。精神的な向上心が沸々と湧き上がるよ。自分はまだまだなんだって思える。僕はエンタメ作家が高尚なものじゃないとかで昔は下に見てたけど、読み手の脳髄を攪拌させ、続きを読みたいと思わせるような作品を量産する能力のある小説家はやっぱり後の世で文豪扱いされたりもするんだろうね。僕は今や売れている小説家は例外なく尊敬対象だよ。この心境の変化も加齢によるものなのだろうね」

「加齢って、響まだ24歳でしょ?私なんて12月には30歳になっちゃうよ。多くの人からはでかすぎて恋愛できなくて可哀想、女扱いされなくて可哀想なんて言われるし、それに三十路、響がいなかったら絶望して首吊ってるわ。ハングドウーマンよ」

「佳織が死ぬのなんて想像したくないな。まあこれから退院したら僕が佳織をもっと幸せにしてあげるよ。今はただ話すことくらいしか出来ないけど。退院したら君の行きたいb所に行こう。ディズニーランドとかのテーマパークは僕の柄じゃないけど君が行きたいのならどこでも」

「そうだねえ、まあ絶景が良いかな。悩みもなくなりそうな絶景が。登山なんかも良いかもね。響は好きでしょ、登山」

「うん、好きだよ。今は登山道具足りないけど、もし君も登山に行きたいんなら退院後に道具を揃えるよ。論文によって今は確認していないけど天文学的な金額が僕の銀行口座に入っているらしい。でも金があるからと言って慢心して使いまくるのは人間としても男としても正しい行動じゃないから、あまり自分を特別視しないことが重要だね」

「南アルプスも高校時代の山岳部で行った事あるって言ってたよね?なんでも昔は山岳部のエースみたいだったとか。まあ今は統合失調症もあって運動不足だろうからやっぱり疲れるだろうけど、登山の良い所は蓄積した疲労に応じた景色が楽しめるところだね。あの快感は確かに良いわ」

「佳織は登山した事あるの?あたかも経験したような物言いだけど」

「実は先週の三連休に近場の山に登ったんだよ。それに備えて登山靴やらザックやらも買ったし、登山の本も貪り読んだわ。響の気持ちが分かったきがしたよ。私は運動音痴でスポーツは大嫌いで憎んですらいるんだけど登山だけは別だわ。登山は私が好きな唯一無二のスポーツよ」

「そこまではまってくれたか。布教成功って感じだな。清々しいよ」

「響は大学時代どうだった?私は勉強だけは出来たから早稲田大学卒業だけど、あなたは才能はあるけれど、勉強が得意なタイプの秀才ではないよね?」

「大学は面白かったよ。講義も卒業に必要ないものまで取って無我夢中に勉強したからね。教授の知識を我田引水に吸収してブログでそれを活かしたりもしていたな。特に面白かったのは文学購読の講義や惑星科学の講義、哲学概論の講義、それから進化生物学の講義かな。宗教学の講義は卒業に必要だったから難渋して取っただけでそこまで関心がなかったな。釈尊だの、維摩経だの、声明念仏だの回向だの解脱だの、そんなものは用語を聞いただけで僕は拒否反応を示していたよ。まあでも大学は学生の理解を教授がある程度助けてくれるから良いよね。学習意欲や知的好奇心の高い学生は軒並み受け入れてくれるし、それも快諾してね。まあそれが仕事だってのもあると思うけど、僕は質問や指導を受けに行った時の教授の目は何らの邪気なく、宝石のように光り輝いていたよ。まるで子供のようにね。大人になると情熱や希望もすり抜けていくものだけど、僕と親交のあった教授はそういった世の中のとは無縁のように思えたな。彼らには媚態がなかった。また進化生物学の講義は思想史に近いものもあったよ。正直僕の理解はお粗末だったんだけどA評価をもらっちゃった。まあ講義は真面目に聞いていたしね。終始真面目に聞いた講義は僕の興味を持った講義だけだったけど、まあそれも主体性を発達させるのには十分すぎる下地だったと思うよ。本当に貴重な経験だよ」

「それ、分かる気がする」佳織は目を輝かせながらそう言った。「響は統合失調症で大学進学を一時諦めたって前話してくれたけど、高校教師や主治医が大学に行った方が良いと言ってくれて大学進学を選択したんだよね?それは英断だったと思うよ。ただ単に統合失調症の高卒だとあなたの小説のネタや屈折した思い、迫害もなかった訳だし。迫害っていうのはまあ嫌煙される言葉だけど、実際苦しみこそ発信や創作のネタになるものはないしね。太宰治も言っていたじゃない。笑われて、笑われて、強くなるって。やっぱり傷ついた経験があってこそ人の優しさは際立つんだろうし、人間としても成長するんだと思うわ」

「えらい達観してるね。まあ僕も佳織のその意見には賛成だよ。佳織は自分の意見を持っているし、集団主義や同調圧力に屈しないから良いよね」

「その強さは響と出会う事でおのずと得られたのよ。本当に私はあなたに感謝してる」

「最近統合失調症は人間を斜陽させるという当事者の言説が有名になってるけど、まあ統合失調症にも色々だね、負けずに、諦めずに突き進んでこそ得られる境地もあるし」

「これからあなたはどうしていきたいの?」

「僕は佳織さえいてくれればどんな地獄だって耐えられるよ」

「それは私もよ、響。でも私が聞いてるのは小説の事よ。何を書いていくつもり?」

「もう僕は色々書きまくってきたせいで段々と小説のネタが枯渇してきてるんだよ。何とか小説のネタを脳からひねり出さないと。今はその充電期間だね、多くの経験をためていく時期」

「無理に書く必要はないけど。でもこれまで精励に執筆してきたから多分もう書くのが習慣みたいになっているんじゃない?入院直後から自分のパソコンを送ってもらうように言って、そこから休まず書いていっている訳だし。入院中に何本かいたの?」

「まあざっと7本かな」

「すごいペースじゃない。やっぱり響は天才肌ね、あなたの圧倒的な集中力は他の追随を許さないわ。しかも書いているジャンルも様々だし。書いている内容も面白いし、多分見る目のある人の目に留まったら響の才能は開花していくと思うわ。私は断言する」

「そんなに認めてくれるなんて、嬉しいよ。僕の芸術は黙殺されるのが通例だと思っていたから。もしかすると作家デビューも現実的かも知れないね。10代受賞はならなかったけど。統合失調症であの頃は小説に食指が動かなかったし、仕方ないんだけどね」

「何かを始めるのに遅すぎる事はないわ。これから頑張っていけばあなたは日本一の文豪になれると思う。私も近くで応援してる」

「ありがとう。それと僕達、退院したら一緒に住もうかと思っているんだけどどうかな?11畳のマンションだよ。中々良い物件を見つけてね、論文が認められてもう富豪になっているとある人から聞いているし、実際僕の銀行口座のスクショを見たら4億円入っていたよ」

「4億円?荒唐無稽な金額ね。でも話の流れからしてどうやら冗談や捏造の類ではないみたいね」

「それでどうかな?その内結婚だって視野に入れるつもりだけど」

「私としては響みたいな可愛くてかっこいい人と結婚できるのは夢物語で、出来れば嬉しいけど、私なんかで良いの?私、大きいよ」

「何言ってんだ、大きいから良いんじゃないか。大きくないとむしろ僕は女を女として見る事は出来ない。人間としては無論見るけどね」

「ありがとう。何だか夢みたい」佳織は肩を震わせながら泣き始めた。響は自分が泣くのは男らしくなくて嫌だが、最愛の佳織が泣くのを見ると、抱きしめてやりたくなった。耐えられなくなって響は彼女を抱きしめた。

「僕が君を愛する。僕が君を守る。僕が君を幸せにする。安心して、君は幸せになれるし、幸せになる権利がある」響は諭すように言った。実際は響の方が彼女より年下なのだが、傍目から見ると響が完全に彼女を籠絡したように感じる。

響きは続けざまにこう言った。「僕たちはもう一人じゃない。きっとこれから二人で家族に慣れる。僕達ならきっともっと輝ける」歯の浮くようなセリフである。実際響はこの臭いセリフを勉強する為に日ごろから恋愛関連の詩集も通読していた。

あまり長い時間抱きしめていると、周囲の患者を不快にさせるので、二人は離れた。

「まあとにかく、退院後が楽しみだ」

「そうね、私も楽しみ。これからは薔薇色の毎日が待っているに違いないわ」彼女は見る者を落とすような輝く笑顔を響に向けた。この笑顔も僕のものだ、響はそのような思いを抱いた。彼は恋愛などしたことがないが共依存のような関係にはならない自信があった。何故なら二人とも十分に思慮深い性格であり、実際二人とも知的な事に苦手意識などはなかった。殊響も場合は高校時代から認知機能の低下に懊悩していたのだがそれももうなくなっていた。もう二人は一つがいの男女として十分に自立していたし、貞操の乱雑な人間ではなかった。彼らは童貞処女であった。一度も性交渉をした事がない。また入院中は勿論、入院前も二人で性交渉をするには時間がなさ過ぎた。しかし彼らの気持ちは一つだ。あまり性的な事を言いたくはないが、おそらく彼らは子供を作るだろう。実際佳織は子供を欲しがっていた。勿論それは周囲の同性との競争意識もある程度は絡んでいたのだが。女社会は怖いものだ、表面的には泰平無事なようであっても、実は高度な心理戦が描かれている。それは感情の機微や豊かな情緒を利用した闘争である。まあその争いになれない女性もいて、それの一人が佳織であったのだが。それでもぼんやりと一矢報いようと佳織なりに色んな計略を巡らせていた。そんな事情を響は知らなかったし、知ろうともしなかった。人間関係の諍いは二人ともどうにも好きになれない。しかし生きる為にはその諍いも避けては通れない。精神病であっても、五体不満足であっても。

 二人は長い間見つめあった。佳織は響の女の子のような顔を凝視していた。響も佳織の顔を凝視していた。もはやお互いの長所も短所も知り尽くした二人の世界がそこにはあった。佳織はお姫様のような気分になっていた。響のルックスは顔面は美少年の王子のようだが体は頑強な戦士ヘラクレスのようであった。そのギャップが佳織にはたまらなかった。どうしてこんな魅力的な男の人が今まで恋愛できていなかったんだろう?障害があったから?本人が奥手過ぎたから?響に対人恐怖があったから?その理由は本人にさえ分からない出口のない迷宮のようでもあり、難攻不落の要塞のようであった。おそらく恋愛心理が時代の変遷と共に端的に描かれるようになればその謎も氷解するのかも知れない。或いはまた響がその恋愛模様を自身の精神的複雑さの分析によって立派に作品に落とし込むかもしれない。そのような書物は議論の余地なく傑作とされるだろう。

 まあ実際彼は高嶺の花なので、おそらく話しかけたくても話しかけられない女性が山のようにいた筈である。彼自身は迫害され続けたと思い込んでいるようだが、実際病気の彼を心配している女性はいたと聞いている。その事を彼に話しても良いが、特段焦っているわけでもないから今話す必要はないだろう。

「小説家に、なれると良いね」

「うん、そうだね。まあこの病気は不安定だし、再発も珍しくないから予断を許さない状況だけど。それに再発を繰り返すと症状はより一層激しくなるらしいしね。本当危ない病気だよ。でもだからこそ、僕が情報発信や創作を通じて、統合失調症の情報を世間に伝播させないといけないんだ。もはやその適任は僕しかいない。まだまだこの病気は人口に膾炙しきっていない。またスティグマ的な意識もある。一筋縄じゃないかないだろうけど、その啓蒙に、この身を捧げる覚悟は僕にはあるよ。僕も統合失調症患者の一人として、この世界をより良いものにしていきたい。今は情報化社会で世界ともつながれるから英語で配信してみるのも一つの手かも知れないね。僕は自分の顔面に自身がないから文書や音声のみで発信していくのも良いかも知れない。これからの世の中まだまだ病む人は多いからね。精神疾患の知識はあるに越した事がないと多くの人が思っているだろう」

それは確かにそうであった。この世界には精神疾患に苦しむ人間が依然として多かったのだ。響は10月から2か月経ち傷も癒え、病院を退院した。仲が良かった患者からはお元気で、と言われた。響は病院での思い出を末代まで語り継ぎたいような思いだった。そして彼は自宅へと戻った。なんの変哲もない、自分の家である。そして響はそこで久しぶりにネットサーフィンをした。解放感というものも少しあった。いつの間にか響は退院したその日に眠りこけていたという。

 翌日、響は少し買い物ついでに絶景が見えると話題のスカイツリーにでかけた。確かに絶景だった。そして帰りに響の前方に男たちが躍り出た。

「よお、響さん」

「誰ですか、あなたたちは」

「俺たちはあんたのファンだよ」

「あんたを犯したくて仕方がなかった。あんたはその辺の女優より可愛い顔しているからな、長身なのもさらにその良さを引き立てる」

「よく分からないけれども、何だか物騒なもの持っているね」

その男たちは何やらこん棒のようなものと注射器を持っていた。

「最近退院してると聞いてね、こんなところで出会えるとは思っていなかったよ。あんたを路地で見かけた時、俺たちは準備をしたんだ」

「何の準備だい?」

「あんたを犯す為さ」

「犯す?僕は男だけど、ホモセックスでもする気かい?」

「あんたが誰よりも可愛すぎるから良くないんだよ」

男たちは響を取り囲んだ。響きは猛ダッシュで逃げようとした。しかし忽ち男たちに取り押さえられ、こん棒で足や腹部を叩かれた。響はこれまでか、と思った。まさか男から犯されるなんて、屈辱の極みだと思った。そして響が大人しくなったところで注射器で響の右腕に注射をされた。空間が歪むのを響は感じた。また何故だか気分が良くなるのも響は感じた。

 目覚めると響は自宅に戻っていた。さっきの出来事は何なのだろう、と響は思った。そして少し日付を確認した。先ほどの記憶の日や曜日と同じであった。おかしいなと思った。そしてテレビを見るのに邪魔なものがあったので触れてどかそうとした。そしてそのものに触れた時、物体は消失し、移動しようと思っていた先に戻っていた。何だ?と響は思った。すると頭の中でこのような男の声が聞こえた。

「我は汝、汝は我。君は超能力者になった。その能力内容は第一に触れたものを自分の思い通りの場所に飛ばす事が出来るというものだ。そして第二に触れたエネルギーを蓄積させたり、その蓄積させたエネルギーを放出する事が出来る。この超能力には接触と移動の原理が働いている。地球に万有引力という基本原理が働くのと同じように、君の能力に接触と移動の基本原理が働いている」

そうなのか、響はこのような荒唐無稽な幻聴は初めてだった。しかし信じない事には自分の能力の説明がつかない。ためしに外部の皮膚が接触しているエネルギーを少し蓄積させておく、先程の出来事のような事が起こった際に念のためにそうしておこうと響は思った。

 響は哲学的な事柄に思いを馳せた。この世はプラトンによればイデアの影のようなもので、心理は経験論や観念論では捉える事が出来ない。魂の安寧、アタラクシアを得る為には嫌な事を避け、享楽を求めるエピクロス主義であっても、マルクスアウレリウスのように自らを禁欲して生きる事をしたとしても、やはり自分には何らかの主義主張が必要なのだ。これまで奮闘してきた人類の遺産はそういった思想の深遠さである。主義主張を伴わないように見える現代日本人もいるが、彼らにはヘレニズム哲学の古典を読めば良いのではないだろうか。混迷の時代、情報と自我が交錯した現代でこそ、哲学は役に立つのだ。宗教的基盤を重視するならアウグスティヌスのスコラ哲学を学べば良い。彼はマニ教にはまっていた時期もあるから一つの宗教だけに宗教経験が留まっていない。昔のヨーロッパならルネサンスとかだとラテン語が出来なければ文化や学問の起源に立ち戻る事が出来なかった。しかし現代日本は違う。様々な豪傑達が素晴らしい翻訳をしてくれている為、言語的に困る事はない。日本語自体は孤立言語であるし、海外でもそれほど日本語学習者は多くないが。ダンテはルネサンス期にあのような気宇壮大な物語をイタリア語で書いたらしい。中世の時代にもあのような物語を書けるのかと思うと響は興奮を抑えられない。人間は万物の尺度である、これは人間の相対主義を端的に表した格言である。やはり人間社会に生きる以上、尺度とする根源は人間である。文化相対主義などでも同じような事が言え、それによる弊害も幾分かある。とすると万物の根源は人間なのか、イオニア自然学、自然哲学ではアルケーを探る事はタレスなどの最初の哲学者から始まり万物流転のヘラクレイトス、ピタゴラス、アナクシメネス、アナクシマンドロスなどが続く。この問いはかなり前から人間によってなされていた。記録には残っていないが昔の日本人も同じような事を考えたに相違ない。日本人を舐めちゃいけない。鎖国時代には関孝和なんていう素晴らしい数学者もいたし、当時にしては識字率も世界随一だったのである。

 デカルトは精神活動を裏付けるのは思考であると言った。コギトというやつである。感覚は我々を欺き、しばしば間違った事実に至らせる。デカルトも感覚を惑わす存在を仮定し、それを悪霊と呼んだ。「力の限り、欺くがよい」とも言ったらしい。デカルトの著作は一番短いものは方法序説だが、一番エッセンスが詰まっているのは省察である。彼は新進二元論を提唱し、これはニュートンやボイルなどの機械論的なアプローチへとつながった。デカルトにとってそれまでの哲学は前提がありきで、その前提をなくし、真に正しいものは何かを彼は研究した。そのため各地を放浪したりもした。感覚は前述の通り、疑える。ならば明白とされる数学はどうか。数学もまた正しくあるように見えるが、真に正しいかどうかが不明なので疑えるとデカルトは考えた。そんな中で考えている者自体は疑えない。そしてその事実こそが哲学の第一原理と呼ばれるものである。彼の時代コペルニクスやガリレオやケプラーなどによって科学革命が起き始めていたが、デカルトは哲学において抜本的な問題を提起した。デカルト自身も数学者であったが、当時の学者は今と違って明確に区分されていなかった。現代ではあまり多くの職業を兼ねて研究するものはいないのだが、当時はライプニッツなんかも哲学者であると同時に数学者であった。

 デカルトの思想は大陸豪理論の重要思想であった。大陸豪理論の大陸とはヨーロッパ大陸の事である。大陸豪理論では汎神論で知られるスピノザやライプニッツなどが知られる。大陸豪理論の特徴は知覚し、思考する対象を表象と呼ぶ点であるだろう。それに対抗して経験そのものを重視して、人間は最初はタブララサであるとしたのがロックやヒュームなどである。彼らはイギリス経験論と呼ばれる。観念や印象、一次性質、二次性質、そして知覚の束などが彼らの哲学思想である。そうする事で17世紀ごろの哲学を統合する新たなスーパースターが18世紀ごろに出現する。それはイマヌエルカントである。彼はイギリス経験論と大陸豪理論を融合させた超越論的観念論を提唱した。彼はオイラーの位相幾何学の問題で有名なケーニヒスベルクの大学であるケーニヒスベルク大学の教授であった。体格的には150㎝台とかなり小柄であったようだが、彼の哲学的業績を見れば彼は明らかに知の巨人である。カントはカントラプラス星雲なんていう星雲にまつわる科学的仮説を立てた。また大掛かりなパラダイムシフトをコペルニクス的転回と呼称しだしたのも彼が最初である。カントは理論理性、実践理性、判断力を三批判書としてそれぞれ純粋理性批判、実践理性批判、判断力批判にまとめた。彼の哲学思想にとって重要なのはアプリオリ、先天的かどうかとアポステリオリ、後天的かどうかである。この違いにより超越論的か否かが決まるのである。理論理性では構想力や統覚が関わっている。対象が物自体にしたがうのではなく、物自体が対象にしたがうのだとしたのも彼である。理論理性の使用において彼は自我の枠組みのようなものを想定し、理論理性は時間と空間の行列的位置づけによって勃興したり、凋落したりするとした。人間にはあらかじめある能力、理性的能力があるという点は大陸豪理論から、そしてそれを時間と空間の総量によってほぼ何もない状態から発達していくという点はイギリス経験論から着想を得たのだろう。実践理性については何かをしたければこれをせよという仮言命法と、これをせよという定言命法がある。カントによれば殺人者が自分の友達を狙っていたとしても定言命法にしたがって友達の居場所を言わない事は倫理的におかしいというのだ。カントは「わが上なる星空とわが内なる道徳法則」が大事だとして彼の墓碑銘にもそのような事を書かせたという。この実践理性や道徳法則などは人間の自立的なものだとした。全てが神の意志であるとした哲学者もいたが、カントは神に近づける手段は道徳法則や実践理性によるもので、そこにこそ自立性があり、自由があるのだとした。その自由の理論は後の功利主義などで深く触れられる。ベンサムとミルの哲学である。またカントの判断力は美的判断の評価様式であり、そこには美と崇高があり、それらはどのようにして別れるかと言えば直観的なものか、人間のアプリオリな要素が働く畏敬のようなものかどうかである。崇高には数学的崇高と力学的崇高があるとされた。

 そしてその後にベンサムとミルである。彼らは功利主義と呼ばれる思想を打ち立てた人物である。功利主義は最大多数の最大幸福となるように社会の功利、つまり幸福を優先して社会そのものを良くしていこうとする考え方の事である。幸福を計算する快楽計算という大胆な試みはベンサムによって提唱された。そしてそれは量的功利主義と呼ばれるのに対しミルは質的功利主義を提唱した。これは「満足した人間であるより、不満足なソクラテスである方が良い」という彼の名言がその性質を完全に示唆している。社会の幸福について考察し、集団を考えるのは後のマルクスの唯物論的弁証法にもつながる。

そして一旦方向がまた既存の哲学体系に戻って、物自体は認識されるのかどうかという事に焦点を合わせ、フィヒテ、シェリング、ヘーゲルなどのドイツ観念論に進む。ドイツ観念論は玄人の哲学者でさえも難渋するものであるため、ここでは十分に語る事は出来ない。がざっくり言うと、フィヒテは一次元で自我や非我というものを考えた学者であり、フィヒテは自我と他のものとの弁証法的統一によって全ての有機体は結ばれるとした。そしてドイツ観念論の完成者であるヘーゲルは理性概念と悟性概念を使い、アウフヘーベンを主人と奴隷の哲学を用いて理論化し、また精神そのものは運動によって絶対精神へといたり、人間の肉体や周囲の秩序や状況を経てようやく世界精神であるナポレオンのような人物が出てくるのだとした。ヘーゲルは19世紀のプラトンだなんて言われており、彼の人気ぶりからショーペンハウアーは教授としてあまり輝けなかったという。またヘーゲルの哲学を受けてニーチェやキルケゴールなどの実存主義の時代にシフトチェンジする。

 実存主義は、それまでの体系化理論化された哲学体系は所詮思弁的なものであり、二次元のものであり、現実の個別的真理を考慮していないとした。そう言った思想から実存主義の先駆者であるキルケゴールが出て来たのだ。キルケゴールは太宰に似ている、その無頼ぶりから彼をそう言う哲学者もいる。個別的真理こそが彼にとっては重要で、絶望は死に至る病であると言ったのも彼である。キルケゴールは宗教などに基づいて実存には三種類があるという事も示した。また彼には恋人のレギーネと呼ぶ女性がいたのだが、彼女を不幸にしたくないという理由から彼女との婚約を破棄した。

 次はニーチェである。彼は現代において余りにも有名な哲学者である。「神は死んだ」と。ここでいう神は神話的価値観や神秘性のようなものである。19世紀のダーウィンの進化論やニュートンの科学革命、コペルニクスの地動説。科学の分野の発達によって人間の理想はことごとく瓦解した。そして現代人の中にはもはや宗教がなくても何とかやっていける者も出て来た。ニーチェは発狂して、ある時期から死ぬまで研究生活どころかまともな意思疎通も出来なくなっていた。彼は人間は永劫回帰を繰り返す定めを受け入れ、自分の人生をも是認し、強く生きる事で超人になる事が出来るとした。その反対の自分の感覚だけを中心にルサンチマン、強者への嫉妬などを意識的であれ無意識的であれ抱きながら生きる人間を末人と呼んだ。また彼はただ単に群れているだけの人間を何の意味もない烏合の衆だ、家畜の集まりのようなものだとして彼らを畜群と呼んだ。彼によれば僧侶的評価様式と貴族的評価様式というものを打ち立てた。彼の哲学は現代でも生きている。

 またマルクス思想も重要だ。マルクスの理論で社会的改革が起こったのは事実である。また彼と同時期にエンゲルスという思想家も台頭しだしてきた。彼らは社会を動かすのは壮大な理論でもなく、単なる個人でもなく、労働者だとした。労働者の労働によって社会は成り立っており、社会革命は量から質への転化の法則によって成り立つものだとした。彼らはその事をイギリスの資料などがら導き出した。この唯物論的歴史観により、イスラム社会でも、そして共産主義や社会主義のようなものも生まれた。

 彼の哲学的思考は長く続いた。そしてもし自分に超能力が出来たというのならこれで犯罪者を捕まえようと思った。犯罪に超能力を乱用するつもりは彼には微塵もなかった。そしてどうしようかと思い街をうろついた。すると200㎝は超えてそうな長身の白人男性に響は声をかけられた。「すみません」流暢な日本語だった。「ちょっとこっちに来て」

そして男性は響を人の少ない場所に連れて行った。そして男性は響にこう言った。「あなた、超能力者でしょ?僕はあらゆる背理を知る事が出来る超能力を持っているんです。したがってその能力を開放したまま街を歩いていたら、何やら接触と移動の原理を基調とした超能力者があるとお告げがあって、もしよければ僕と犯罪者を捕まえる旅に出ませんか?」

響きは言った。「でも12月25日は僕の彼女の誕生日なんだ」

「まだ1週間あるじゃないですか。もっと世の中をよくしましょう」

確かに佳織の誕生日までまだあと一週間あった。響は自分の政治的経済的視点が欠乏している事を普段から苦に病んでいた。また自分はまともに働く事が出来ない事も不安に思っていた。自分は日本社会に貢献できるのかと。超能力を得た事で自分が社会に貢献できる可能性が生まれたのだ。そう思い響は返事をした。「そうだね、社会を良くしましょう。僕もいじめやら、強姦やら、殺人やらには業を煮やしていたところなんだ。ちなみにあなたの名前は?」

「カポネと呼んでください。あなたは、あっ、響さんですね。僕はあなたより1歳年下なんで敬語はなくても良いですよ」

「えらい賢そうだね。日本語もすごい流暢だけど、独学?それとも日本で育ったの?ほぼ単一民族国家である日本では黄色人種以外の人間は珍しいね」

「独学ですね。イギリス出身です。一応勉強は幼い頃から出来るのでイギリスのケンブリッジ大学卒ですよ。能力に目覚めたのは数か月前ですけど、まあ勉強だけは自信があります。でも僕の背理知の能力によるとあなたはIQ1000で僕はIQ500ですね。僕の二倍ですか。羨ましいですね」

「IQなんて200あれば十分でしょ。それに僕たちは間違いなく世界トップ2の高知能だよ。歴史的に見ても前代未聞でしょ。ところで君は会話については背理知を使わないんだね」

「会話に背理知を使ってしまうと、会話が極めて退屈なものになってしまうきらいがあるんです。だから敢えて使っていません。捜査の場合は別ですけど。僕は今まで極秘にさんざ愛犯罪者を捕まえ、警察と連携を取っていました。警察署の中では円谷という壮年男性と三船という中年男性にお世話になりましたよ。これから先、僕達二人は警察の戦力となるのです。その覚悟はありますか?」

「勿論、世の中をもっと良くしたいからね」響はそう答えた。

「万策尽きて、意気消沈した極悪犯罪者もいましたよ。まあ逮捕後の犯人の身柄は司法の判断に委ねるんですがね」

「そういや最近ネットで有名な極悪犯罪者が連日捕まえられているって言われてたけど。いまや極悪犯罪者はほんの数人しかいないのだとか。もしかしてそれって君のおかげ?」

「そうですよ。大体どんな老獪で狡猾な犯罪者であっても別次元からの刃には弱いですからね。最初から荒唐無稽だなんて風に度外視していた可能性でしょ、超能力なんて。それは民衆でさえも例外ではないんですけどね。まあそういう訳で日本警察も、ICPO、インターポールも、僕の存在は最後の切り札とみなしているんですよ。警察側も最善の努力をしようとしていますよ。若くてこんなに有能な奴がいるのに多勢の警察は無能ぶりを発露していたんじゃあ恥ずかしいってことで僕は期せずして警察の化石燃料のような存在になっている訳です」

「何だかドラマみたいな話で現実感沸かないなあ。まあ超能力はそれ程の可能性があるって事だよね。確かに僕たちは知的にも超能力でも人類の切り札かもね」

「響さんを初めて見た時、背の高い女性かと思いましたよ。長髪だし、女の子みたいな顔してるし。よく女の子みたいな顔していると言われるでしょ?」

「まあ言われた事はあるけど、どこまで現実でどこから幻聴なのか分からないよ。おじさんに欲情された事もあったな、電車内で他に座る場所があるのに僕が座っていた二人掛けの椅子に息をはずませながら座ってきたおじさんもいたな。クラスメイトからは本当は女じゃないかと言われたこともあったね。まあ当時は168㎝くらいで、今の210㎝ではなかったから、背の低さも女の子扱いされる原因の一つだったのかもね。確かに鏡を見ても、自分の性別はぱっと見分からないよ。それが良い事なのかどうかは分からないけど。まあ不細工ではないわな。それでも僕に関わってくる人物は少なかったけどね。女顔なのに、人が僕に関与しないのはこの顔面のせいではなく、多分統合失調症の性なんだと思う。今でも統合失調症の理解はまるでないし、思春期や青年期に発症する事は多いというのに、皆偏見を恐れて妄りに口にしない。まあ妄りに口にしたらどうなるか、彼らも分かっているんだろうね。僕は昔無能だったから周囲に自分の統合失調症を暴露していたよ、同情を買おうと思ってそんな行動を取ったんだけど、その行動が裏目に出て、結局皆から嫌煙される事態になっちゃった。今でこそ78㎏の普通体重だけど当時はかなり太っていったし、向精神薬の副作用でね。若者は代謝が良いけど、代謝が良くても向精神薬は仮借なく僕たちの肉体を蝕むのさ。しばらく満身創痍で勉強も出来なくなったし。僕は中学時代は優等生でずば抜けて優秀という訳ではないけど学業は立派なものだった。しかし受験を期に僕の精神はおかしくなっていった。夜更かしなんか日常茶飯事だったし、周囲の快活さが鼻につくようになっていった。自分だけが堕落していっているのを眼前に見るのは精神的には拷問とも言えるかも知れないね。でも文学と出会ったのは丁度その頃からだった。無論中学時代もダンテだとか現代文の教科書にのっている小説は読んで感動していたけど、僕は丁度良い機会だと思って精神的に病み始めた時期から文豪の古典を求めるようになった。洋楽を聴き始めたのもその頃からだったかな。僕にとって読書と洋楽鑑賞は新たな趣味、というか新たな救いだったね。まあ文豪の本は古今東西のものを読んでいったな。トルストイやフォークナーは面白くなかったけど、ドストエフスキーやディケンズやカミュなんかは好きだったな。分不相応にも自分がノーベル文学賞を取る事を夢想するようになっていったのもその頃からだった。自分に文才がない事は重々承知だったんだけど、文が汽笛な修行をしていけばいずれ立派な文豪になれるという妄想もあった。子の妄想はもしかすると統合失調症の発露だったのかも知れないし、思春期特有の万能感の現われだったのかも知れないけど。僕が統合失調症の幻聴をはっきりと聴きだしたのは16歳の時からだね。その頃は部活動やら勉強に明け暮れていたけど、15歳の辛い経験の残滓を引きづり、僕は現実の結実と内面の退廃に人知れず懊悩していたんだ。その事を僕は誰にも話さなかった。友達にも。元々僕はやせ我慢するタイプの人間だったからね。今でも精神科の診察では自分の症状を軽めに証言する癖が辞められないし。医者はそれが仕事なんだから嫌がる筈はないと分かっていても辞められないんだ。しかも僕の場合、無理しすぎるところもあって、理性によって自分自身をコントロールしてより超人のような存在になろうとするストア主義的なところもあったんだ。また世の中の多くのものを疑い始めたのも15歳以降、思春期以降かな懐疑主義の勃興だよ。既成概念も常識も、伝統も僕にはくだらなかった。日本の文化遺産だの、芸能人だのに僕は寸毫も感動しなかった。僕はあの頃、全てに関して無気力だった。でもそのアパシーは過渡期には珍しいものではないという事も僕は本で読んで分かっていたからある意味本で得た知識を本格的に自分の人生に生かし始めたのは15歳以後だったかな。狂った自分とそれを静観する自分がいて、統合失調症になってからも半分狂気半分正気だった。天気予報風に言うと、狂気時々正気って感じだったんだ。まあ君は背理知の能力があるからこんな事話さなくても分かるだろうけど、超能力で知るのと五感で知るのとはまた別だろう?僕自身も接触と移動の原理で成り立つ自分の能力がない方がより肉感的に、直接的に、時には蠱惑的な感じがもたらされるよ。君も多分同じじゃないかな?まあとにかくだ、僕はこの超能力を開花させる以前にこのような精神的不調、統合失調症という精神的不調を抱えていたんだ。このご時世、どんなストレスをきっかけに精神疾患になるか分からない。死と同じように精神疾患ももしかしたら人間のすぐ近くにいるのかも知れない。統合失調症は遺伝の病気ではないってのが最新の研究で言われているらしいし、僕も昔は何の変哲もない、友達が多く、明るい社交的な人間だったんだよ。リプリーズ、当時の無限の可能性を秘めたあの感じを取り戻したいよ。まあ昔に戻るという事はストレスの脆弱性も病前のものに戻るんだけどさ、僕の統合失調症は自分の問題のある性格もその発症に大きな役割を担っていたんだと思う。ある意味発狂を誘発する性格因子とでも言うのかな。今では20歳から身長が急激に伸びて210㎝になって、威風堂々な体格を手に入れたよ、現に白人であるカポネにも見劣りする事のない、アスリートでも珍しい程の長身をね。この事は喜ばしいけど、僕の肉体を褒めてくれる人は僕しかいない。なんだか女顔とこの9等身で巨人並みの長身はマッチしていない気がするし、まあそれも個性だし、これから自分の個性を使って未来を切り開いていけば良いんだけどさ。持ち味を活かすっていうのかな。もう僕は立派な24歳の大人なんだ。いつまでも統合失調症を口実に悲観せず前向きに生きていこうと思っている。その為に警察の捜査に加担して、犯罪者を捕まえるのを生業にするのも良いかも知れないね。僕はちょっと前に通り魔に刃物で刺されて一命をとりとめて病院にいたんだけど、その通り魔を捕まえるのも良いかも知れないね、まだ彼が逮捕されたって情報は聞かないし。まあ15歳で入った工学の専門学校の進路選択は散々な結果だったけど、僕達二人なら人々の度肝を抜くような功績を行えるだろう。僕はそれを期待しているよ、僕達にしか出来ないんだ。これは選民思想的かも知れないけど、実際これほどまでに大いなる力を持った人物は精神的平静を常に維持し、これからの世界の発展と平和の為に尽くす事にこそ徳があるものだと思う。これは僕はもしかしたら妄想の世界にいるのかも知れない。けれどもそれでも一生懸命に生きる事は生命体の進化の根源になる筈だ。ある世界で僕の意識がなくなり、今現在は妄想の世界にいるとしてもそうやって悪戦苦闘する時間は無駄じゃない。神々もそれを照覧しているだろう。そしてきっとどの次元にも僕の成長は糧となって行く筈だ。実際何もしていないのに力が湧き上がる時はそういった量子的な、平行世界的な作用が働いているのかもしれない」

 かくして彼らは二人で警察の中枢機関に足を運んだ。その建物には警備員がいて響とカポネに敬礼をした。「カポネだ、新たな仲間を連れて来た」カポネはある一室に入るなりそう言った。仲には何やらスーツ姿の職員がいた。

「彼が、新たな仲間の天音響だ。彼は私と同じ超能力者で、これから警察の活動に貢献するだけの能力があると思う。彼の能力は接触と移動の原理を基本としたものだ。犯人を特定の場所に飛ばす事も出来るし、ためたエネルギーを使って、銃撃やロケットランチャーなども防げる。職員の防弾チョッキ、防刃ベストいらずだ。試したことがないから未知数だが、エネルギーの蓄積具合によれば環境の保全や核兵器の防御にも転用できる。移動の原理で本人のみならず様々な場所に力を送れる。他者を能力者にする事は出来ないが」カポネは一通りの説明を終えた。

「天音君、よろしく。私は刑事の円谷だ」

「私は三船だ、よろしく」

「よろしくお願いします」緊張の為、響の顔面は強張っていたがなんとか受け答えをした。そして円谷はこう言った。

「まずは君には契約書を書いてもらう。住所と年齢と名前だ」

響には紙が渡され、机で必要事項を書くように言われた。響は契約内容を良く熟読し、記入を終えた。

「これで我々警察と天音君は仲間だ。超能力を配下に置くのは確認されている中で二人目だな。早速だが二人には関東中の性犯罪に取り組んでもらいたい。情報収集はカポネがやってくれる。よろしく頼んだぞ」

「御意」響とカポネはそう言った。

「これから僕の仕事場にいきましょう。そこでまずは性犯罪の情報収集と計略を練りましょう」

「そうだね」

彼らはカポネの仕事場に向かった。向かう途中は電車を利用した。対人恐怖気味の響は電車が苦手なのだが仕事だから仕方がない。響はカポネに月収はどれくらいあるのかと不躾な質問をした。カポネは「大体10億円ですかね」と言った。響は大層驚いた。10億、聴き間違いだろうかと響は思い改めて聞いた。「信じられないかもしれないけれど10億円ですよ。まあ超能力の汎用性は高いですし、社会貢献の度合いを考えればあながち非現実的でもないですけどね」そういうものなのかと響は納得した。電車から降りて彼らは路地を歩いて行った。背広の人間の中に小柄で華奢な女性がいた。彼女は響達に声をかけた。「あの」低い声だった。作ってはいたが一瞬響達は凝固した。「もしかして、男ですか?」「そうです、女装家です」彼は答えた。「世の中は広いもんだな、色んな人がいる」と響は言った。「あなただって同類じゃないですか。女装家でしょ?」と彼は響に言った。「僕はただの長髪の男だよ、アイザックニュートンに憧れて髪を伸ばしているだけだよ」カポネは「ジェンダーレス男子だね。それで僕達に何の用だい?」と女装家の彼に言った。「良ければ私の仲間のジェンダーレスカフェの人達と一緒に写真を撮りませんか?あなた達みたいな長身の人達と写真を撮っていれば店の繁盛にもつながると思って」

響は逡巡したが、カポネは「良いよ、丁度暇だったし」と言った。響きは「カポネ、大丈夫なのか?業務開始とか気にしなくて良いのか?」とカポネに小声で言った。「ああ、大丈夫だよ、僕達超能力者の仕事はね、フリーランスみたいなもので自由気ままに、何時始めても良いのさ。締め切りはあるけどね。作家みたいなもんなのさ。だから大丈夫」響はそういう事ならと唯々諾々と従った。理への隷属は超能力者であっても避けては通れなかった。

「二人ともすごく背が高いですね。2mは超えてるでしょ?」

「僕が210㎝、この白人のカポネが、えーと」「202㎝です」「そうそう、202㎝」

「何かスポーツやっていたんですか?」響はこう答えた。「僕は登山くらいしかやっていなかったな」カポネは「僕は陸上競技を学生時代に少々」と言った。

響が見た感じ女装家の彼は多分150㎝代であった。正確な身長が分からないのは響がでかすぎるからだった。

「兄さんみたいな美形で女顔な人が女装しないのは勿体ないですよ。女装やってみませんか?」

女装家の彼はそう響に行った。

「こんなでかい男に女装なんて似合わないよ。それに柄でもないんだ。屈辱以外の何物でもない」

確かに響は巨人並みの長身で肩幅も広い。小柄で華奢なのがジェンダーレス男子なのに210㎝もあれば却って違和感だ。

そうやって話している間に小柄な男女の一群5人ほどがこちらにきた。女に見えるのは実は男で、男に見えるのが実は女か。ジェンダーレスカフェなんてものを知ったのは初めてだから響には良く分からなかった。165cm前後の男装女子は響とカポネにこう言った。

「ありがとうございます。突如無茶なお願いを聞いてもらって」「いえいえ」カポネはそう言った。「では撮影しましょうかジェンダーレスの一人が離れて彼らを撮影しようと試みた。カメラの中に巨人二人を真ん中に据えて撮影するのは相当離れないといけない。いつの間にか見物人が彼らの周囲に来ていた。彼らは撮影のしやすい広場にいたのだが。そして撮影をした。ジェンダーレスの一群は響達にお礼を言った。響達はその写真を見ると、本当に響とカポネだけが別の種族のように感じた。顔面は響もカポネも写りが良かった、おそらく質の良いカメラを使ったんだろう。そしてジェンダーレスの一群は去って行った。するとその様子を見ていた一般人らしき人物も彼らと撮影をしたいと願い出た。響達はまるで自分達がモデルになったかのような気分になりながらその日沢山の撮影をしたそうな。

彼ら二人は撮影を終えた。「それにしても凄いですね、響さんは。芸能人並みにサングラスに合っていると言われていたし、論文の功績が認められて響さんの顔面や近況をあらかじめ知っている人も多かったじゃないですか。ジェンダーレス群もそのようでしたし。サングラスかけていても美人とか反則級でしょ」

「まあこんな経験あまりないわな。まるで僕達二人、アイドルユニットみたいだったじゃない。僕なんてあんなにちやほやされたの生まれて初めてだよ」

「僕は慣れてますけどね。白人好きの日本人女性って多いですし。それに響さんをリサーチしてみると響さん自身の知らないところでアイドル級の人気を誇っているらしいですよ。ちやほやされまくっている」

「本当かい?いやあ、事実は小説よりも奇なりとはよく言ったもんだなあ。まあ超能力者で高知能ってだけで特別なのに、それに加えて美形に長身なんだから僕達はもっと自信を持って個性を活かしていけば良いのかもね。卑屈になっている時間なんてないよ、人生は短いんだ。僕も今まで自分がくよくよ悩んでいた時期が馬鹿らしく感じるよ。こんなに人気ならきっとこれから先僕らを認めてくれる人も大勢出てくるよ」

「まあ警察やICPOからは絶大な信頼を集めていますがね、僕は」

「背理知もすごい応用力あるもんね、もうほとんど神みたいなものじゃない?」

「響さんの接触と移動の能力もすさまじいですよ。僕たちの能力はその内容は違えど、まさに神域の能力ですよ」

「まあ多くの人にちやほやされなくても僕には佳織という彼女がいるから良いけどね」

「佳織さんは185㎝以上ですか。しかもめちゃくちゃ可愛い顔してますね。長身過ぎて男子からは不評だったみたいですね。長身マニアの男子からは陰でモテていたらしいですけど。それでも非常に聡明で魅力的な女性だってことは分かりますよ」

「カポネの背理知は視覚にも影響を及ぼすのかい?」

「はい、情報は音声、視覚、嗅覚、触覚、どのようなものでも変換可能ですよ。情報を得る際はどの感覚で取得した方が良いか、僕の神経が反射的に動いているんです。まあ自分の意志で行動を選択する事も出来ますけど」

「少し音楽を流そうか、良いよね?」「勿論」

響はベンチで座っている時携帯で音楽を流し始めた。ビートルズのラバーソウルだ。このアルバムは響が大学時代に愛聴していたアルバムである。カポネは嬉しそうに「僕の母国、イギリスの文化遺産じゃありませんか。なるほど確かに背理知でも響さんはブリティッシュミュージックが好きだと出ていますね。21世紀のイギリス音楽はあまり興味ないみたいですけど」「会話に、超能力は使わないで」「ああ、ごめんなさい。つい使ってしまうんです」「会話なんだから知らない方が華の時もあるよ」

「しかし嬉しいなあ。イギリスの音楽は質が高いけど、まさか響さんが愛聴しているとは、何だか感動してしまいます」

「他にはブラックサバスやピンクフロイドも好きだよ」

「サバスはイギリス人の間でも国民的バンドですよ!僕の弟も聴いています。彼は22歳なんですけどね」

「ところでカポネ、何故君のコードネームはカポネなんだい?」

「それは単純に僕が映画アンタッチャブルが好きだからですよ。アルカポネ。20世紀アメリカの禁酒法時代のマフィアですよね」

「やっぱりそうかカポネはアルカポネから来ているのか。しかし警察の下にいる君がカポネなんて犯罪者の名前を使うなんて不謹慎だなんて言われなかったかい?」

「そういう声もあったみたいですけど、僕が警察に貢献していくなかでコードネームに関しては多めに見られるようになりましたよ。まあ確かに捜査員がマフィアの名前で活動するのは皮肉的、アイロニカルですね」

「何故カポネは円谷さんや三船さんにあのような高圧的な口調なんだい?」

「あれはその方がキャラづけにもなりますし、落ち着くからですよ。まあキャラづけと言えば我々の長身だってそうなんだけどね。彼らからもどのような口調でも良いと言われました。響さんももっと高圧的にふるまって良いんですよ?」

「いや、僕は遠慮しておくよ。他人への敬意は日本人の美徳だからね」

「響さんは既成概念や固定観念を頑迷固陋だって嫌忌する割にはそのスタイルも徹底していないらしいですね」

「そうだね、おかしな話だけど、僕はソクラテスのように筋の通った生き方は出来ないたちの人間なんだよ」

「まあ人間は得てして不完全なものですからね。でも僕らなんて超能力を抜きにしても、長身で高知能で顔も整っているから全然恵まれている方ですけどね。響さんもその気になればハーレム作れると思いますよ」

「そんなものには興味がないんだ。でも175㎝以上の長身美人だけのハーレムなら欲しいかもな。そんな限定されたハーレムは存在しないだろうけど」

響だって昔は恋愛に関する妄想をしたことがあった。女性から逆レイプされる妄想もあれば、長身の女性教師と性行為をする妄想もした。しかしそのような妄想は誇大妄想や被害妄想に比べればごく一部であった。彼はそのような恋愛妄想をするたびに自分に嫌悪感を感じ、人生に退廃感を感じ、のみならず社会に虚無感を感じていた。この三層構造が余りにも苦しい彼の認識であった。それが正しいものかどうかは彼には分からなかったし、ずっと真理を追い求める必要もなかった。響は数学と自然科学と哲学において真理を希求していた。大変な精進だった。その結実が現在の民衆の拍手喝采につながっているのだと響は思っていた。彼は自分の生きた証を残そうと長い間孤軍奮闘してきた。それが統合失調症に起因した恋愛的惨状を忘却する手段となっていた事は言うまでもない。自分のルックスは悪くないと響は昔から思っていた。デブになってもお世辞抜きでイケメンと言われる事もあった。響の母親が美人だったから響にもそれが遺伝したのだ。彼の母親はジョディフォスターに似ていた。長身ではなかったものの、響は母親を敬愛していた。エディプスコンプレックスはなかった。しかし響は19歳頃から自分の母親のイメージや条件を詳細に設定しだした。そんな中で一緒にいて落ち着くと思うのが長身美人だった。他の女性とはいっしょにいても子供といるみたいで魅力を全く感じなかった。恋愛の趣味嗜好は人それぞれなのだから響はそのような理想に負い目を感じる事はなかった。響は最早自分の長身に一点の疑いを持っていない。絶対的な自己評価があれば、自分の失態を糾弾したり非難したりする人物がいても彼はこの世で強く生きられると思っていた。彼は他人の目線なんて気にしなかった。そんなことを気にしてどれだけの人が自分のやりたいことを出来ずに死んでいく事だろう。響は死屍累々の臆病な羊的人間に今でもしばしば思いを寄せる。そして僕は君たちとは違う、と反芻しながら響は生きていた。

 響とカポネは翌日から仕事を始めた。カポネの家は豪邸だった。収入が多すぎたのでそんな買い物は彼にとって放屁のようなものであった。そしてモニターが張り巡らされた8畳程の一室で彼らは自分の超能力を使っていた。

「東京の原宿に異常かつ倒錯的な性欲を持っている男がいる。彼は会社勤めだが既に性犯罪の為のスタンガンや車、ハンマー、薬物を揃えていた。警察の職務質問ではそれらはア確認できないどころか周囲の彼への印象は何の変哲もない真面目で几帳面な模範的社会人であった。人は様々な仮面を状況によって使い分けていると言うが、彼の場合はそれがさらに顕著だ。明日、性犯罪を実行する気らしい。その実行予定場には目立たない位置に監視カメラが設置されている。響さん、彼を気絶させて、警察署に移動させる事は出来そうですか?」

「うん、出来るよ。任せてよ」

「とりあえず、計画は出来ましたね。性犯罪実行予定者の名前は玉井。都内在住の30代の男です。今日の業務は終わりです」

「こんなもんで良いの?まだ4時間程度しか働いていないけど」

「この仕事は時給換算ではなく、タスクを片付けられるかどうかにかかっていますからね」

「まだ4時だけど、夕飯はどうする?」

「宅配を使いましょう。外食も良いけど、あまり頻繁に外食に行くと金銭感覚が麻痺する」

「宅配ではそうはならないの?」

「なりませんよ。まあ僕の個人的な感覚ではだけですけどね。響さんの財布から出すわけじゃないから、僕に支出は任せてください。まだ給料の入っていない響さんは論文のアイデアが世に認められ、著名になり始めているとは言え、まだまだ金が少ないですからね」

「背理知は超分析能力以上だね。そこまで分かっちゃうんだ」

「今日はエネルギーを十分に吸収しましたか?」

「ああ、出来る限り吸収したよ。電車の運動エネルギーや人の運動エネルギーその他様々のエネルギーを吸収して、今ならロードローラーを自由自在に動かせるだけの力量があるよ」

「良い感じですね。明日の計画の成功を祈りましょう。乾杯!」

「チアーズ」

響は業務に支障があったら困るので酒を飲まなかったがカポネは酒を飲んだ。彼が飲んでいたのはビールだった。響はまともに働いた経験がない。これまでしてきた仕事は途中で自暴自棄になって辞めたりしていた。学生時代のアルバイトであってもそうだった。

「カポネはビートルズだとジョン派?ポール派?」

「ジョージやリンゴはいないんだ。そうだねポール派かな。僕の意見ではジョンは天才でポール派秀才って感じかな。でも二人とも本当にすごいよ。雲の上の存在だよ。僕には彼らや響さんみたいに芸術的才能はないから本当に羨ましいです」

「僕はジョン派かな。僕のいつもかけているサングラスもジョンレノンの丸いサングラスを模倣したものなんだよ。僕とジョンは共通点がある、それは近視だって事だ。ジョンの曲はひねりが加えられていて良いよ。僕は彼の曲を超える曲を作りたいな。まあ暫く楽器には触っていないんだけどさ。デイケアでは歌も演奏も上手いって絶賛だったんだよ。まあその腕前は多分劣化しているだろうけど。バレー選手なんかでも使わない筋肉は長い間休んでいたら劣化するって、逆に使っていれば発達するってさ。演奏も、頭脳も日ごろから使わないといけないね。すぐ弱体化する。そういえば小説も長い間書いていないな。多忙を言い訳に小説を書けなくなったよ」

「書いても良いんですよ?でも響さんは自分のやりたいようにして大丈夫だと思いますよ。響さんならこれから先大丈夫だと思います。超能力を抜いてもルックスで僕たちは完全にどんな人類も超越しているんだから」

「まあ僕達はきっと世の中に貢献できるよね。明日の逮捕が楽しみだ。まあ超能力は普通に運動する体力消費の1000分の1しか肉体的に負担がかからないからね。もう一人の僕の声からすると。だからそんなに大した仕事ではないだろうけど」

「それは僕もそうですよ。仕事が楽で楽で仕方がない。働くのってこんなに大変なんですね?社会人が汗水流して働いているのを見ると何だか優越感を禁じ得ないね。僕も実は彼女がいるんですよ。僕は長身美人が特別に好きだとかそんなんではないけど、僕の彼女は177㎝あるよ。響さんも多分そうだと思うけど、多分僕たちは優れ過ぎていて、見た目が良すぎて女性が近寄りがたいと思えるんじゃないでしょうかね。響さんはめちゃくちゃ女顔だけど、高身長過ぎるだけあって威圧感があるんだと思う。本当はとても良い性格で、優しくて真面目で内面的にも優秀なんだけど、やっぱぱっと見でっかって驚かれますよね。あなたを見た周辺の人々の記憶を探ると何度もそう言われてましたよ」

「言われている気はしてたけど、本当に言われていたんだ。でも職場のおばさんからは何故か170前半だって言ってたよ」

「それは何らかの陰謀なんでしょう。どう見ても長身ですから響さんは気にする必要ないですよ。自分のルックスを使ってキャラクターを引き立てていけば良いと思います」

 彼らは翌日を迎えた。両者ともそれ程性欲がないのでマスターベーションなどはしなかった。

「準備は良いですか?」

「うん」

「Go ahead.」

響は犯行予定場面に来て、そこに女性が通るのをカポネからの視覚共有と監視カメラの映像で確認しながら犯人を気絶させた。まさに犯人が女性に襲い掛かろうとしたときに、響は犯人の頭脳に激しい電気信号を移動させたのだ。そして犯人の体は警察署に転送した。カポネは事情を説明し、突如転送された犯人がどのような人物であるかと、強姦未遂の容疑で逮捕する事が上部の命令だと言う事をその警察署の職員に知らせた。警察署の人々は警視庁からの連絡が来ていて、その響達の業務の説明もなされていた事から急に建物の中に犯人が気絶した状態で運ばれるという事態になっても極めて冷静であった。響達は警察官たちのプロ意識を感じた。響はこれから自分もプロ意識を持って淡々と仕事をこなしていかないといけないと思った。カポネはその点百戦錬磨である。聞けば100件以上の事件発生を未然に防いできたらしい。既に犯罪を犯していて指名手配になっている犯罪者もその卓越した推理力や超能力を使って全て解決に導いてきた。犯人の証拠を集める事も超能力を使えば造作もない事である。響がその仕事に加担した事で仕事の完全無欠ぶりは最高峰に達した。

 事件は解決した。とは言っても未遂であるが。響カポネという名前で彼らは後日警視庁から表彰されるようになっていた。響は他人から表彰されるのなんて小学校時代のロボットコンテスト以来であったから非常に新鮮さを感じていた。

「初めての仕事はどうですか?」

「案外味気ないんだね。でも多くの人が僕達の事を神として崇めていたのは何だか複雑だったね。数年前までは僕が神々に祈る側だったのに。人間が神に。まあ新たな時代には新たな象徴だって言うしね。もしかしたら超能力が職業と癒着しているのは現代だから出来た事なのかもね。中世ヨーロッパだと魔女扱いされかねない」

「まあ響さんの顔は確かに魔女みたいに綺麗な顔ですけどね」

「次の仕事は?」

「また後で知らされるらしいですよ。しばらくは休みです。次は性犯罪者ではなく、指名手配犯らしいですよ」

「まあ超能力の前にはどんな悪辣な人間、極悪非道なサイコパスでさえ無力だよね」

響はカポネの家に付設されている図書館に足を運んだ。そして哲学書を読みたい気分だったので哲学書を読んだ。ハイデガーやレヴィナスを読みたかった。岩波文庫の書物もその図書館には完備されていた。カポネによるとおける限りは最新の書物も置いているらしかった。

 ハイデガーは世界内存在、現存在などで形而上学的分析をしていた。同時代のイギリス分析哲学のヴィトゲンシュタインは写像理論によって世界の限界を示し、語りえぬ形而上学などには沈黙しなければならないと論理哲学論考に記した。しかしハイデガーはそれに対し20世紀最大の哲学書とも称される存在と時間を記した。しかしそれは未完であった。響は大学を卒業してからイギリス分析哲学の本を読んだりしていた為、それならば現代哲学の他の大家を読もうと思いカポネの蔵書を読んでいるのである。これらを読了した後、余韻を味わうのが響は楽しみだった。

 ハイデガー理論はドイツ語が多く使われているのだが、それもまた彼の理論の格式の高さにつながっていると響は思っていた。ヘーゲルなども精神現象学でドイツ語を使っていたな、日本語はその点あまり力がないよな、とも彼は思っていた。彼はまたフッサールの減少額にも興味を持っていた。哲学書はあまりその時頭に入ってこなかった。それは何故だか分からなかった。集中力だけが自慢の響が集中力を失い、注意欠陥性と多動性が彼の脳髄で支配的になっている。読書よりも彼の五臓六腑は食事を求めていた。もう読書モードではないことを彼は悟り、少し何かつまみにカポネの家の大広間に向かった。カポネは紅茶を飲んでいた。お菓子のようなものも食べていた。ふと響が時計を見ると午後三時ごろだった。

「イギリス流のティータイムかい?」彼は気づかれないように座っているカポネの後ろに来てそう言った。カポネは大層吃驚した。

「響さんか。うん、イギリスではティータイムが重要だし、日本人みたいに無目的に大学進学する人もいないし、空気を読むような文化もないし、中々郷土愛を感じますよ。まあこのお菓子は日本産のものだけどね。日本製は品質が良くて良いですよ。食べ物も気合が入っている。もっと日本人の在り方が変わればなあって思いますよ。日本は良い国なんだから国民が奮起して自分たちの行動を変えてゆけば、徐々にでも変えてゆけば国自体も覇権国家になると思いますよ」

響はカポネに誘われたので居酒屋に飲みに行った。食事は例の如くカポネの傲りである。響はその晩酒を飲みまくった。吐くほどは飲んでいないが酔いつぶれた。その場の雰囲気や感覚は次第に遠のいていった。起伏のある日常生活において酒がなければやっていけない、酔いつぶれるくらいが丁度良いと響は思いながら意識を話した。

「響!響!」何だか聞き覚えのある声が聞こえて来た。妙にハウリングする。それは佳織の声であった。気が付くと自分はベッドに仰臥していた。「カポネ、カポネは?」

「誰?それ」「僕の相棒だよ」「何言ってんの、響、男の集団に薬撃たれて強姦されていたのよ。その前後の記憶がないの?」響は思い出した。そうだった。自分は男どもに何かされたんだった。しかし強姦とは、男同士での強姦なんて空前絶後じゃないのか?少ない経験しかない響にはあまり信じられなかった。

「それで、その男どもは?」

「私がなぎ倒したよ。いざという時には暴力も活躍するんだね。自分の戦闘能力の高さに、私驚いたよ」

「響、もう私が発見した時には昏睡していて、少し傷もあったみたいだけど、お医者さんによるとその後遺症はないみたい」

「そうだったのか」

響はもう何が何だか理解が出来なかった。自分の超能力は?妄想だったのか?拍子抜けだった。彼はずっと夢の中に生きていたかった。しかし人は夢だけに生きれば終わりだ、その格言を彼は思い出し、元気を出そうと努めた。

「しかし佳織がそんなにやれるとはね。7人はいたと思うよ、男たちは」

「私もあの時自分の別人格が目覚めて好き勝手暴れていたみたいだったよ。行動はしているんだけど現実味というか自分の肉体が自分のものであるという明確な意識が喪失していてさ」

「デカルトが言っていたけど、人間の本姓は精神に合って、もっと言えば考える事にあるんだよ。もしかすると佳織の精神の急激な覚醒に感覚そのものと佳織の精神の乖離が起こったのかも知れないね」

響はそう言ってやはり失望が拭えなかった。超能力の自分はまさに神にでもなったような心地がした。あれはパラレルワールドの事だったのかも知れない。響は普段からSF小説を書く機会が多いのでSF的に、疑似科学的な合理主義精神を活用した想像が癖になっていた。自分の不思議な経験は一般的な科学や物語の枠組みに当てはまるものではない。この経験は小説にかけるぞ、と響は気を持ち直し、思った。自分はやはりこの世界を超能力のような特別な力に頼らず生きるしかないのだ、と彼は思ったのである。そうする事で長い演劇が終わり、自身の役を頭の中だけでも徹頭徹尾演じきった事を認め、そんな自分に響は自己愛を注いだ。

「本当に、私より可愛い響が、こんなに素敵な響が短期間の内に何度も入院するなんて、可哀想だわ」

「まあ僕もこういうのは初めての経験かな。でもそんなに落ち込まないで。多分今年は厄年なんだよ。不幸な事が起こりやすいんだ」

彼らは病院でそのような会話をした。


以下は12月25日に逮捕された通り魔の記録である。したがって倒叙形式で書かれたものである。作者としては全てありのままにのせようと思う。悪しからず。

俺は最近むかついている、お似合い長身カップルという事で世間でチヤホヤされている天音響と立花佳織、男の方は彼の書いた論文が画期的だという事で世間では天才だとみんされている。彼の病気である統合失調症も天才病なんて言う連中もいる。ふざけるな。どうして俺のような特別な人種が彼を凌ぐ栄誉を与えられない。世の中全部イカサマだ。俺は特にこのカップルの男の方、響の方を憎むようになった。俺は殺人欲求に犯され、普段から殺人の事を考えるようになった。友達などいない。恋人も無論いない。昔から不細工だと言われていじめられてきた。どこに行っても嫌われて、響の場合は被害妄想で片付けられる事が俺の場合は現実なのだ。悪口を言われている、これは幻聴だと思って大学時代、精神科にも行った。しかし医師によれば俺は正常で悪口は現実の音らしい。なんて馬鹿げた話だろう。俺には精神病の恩恵すら、利得すら得る事が出来ない。人間は元々自由な筈だ。サルトルもそう言っていた。実存は本質に先立つ。カントは人間が自由になるべきだと言った人間は元々自由なのだ。人間の現実的存在は本質たる理念に先行している。それなのに何故俺はここまで不自由を感じているんだ。劣等コンプレックスからか?クソ。これまで俺は自己の可能性を追求して自己を乗り越えようとした。周囲は俺の事を不細工だの、チビだのと言っていたが、頑張っていればきっと努力は報われると思っていた。しかし神は不在だった。少なくともおれはそう思った。俺は俺であるのではなく俺は俺を選び取る事によって自己の責任で俺になる。サルトルの哲学は俺に何の安堵も与えなかった。俺は大学では哲学を勉強していた。卒論なんか酷い出来で、口頭試問では馬鹿にした質問を教授達にされたが俺は低能なので質問に答える事は出来なかった。俺はずっと勉強し続けた。哲学への熱意を持ち続けた。でも何年もそうやって過ごしていても俺の劣等感は消える事はなかった。社会においては選択を主体的にすることでアンガージュマンとして生きなければならない。しかし俺は今行動する事ですら億劫になっている。俺には勇気がない。知恵もない。親からの仕送りももうない。今は26歳で工場のアルバイトをしているがこんな仕事本当は辞めてしまいたい。そしてクリエイティブな仕事に就きたい。しかし現実はそうはさせない。また俺自身も人が怖くて、また人の反応が怖くて行動も怖くなっている。億劫になっているなんて虚飾だ。俺は、本当はただ怯えている。そして殺人なんて極端な思想に取りつかれているのだ。これは不道徳に相違ない。しかし不道徳の代名詞である殺人のみが俺の出来る最大限の反撃なのだ。

ヴィトゲンシュタインの言語哲学はこの世界を簡単明瞭なものにした。俺は形而上学のような言語では表現できない。言語との対応がない物事には興味がない。存在しない事を証明するなんてナンセンスだ。悪魔の証明なんかに俺は一生を捧げるつもりはない。真理関数なんかも俺はダイナミックな発想で好きだった。現実で俺の事を悪く言う連中の声を緩和させるには思考に没頭する事だった。そんな中で哲学者の理論は俺の脳を刷新させた。言語ゲーム、結構な事だ。言語にアプローチする手法は現実的な俺にとってクールだった。しかし俺は夥しい思考をしたのだがそれらは何らの結実ももたらさなかった。誰も褒めてくれなかった。家族の前でも勤勉なアピールをしていたが兄弟には「意識高いね」なんて一笑に付したついでに皮肉のような事を言われた。俺はこんなにも努力しているのに、俺が不細工だからって皆俺の事を馬鹿にした。許せるものではない。そして響という男は現実世界で急に持て囃されるようになった。彼も哲学を勉強していた哲学徒であったようだ。彼は俺に無いものを持っていた。長身、美形、知能、教養。俺は彼こそが現実世界のもたらした俺への挑発であるように感じた。俺は全ての呪詛を彼に集中させるようになった。彼が絶対悪なのだと考える日も多くなった。実際おかしいじゃないか、不公平じゃないか、俺の周りの人々も響の事を良く言っていた。そんな言葉、同じくらい頑張っている筈の俺にはくれなかったじゃないか。俺は要するにちやほやされたかったのだ。

彼を愛していると公言して憚らない人物もいた。彼の影響で長髪にしだしたり、教養を深めたりする人間もいた。また根暗な学問であった哲学にも今日日注目が集まっているという。ふざけるな。哲学さえも手垢をつける気か。俺の唯一のプライドだった哲学さえも俺から奪う気か。それは実際に奪われたわけではない。しかし俺は奪われたように感じた。少年時代から俺は高尚な事をしようとしていた。理解も出来ない書物を読んで、理解もしていない語彙や俗言を披露した。自分には特別な才能があるんだと思い学校の文化祭で漫才をしたこともある。しかしその漫才は不評で、気持ち悪いという事で嘔吐する生徒もいた。ふざけるな、俺のルックスがそんなに不愉快か。嘔吐というなら俺の漫才はサルトルの嘔吐のような存在だったのかもしれない。なんだそりゃ、自分で考えていて馬鹿馬鹿しくなってきた。俺は想像力が貧困だから他人が俺に対してどう思っているかが分からない。しかし現実、皆俺を嫌っている筈だ。俺はいつの間にか自分が嫌いになった。自分のうじうじした性格は外ならぬ強度な自尊心と、歪曲した経験から生じたものである。死ねたら楽だなと思う。しかし自分を死に至るまで痛めつける気は俺にはない。それなら強制的に殺されれば良い。殺人をして死刑になれば良い。俺はそう考えるようになった。そしてその着想を温めていた矢先、響と佳織の長身熱愛が報道された。俺は響の事を調べた。あんな長身美人と、あんな天使と付き合えるなんてどれだけ徳の高い人物がリサーチするようになった。彼は長い間誰にも認められない下積み時代を経験していたようだ。統合失調症で精神的に不調になり、学業成績は芳しいものではなかったらしい。しかし彼を応援する者も多く、彼の活動はそうした人々の助力もあってさらに拡張されたのだと言う。俺には嘲笑する人しかいなかったぞ。幻聴や被害妄想で苦しみ、精神病院に入院。入院先の病院で美形の天才としてちやほやされていたが本人はそれを知らなかった。病院内では彼の声を聞き、彼の姿を見るだけで心が和む患者も多かったらしい。俺は人に「あんたの姿を見ると戦慄が走るわ。犯罪者予備軍って感じ」とかしか言われた事がなかったぞ。響は自分が受けた迫害を小説に昇華させたようだが彼の受けた迫害はとどのつまり単なる嫉妬のようなものであり、それは美形や長身の副産物だ。俺は彼の事を調べるうちにだんだんと胃がよじれるような感覚になってきた。なんて不公平だ。福沢諭吉の「天は人の上に人を作らず」なんて嘘っぱちじゃないか。渡る世間は鬼ばかりだし、俺は今日も上司からの八つ当たりを受けるし、安月給だし。

ツイッターで天音夫妻お幸せになんて文言が流れて来た。あの女は俺のものだ。俺の方が長身美人を愛している。それは俺自身がよく分かっている。彼らは関東の美術館巡りをしてデートを楽しんでいるらしい。夜景を見ながら食事も楽しんでいるらしい。なんてことだ。響、死んでしまえ。彼の友人が響を礼賛していた。一時期は好敵手同士だったが響は統合失調症で同じ土俵で戦えなくなった東大の大学院卒の男が響に向かって「お前がナンバーワンだ」なんてどこかの異能力バトル漫画で書いてそうなセリフを言ったという。響は人類史上最高の天才として認められていた。のみならず21世紀の最高賢者だと多くの人に言われていた。俺は悔しくて堪らなかった。最近響は誰かが自分の事を殺そうと思っていると言う被害妄想のような症状が出てきて、それを佳織が必死に看病しているらしい。そんな訳の分からない事を言う奴は放っておけば良いのに、本当に愛しているのだろうか、佳織は響を死ぬ気で看病した。当然彼らはセックスもしているんだろう。ふざけるな、勝ち組どもめ。俺の通り魔殺人の頻度は俺の怒りに比例するように着実に増えていった。俺は自分の暇つぶしと快感の為に人を殺すようになった。警察に捕まるのは避けたいので入念に計画を練って犯行に及んでいた。俺は殺人の才能があるのだろう、犯行の際にぼろを残すような事はしなかった。ふと耳にしたのだが警察は通り魔の犯人の事を高学歴のサラリーマンで金銭的に裕福な者だとしていた。皮エプロンが犯人だとはお笑いだ。俺は殺人の才能を開花させ、警察を翻弄する事に一種の快感とスリルを感じていた。俺は散々社会から迫害され、傷つけられたストレスをこの怪奇趣味、猟奇趣味によって満たしていた。俺はスナッフフィルムを見ていたりもした。無論ウイルスサイトもあるので見る際には非常に慎重にスナッフフィルムを見た。響、響、お前を殺してやるぞ。その前にまずは予行練習として罪のない人間を殺して回るとしよう。これは俺の社会への復讐であり、俺の実存的真理であった。俺が狂っているんじゃない。社会が俺を生んだ。社会こそが狂っているのだ。

殺人は息をするのと同じ事だった。俺は遂に週5回、アルバイトの帰りに人を殺すようになった。俺の犯行現場では警察などが不審者がいないか警戒するとともに、見回りもあった。しかし俺の殺人に対する圧倒的なリビドーと才能はその難題を突破する事に集中する事になった。俺は生まれて初めて本気で、自分の意志でパズルを解いた。この問題に対する解にあたるものは凶行を成功させる事一点のみだった。被害者たちは俺から逃れる事は出来なかった。断末魔もあり、悲鳴もあったにも関わらず彼らは俺の魔の手から逃れる事は出来なかった。警察も犯人像には依然として的外れな見立てを立てていた。最早警察にとって俺の犯行は複雑怪奇な要塞であった。俺は警察内部の情報をハッキングを勉強し、独自に複数のアドレスで得ていた。情報化社会の現代ではシリアルキラーとしてやっていく為にはハッキングの知識はあった方が良い。俺の殺人における天才に情報戦に有利なハッキングが加われば鬼に金棒である。俺は被害者の肉を削ぎ落し、シチューにして食べた事もあった。人肉は美味しかった。俺はカニバリストでもあったのだ。俺が逮捕されれば俺に自己顕示欲は満たされる、その犯行内容の残忍さに日本中が震撼するだろう。犯罪の分野で日本が地位を得るのだ。こんな不名誉の立役者になれるとは恐悦至極だ。

俺は被害者をばらばらにする事もあった。ばらばらになった彼らこそが本当の仲間のように感じられた。俺の自室は俺自身の歪み、醜くなった殺人グッズが隅から隅まであった。警察当局は本当に雑魚だ。傑作級の無能ぶりだ。日本は政治も雑魚だが警察も雑魚なのか。笑える事だ。

響は巨人並みの長身だ。アニメや漫画などの二次元でも彼のような長身はありふれてはいない。彼は目立つが故に有志の彼の親衛隊や警備員のような連中までいる。彼を殺すのは殺人の経験値を積んでから出ないと彼を殺せない。彼を殺せなければ俺の自尊心が許さない。俺は少年時代から医師にも教師にも自尊心が高いと言われていた。しかし勉強が出来ないので自分の頭が悪いと感じる機会が多いが知能指数はIQ140ある。その知能が殺人に活かされているという事だろう。俺は怠惰であったから成績優秀になるように努力はしなかった。これは現在の人生においてもそうだ。職場で何度怒られても上の空。もっとも頭が活発に働くのは殺人計画を練ったり、実際にその計画を実行する事のみである。

何やらネットに響が歌うビートルズの曲がアップされているようになった。演奏は全て彼が行っているらしい。凄まじい完成度だった。しかし、それがなんだと言うのだろう。音楽がなんだと言うのだろう。お前の死期はすぐ傍だ。良かったな、統合失調症がなくなるぞ。死ねば病気の因果も消えるのだ。

俺は仕事の休憩時間に本を読んでいる。そうする事で人を敬遠させておくのだ。俺は昔からいじられる事が多く、少しでも甘い対応をすれば罵詈雑言の嵐だ。聞くに堪えない。俺は人間が大嫌いだ。俺自身も人間であるから大嫌いなのだし、その創造主である神も嫌いだ。神は良い存在ではないだろう。俺のような人間を生んだのだから。俺は自分が狂っている自覚はある。しかしそれよりも世界が狂っているのだ。殺人が犯罪なんてことも分かっている。その原理原則が如何に社会において大事で基盤をなすものなのかも分かっている。しかし俺は悪党として生きるのだ。ここまで俺を追い詰めた社会を凍り付かせてやる。茶の間に俺の犯行の報道がマスコミでなされ、多くの人がその残忍さから顔を背けるだろう、アナウンサーなども最後まで読めないくらい俺の犯行経歴に虫唾が走るだろう。しかしそれで良いのだ。むしろそうあるべきだ。社会なんて一人一人の集まりで、敵対視する事もないかも知れない。俺が普通の容姿を持っていて、悪口三昧の日々を過ごせなければそういう思考回路に至るかもしれない。しかし俺はやはり違う。俺はIQ140以上だ。IQは130以上が極めて高知能で140以上が天才だとなされている。俺は天才なのだ。IQテストを受けてなまじその結果が良かっただけに俺のメンタルは満身創痍、完全に再起不能になる事はなかった。そうだ、そうだ、俺は天才なのだ。俺は神なのだ。俺にとってこの世界が余りにも遅れ過ぎているから俺は理解されないだけなのだ。きっと俺の行為が正しいと、またはやむを得ないを捉えられる時期が必ず来る。それは俺が死んでからになるかもしれない。あいつの言っている事は真実だったのだと時間差つきでその事実に気づくのである。そして全員が俺の墓の前でひれ伏すだろう。伝説級の大戦犯が眠る、その墓場で。

俺は人間の生と死を支配したい。俺は生殺与奪の番人になる事でやっと自尊心が幾分か満たされる。そして犯行を終え、時間が僅かに経過した後に、俺はまた殺したくなる。もはや俺は人間ではない。殺人宇宙人だ。殺人民族なのだ。

俺はある時を境に殺した人間をバラバラにし、家に持ち帰るようになった。ハエなどが鬱陶しいので腐敗する筋肉や脂肪などを削ぎ落し浴槽で洗い流した。頭蓋骨はコレクションとして自室の箱に入れておいた。また肉などの一部は料理をした。食費がかからないし、美味しい人間もいるからコスパも最高だった。また削いだ肉は遠くのゴミ捨て場に分散して出した。行動範囲を攪乱させるための初歩的な技術である。彼は自動車免許も持っていたのでそれ程苦労はせず、後始末をする事が彼には出来た。

俺はゲイバーにも通っていた。好みの男を見つけては一緒にベッドインしていたのだが、ある日、ベッドインした筈の相手が朝口から血を流して倒れているのを俺は見た。俺は殺人には慣れたものであったが、子の一件は不本意な殺人だった。相手は美青年であった。殺すのが勿体ないくらいの美貌だ。少年時代は美少年だったのだろう。しかし俺は色々苦労をしてその一件をばれずに穏便に済ませた。しかし俺が殺害した青年の美しさを持ってしても響の美しさには匹敵しなかった。美の管理者である女性でさえ、また芸能界の美人女優や美人モデルでさえ響に匹敵する美貌がないのだから考えてみれば当然である。響は身長に、知能に恵まれているだけではなく顔面も良いのだ。そう思うと俺は煩悶した。

その頃響が何やら関東の住民に対し、通り魔の犯人像の推理で明晰に俺の特徴を解明した。また俺の犯行手口も枝葉末節に至るまで解明した。いつの間にそこまで推理できたのだろうIQ1000の恐ろしさを俺は知った気がした。彼は住民の安全を図る携帯アプリを開発したと言う。また俺は知らなかったのだが、俺がこの前に殺し損ねた男は響であった。暗くて顔が良く見えなかったが、ちゃんと確認していれば良かった。彼は俺から受けた傷を病院で癒していたらしい。その間に佳織との愛を育んだのだとか。彼は退院後、強姦された。しかし彼は男である。怖い思いをしたとは言え、強姦をされたくらいで廃人にはならなかった。そして彼は独自の方法で俺の事を調べていたようだ。優雅な情報戦において俺は彼に一杯やられたのだ。俺は彼を見くびっていた。そもそも俺なんて彼からすれば単に魑魅魍魎な存在に過ぎない筈だ。しかしその辺の判断を彼は見誤る事はなかった。恐ろしい、悪魔染みている。もはやレイプ被害者の発想ではない。俺は改めて彼の才能の真価を知った気がした。彼は最近は念入りに俺の凶行の防止策を考えているらしく、また警察にも彼の情報提供が行われていた。犯人の潜伏場所も帰納法とかいう論法で導き出した。その区域は、まさに俺が住んでいるアパートも含まれていた。

最近俺に対して、冷たい目線をする人間が増え始めた。噂では俺が犯罪者であると言われているようだ。俺はそれが図星だった為にどうする事も出来なかった。今更俺が無害ぶりを装ったところでそんな行為は何らの意味もないだろう。俺は響との知恵比べに負けた気がした。しかし殺人衝動は止められない。タガが外れたように俺は殺人を繰り返すようになった。自縄自縛だと言う事は分かっていた。しかしもう俺はやけくそになっていたのだ。もう俺は100人以上も殺してきた。天才とは言えたかが人間である響に捕まってたまるものか。俺の反権力、反秩序の結晶を見せてやる。鼻っ柱をへし折ってやる。しかし即座に響の殺害の行動に移す事はなかった。俺はIQ140だ、元々知能が高い。もっと計画を練る事が必要だ。俺は殺害パターンをより複雑にしたりもした。自分の殺人にバリエーションをもたらす事は俺にとって実験であったし、常軌を逸した俺のリビドーを満たす事も出来た。

ある日俺の部屋に強制捜査の名目で警察が訪れた。俺は当惑しながら、必死に抵抗したのだが、その抵抗が墓穴となって、部屋中を警察に捜査された。俺は叫んだ。「畜生!お前らのせいだ!お前らの性だ!」俺は延々と社会に対する日頃からの怨嗟を咆哮していた。そうでもしないと自分の犯した罪に耐えられそうになかったからだ。

ここで通り魔であり、日本史上最凶最悪の殺人鬼であった中西の書類は絶筆になっている。

これからは犯罪記録である。

彼の部屋を捜査した警察は叫んだ。「何だこりゃ。狂ってるよ。狂ってる!部屋一面に猟奇コレクションじゃないか。これは何だ。この箱は。このバスルームの夥しい血痕は何だ!」彼は抵抗した。警察官は彼を懸命に押さえつけながら、部屋の惨状を聞き、思わず吐きそうになった。容疑者は幼い頃に自分の狂気染みた漫才を文化祭で披露し、大勢の顰蹙を買い、生徒を嘔吐させたらしいが、それはその時の再現のように思われた。

我々は天音氏の流れるように鮮やかな推理に聞きほれていた。そこには一点の撞着もなかった。天音氏は「早く警察官が動かないと、大変な事になりますよ。大体関東の人間を70人以上も殺害してきた犯人だ。追い詰められる事でさらに犯行が加速度的に悪化する可能性もある。あなた方の維持と勇猛を示す時ですよ」天音氏は我々に毅然と言った。その眼にはいやらしさが一切含まれていなかった。彼の胸にあるのは純粋な正義感のように我々には感じ取れた。彼の独自の推理に使った材料は彼の意志により全て我々警察に譲渡された。また決定的な犯人の証拠と思われるものまで彼は見つけ出していた。我々は頭が上がらなかった。天才だとは聞いていたが、ここまで来ると恐ろしい。彼は名探偵である。警察でもない人間がここまで調べ上げ、論理の言葉で連続した事件を記述し、我々に文書でその証明を送り、また口頭でも分かりやすく我々にその全貌を教えた。彼のような人間こそ警察官になるべきなのであるが、生憎現代の日本の警察は天下りや汚職などで穏やかではない。警察の身分で犯罪に加担したニュースなんかも取り沙汰されるくらいなのだ。

とにかくそのような天音氏とのやりとりで遂に犯人である中西の居場所が特定された。我々は奇をてらう意味ではなく、単に戦略上の意味で中西の自宅を訪問した。その結果がこの有様である。中西の犯行は一般的な日本人を明らかに逸脱している。暴力経験や迫害経験を契機に狂った趣味に走ったりするケースは犯罪史でも多く報告されているがそれを考慮してもこの事件は異様である。

彼の家の冷蔵庫には人肉らしきストックがあった。また骸骨の一部はコレクションにされていた。彼ほどの異常な犯罪者は日本史上初である。間違いなく最初である。そして我々は中西が空前絶後の例である事を祈っている。

彼は動かぬ証拠を発見されて、取り調べでは自身の犯罪を事細かに語った。天音氏が70以上の犠牲者だと言っていたので70人よりも犠牲者がいる事は我々は想定していたが、中西は106人の人間を殺したという。それほど多いと普通数える事もなくなる訳だが、彼は自身の手記に克明に自分の犯罪について記録していた。また彼のブログでは極端な思想が公開されていた。国民に悪影響だとの事で彼のブログを消去するかどうかの会議が上層部では語られていた。しかし当局は自分たちの無能ぶりを惜しげもなく晒す事で、自戒しようという意図を持ったので彼のブログの消去には反対した。幾人かの反対があって結局彼のブログは残る事になった。殺人描写はブログではなく、彼の手記が主であったが、ブログも彼の読者によると怪しさが満点で、表現力豊かで、高い知能の男が書いたブログだとみなされていた。実際彼が小学生の頃に測ったIQは140であった。彼は取り調べで淡々と、それも洗練された、上品な言葉で自分の犯行をまるで物語のように語っていた。彼には文才があると、取り調べにあたった警察官は話している。

中西は酷く天音氏に恨みを抱いていたという。しかしそれは高い知能に裏付けされたものではなく、単なるルサンチマンや嫉妬といった要素が決定打になっていたようである。子の自分勝手な犯罪者は天音氏の殺害の予行練習と称し、100人以上の人間を殺したのだと言うが、途中から犯罪が楽しくなってきて、人肉を食べたり、人体をバラバラにしたりしていたと語った。そうしていく内に、天音氏への憎悪は和らいでゆき、それよりも雑魚を多く殺した方が快楽的にもプラスになると考え、その犯行が100回以上に及んだのである。中西には一度天音氏を毒牙にかけているという自負があったので二回目ならきっと確実に殺せるだろうと思ったと供述している。しかし天音氏の天才的な推理能力は度外視していたようで、自分が日に日に追い詰められていくのを感じながら、殺人を膨大に成功させたという成功経験と猟奇的なグッズの収集に没頭する事で現実から逃避していた。それはまるでオタクの青年が現実では女性に相手にされないからアニメや漫画のキャラクターを妄想の材料に利用し、現実逃避を図るのと同じような発想である。彼にとって殺人はコンテンツだったのだ。これは極めて不愉快な事件である。そして彼を生んだ社会も同じような事件を生み出さないよう責任を持って変わってゆくべきだ。そうでなければ悪夢は終わらない。この文書は形式的なものではない。この残虐非道さを十分に伝える為には脚色や形式がない文体の方が読者に伝わると思った。今現在警察官の今川が書いているこの文書は日本史上における最悪の事件の記録である。その品性下劣は極限まで達しており、中西の人格には社会のせいだと一概には言えない場違いな幼稚さがある。中西は今回の事件で死刑になるだろう。しかし中西は何故か死刑宣告の現実をあらかじめ分かっているかのような面持ちである。彼は極めて冷静である。彼は取り調べ中にこんなことを言った。「俺が不細工じゃなければ。俺が恵まれていたら、もっと日本人が親切だったなら俺はこれほどまでの犯罪歴を重ねる事はなかっただろう。俺の行為は社会へのアンチテーゼであり。俺の脳内は今幸福感で満たされている」


響は近々恋人である佳織の誕生日に備えて色々と準備をしていた。彼は佳織を喜ばすために色々な策を練ったし、佳織もそれに応じて最大限の率直な反応を示した。佳織は大人しい長身美人であった。響は客観的に見れば210㎝で巨人並みのあるのだが、スタイルは普通のレベルだった。しかし長身なため、スタイルが良くみられる事が多かった。しかしそれは錯覚である。佳織は185㎝以上の長身と抜群のスタイルを持っていた。佳織程の女性は芸能界でもいない。芸能人風情は彼女に比べれば風前の灯火である。

その頃、響のフレーム理論は豊穣に応用されつつあった。彼はその理論の中で数式を用いて心理的現象や心理的数量を記述した。心理的な領域に数学を使うのはいささか荒唐無稽の絵空事のように思えるが、彼の論文内の記述には数式の誤りや論理的な誤謬はなかった。その理論が一般に受け入れるまである程度の期間を要したものの、12月になれば響は才能のある人物、天才として多くの人に認められるようになっていた。過去のただ悲観して生きていた非生産的な頃とは圧倒的な差異がある。そして彼はその事に至極満足していた。自分がただ時を浪費した訳ではなかった事、私利私欲とは言え自分が学問の分野で功績を挙げた事に満足していた。ミレニアム問題の証明も2問認められており、響は2億円を手にしていた。アルバイトなどに勤しんでいた小市民の水準を彼は遥かに超越していた。彼の理論から幾つかの方程式や数学的な形式の拡張が行われた。それにより犯罪における犯罪者の数値を性格、容貌、場所の三変数の導出が出来るようになっていった。それらの数量は平面上の量によって表される。そしてそれをアルゴリズムに落とし込めば現実の犯罪者の逮捕や犯罪の未然化が達成される事が彼の理論から理論的に証明されていた。また彼の座標軸に関する論考を用いて、行列式や線形代数の分野の表現力が向上した。

彼は統一場理論を完成させ、天地を統一した。それはニュートンの古典力学からひも理論までを包括した本格的な天地の統一である。アインシュタインだってゼロから1を生み出すような理論を相対性理論で導き出してはいない。ニュートンもケプラーやガリレオやコペルニクスの学説を用いて、自然界を最初に数学の言葉で記述した。もはや響はニュートンもそのパラダイムシフトの大きさで遥かに凌駕していた。しかも彼は同じような事を心理学の分野でフレーム理論を使って行った。これは彼による華々しい業績の一つである。また彼がミレニアム問題の証明に用いた贅論的操作は人類史上初である。彼は本当に日本人初の世界レベルの偉人であった。

統一場理論では代替透過という力学的発見により、また彼の高度な抽象的思考能力により宇宙の基本原理が記述された。光の量子性も彼の統一場理論の論文で示したアプローチが極めて革命的でそれにより素粒子やら、ニュートリノやらのミクロのレベルの問題も劇的に解明されつつあった。無論響は無名である。数学や自然科学は一般に権威主義から遠い分野だと言われがちだが、無名の人間の論文はそれが如何に優れたものであっても正当に評価されるのは中々難しい話である。しかし彼はその評価を勝ち取った。彼の理解者は彼の分かりにくい理論を分かりやすく説明し、まとめた。響は若い学者であるから説明不足もあった。それに彼の出身大学は名門でもない。しかし理解者のおかげで彼の学問的名声は決定的なものになった。

彼の両親も祖父母も彼の才能を絶賛した。昔は統合失調症でもう息子は駄目だと思っていたが両親は彼の卓越した能力を認めた。響は論文で得た収入の内1千万円を実家に送った。それ以後両親は悠々自適に生活をしているらしい。彼は学生時代に両親に迷惑をかけたからそれが自分に出来る最大限の親孝行だと思っていた。両親の方は大金をもらって嬉しかったのだが、それ以上に自分たちの息子が健康で、成功しているのを見て本当に安心していた。彼らも通俗性を持ち合わせていたから、周囲に自分の息子はあの大学者天音響なのだと言いふらしたりしていた。祖父母は彼が大学生になるまでよくドライブに連れて行ってもらっていたし、彼らも響を愛していた。毎年年末年始に彼らの家族は祖父母の家で寿司やらすき焼きやらを食べるのだが、その際に響の顔を見たり、話を聞いたりする事を彼らは楽しみにしていた。

彼は才能のない世間の大多数の男ではなかった。もっとも彼も凡人として扱われていた過去もある。しかしその頃はまだ統合失調症で日常生活がおぼつかなかった時期であったし、いきなりの精神症状に彼は恐れおののいていた。ある程度時が経って。彼は自分の統合失調症との共存方法を次第に理解しつつあった。それは健常者には理解できない代物である。勿論統合失調症患者であってもそういった芸当を出来る人間は少ない。統合失調症との共存は外ならぬ彼自身の才能によって実現していた。彼は幸福であった。しかしそれは酒池肉林だからだったからではない。また自身の学問や芸術の最大版図を広げる事が出来たからでもない。彼自身はもっと平凡な、のどかな幸福を感じていた。

彼はいつもパソコンのソフトで自分の小説を書いていた。もう20歳からで45作品以上彼は小説を書ききってしまった。彼はこれで終わりだとその都度、燃え尽きた状態で小説を書き終えるのだが、やはり小説を書くことが彼には習慣になっていたので延々と彼は創作活動を行ってきた。そういう中で少しの暇つぶしや趣味のようなものとして終わらせるは筈が、彼は現在に至るまでその情熱を完全に消す事は出来なかった。そもそも彼は学生時代国語の成績は一番悪かった。国語の模擬試験では偏差値が毎回30以下あったし、余りにも日本語が意味不明だったので偏差値22だったこともある。彼は日本語よりも英語の方に秀でていた。彼の脳の構造は日本語よりも英語に向いていたのだろう。そもそもヴィトゲンシュタインも言っていたように世界は言語で記述できるレベルがもっとも明晰に理解できる知なのである。言語により物事には表象が出来る。それを言語哲学では像と言い、ヴィトゲンシュタインの理論で彼はその言語を最大限利用したものを写像理論と呼んでいた。そして真理関数によって事実の様相は記述される。彼の前期の業績である論理哲学論考は一つ一つの断片で構成されている。そしてその断片のそれぞれに算用数字がふられている。ヴィトゲンシュタインの理論はカント―ルやラッセルなどから影響を受けた数学的な哲学であった。彼は哲学を学ぶ前には工学の研究をしており、特にその専門はプロペラであった。彼はボルツマンの理論に憧れ彼の教えを受けようといた大学に進学しようとするのだがボルツマンの自殺によりそれは叶わなかった。ボルツマンは熱力学のエントロピーの理論で現在では偉人扱いされている。熱力学においてはその乱雑さを記述する為に対数を使ったりボルツマン定数を使ったりする。大きな体系を記述するのに対数を使うのはガウスなんかの素数定理を思い出させる。そして彼はラッセルの数学原理を読んで数学基礎論に興味を持つようになる。20世紀の数学界はラッセルの数学自体の公理に焦点を合わせた公理主義と、数学自体のヒューリスティックなものに焦点を合わせたブラウアーの直観主義、数学自体の形式を考慮しその影響範囲を記述するヒルベルトの形式主義があった。ヒルベルトの幾何学基礎論は作者の愛読書の一つである。そしてこの三種の類型を研究するものを数学基礎論と一括され呼ばれるようになっていた。

ヴィトゲンシュタインが哲学者になる前に精読した哲学書はショーペンハウアーの意志と表象としての世界のみであったが彼がケンブリッジ大学に進学した際、ラッセルと話をしたのだが、ラッセルは彼と会話をすると即座にこの男の並々ならぬ天才を認めていた。またケインズも彼の理解者だった。天才にとって理解者というのはその後の華々しいキャリアの発露につながる。彼の場合もその例にもれなかった。ケインズは経済学者であったがそれでも彼と親交があった。彼が兵士になり、イタリア軍の捕虜になっていたのを開放させるように動いたのは外ならぬケインズであった。ケインズの豆知識として彼は17世紀のイギリスの天才、アイザックニュートンの事を最初の科学文明の人ではなく、最後の魔術師と称していた。ケインズの経済学の思想は作者も大学時代に勉強したのだが、私は経済学についてはニューディール政策やISLM曲線、神の見えざる手しか記憶していない。経済学の事は理解できないがあのような分野に貢献した人物が、ヴィトゲンシュタインとも交流があったと考えれば中々感動的である。

ヴィトゲンシュタインは体罰教師であった。小学校教師としてその教育に力を入れており、児童のための書物も書いた。また直に学ぶ事が子供には必要だと考え、様々な野外学習に生徒を連れて行った。しかし彼は体罰により、教師の辞職に追い込まれる。私は暴力反対である。しかし彼のような天才が暴力漢だった事を想像すると暴力に対する批判精神が和らいでくる。それが何故かは分からない。もしかすると現代の心理学では説明の出来ないものなのかも知れない。しかし仮に現代の心理学で私の子の真心理が解明されたからと言ってその論文を読んで私が理解できるとは思えない。私を不当な暴力で報いたあの高専教師とヴィトゲンシュタインが同じだとは思えない。あの高専の教師は単なるカスであり、ヴィトゲンシュタインとは次元が違う。その質と量が違うのだ。

ヴィトゲンシュタインはケンブリッジの教授職を得るために博士論文を提出する必要があった。その査読をしたラッセルなど二名の学者に対し、彼は「安心したまえ。あなたがたが理解できない事は分かっている」と言った。恐ろしい自信である。しかしそのような言動は実力のないものがしても甚だ滑稽である。

彼は論理哲学論考で語りえぬものには沈黙しなければいけないとした。語りえるものは写像理論の限界に基づいて存在する。語りえないものは事実の総体がない、形而上学のような問題は最初から刑事上のものについて議論する思弁的な学問である。彼によればこのような領域は語りえないものであり、彼はその為沈黙しなければならないと表現した。反対に形而上学について議論を活発に行ったハイデガーやレヴィナスのような学者のスタンスは彼のその理論に対抗する勢力であった。

20世紀哲学界のスーパースターであったヴィトゲンシュタイン。彼の理論は今もなお、燦然と人類史に輝いている不滅の業績である。

響のフレーム理論を筆頭とした理論は彼の存在証明であり、彼の精神であった。彼にとって学生時代は酷く気が滅入るようなものであった。彼には友達がいなかった、恋人もいなかった。しかしそれは作りたくても作れなかったのではなく、彼自身が壁を作っていたからだ。口では友達が欲しい、恋人が欲しいとは言っていたのだが、その内実彼は友達や恋人を作るための準備が出来ていなかった。彼は知的には早熟だが人間関係については晩熟であった。彼はその人間関係の障害を自覚していないだろう。人間関係で自分が苦労していたのは、自分が孤独だったのは自分が統合失調症であるからだとか、天才であるからだとか、ユダヤ人であるからだとか、自身に問題があるだとか思っていたのだがそれのどれも煙のような思考であった。捉えようのない恣意的な存在が彼の人間関係に激甚の阻害物となっていた。

響のパブリックイメージは長髪で長身の美形青年であった。彼を意識したイラストや漫画なども世間では出回るようになっていた。また彼の書いたプログレッシブツイストの小説は一世を風靡するようになった。相田はその事実を喜んで、また一緒に飲みに行こうと響に言った。

また響はギターをまた始めるようになった。ギター教室に行っても良かったが彼の人脈内でギターに特化した温厚な人物がいたので彼はその人物に頼み込んで、ギターの基礎から学んでいた。それまで響は我流でギター演奏を学んでいた。最初はビートルズの曲やブラックサバスの曲を演奏していたのだが、12月の17日頃になるとピンクフロイドのような音楽も演奏できるようになっていた。彼はプログレッシブを学ぶにはプログレッシブという名辞が含まれるプログレッシブロックから直に学ぶのが最善だと思っていた。また作詞スタイルもジャンクな作詞から、哲学的な示唆に富んだ歌詞を彼は作るようになった。アーティストとして生きる事は彼にとって何より名誉な事であった。

また彼は通り魔殺人鬼について色々と調べる事になっていた。最近推理小説を耽読するようになった彼は現実とフィクションは違うという事を理解しつつ、犯罪者を捕まえ社会に貢献したいと思っていた。響を刺した犯人はまだ見つかっていないようだったので彼はフレーム理論の応用である、犯罪三変数という分野の方程式を使い、熱心に計算に没頭した。誰かの力を借りても良いと彼は思ったが、自分は集団行動に対して苦手意識があったため一人で計算に没頭するようになった。この間、彼は18世紀の天才数学者であるレオンハルトオイラーの気持ちが理解できるような気がした。この時彼は計算をする為に生きるようになっていた。次第に計算以外の事を彼は放棄するようになった。ギター演奏や小説執筆も彼は歯牙にもかけず、通り魔の逮捕の為に一見無縁に思える数学の力を使い、東奔西走するようになっていった。

彼は失明こそしなかったが計算に没頭した。彼は天才であったが何度か計算を間違える事もあった。しかし彼の圧倒的な集中力は世界を包む。次第に変数xの犯罪者の性格を割り出す事が出来た。後はyとzである犯罪者情報の値を算出すればそれらをアルゴリズムを使って変換し、現実上に適用していけば犯罪者である通り魔の情報は明晰に判明する。この間、佳織は献身的に響の身の回りの世話をした。響はまるで僕は痴呆老人みたいだ、化石みたいだと言ったが、佳織は「何を言っているの。あなたはただ単にあなたに出来る仕事をしていけば良いの。私はあなたの為なら何でもするわ。お金も十分すぎる程私たちにはあるし。まあだからと言って私は響の事をATMだなんて思ってはいないから邪推しないでね」と言った。その言葉を聞いて、響は安心した。この人だけは僕の味方だ、この人を僕は一生愛する。佳織には本当に感謝の至りに堪えない、彼はそのように思った。

そして彼は遂に犯罪三変数のコンセプトを用いて犯罪者の三要素を計算する事に成功した。この際、彼は非常に興奮していて、計算が終了した時暫く自宅周辺をうろうろとしていたという。そして自分の計算を書いた論文が部屋にあるのを確認して、これは現実なんだと、彼は暫く放心状態になっていた。

彼は数学の天才であるが学校教育のフレームには収まらない人間であった。それはもしかすると統合失調症の障害にも責任の一端があるのかも知れない。学校での数学の成績は悪いものではなかったが優秀とも言えない、並レベルだった。高校の女の数学教師は彼の事を数学のセンスがあると言っていたが、当時の響は自己評価が低くそのようには思えなかった。彼女のその言葉はお世辞や美辞麗句といった言辞に該当するのだと思っていた。世の中の表層は皮肉に横溢したものなのだと響は思っていた。実際それは当たらずとも遠からずであった。人間の社会は理想郷ではありえない。人間そのものが完璧なものではないから刹那的に理想郷のようなものであってもそれは上皮だけの愚にもつかないものである。

数学は秩序がある、調和がある。無論無秩序や不完全を基調とした分野もあるのだが、それ以上に美しい数式や数学的概念を響が見た時、性的ではない悦楽を受け止めざるを得なかった。そしてその感覚を得たいが為に響は数学の研究をまた再度始めるようになった。新たな論文も書いた。それは数学の拡張を基調としたヒルベルト的な論文であった。数学に向き合っている間は気持ち良さの味わいを最大の目的としていた。これは人間的とも言えるがこれほどまでに気持ち良さを、快楽を優先できるのは彼が天才だったからであろう。日本の一般人は世間の目線を憚って、また自身のイメージ悪化を恐れて何をするにも恥を意識しない事は出来ない。しかし響は恥を丁重に扱う文化に弊害が生じ、日本国家や日本国民の成長に淀みをもたらす取るに足らないものだと考えていた。これほど極端な快楽主義は日本では珍しい。彼は自覚していないようだが相当な変態である。無論変態とは誉め言葉だが。また彼が男であった事も少なからず彼の人生の自由を保障するものとなっていた。もし彼が女ならば自分の見てくれだけを気にして、自身の真の幸福などには目を向けられなかった事だろう。彼が女であったら、幸福を押し殺す陳腐な多忙さに精神がノックアウトされていた事だろう。強い女性も世界にはいるが、特段響の場合、おそらくそんな強い存在にはなれないであろうと私は推察する。

響は犯罪者の情報をパソコンに入力し、最新鋭のソフトウェアで通り魔の氏名などの特徴もそれに伴って分かった。何故犯罪者の氏名や特徴まで犯罪三変数の解が求まれば分かるのか、響は知らなかった。しかし時間があればおそらく彼には理解できるだろう。おそらく純粋数学以外の道具を用いれば犯罪者の氏名などの特徴も求まるのだろう。彼は直観的にそう感じていた。

彼は自分の論文を手渡し、自分なりに警察に自分の計算と推理を伝えた。その論理展開を凡庸な警察官は理解できなかった。しかし名探偵のYとかいう男は彼の言っている事を理解できた。Yは響には物事を敷衍する能力が低いようだと思っていた。論理や思考のスピードは速いのだがそれを言語化したりする能力が響には足りないとYは思った。彼の小説は難解な論文染みたものではないので比較的大衆受けするものであるのだが、天才であるが故、響の言語能力は対応できないのだろうと彼は思った。

響は警察に色々と発言をした。そしてYも警察は彼の言葉に従うべきだと言ったので警察は響の言葉に従い、中西という容疑者の自宅を捜索する事になった。響は圧倒的過ぎる才能だった。IQ1000は伊達ではない。純粋な推理のみを使った訳ではないにせよ、彼の才能により、この前人未到の被害者70人以上と推定される中西に犯人を絞る事が出来た。また響は中西の情報を何を使ったか定かではないが相当調べており、多数の証拠も発見していた。これも彼の論文には記載されていた。その論文は後に犯罪心理学と数学の融合だとみなされるようになった。

12月25日の佳織の誕生日に、朗報が響の元に来た。中西が逮捕されたようだ。彼は自分を刺した犯人が捕まった事に少し俗っぽい嬉しさを感じた。仕返しのようなものであったのだろう。

「響、あなたの活躍であなたをこの前刺した犯人が逮捕されたみたいね。あなた、ずっと一心不乱に計算してたけどあれは逮捕の為だったのね。素晴らしいわ」

「僕も数学が犯罪と結びつくとは思わなかったよ。数学と犯罪が結びついた小説やコンテンツは知っているけど、そんなものは虚構内存在だと思っていたよ。まあ計算していく内に、何だか自分が大宮殿を一人で創造しているような気持に駆られたよ。統一場理論を完成させた時にさえ味わえなかった数学的愉悦を味わう事が出来た。数学者である僕のキャリアの中では稀有な経験だね。ここまでの応用性が僕のフレーム理論から導き出せるとは。天才一人の手によって文明には長足の進歩をもたらされる、か。でもまあ実際僕の理論を応用させたのは後の数学者だしね。僕はその数学者も尊敬するよ。大体、僕は計算が昔から煩わしくて、あまり計算しなかったけど今回、初めて計算の素晴らしさを知った気がするよ。この地道であるが、鮮やかな行為に僕は魅了されたよ」

「本当に、あなたは凄いわ」

「ちょっと好きな音楽流して良い?僕なりに僕の勝利を祝いたい。自分で自分を褒める事が出来ない人間は弱者だからね。計算も、最後に頼るべきは自分自身だった」

「いいわよ」

響はビートルズのアビーロードのGolden SlumbersからThe Endまでの圧巻の流れを放出した。そして続けざまにピンクフロイドの狂気からのAny Color You LikeからEclipseまでの曲を流した。彼らは聞き入っていた。佳織の努力も報いられた。佳織はこれから先も響の良きパートナーであろうと思っていた。もはや佳織は響の虜であった。響もまた佳織の虜であった。彼らの間柄はどこからどう見ても理想的な恋人そのものであった。彼ら二人が街を闊歩していると多くの人がびっくりしたような顔で彼らを見る。彼らのような長身カップルは外に類を見ないものである。彼らはまるで巨人のようであった。まあそんなことはさておき、彼らは会話をしながら曲を聴いていた。

「もしかすると、僕って本当に人類史上最高の天才なのかな?僕如きが」響は自嘲的にそう言った。彼の自己評価はまだ統合失調症の残滓を引きづり、よく揺らいでいた。

「勿論、そうに決まっているわ。まだまだこれからあなたは更に輝けるわ。5000年後にもあなたは超天才として認められているわ。ただの天才じゃないわ。あなたは超天才よ。これはお世辞でも愛撫のようなものでもないわ。あなたは自分の個性を認めるべきよ。巨人並みの長身という個性、そして人類史上最高の天才の個性」

響は何だか嬉しくなって歯を見せて笑った。佳織は悶絶しながら、「私より可愛いってどういう事?本当にあなたは可愛いわ!」半ば咆哮するように彼女は叫んだ。響は自分が可愛いという事には何だか釈然としなかったが、佳織の愛を一身に受ける為に自分の可愛さを利用するのはこれからも続けていこうと思った。響はよく統合失調症で気持ち悪いだとか、不細工だとか言われる事が多かった。趣味で投稿したユーチューブの動画のコメント欄でも醜い、だの陰キャだのと呼ばれていたのでそれが尾を引いて彼は自分の外見的魅力を認める事が出来なかった。

「こんな時でもビートルズ、ブラックサバス、ピンクフロイドは心地良いんだね。本当に僕はこの三大バンドが好きだよ」

「私の事は?」

「勿論ビートルズやブラックサバスやピンクフロイドより大好きだよ。僕の初めての恋人であり、僕の最後の恋人だよ。君は」

佳織ははにかんだ。185㎝以上の長身があっても笑顔は可愛い美女である。小動物のようにも響には思えた。

「僕は洋楽ばかり聴いていたよ。高校時代からね。アインシュタインは終生モーツァルトを愛していたらしいけど、僕にとってのモーツァルトはビートルズ、ブラックサバス、ピンクフロイドだよ。彼らの音楽は僕をこの上なく落ち着かせる。僕の精神を無限へと追いやる。それは非常にインスタントなトリップ体験だ。それは安全でありながら合法な手段だ。僕にとって彼らの音楽を聴く事は丁度ビートルズのメンバーがドラッグをやって創造性を覚醒させるのと同じような感じで、仕事にも集中できる」

もはや響にあるのは平凡な幸福ではなかった。彼の愛する人との思い出は平凡ではない。佳織も平凡ではない。自分だけが高貴な人間であるように響は思った。まるで自分がロックフェラーやロスチャイルド以上の存在のように彼は思った。

「なんだか響は頼もしいね。どんどんかっこよくなっていくね」

「そうかい?まあそう言われて悪い気はしないな。佳織を守るためにかっこよくなるのも、可愛くなるのも悪いことではない」

響のその言葉は真実であった。「佳織の誕生日に、この仕事が終わって良かったよ。警察によると中西の殺した被害者は100人以上だと本人の供述によって発覚しているらしい。彼は身の毛がよだつ猟奇趣味の持ち主で、被害者を食べたり、解体したりしていたらしい。被害者の骸骨の一部をコレクションしていたりしていたらしい。そのような犯罪世界の大物を捕まえらえて良かったよ、日本人の安全も幾分か保証されたかな」

「私の誕生日に悲劇に終止符が打たれたみたいね。犠牲者には本当に哀悼の意を表するわ。あのような不細工な男が日本批判の為に殺人をしていた事を考えると、思想的な意味ではユナボマーに似ているわね」

「黙とうを捧げよう。彼の被害者に対して。本当に不幸な出来事だった。この事件だって、数学上の理論がなければ解決には至らなかった。中西は殺人については天才的な才能を顕現させていた。その手法はプロ級であり、抜群のものだった。犯罪史的にも稀少な存在だろう。とにかく黙とうしよう」

そして彼らは心から中西の殺人の被害者に悲哀の念を抱きながら黙とうをした。命というのは軽々しく扱うものではない。倫理観や道徳観を捨てた獣は屠殺されるであろう。そして世界は進んでいく。時間と空間の平面座標をすべるように世界は進んでゆく。彼らは紅茶を飲んで静謐な時間を過ごしていた。響はミルクティー、佳織はレモンティーであった。彼らの矮小な存在は彼らの脳髄では明らかに特別性のある存在に拡大されていた。


響はある日金銭的に余裕が出来た事で海外旅行に行かないかと佳織に言った。佳織はそれを快諾した。おそらく海外なら一癖も二癖もある天才もいるだろうから自分と歓談出来る佳織以外の人間も出来る筈だ、と響は思っていた。コロナも収まって丁度頃合いだと響は思っていた。また高校時代に精神科医や教師からしきりに海外に行けと言われていたのでそれ程利益のある海外渡航ならやってみようという気が24歳の響にはしていた。ネットでどこが良いかを響は佳織と調べた。ヨーロッパは黄色人種への差別が多そうである。しかし差別なんてする奴は単なる馬鹿だ。気にしなければ良い、と佳織が言った。絶景を楽しむのはどうかと響はカナダのナイアガラの滝を佳織に見せた。そういえば響の出身高校は夏休み中にカナダへ研修旅行していた生徒もいた事を彼は思い出した。ネットでは日本人は完全に世界で孤立している。日本猿どもは一掃せよ、なんて人非人がいた。彼は韓国人だった。彼と言ったがネット上では性別も自己申告で偽れるので男かどうかは分からない。韓国は反日教育が凄くて、政治的にも経済的にも反日はプロパガンダなどで利用されている、と響は言った。続けて日本猿と言うが、同じ黄色人種の分際で猿が猿を馬鹿にしているなんてナンセンスだ、と彼は一蹴した。それは差別的言辞に相違なかったがそう言わなければ不快感を解消する事は出来なかった。言語はしばしば精神浄化、カタルシスにも使われる。佳織はまあ、あまり気にしない事だと言った。海外に行けばおかしな連中も増える。母数が増えるのだから当然だ。日本人は大人しくて陰湿な連中が多いが、その国民性は日本が島国であるから養われたものであるのかも知れない。同じ島国のイギリスなどはどうかと響は考えた。イギリスは彼がこよなく愛護するビートルズ、ブラックサバス、ピンクフロイドの生まれ故郷であるし、文豪もシェイクスピアやディケンズなどと素晴らしい。彼の青年期を彩ったのもイギリスの文学と音楽だった。またイギリスの諧謔精神を日本の小説に導入できないかとも彼は考えていた。モンティパイソンなどのユーモアのセンスを何とか日本流にアレンジして発信できれば更なるファンの獲得にもつながるかもしれない。響はそういった打算的な事も考えていた。ニュートンやダーウィン、ラッセルなどもいるし、イギリスに対する彼の中のイメージは良好であった。それが如何にして壊されるかというのも克明に記していけばこれもまた小説の題材になるかも知れない。閉鎖された島国である日本にいるアドバンテージは外国の事柄、文化や研究などを日本人に合うように輸入すれば絶賛されるという点だ。夏目漱石も英語を日本語訳するのに大きく貢献したという。響は今は21世紀だと言うのにまるで明治維新の泰斗となったような心持がした。彼は海外でもその名が知られており、彼の数学、自然科学、哲学の論文は海外でも敷衍して説明されたりしており、ノーベル賞やアーベル省、フィールズ賞なども受賞寸前という所まで彼の論文の正当性は認められていた。その事を彼は知らない。しかし自分の芸術には刺激が必要なのだと思った。特に過激な外国の刺激が。19世紀におけるゴッホと山脈をなすフランスの印象派のゴーギャンもタヒチに行って自分の芸術を更に進化させたのだという。自分もゴーギャンにあやかって何かできないかと彼は思っていた。

響は人生とは群によって説明できるという群主義という考えを持っていた。初めて数学に群が導入されたのはガロアだったとされている。彼は自分の方程式論の証明にガロア群を導入した。群のアイデアは加群、アーベル群、商群、またそこから環なんて概念も生まれた。群論は今日の代数幾何学の主要な記述言語となっている。線形代数に匹敵する応用性を秘めたこの群は現実でも適用可能なのだ、と響は考えていた。世の中の背理には群が眠っている。そしてその群を見つけ、構想的に頭の中で操作する事によって人間の認識は成り立っており、それに感性の働きが加わって響の提唱するフレームは成り立っていると考えていた。これはフレームの謎の更なる解明であった。しかしその論説を理解出来る人間は日本にはいなかった。しかし非難や糾弾などはしなかった。何を言っているか分からないが、また天才の所業がなされた、なんて日本の学者は言っていた。彼の学生時代を回顧すると現在の彼の名声や信頼は全く想定できない。しかし彼はそれを確かに成し遂げていた。

「イギリスに行こう」唐突に青天の霹靂化の如く彼は言った。

「イギリス?でももっと良い国はあるじゃない。芸術の都パリのあるフランス。ナイアガラの滝のカナダ。自由の女神のアメリカ。エアーズロックのオーストラリア。万里の長城の中国。マーライオンのシンガポール。古代ローマの遺跡のイタリア。パルテノン神殿のギリシャ。なんでそんな数多ある国の中からイギリスなの?」

「まあイギリスは僕にとって陰鬱と虚勢と、狂気を兼ね備えた国だからかな」普通人間は行きたい国に対して陰鬱、虚勢、狂気なんて言わない。敢えてそんな言葉を吐き、それらを旅行の動機にしている響はやはりどこかずれている。まるでディストピアを求める芸術家ではないか。

「ウェストミンスター寺院とか行く?」

「良いね。アイザックニュートンが眠る墓地かあ」

佳織は響と一緒ならどこに行っても楽しめそうな気がした。彼女はそう感じ賛成した。ならイギリスに行こう、彼女は彼にそう言った。

「外国でも僕が君をお守りいたします、お姫様」傍から見れば長身美人が同性愛のささやきをしているような感じである。しかし長身美人の声は低く、ダンディだった。

佳織は嬉しさを感じたのだがもう30歳になったのだからお姫様ではなく、女王様と呼んでほしかった。「うん、期待しているよ」彼女は好奇と期待の交錯した気持ちでそう言った。

翌日から彼らの旅行の準備は始まった。まずはパスポートを取得するための手続きをした。それから現地の下調べをした。イギリスは正式名称、グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国。連合王国なのだ。しかし彼らはイギリスといえばイギリス本島しか眼中になかった。イギリスの歴史も彼らは下準備として始めた。響は英語が得意だったので語学の学習の為に通っていた語学学校で響の成績は優秀であった。しかし彼はその優秀さをはなにかけなかった。思春期ならいざ知らず、大人になって勉強が出来るのは当然の事だと言う矜持があったからだ。佳織も英語が得意だったので二人の英語レベルは日常会話程度なら問題なく行えた。また彼らはネイティブの速度に慣れようと自分の興味のある外国人の投稿した動画を見て勉強していた。そして時折、響はネイティブの発音を真似たりもした。三島由紀夫も英語が流暢だったらしく、その事実が響の太鼓心を燃やすには十分であった。

月日は流れるように過ぎていった。1月には響の郷里に佳織を連れて行った。彼にとって佳織は自慢の恋人である。佳織が響の実家に来た時、響以外の人間はでっか、巨人、と思った。ただ失礼にあたるのでそれを口に出す事はなかった。天音家の人間は母方の祖父を除き全員低身長であった。よくもこんな家族から210㎝の巨人が生まれたのだと感心せざるを得ない。また響の美貌は彼の母親譲りである事を佳織は確認した。佳織の家族は両親や兄弟も美形だった。しかしそんなことは彼女にとってどうでも良かった。最愛の人の家族もまた良い人達だった。彼らは一緒に食事をした。そこではアルコールもあった。響は精神病もあるのでアルコールは良くないと母親から言われていたのだが、これまでの経験則で大丈夫と響は言い。ウイスキーをレモンティーで割って彼は飲んだ。佳織も天音家に馴染んだ。響の兄弟は彼女につまらないアニメの質問や、仕事はどんなことをしているのだとかを聞いた。OL同士の会話を響は特に好まなかった。しかしさして不快でもなかった。彼らは酔いが回って、本当に大人になってからその時ほど陽気に響が家族と喋った事はなく、佳織も嫌な天音家が人達だったらどうしようと不安に感じていたので緊張が解けて酔っていた。佳織は響への愛を天音家に話した。響はそのような事を言われて肉欲が発生したのだがその時にセックスをするつもりはなかった。これは当然である。彼らが日本人でなくてもいきなりおっぱじめるのは最早動物的である。しかし彼は肉欲を除いて、本当に嬉しかった。東京の自宅でも二人で酒を飲む事はあったのだが、やはり多数と打ち解けた後の酒は格別であった。また響の成功に対する祝福もその時になされた。天音家の全員が響を崇めていた。数年前まではクズ扱いしていた響を今は神の化身のように扱う事に響はイラっとしたが、チビの兄弟なんてそんなものだ、チビは見る目がなく、脆弱だと思った。彼の兄弟に対する差別意識は未だ健在であった。

また翌日、酔いが覚めて昼頃まで響と佳織は睡眠していた。永い眠りから目覚め、響は目を覚ました。響は佳織を起こしてこう言った、響はまあ必要ないんだが、僕の祖父母に会ってみないか、僕は自慢の彼女を自慢したくて仕方ないんだ、と言った。佳織は断る理由もなかったし、結婚も意識していたので彼の家族には可能な限りあっておきたかった。それが彼の祖父母であっても。彼らは響の祖父母の家についた。そして玄関で響の祖父母は彼らを見るなり、二人とも、お似合いだと、驚きながら言った。身長的にも釣り合う彼らはその言葉に赤面した。祖父母とは彼らは世間話をした。前の日の響の両親と会った時ほどの衝撃が佳織にはなかった。また前日は何故だか兄弟も帰郷していた。仕事があるのに変だな、と響は思ったが彼らにも彼らの都合があるんだろう、探るのは余りにも無神経過ぎる、と佳織は考えた。

2月にはイギリス旅行をする事になった。彼らは飛行機に乗ってイギリスに行った。響は航空機に乗った経験が数える程しかなく、胸が高まった。つい前まで人生や世の中に絶望しきっていた響がこれほどの幸福感を味わう事はなかった。その事を思い、感極まって彼は佳織にありがとう、本当に、と言った。彼女の方は何か察したのかええ、と答えて、響の手を握った。響は大学時代から頻尿だった。飛行機でも夜の間もあわせて5回程トイレに行った。大学時代は講義中にしょっちゅうトイレに行くので教授陣からは嫌煙されていたのだが、大人になれば事情を話せば軒並みトイレの自由には寛容であった。周囲の乗客には不思議と黄色人種はいなかった。イスラム諸国の人間と思しき人物や白人、黒人などで構成されていた。しかし響と佳織は日本人離れした美形すぎて外国人に見えたのだろうか、それとも人種に関心がないからなのか、乗客は特に彼らの事を気にしなかった。響は外国人と言えば21世紀に入ってかなり人数が増えたとは言え、やはり少なかったので飛行機内ではまるでハリウッド映画のワンシーンを見ているような心地がした。自分は海外に行くのだという思いを彼ははっきりと感じ取った。つい前まで彼は人間に恐怖していた。殊に陰湿で群れたがる日本人に恐怖していた。彼らの秩序に対する病的な執着心は異様とも取れた。コロナには効果がないと分かってからもマスクをつけている人物が大多数であった。秩序にうるさいのはイギリス人もそうらしいが、やはり東洋と西洋、日本にはない何かを彼はイギリスから感じ取っていた。それは幻想なのか、それとも真理なのか彼の一存では分かりかねた。乗客の中には偶然にも響の大ファンが乗り合わせていた。彼らは響は彼らにサインをした。凝ったサインではない、普通に名前を書いただけだ。その内の端正な白人女性と思える人は私の妹が響に似ているので愛着が沸く、と響に言った。響は彼女に彼女の妹の画像を携帯で見せてもらった。確かに似ていた。響の大ファンたちの中には響が白人とのハーフなのだと思っている人間もいた。いちいち否定するのも彼には面倒だったし、不思議と悪い気はしなかったので彼はやりすごした。また響の英訳された論文を読んでいるという初老の風貌をしたイギリスの有名大学の教授が響に「私はあなたに尊敬の念を抱いている。あなたは24歳だというのに既に80年は研究してきたかのような知恵を有している。これからも研究活動を無理せず行ってください」と言われた。響は改めて自分が日本だけの人気がある訳ではないという事実に嬉しさを感じた。海外の情報について海外の人間は一般に日本人ほど無関心ではない。海外の人間は行動的な人間の割合が日本のそれと比べて段違いだと響は直観的に思った。アメリカ人などは自国以外に興味もなければ知識もない無学で無知蒙昧な人間も多いらしいが。まあそれを考えれば自分のこのアイデアは全然的外れかも知れないと思った。夜の帳、飛行機の中は静まり返っていた。響は向精神薬を飲んでいたのだが、期待や興奮のせいか中々眠れなかった。しかし日本人的な斟酌心が働き、自分の都合で周囲の人間を起こすのも気が引けたので彼は自分の好きな音楽を音楽プレイヤーで聴くことにした。

向精神薬はあらかじめ東京の精神科医から多めに服用してもらっていた。イギリス渡航前、彼の医師に響が事前に自分はイギリスに行くと言ってあった。したがって薬が必要だ。イギリスの医者にお世話になるのも申し訳ないから多めに薬を処方してくれとも彼は主治医に言った。響は医師は統合失調症患者が海外に行って大丈夫かどうか、その事について難色を示されるかも知れないと思っていたが、医師はそうか、楽しんでおいでと言った。滞在期間んは1か月である事にも医師は懸念を示さなかった。響が外国で発狂して事件や事故を起こす可能性は全く想像していないように思えた。それは響のパーソナリティや診察内容を見れば一目瞭然なのだが、響は何だか拍子抜けという印象だけで渡航前の診察を終えた。

響達はイギリスに着いた。彼らははしゃぎたくなるような心地がしたが、大人げない行動はとる訳にはいかなかった。響はイギリスの景色を見て、異国情緒を感じた。その情緒は小説を一本書くには十分すぎる程の刺激だった。ハリウッド俳優のような黄色人種以外の外国人が通りを歩いていた。響はまず飯だという事でまずいと定評のあるイギリス料理の味は本当なのか検証したかった事もあって、佳織を連れて空港付近の飲食店に立ち寄った。レストランでは洋風の料理が出て来た。風というかまさにイギリスの料理であった。味は想定していた程酷くはなかった。佳織もそれは同感であった。店を出てからホテルまで着くのにイギリスを味わいつくしながら歩こうと響は言った。佳織は外国人によくナンパされた。どうやら長髪なためか響もナンパされたりもしたが210㎝の女性は平均身長が日本より高い筈のイギリスにいる彼らにとっても大きすぎたのだろう。佳織は少し戸惑っていたが、ナンパを断る技術を鍛える必要がある、と響は考えていたので敢えて彼は静観した。長い目で見れば彼女のような日本人からは敬遠されるような長身美人は絶対にイギリスを筆頭とした外国で人気だということを響は思っていた。慣れておくのも手だと彼は考えたのだ。

ナンパでは響は声を出せば男だとばれるので敢えて彼は声を出さなかったという事もあった。しかし3件くらい立て続けにナンパされた佳織はすぐにそれに慣れたらしい。それに響の事を知っている人間が次第に都市部に移動すると多くなってきた。英語で「握手してください」なんて響は求められる事もあった。彼はサインもたくさんした。飛行機の件では記述しなかったが彼のサインは英語である。国際的な潮流に合わせて、数年前から響はアルファベットを使ったサインをするようになった。今や英語は国際言語である。響にとって英語圏に生まれたらと思っていた経験もあったのだが、彼のような脆弱で矮小な精神を持つ人間は日本であるから生き延びられるのだと彼は思うようになった。外国なんて危ない、差別もあるし、カオスだ、なんて彼は少年時代思い込んでいた。青年期になって、その思いも徐々に和らいでいったが24歳で海外旅行を考えるまで遂に海外に行こうとすることはなかった。果たして精神科医や教師が言うように海外は響にとってプラスになるのかという疑問を抱きながら彼は段々とその事が理解できるようになっていった。海外では空気を読めなんていう狂った価値観もなければ、自己主張もしなければ永遠に自分は無視されると思った。佳織は様々な外国人に話しかけて観光地の名称や説明を見たり聞いたりしていた。イギリス行きを先導したのは響だったのだが旅行に適性のあるのは響よりもむしろ佳織の方であった。彼女の積極性は長身が良しとされ、避けられたり、肩身の狭い思いをしないのでその分彼女は自由を感じているのかもしれない。無論響だって楽しかったのだが、身近に響という長身美人愛好家がいたとは言えやはり日本ではストレスのたまる事が多かったのだろう、響はそう考えた。しかし楽しそうな彼女を見ていると彼もまたより一層彼女を愛らしく感じてしまい、写真をパシャパシャと撮影した。元々、佳織はスーパーモデル並みの容姿である。写真の中でも彼女はやはり美しかった。また自由を得たからだろうか、芝居がかったポーズで彼女は写真に写ったりした。はしゃいでいる佳織は美しかった。響は明るい長身美人なんて最高過ぎる、と感じた。彼女は海外で生まれていたらコンプレックスを持つことはなかっただろう、と響は思った。185㎝以上の女性などはたとえイギリスであっても一般的ではない、しかし価値観の色彩が変化した事で人間は劇的に変わるのだという感想を響は感じた。この意識の変化に焦点を当てて、創作も出来るだろうと響は思った。外国は創作意欲をかきたてる、と響は作家仲間から聞いていたが、それは本当だったのだと彼は思うようになった。まだ外国の衝撃は文章に変換できる程洗練されておらず、また蓄積されてもいなかった。しかし1か月間、金の心配をせずに旅行に没入すれば彼は日本に戻った時、傑作を書ける心持がした。夏目漱石のこころや太宰治の人間失格の商業的利益を上回る程の成功を成し遂げる事が出来るのだ、と半ば誇大妄想のような事を響はイギリスに来て初日に考えていた。それ以上に恋人の楽しそうな顔を見ると、本当に心が温まった。おそらく一人で海外旅行をしていればこんな安心感は身近になかった筈だ。響にとって佳織とは真の女であり、真の友であり、真の母だった。

彼らは一日中楽しんだ。そしてホテルのチェックアウトを済ませて夕食を食べた。イギリスの飯マズの評判は論理的誤謬でないかと思う程美味しい食事だった。しかし美味しいだけあって値段は結構かかった。海外の経験を極端に一般化しようとするのは僕の悪い癖だ、と響は考え、ただ下らない評判や固定観念を敢えて無視して旅行を楽しもうと考えた。隣には佳織もいる。温泉などはイギリスに無いので彼らは風呂場でいちゃつき、ベッドでもいちゃついた。翌日、響はいつもより早く目が覚めた。佳織は全裸だが布団にくるまっている。響は服を着替え、イギリス旅行で現時点までで得ている小説のプロットを練ろうという事で自前のパソコンで文を書いた。箇条書きのものもあれば、小説の一節のようなものもあった。また佳織と二人で撮った写真を見て響はくすっと笑った。もう僕は孤独じゃない、隣には幸いの人、脳内には豊かな知識、などと彼は考えた。それは誇張ではなかった。彼自身現実の自分自身を受け止められるようになっていた。少し前までは自分自身を否定して、自分に懲罰を与えていたのだから指数関数的な精神的成長である。しかも短期間に。長足の進歩とはまさにこの事である。海外には良い人ばかりであるように機能は感じた。響はイギリスでも知られていた。響と佳織にナンパしてきた連中は無知文盲だったが大多数のイギリス人は響に敬服し、彼らカップルをビップのように扱った。皆優しかった。その優しさが権威への追従から来るものなのか、それとも単純な魂の偉大さへの賛美なのか、礼儀正しい日本の旅行者への最大限の賛美なのか、響は分かりかねた。原因は一つではない事からもそのような自分達への優しさの迷宮のような証明を行う事は馬鹿げたことのように響は考え、その思考は放棄した。元々、佳織は白人美人のようなルックスである。おそらく白人美人のカテゴリの中でもかなり上位だろう。ネット上で美人コンテストが開催されれば佳織はトップ2以内に入るのは確実である、そうでなければ判定者は見る目がない、と響は自分の彼女に対して溺愛的な思考を進めていた。このような個人的な感想も創作を行う上では非常に役に立つことを響は知っていたので自分の愛を止める事を響はしなかった。芸術家は愛について自由でなければならない。その頃、彼は始終そのように考えていた。

それ以後もイギリス旅行は続いた。農村部でさえ、彼らは楽しんだ。またイギリスの伝統料理を食べたいと佳織が言ったので二人そろってイギリスの肉じゃがのような料理も食べた。中々美味であった。不思議だったのが響の知名度より日本の二次元コンテンツ、アニメや漫画などがイギリス社会においても一定程度認められていたという事だ。どこかの美術館に日本の漫画が展示されているという話も昔聞いた事があるが近年になって日本人でさえ知らない日本のニッチな漫画がイギリスで有名であった事に彼は驚いた。日本のソフトパワーも侮れない。クールジャパンなんて反語だと思っていたが案外日本の二次元産業は相当の力量や技量を持っているのかも知れない。

響は日本でさえ十分には旅行していない。北海道にも行った事がないし、九州にも、沖縄にも行った事がない。彼にとって日本の景観や日本の情緒はごり押しのように感じられて日本を旅する気がそがれていたのである。しかしイギリス旅行をしてみて、原点回帰というか国内旅行もしてみても良いかも知れないと響きは思った。外国に出てから日本人である自分の考えや意識していなかった規範が浮き彫りにされていくようだった。まるで海外旅行の中で彼は誰かに自分の脳髄をいじられているような気がした。響と佳織の英語は訛りがないようだった。彼らはイギリス旅行で不自由を感じる事はなかった。日本人の英語はアジアの中でもかなり低レベルであるようだが、そうでない人物も存在するのだ。

彼らはその内イギリス人を愛するようになっていった。それは待遇が良かったからだけではなく、イギリス人には日本人とは違う強かさや気高さのようなものを感じ取れたからだ。日本人の強かさや気高さは彼らにとって身近なものではあるのだが、幾分表面化しがたい、奥ゆかしいのが日本人の特徴らしいのだが人間としての長所さえも隠してしまうのはなんと勿体ない事か。響はそれまで無意識に日本人を見下していたのだが外国に出る事で日本人を冷静に分析する事が出来るようになっていった。自分に危害を加えたカスどもについても過激な復讐心を燃やす事はなかった。タイムマシンがあったとしても響は過去に遡行し、少年時代を夢想したり、好き勝手にふるまったりはしたくない。時間は過ぎるから美しいのだ。ゲーテは「時よ止まれ。お前は美しすぎる」と言ったようだが、響は万物流転の運動し、過行く事に日本人的な情緒をかきたてられるようになっていった。無論時が過ぎるという事は響や佳織の美貌も劣化する。しかし響はもう容姿に対してはちやほやされ過ぎていたので別にもう不細工にならなければどうでも良かった。それはおそらく佳織もそうであった。

響の海外に対する盲目的な憧憬は次第に変わっていった。それは別に海外に幻滅したからではない。イギリスでの経験は全て軒並み良い感じであった。差別もなかった。何か時刻に対する愛国心が形容できないような原因で勃興し始めたのである。自分のアンビバレントな感情が次第に弁証法的に一つの結論に収束していくのを彼は感じていた。日本にいる外国人はどのような気持ちで日本で過ごしているのか分からないが自分と似たような気持を感じる人間もいるのだろうか、と響は思った。響は英語が日本より得意だったこともあって自分は海外こそに居場所があると外国におびえながらも感情的にそう感じていた。

響はイギリスでミュージシャンに出会った。彼らは響の業績を知っているようであった。また響が楽器を演奏できるという事も知っていた。彼らは自分達と音楽アルバムを作らないかと響に言った。「幸甚な申し出だけど、僕がイギリスにいるのは1か月だけなんだ」と言った。彼らはレコーディングは1週間に満たない期間で終わる。我々があなたを全力でサポートするから一緒に創作活動をしましょう。憧れの人と創作活動するのが我々の夢なんですと彼らのリーダー格は響に言った。佳織もそうすると良いと言った。観光はどうするのかと響は佳織やミュージシャンに尋ねた。ミュージシャンたちは我々はイギリス生まれイギリス育ちだからイギリスの観光名所はある程度知っている。メアドを交換して我々がおすすめのピックアップした場所をあなたに教えますと言われた。佳織はこの一週間半で多くの名所を回ったので創作に残りの時間をあてるのがよろしいと言った。確かに一週間半ほどがいつの間にか過ぎ去っていた。持ち前のカメラにはイギリスの思い出が数多く記録されていた。カメラは勿論日本製である。

響達はミュージシャンに言われた場所を訪れた。イギリスではサングラスをつけている人が多くいて日本でサングラスをしょっちゅうつけていた響はどことなく周囲から奇異な目線で見られていたものだがイギリスではそんな視線は感じなかった。皆一様に自由奔放にサングラスをかけていた。響達が旅行時のイギリスは冷涼であった。時折雨が降ったりもしたのだが、それも何だか情緒があって良いような気がした。くたびれた背広の男たちに愛想の良い女店員、経験豊富そうな老人、快活な若者、響はイギリスにいたのだが、イギリスだってやはり人間社会である事を実感した。文化や時代背景が違えど、人間を基本としている限り、日本人と通底する特徴は何かしら存在していたのだ。響や佳織には英語がまるで日本語のように思えて来た。彼らの会話はたどたどしいものではなく、ネイティブから見ても訛りなどはなかった。彼らは元来優秀な日本人である。佳織は立派な学歴があるし、響だって統合失調症のせいで学業が苦手になったとは言えIQ1000なので地頭は良い。彼らは観光名所を回ると同時に響のファンとも交流をした。彼らカップルは響のファンたちと仲睦まじげに写真を撮る事もあった。

響の好きなバンドは再三再四言及しているようにビートルズ、ブラックサバス、ピンクフロイドであった。彼のファンもそれらのバンドが好きであったので響にそれらのバンドの最新情報や新たな視点を提供した。響のファンは老若男女であった。彼の論文に目を通していた大学教授や医師などもいた。カフェで響と佳織がくつろいでいると、大学教授と医師の4人ばかりの人間に響は声をかけられたのだ。響と佳織にとってこの旅行は日本にいた時よりも激動のものになっていた。佳織も響の人気ぶりをまるで自分の事のように喜んだ。

響達は彼が尊敬する文学者、文豪たちの記念館のような場所にも訪れた。イギリスのそういった側面も彼は好きであった。そういったイギリスの文豪たちの記念館では昔の文豪たちのいた頃にタイムスリップできそうな資料も数多く展示されていた。イギリスと日本の違いは展示物を活かすテクニックが異なる点である。イギリスは日本よりものの見せ方を心得ているような気がした。しかし少数の日本の経験と少数のイギリスの経験を一概に比べて何か結論を出すのは早計だと彼は考え、そういった思想は小説などには書くつもりはなかった。彼は高校時代からいじめにあっており、人間と言うものがしばらく怖かった。その影響はイギリス旅行でも尾を引くものだとは思っていたがイギリスは全体的に見て、あのようなカスどものいじめに匹敵する陰湿で下らない事をする人間が少ないように彼には思えた。

イギリスのマクドナルドも利用した。イギリスに独自のメニューというものがあって、響は異国情緒を存分に味わうためにそれを注文した。味は美味しかった。響は食通である。金の少なかった時分でも彼は自炊したり、口コミで評判の店に行ったりして食を堪能していた。孤独のグルメとはよく言った。一時期食べ過ぎで豚のように肥え太っていた時期もあったが、それは徹底した食事管理によって幾分か改善される運びとなった。

何やら響達がイギリスにいるのを知った学者の一団が響と個人的に話がしたいと言っている、と響とレコーディングをする予定のミュージシャンは響に伝えた。響は恋人が一緒でも構わないかと聞いてくれといった。学者の一団はもちろん大歓迎だと言っているらしい。話をする場所は日本で言う所の居酒屋のような場所であった。日時は翌日であった。

響達は早速学者の集団と話をすべく、翌日に予定の店に行った。学者の一段と思える男たちは響を見るなり笑顔で歓迎した。「よくお越しくださいました。イギリスなんて見る場所もないし、暗鬱な国ですが旅行を楽しんでいるとミュージシャンのジョンから聞いています、あなたのような偉大な人物にイギリスを気に入ってもらえて、我々はなんといって良いか分からない程歓喜にうち震えています。日頃からあなたの功績には触れています。あなたはまだお若いですが、我々は五体投地したくなるほどあなたに尊敬の念を抱いています。あなたの数学や自然科学や哲学に対する慧眼はもはや歴史的なもので我々のみならず世界中の学者があなたを尊敬していますよ」響はそう言われて気が浮き立った。聞くところによると彼ら学者一群はイギリスのケンブリッジやオックスフォードなどの名門大学の教授であるらしい。響達は専門的な話をした。佳織もその話題に難なくついていった。佳織は普段から響と対等に話が出来る女性である。使用言語が日本語から英語に代わったところで彼女の知性は凋落しない。サーストンの幾何化予想や、未解決問題、変微分方程式の応用、応用数学の限界やトポロジー、集合論、代数幾何学、線形代数、群論、調和解析の方程式、彼らの話は延々と続くようであった。響はこれほどの功績を成し遂げたにも関わらず自分は学者の中では経験も浅く、知見もお粗末なものだと思っていた。これは彼の日本人としての謙虚さではなく。単に学者とあまり直接的に話をしたことがなく、また彼の大学時代教授達に冷酷な扱いを受けていた事が影響していた。

また学者達は響の芸術にも天才の閃きがあるとした。響が使用した数学などの要素を彼らは一つ残らず指摘し、礼賛した。響の絵はしっちゃかめっちゃかなものではなく、そこには数学的な調和があり、また鋭敏な頭脳の介在が見て取れる、と彼らは言った。響にとってそれは彼が最も他人から言って欲しかった言葉であった。イギリスのアーティストもプログレッシブツイストを名乗るものが近頃多くなってきているらしい。それは響の影響である事は一目瞭然であった。彼らもブリティッシュインベイジョンのミュージシャンの如く卓越した実験精神や高度な創作能力を御して彼らなりの芸術をつくっているのだという。響も自分だって負けてはいられないな、とそういったイギリスの芸術家に対し対抗心を燃やし始めた。実は日本よりも響の名は海外で知られていたのである。彼の才能を認める人物も日本よりも多かった。しかし響は普段からエゴサーチなどもしないし、海外にも行った事がなかったのでそんな事知る由もなかった。佳織の存在も世界中の卑屈だった長身美人たちの元気の源になっているとも響と佳織は聞いた。佳織は照れながら「嬉しい事です。私も昔は卑屈だったんですが、響と出会って変われました。彼女たちも自分の恋人を作ればもっと幸福になれると思います」と言った。響は210㎝の長身であったが苦い経験もあった。明らかに普通身長の人間などとの比較によっても、XLの服のサイズにおいても、また実際の計測においても2mを超えているのは絶対的なのに、情報を取り間違えたスーツ屋の店員は彼の事を173㎝なんて言っていたのだ。響はもう長い間身長を計測してはいないが、間違えても姿勢が悪くても2mを切る事はないので、彼は自分ん身長に満足していた。もし計測をするにしても首を伸ばし、顎を少し引けば良い。目線を上げる為に顎を上げると身長が低くなるのは科学的な実証においても事実である。また背伸びも逆効果であった。普通にリラックスして身長は計測しなければいけない。実際の数値がどうであれ、彼は多くの人によって長身以外のなにものでもなかった。股下は46パーセントで普通だったが、長身であるから彼の足は長く見える。まあとにかく、響は慢心していた。その慢心はネガティブなものではなかった。自分は長身なのだ、それは疑いのない事実なのだ。巨人並みの長身なのだ。チビでパッとしなかった少年時代の自分とは違う、自分は大抵の長身の男どもよりも長身なのだから少しくらい調子に乗って良い筈だ。彼はその思いを自らの胸中に反芻させるようになっていた。

学者達の中には超能力の研究をしている人間もいた。無論そのような超自然的なものを研究していればイギリスでさえ、白眼視されることは不可避である。その彼は周囲には極秘で研究しているらしい。そして自分で極秘に発明した機械によれば響には超能力があるという。彼は少し意識を集中してくださいと響に言った。そして彼は暗示をかけ、超能力を刺激するという装置の電源を入れた。「あなたは超能力者です」と彼は響に言った。

そして次の瞬間響の脳内に男の声が響いた。周囲にはその声は聞こえていないようであった。「我は響、お前のもう一人の存在だ。我の能力をお前に伝播させよう。我の能力は接触と移動の原理を基本としたものだ。この能力を使えば、ものを自由自在に移動させる事が出来るし、接触したものを自らの内的世界に蓄積させ、解放させる事が出来る。お前は数か月前に不思議な夢を見た事だろう。入院中に。その時の夢はこの世界のパラレルワールドの出来事だ。超能力は実在するのだ。お前の凌辱体験がきっかけに意識がその世界に飛び、その世界のお前の人格と入れ替わったのだ。そしてお前の意識はその世界のお前にとって支配的なものとなり、司令塔になったのだ。その逗留期間は一年にも満たなかった。それはお前のパラレルワールドの人格の自動的な修正によりお前の人格は現在いるこの世界に移動したのだ。この移動はパラレルワールドの超能力が目覚めたお前の移動の原理が使われている。お前の超能力は他人への譲渡は不可能だが誘発させる事は出来る。無論素質のあるものでないとその誘発は出来ない。譲渡ではなく、波動のように影響を与え、変化させる事が出来るのだ。そして移動の原理は精神世界にも応用が可能なのはお前が今の世界に意識がもう一人のお前によって戻された事が物語っているのだ。さあ、この世界に意識を戻すぞ、存分に活躍してくれ」

響はその声を聞いていた時間少し変性意識状態になっていた。彼はこれは幻聴の究極系だろうか、自分の妄想が幻聴と結びつきすぎたからこのような声が聞こえたのか。また医者に相談しないといけないと思った。

「どうしました?ぼーっとして」

「ごめんなさい、なんだか迷惑かけて」

「いや、全然迷惑なんかじゃありませんよ。こういう経験は私の研究活動では珍しいものではありませんから」

そして学者の一段と一通り話をして響達はホテルに戻った。良い経験だったと彼は思った。不思議な経験もしたが、それも相まって良かったと彼は思った。

翌日、目を覚めた響はコーヒーを飲もう思った。すると突然響の手にコーヒーのペットボトルが現れた。響は自分がコーヒーのボトルを手にする事をイメージしたのだが、こうなる事は彼は想定していなかった。これが僕の超能力か?確か、移動の原理なのか?と思った。その不可思議な現象を近くで見た佳織は「何今の?どういう事」と響に質問した。「どうやら僕は超能力に目覚めたらしい」響はゆっくりと、しかし確信のある声でそう言った。「実はね、昨日居酒屋のような場所で超能力の研究者と話している時があったじゃない?その時僕は少しぼーっとしていたじゃない?実はその時、僕の頭の中に超能力の解説と、この世界の構造について説明した男の声が僕の脳に聞こえていたんだ。自分でも病気の症状かと思ったよ。でも今の現象のおかげでその声は病気の症状でない事が分かったね。少なくとも統合失調症にありがちな声ではない、中身のある声だったんだ」

佳織は驚きを隠せない様子であった。「でも超能力を悪用したら駄目よ。まああなたに限ってそれはないと思うけど」とクスリと笑いながら言った。

「この能力は応用性のきくものだけど、今のところ特に下らないこと以外に使用方法が思いつかないな」

彼らは今日もイギリスの名所を巡った。すると強盗が銀行に来ていたらしく、街の一角が騒然としていた。この監視カメラがあふれかえり、警備も複雑化した現代において強盗なんて勇敢だなあと響は思った。移動手段や、覆面などを使ってもやはりこのご時世、相当な用意周到な準備がなければすぐに足がつく。当局が無能や低能でなければ。

響は「僕に任せて」と言った。そして光を自己の中で操作した上で作り出した強力な電磁波を犯人の脳内に移動させた。犯人は痙攣しなが泡を吹いて失禁してしまった。後始末はイギリス警察に任せようと響は言った。その様を間近で見ていた佳織は彼に頼もしさや、かっこよさを感じた。超能力を得た事で自分の恋人は神のような存在になったことに彼女は半ば慄然とした。しかしどのような能力を持っていても響は自分の大切な恋人である。嫌いになるどころか、彼女の彼に対する尊敬の念は更にました。彼の優秀な遺伝子が欲しい、彼の子供が欲しい。私の幸福の為にも、世の中の平和の為にも、と彼女は思った。まるで響はプロの仕事をしているようだ。彼が計算に没頭していた時は彼の数学における天才を佳織は味わっていたが、今の彼はあらゆる学問も超越した、人類そのものも超越した、新たな存在がそこにあった。超能力は彼の精神の発露だと彼女は思った。彼の精神の先進性が彼に超能力を目覚めさせたのだと彼女は思った。響は日本にいた頃から明らかに凡人とは異なっていた。彼は自嘲的に、若い頃は自分を偽って、普通を装っていたから周囲の人間からは普通の人だと思われていたと言っていたがあ、こんな普通の人がいるものか、と彼女は思った。

彼はその後も、イギリスの街の平和のために自分の超能力を使っていった。彼自身は自分が超能力者だと名乗り出る事はなかった。もう彼には十分な名声があったし、今は自分の超能力を明かすべき時ではないと彼は思っていたのだ。彼はイギリスの数学史を読んだ。カーネル、次元、ベクトル、スカラー、行列、それらは彼の目にはそれほど新しいものではなかった。彼にとって日本語よりも英語の方がシンプルであった。したがって英語の書物を読むのにも、英語を話すのにも、まるでずっと昔から自分はイギリスに住んでいたのだというような錯覚を彼は感じていた。彼はイギリスの文学を読んでいた。原書で読むにはそれほど経験がなかったのだが例の如くそれも円滑に進める事が出来た。イギリス文学は貴族のような風格のものもあれば、労働者階級の、プロレタリアートとでも言うのだろうか、そのような風格を持ったものもあった。イギリスに来て初めて知ったイギリスの作家もいた。彼は日経イギリス人のカズオイシグロを知らなかったのだが、彼がノーベル文学賞受賞者である事と、彼の文体が響の脳にすーっと入ってきた。読書には合う合わないもある。読者のレベルが作者の芸術の水準に達していなければ享楽できない作品もある、芸術においては自分に理解できないものは妄りに足蹴にする事はナンセンスである。

彼の芸術観は彼がイギリスに来て、さらに鍛えられた。イギリスでは日本以上に自己顕示欲の強い芸術家がおり、東京よりも芸術的な取り組みをしている人間が相当いた。ビートルズのルーフトップコンサートでも彼らメンバーは無断で建物の屋上で演奏していた。反権力的な、天衣無縫な精神性は現代のイギリスの若者にも脈々と受け継がれている事は響の目には明白であった。

「ねえ、響さん。今暇してる?」響と佳織が通りを歩いているとそう言って来るブロン美女が響に声をかけてきた。彼らカップルは長身過ぎて目立っていた。多くの人が彼らを避けたり、見上げたりしていた。それ故、彼らは声をかけられやすいのかも知れない。

響は佳織に確認を取り「暇してるよ、何か用かい?」と彼女達に言った。「少しお茶しない?紅茶を飲みましょ。私たちがイギリス流のティータイムを伝授してあげるわ」郷に入っては郷に従え、響はイギリスの文化に服従する意識が旺盛であった。

彼らは昼下がりにティータイムを楽しんだ。ブロンド美女達は「ねえ、佳織さん。私たち一夫多妻制の当事者にならない?私たちも響さんの子供が欲しいわ。どこか一夫多妻が認められている国に行って、皆で和気藹々と一緒に過ごしましょうよ」佳織はそんな事を言うのは失礼だと思った。響は自分だけの男である。彼女は彼への独占欲だったからその申し出を断固拒否した。

ブロンド美女たちは「そう言うと思った。私たちはあなたの愛情を試したのよ。良かった、響さんに真の意味での恋人がいて」と言った。響は一瞬冷や汗が出たが、それが本気の申し出ではなかったことに彼は安堵した。それ以後も話はあった。彼らは和やかに話していた。

ある日、イギリス滞在期間が残り一週間になった時、ミュージシャンのギルフォードという男が響にメールでレコーディングをしないか、と言ってきた。響は携帯にメモしていた歌詞を持って、アビーロードスタジオにレコーディングの為に行った。響は作曲の為のリフや歌詞をあらかじめギルフォード達に送っていた。

彼は翌日、アビーロードスタジオに佳織を連れて訪れた。佳織がナンパされないかどうか訝しげな思いを響は抱いていたが佳織は「私、響以外の男どもには一歳興味がないの。そりゃ褒められたらうれしいし、人間扱いはするけど。男として尊敬し、溺愛しているのは響だけなのよ」彼女は快活そうにそう言った。レコーディング時間は佳織は楽器や機材の付近にはおらず、ただ響の姿に見とれていた。

「少し実験的な要素を導入しよう。君たちもプログレッシブツイストの芸術家だろうからどれは分かっているね。まず歌詞の歌い手をパートに分けよう。コーラスも入れよう。アルバムの最初にはコラージュした音声を入れて、何か言葉を言おう。そうだね、来い、とかで良いんじゃないかな。僕のリフは聴いたかい?」

「響のリフは聴いたよ。ブラックサバスの影響もうけたリフだね。歌詞のメロディーはどうする?」

そして彼らはまず歌詞のメロディーをピアノやギターや作曲ソフトを使い、悪戦苦闘して生み出した。響は天才であったがやはり人間でもあった。創作の際に何らの四苦八苦もなく作品を完成させる事は出来ない。それはギルフォード達も同じであった。彼らは作曲上のアイデアを話し合った。そして既存の音楽にはない要素を、奇抜ともとれる創意工夫をアルバムにふんだんにいれた。響のギター演奏を聴いたギルフォード達は上手いねと言った。響にはそれはお世辞であるように思えた。響はまだ音楽活動の上では玄人ではない。その事によって引け目があったのだろう。しかしギルフォード達はそのように引け目に感じなくても良い。我々とあなたは対等だ。少なくともレコーディングでは自由闊達に意見を交わしてくれ、と響に言った。アルバム制作においてエンジニアを除けば成員は全員20代であった。したがって皆敬語や仰々しい言葉を使わずに仲良さげにアルバム制作をしていった。

音楽に対して日本人は保守的で、時代に遅れていると思う。しかし響はちゃんと自分の音楽について、自分の芸術について思索していた。それは数多の音楽家がたどってきた道に相違なかった。ロジャーというベーシストの男は極めて先進的な考えを持つ男だった。その先進性は芸術の全ての分野に及んでいた。彼は絵画ではシュールリアリズムや前衛芸術を学んでいた事もあったそうだ。彼は芸術の分野で博識であったし、また知識だけにとどまらず実践的な知、知恵についても高度な思想を持っていた。響はギルフォード達の事を尊敬していたし、ギルフォード達も響の事を尊敬していた。しかし尊敬のあまり恐怖に支配される事はなく、全員忌憚なく創作について意見を交わし、アイデアを幾つも演奏した。そうして一日は過ぎていった。彼らにとってその一日は変化し、広大無辺なものへと姿を変えた永劫回帰の宮殿であるように思えた。

響の書いた歌詞は自然主義の文体であり、また彼の影響を受けたと思われるニーチェやフロイトの思想もあった。また統合失調症としての経験もその歌詞に余すことなく生かされていた。イギリスでは当時統合失調症はかなり存在感のある病であった。統合失調症への認知が進めた中心的な役割を担ったのは響とイギリスの精神科医であったようである。響は自分という存在を見誤っていた。自分の影響力がこれほどまでに自身の手を離れ、巨大になっていくのを見るのは愉快であったが、彼の名の広がりはそれ以上に驚きや現実世界への神秘性を感じるきっかけになっていった。

ギルフォード達は翌日も響とアルバム制作を行った。アルバム制作は彼らにとって非常に先駆性のある出来事である。彼らはビートルズと関係のあるアビーロードスタジオを選択したのであるが、アビーロードスタジオの力を借りなくても21世紀最高の音楽アルバムが完成する事は佳織の目にも明らかであった。ギルフォード達も、響も自分たちの最善を尽くしてアルバム制作にあたっていた。

響は休憩時間中にギルフォード達から「響の母国である日本では良い音楽はあるか」と尋ねられた。響は「イギリス程はないし、芸術性も高くないが強いて言えば、ゲーム音楽やウルトラマンの音楽が良い」と答えた。

「ウルトラマンとは何か?」ギルフォード達はそう言った。

「欧米では知る人ぞ知る存在らしいが、日本の文化である特撮の分野だよ。僕はウルトラマンレオが好きかな。僕の子供時代を彩ったコンテンツさ。しかし子供向けのものであるとの意識もまだ日本人の中にはあるね。新しいウルトラマンの映画はその潮流を変化させたようだけど、まだその傾向は残っているね。中学時代に僕のウルトラマン愛を周囲の少年たちに話した事があるのだが、皆嘲笑したよ。ウルトラマンなんて幼稚園児の見るものだと言わんばかりに彼らは笑っていた。その一件があって以来、僕はウルトラマンへの愛を言わないようにしていたんだが、大学を卒業する頃には周囲の土人の為に自分の趣味や個性を犠牲にするのは嫌だと思って、またウルトラマンシリーズを見る事になったんだよ。僕の210㎝長身も僕の個性だが、ウルトラマンへの愛も僕の個性の一つさ」

「イギリスでもイギリス文化の顕現みたいなコンテンツはあるし、それらに身を挺する人間も多いよ。君の言うように個性を殺そうとする意識は日本では特に顕著らしいね。工場の生産物のように同じようなのっぺりとした顔が並び、集団を重んじ、同調圧力を気にする日本人が多いなかで、君は外見的にも内面的にも明らかにそのような日本人とは異なっている。俺たちはすぐにそれを理解したよ。君に一目会った時からね」ロジャーはそのように言った。響は心が現れるような心地がした。自分の理解者が現れたように思えた。またギルフォード達は響にとって神にも等しい光芒を持っているような存在に一瞬思えた。そして自分も彼ら以上の存在なのだと思うと俄然やる気が興隆してきた。

「君たちは大卒かい?」

「ジョンは大卒。他の人間は専門学校や高卒だよ。イギリス人は日本人みたいに盲滅法に学歴を偏重しない。いかに名門大学の軍勢が俺たちの前に大挙して押し寄せたとしても俺たちは寸毫もおののいたりはしないね。そしてその強靭なメンタルを俺たちは誇りに感じている。これはナルシストのような過大評価ではない。俺たちは素晴らしく、響、君も素晴らしい。一緒に仕事をしてずっと思っていたよ。俺たちこそが次の時代を作るんだ。俺たちこそが芸術の発展を先導するんだ。俺たちにはその実力もある。響も自信を持つことを恐れちゃだめだよ。傲慢は良くないけど、自分に自信を持つ事は人間のモチベーションにとって中枢的な役割を担っているんだよ」

響とギルフォード達は5日間で多くの創作を行った。響は自前の超能力を使い、創作に貢献した。超能力を響が初めて使用した時、ギルフォード達は大層驚いた。しかし響の特殊性はギルフォード達も存分に理解していた。アルバム制作の際にも彼の才能は十分に応用された。響が超能力者であったとしてもギルフォードは少し考えると自然であるように思えた。人間は未知と遭遇した時どのような反応を取るのかと響はワクワクしていたのだが、ギルフォード達は彼の思った通りの反応を呈さなかった。ギルフォード達は超能力を利用したことにより音楽アルバムを満場一致の傑作だと認めていた。完成したアルバムはCDにもなるし、ネットでもダウンロード出来るようにするらしい。

イギリス旅行は終わった。そして響達は日本に帰ってきた。響達のつくった音楽アルバムは世界中で瞬く間に広がり、そのアルバムが生命感あふれた人類史上最高の音楽さと認める人間も多く出てきていた。響達はザソルロスという名前でその音楽アルバムを作ったのだ。彼の芸術家としての栄華は際限なく広がって行った。彼はレオナルドダヴィンチ以上の多彩な人物として世界中で呼ばれるようになっていった。彼の芸術は日本の新たな文化の金字塔となり、10代の頃平生から妄想していた自分の成功を遥かに超える成功に響はやはり内心では驚いていた。佳織も同様であった。

日本では統合失調症への理解がかなり深まってきた。響の奮闘ぶりと芸術の魅了によって日本人は統合失調症へ興味を持ち、各人の周囲の統合失調症にも寛大な扱いをするようになった。統合失調症は全てが天才ではないが、響の統合失調症は間違いなく、彼の存在に即したものであると多くの人々が認めていた。

丸いサングラスについて、当時は天才のアイコンになっていた。日本人は多く、サングラスに対して抵抗感をなくしていっていた。それは響にとって喜ばしい事実であった。海外ではサングラスが多く利用されていた。視覚過敏があろうがなかろうが、サングラスはもっと汎用されるべきである、と響は昔からいつも考えていたのである。

「グリーティングス、皆。僕はイギリス旅行に行ってきた際にお土産を買ってきたよ。イギリスらしいものばかりだよ」

響はそう言ってお世話になっている人や友人たちに紅茶の粉などを渡した。イギリスのお菓子や工芸品なども渡した。老舗の企業がつくった最貧もその中には含まれていた。皆すごく喜んだ。そして他人の喜ぶ顔を見るには響にとっても嬉しい事であった。日本は帰国すれば少子高齢化も解決に向かっており、経済成長率も飛躍的に上がっていた。また日本の科学研究や数学は世界において王者的な立ち位置に鎮座するようになっていた。日本人の情緒が科学や数学などを彩り、海外の人間たちはよく日本を訪れ、日本の研究機関に就職したり、日本の大学に入学したりし始めていた。無名大学であった響の大学校は名門大学になっていた。その大学の教授や学生が一丸となってアピールをして、また日頃の真面目な取り組みによって大学の知名度を上げ、偏差値も上昇した。そして日本人は本当に自分がやりたい事の為に大学に進むのが良いと思うようになっていた。偏差値などを意識する日本人はごく少数になっていた。響は学業が優秀ではなかった事も周知の事実となり、それは不良少年や不良青年の自尊心を期せずして高める事柄となった。響は自分を中心に世界が変わっていくような心持がしていた。実際はそんなことはない、これは統合失調症の誇大妄想だろうとも彼は思っていたが、もうそんなことはどうでも良かった。彼の心中は変化し、世相も変化した、力学的関係も変化し、もはや人類は異なった時代を歩む事になっていた。

響はイギリス土産として大量に大人買いした紅茶を飲んでいた。佳織も同じように飲んでいた。「イギリス旅行楽しかったね。想定外の創作もあったし」

「僕は楽しかったよ。佳織も楽しめたようで良かったよ」

「何かに一所懸命になっている響はいつ見てもかっこよくて惚れ惚れするわ」

「しかしこの紅茶は美味しいね。この紅茶に神的な存在が宿っていて、まるで世界そのものや僕の苦労がこの紅茶を飲む事で解消されてゆくような感じがするよ。この神秘的な流体は僕の体に入ってゆき一挙に動的平衡を保ったまま、その内部は全く違うものになってゆく、そう思えば僕は神を摂取しているのかもしれない」響は豊饒な想像力を展開した。実際彼にとっての神的な紅茶は外でもない日常の群に眠っていたのだ。響はそう考えると、これからの流動的な自分の人生に対し胸の高まりを感じるようになった。

「物事は見方次第で様変わりするんだね、決定的に。数年前の絶望しきっていた僕自身に言ってやりたいよ。君の活動は無駄じゃない。君の悩みは無駄じゃない。苦しい時もあれば幸福な時もある。禍福はあざなえる縄の如しってね。そして強靭な精神を手に入れた後は不幸ももはや幸福にさえ感じるんだ。今の僕のようにね」

「その言葉の魂を過去のあなたに移動して伝える事は出来ないの?超能力があるでしょ」と佳織は言った。確かに出来るかも知れない。響は自身のイメージを働かせ、その魂を移動させた。過去の自分にきちんと伝わっただろうか。伝わったかどうかは分からない。過去の自分をリアルタイムで見ている訳ではないからだ。しかしそうした後に響には激しい、絶対的な、唯我独尊の幸福感や自信が舞い降りた。これは僕の行動の結果だろうか。過去に行動をした事でその時点からの未来に相当する僕にたちどころに変化が生じたのだろうか。

「でも、本当にすごい人生を歩んだわね。お互い様に。私も響に邂逅する前は馬鹿みたいに退屈な人生を歩んでいた。私も過去の自分に何か言ってやりたいよ。まあとにかく私自身も非常に成長できた気がするわ。おや」佳織は携帯を弄っていて、何か見つけたようだ。「どうしたの?」「響、あなたにノーベル文学賞、ノーベル物理学賞、ノーベル医学生理学賞、ノーベル化学賞の受賞が決まったってさ。凄いね、前人未到のノーベル賞複数4個受賞者だってさ」響は対して驚かなかった。自分に超能力が目覚めてからは彼は加速度的にこの現実に対して常識や既成概念の枠組みで見る事はなくなっていた。

「なぜ、その情報が僕に来ていないんだろう」そして即座に彼は気づく、自分の携帯はマナーモードにしていたのだ。彼が自分の携帯のマナーモードを解除すると何やら色々なところから電話が殺到していた。彼はそれらの電話番号に電話を掛けた。するとノーベル賞に知らせが予期していたように知らされた。「あなたは日本人の中でも、人類の中でも極めて優秀かつ天才的な人間であり、あなたはもう神だ。学会であなたは神扱いをされている。偶像崇拝の対象としてあなたを担ぎ出している人間も世界のあちこちでいるし、ネットの掲示板でもあなたに対しては絶賛の嵐だ。あなたは本当にすごい。あなたのすごさ、卓越性は全体未聞にして空前絶後であり、もはやあなたのすごさは筆舌に尽くしがたいものだ。あなたをいじめたり迫害していた人間はあなたの今の様子を見て嫉妬で大暴れしているみたいです。ネットでも彼らは陰謀を憚らず発揮しているが、あなたを支持する人々、あなたを評価している人々が大多数であるからそう言った言論は弾圧はされていないが無視されている。あなたは本当に素晴らしい。過去のあなたに関与した人物はあなたの事を漫画やアニメにしたい、あなたの作品をアニメ化漫画化したいと言っている人も多いですよ。あなたが彼らに許可を与えればあなたを中心に日本のエンタメは変化するでしょう。あなたは芸術でも素晴らしいですからね。その自由性、そして完成度は今や世界中の文学購読や芸術概論の講義で広く扱われているようですよ。あなたの努力は結実した。完全にあなたの誇大妄想だと認識されていたものは現実化したのですよ。これは誰にも出来るものではありません。あなたは歴史上でも唯一無二です」熱のこもった言葉が電話を折り返しかけた相手から送られてきた。最大級の賛辞だった。響は世の中が自分に平伏し、自分の思い通りに運んでいる事に大変な満足感を感じた。

響は昔のいじめられていた自分を思い返した。何度も何度も思い返してきた過去の自分。友達どころではなかった、恋愛どころではなかった僕の自閉および内向時代。僕はずっと寂しかった。僕にも責任の一端があるものの、教師から体罰を受けたり、学生からは笑われ、いじめられていた。僕をここまで不幸にさせたのは神の寓意だったのか、それとも生物的な不祥事だったのだろうか。僕はもっと読書をして、教養を深め、知識を得て、自分自身の世界を創ろうとしていた。15歳の事の僕には自分の意見や自分の哲学がなかった。当然10代半ばの人間がはっきりとした自分の哲学を持っている例は少ないだろう。周囲の学生はスマホゲームなどをしているようであった。僕は周囲のご機嫌を取ろうとスマホゲームをしてみたものの、余りにも退屈だった。どうやら僕はゲームというものに向いていないらしい。僕の友達は僕がゲーム苦手なのは単にやらないからだと言った。どんなアホなやつでもゲームは出来ているのだから、とその友達は続けた。

僕は音楽を好んでいた。学問も好きであったが音楽はそれ以上に好きであった。僕の脳内ではいつも好きなバンドのナンバーがかかっていた。音楽は僕の五感を時折苛烈なものにしたりもしたが、時折他者とのコミュニケーションのネタになっていた。彼は自分の興味関心にしたがって様々な音楽を聴いた。邦楽なんてナンセンスだった。センスのある連中は有名どころの邦楽ミュージシャンには一人としていなかった。僕の若さは既存の価値観への反発心を惹起させ、僕はネットで自分の意見を書き連ねていった。僕の情報発信は高校生の頃からしている。タイムラインも誰もいいねをしないのに更新し続けた。もはや病的と言っても良いほどに僕の表現意欲は抑えきれなかった。高校時代に僕を見ている人はいなかった。僕の狂気だけをクローズアップして見ている連中なら腐るほどいた。実際校内では僕が狂人であり、犯罪者予備軍であるという言説が知れ渡っていた。

僕の友達は皆離れていった。皆僕を迷惑そうに思って、ラインをブロックしたりしていた。それでも僕を見放さない友達はいたのだが、彼らと会う機会は極端に少なかった。

僕の統合失調症発症以後に、発達障害染みた症状が躍り出るようになった。有能なカウンセラーが一度僕の高校に来た時、彼は僕の知性を認め、君は国立大学に行って、もっと変な人と関わった方が良いと言った。その後彼は僕の担任に響は発達障害であると言っていたらしい。発達障害は元来先天的なものである。統合失調症によって後天的にあらわれた発達障害的な性質は発達障害を疑う理由にしては決定的に乖離している。そのカウンセラーは有能だと名高い人物であった。僕は自分の理解者である彼を尊敬した。しかし彼の認識は全てが正鵠を射るものではないと僕は考えている。

その後も精神科関連の職員達からは発達障害だという定説が生まれていた。彼らは僕の母親にその事を伝えていたらしい。確かに僕の存在はデイケアでも少し普通とは異なっていた。その異質性を彼らは発達障害に集約し、合理化しようとしだしたのだ。このような作用は人間世界では頻繁にみられるものである。

マリリンマンソンもコロンバインでの銃乱射事件を受けてスケープゴートのように扱われていた。彼は、自分は恐怖を体現しているし、言いたい事もずばずば言う。ロックを歌っているんだからな、しかし大統領と俺、どっちが影響力がある?俺は大統領の比じゃない。そして恐怖を体現している俺を批判するのは容易い、モニカルインスキー事件なんて忘れてマスコミは国民を操る。恐怖と消費が関わって国民の経済活動はある程度統御されている、と彼は言っていた。僕は彼の言葉を聞いて、僕も彼のような立派な人物になりたいと思うようになった。僕は高校時代はジムモリソンやボビーフィッシャーに憧れて、まるで自分が彼らになったような気持ちで思うがままに振舞っていた。僕は演技には自信があったし、僕がインテリぶりを表現していた時、皆僕の知能を認めるようになった。しかし僕の父親はそれに関して懐疑的であった。

僕は大学時代、勉学に正面から向き合っていた。僕はアルバイトなどは大してしなかった。僕の医者は何年かかっても大学を卒業し、大卒の資格を取った方が良いと診察で言及していた。僕は大学を辞めようとしたことがある。大学二年生の頃、精神病院に入院した。少し心機一転しないと自分の人生は零落する。このまま僕の悪化した精神を放置しれいれば自責や自己懲罰は一転して他責や他者危害になってゆくと僕は思った。その想像は正しいものだったのか、僕には分からない。精神病院での入院生活自体も最初の方は比較的安静だったものの、途中から統合失調症の幻聴や被害妄想などの症状も現れ始めた。僕はその原因は精神病院になると思った。僕の当時の脳内は激動であり、思考のアップデートが行われる事は常であった。僕はそこでは若い青年とも中年男性とも仲良くするようになった。病院内は暇であった。統合失調症の症状があったとは言え、暇には耐えられなかった。僕は音楽の話や身の上話を彼らとした。僕と同じ病室の青年は落語が好きで、調理師免許の持っている人物であった。彼はIQ70だと言っていたが、彼にそれを感じ取れる愚鈍さはなかった。知能検査なんてものは時代遅れの指標だ。IQ1000の僕がそういうのはどこか滑稽であるが。それ以外に人間を計測する方法は様々である。しかしどのバロメーターも僕にとっては甚だ的外れであるように感じた。僕は当時そうした懐疑的な己の性格を誇りに思って生きていた。

僕の存在は大学では何やら有名になっているらしかった。この事に僕は大学三年生の頃、明瞭に感じた。何故有名になったのか僕には理解できなかった。学生の中で自分が目立っていたのだろうか、僕は人間というものが理解できない。したがって自分自身も理解できない。

僕はよく大学の図書館にいた。自分の興味の赴くまま、書物を読んでいった。周囲の人間に僕程勤勉な人間はいないように僕は思った。しかしそれは傲慢のようなものであったのかも知れない。実は僕は自分の卒論の構想は2年生の事から意識していた。フレームという言葉自体は新しいものではない。物事を枠組みを使って認識するというのは哲学上でも頻繁に行われていたことだった。しかし僕は統合失調症患者としての自分の経験を利用し、独自のフレーム理論を作りだし、その内容はもっと応用可能で、精神医学に特化した、一つの体系であった。僕は自分の着想を長い時間をかけて、独自に理論化体系化しようと努めた。しかしこの考えは学生には勿論、教授にも理解されなかった。しかしこの理論によるパラダイムシフトは並外れて壮大なものである事を僕は確信していた。現代では僕の理論が正当に認められて、豊かに応用されるようになった。僕の研究をする研究者も非常に多くなっている感じだ。僕なんて人間は別に大した事ではない。しかし他人からすればそうではないのだろう。僕は時々自分が死人であるような印象を感じるようになった。まるで伝説のように僕のエピソードが世間の津々浦々に知れ渡っているようになったのだ。数年前までは僕の事をクソ雑魚産業廃棄物扱いをしていたのに、この急速な手のひら返しはなんなのだろうか。僕はまさにその事に人間の危うさを感じる。人間は完全な存在ではない。完全な認知はイデアの認知に相違ない。しかし人間は死ねば、あの世に行き、自由になれる。全ての人間は仏になりえるというのは有名な仏教の原理原則である。僕はこの原則を信じている。僕は既に独自の人生哲学を持っているのだが、換骨奪胎な部分も多くある。一人の人間が全てオリジナルで行動する事は不可能だ。どのような時代であれ、それは変わらない。その先駆性が世界を変え、歴史を変えた時に、その発見者発明者は天才だと称されるのであろう。

僕の母校である小学校、中学校、高校では僕を崇拝する学生が多く出てきているという。あのような不世出の天才を評価出来なかった学校教育は見直される必要がある、教育改革を推し進める必要がある、と言う有名な政治家も現れだした。もはや僕は時の人となったのだ。僕の芸術作品も、歴史的な作品として現代文の国語の資料集に掲載されているらしい。また僕の業績や写真が社会の歴史年表にものって、音楽の教科書にも現代音楽の欄に僕のソルロスの事が記載されているらしい。

しかし僕は艱難辛苦があって、親からの資金援助もあったとは言え、よくストレートで大学を卒業できたものだ。一時はどうなることかと懸念したり危惧していたりしていたが、結局のところ僕は助かったのだ。統合失調症だと勉強が出来なくなるケースも多い。僕も勉強が出来なくなった。しかし大学を卒業し、研究は出来た。僕は初めて主体的に学問に向き合うようになっていた。これは大学進学のおかげだろう。或いはそうでなくても大学進学のおかげでこの境地へと至るスピードが生まれたのだと思う。僕は哲学教授になるべく大学の文学部哲学科に進学したのだが、結局教授職にはつけなかった。大学院に行って長期戦や心理的重圧に耐えられるだけのキャパシティが統合失調症の僕にはなかったのだ。

僕には現在佳織がいるのだが、もし佳織と出会わなければ僕は延々と泥沼の中に沈んでいたのだと思う。彼女の存在と馴れ初めのナンパする勇気を持てた僕を僕は祝福したい。彼女のような素晴らしい長身美人は僕の理想の母親であり、また僕の恋愛的嗜好に合致した数少ない女性であった。彼女は僕にとって運命の女性だった。運命なんて大袈裟で手垢のついた言葉だが、僕は心の底からそう思う。統合失調症になって僕はたくさんのひどい目にあってきたけど、彼女との生活が今の僕には至極幸福である。僕一人で生きていれば、きっと僕は今も悶々と悲観的な事を考え、自殺を考え、最悪の場合お釈迦になっているかも知れない。しかしそうはならなかった。やはり神は僕を寵愛しているのだ。僕は聖書などを碌に読んだことがない。モルモン教の聖書は訳あって読了したが、正直あのような世界観にはついていけないし、聖書における文学的修辞なんかも僕は閉口してしまった。勿論僕は生粋の理系であるから文系的読解能力などは持ち合わせていない。もしかすると僕の聖書への無理解は僕の読解能力の限界を一際証明するものであるのかもしれない。

僕の容姿も絶賛する人物が増加の一途をたどっているらしい。僕は正直不細工ではなかったので容姿を理由にいじめられる事はなかった。嫉妬される事は多数あったが。僕の顔面を女顔だとか言う人間もいるらしい。まあ髪が短い時も昔はよく女性に間違えられたりしていた。今は身長が210㎝あるので長身美人扱いだが、それでも男子トイレに入ったりすると驚かれる。それは或いは長髪である事も関係しているのかも知れない。しかし長髪はニュートンから受け継いだ僕の個性である。僕は美容院に行くときはいつも「長髪を維持したままよさげな感じでお願いします」と言う。髪型はニュートンベースだが僕は今やニュートンを超えた。どんな天才も僕は超えた。IQではずば抜けて世界一位であるし、功績という側面でも僕は傑出した自分の才能を遺憾なく発揮した。

僕は紅茶が好きだ。紅茶は苦しい時も、嬉しい時も僕に寄り添ってくれる、それは音楽だってどうではあったのだが。紅茶を飲む時間は僕にとって優雅な一時であった。日本人たちも僕の影響からだろうか、紅茶に対し愛着をもつようになっていった。このように全ての日本人の行動の原因を僕は自分を中心に考えている。それは普通の感覚で言えば完全な傲慢であり、ミスリードなのだが、僕の場合においてはそんな妄想染みた思想は事実である。実際その論理的連関も見られるし、物証も多くある。

僕は何やらジェンダーレス男子呼ばわりをされているらしい。旧来のジェンダーレス男子が小柄で華奢なのに対し、僕は巨人並みのジェンダーレスであった。しかしそのような言葉は僕は嫌いだと僕がSNSでつぶやくと、急速にその名称が僕に対して使用されなくなった。実際僕はジェンダーレスというか、単に長髪なだけの男だ。ファッションに凝っている訳でもないし。美容にもさほど興味はない。そもそも僕は地黒なので白い女性らしい肌とは無縁である。

僕は今では全ての自分に向けられた迫害を無視できるようになった。昔の僕ならそんな事は出来なかった。僕は格下どもの、そもそも同じ土俵に立っていない連中の僕への批判を聞くのは負け犬の遠吠えであるように感じた。そもそも相手を同列に置くから争いは発生する。僕が僕の頭部を叩いた高専の教師に復讐しなくて本当に良かったと思う。彼に僕が復讐していれば僕の品位は忽ち下落するだろう。周囲の人間が僕が自分を迫害した人間を悪く言ったり、血で償わせてもらうなんて言っている事を肯定しなかったのも頷ける。僕は彼らを見返した。そして今や統合失調症という病気は僕の勲章のようなものになっている。

犯罪者だの異常者だのと呼ばれていた統合失調症は僕の存在の面目躍如によって遥かに批判が弱くなった。そしてその変化は精神医学にとって立派な一歩であった。精神医学で僕が提唱したフレーム理論も応用されていた。僕のフレーム理論は心理学の領域にも属しており、哲学の領域にも属していたのだが今では時代精神の象徴のようにも取り沙汰されている。また宇宙の謎も僕の統一場理論で解明され、贅論やそのほかのあらたな数学的発見や発明も人類文明の根幹をなす存在になった。僕はガウスやオイラーよりも影響力のある、天才的な数学者として知られるようになった。早熟性の顕現という意味ではガロアやパスカルには及ばないが、僕は数学や自然科学において空前の大天才だと称されるようになった。天才という名前は結果を出してこそ使われる。以前の僕は天才ではなく、天才肌や才能のある人だと言われていた。

僕は僕の外見だけではなかった。むしろ僕の外見よりその才能を認める人が多かった。僕を凡人とは違う場所に置いた事で、大多数の人間は迂闊に扱ったりは出来なくなった。一たび不適切な扱いを僕に向ければ多くの人は僕の事を懇切丁寧に説明し、またその誤りを訂正するようになった。僕は自己弁護も得意ではないので僕の周囲には警護する男どもを置いた。僕はいつでも防御されるようになった。安倍前総理のようにいきなり射殺される心配もなかった。陰謀のようなものも未然に防ぐべく、新たな統合失調症警護団体なんていう新たな機構も発足、設立された。

日本の精神病への理解は高まった。統合失調症のみならず、プログレッシブツイストの後追いの勢力が精神疾患をテーマに小説を出したり、エッセイを書いたりもした。僕は自分の言語的表現能力はお粗末なものだと思っているので他に精神疾患の正しい理解を促進する啓蒙家がいる事は非常に有難かった。

僕は昔、自分の人生は終わりだ。もう自分は人生を十分に生ききったと考えており、突発的な災害や不慮の事故によって自分が死に至る事を強く望んだ。しかしそうならなかったのは人類文明を司る神が僕をその大いなる寵愛で守護してくれたからだろう。僕は今でも自分勝手な思考を巡らせている。しかしそれこそが創作の役に立つのだし、自分の自分勝手な発言の一歳含まれない個性なんてものは無味乾燥である。

僕は今、紅茶を飲んでいる。佳織は買い物に出かけており、いない。紅茶は僕の仕事、について大きな影響を及ぼした。苦節26年、僕は佳織と結婚し、佳織との子供も生まれら僕は自分の子供の育児を今、惜しむことなくやっている。ジョンレノンも専業主夫をしていた事もある。彼はソロになってから彼の人生に対する七転八倒をいろんな場所で書いたり、曲にしたりした。僕も同じような境地にいるのだろうか。彼は紅茶の国イギリス生まれである。僕も千利休の生まれ故郷である日本出身である。この両者のお茶文化を僕は僕自身の人生にとっては必要不可欠なものに感じている。僕のティータイムには一定の形式がないのだが、僕は僕なりに紅茶を楽しんで、広大な人生そのものを思い返し、人生の根源はもしかすると紅茶が関係しているのではないかと思った。紅茶は物体ではあるものの、それによる恩恵は甚だしく偉大なものであると僕は思うのである。

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紅茶 赤川凌我 @ryogam85

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