後輩の夜試合(ナイター)
真辺透名
第1話 後輩の三試合
東京・渋谷の夜をわたし茶髪の後輩は歩道橋から眺めた。深夜一時を回っている。道路には赤ランプが音をを立てて走り去っていく。スマートフォンの位置情報は渋谷駅西口歩道橋を指している。真下の歩道をでは、酔った男女が肩を組み合いながら飲み屋街に入って行く。わたしは手すりから手を離し、階段を駆け下りる。切る風は少々冷たいけれど、わたしの幼さに比べればまだ冷たくない方だ。
板チョコのような道をワイヤレスイヤフォンから流れる音楽に合わせて歩く。点滅する信号機、止まっているタクシー、微かに聞こえる水の音、それらは東京の色を模して、風と一緒にわたしの横を通り抜けていく。
コンビニの前で煙草を吸う男性の口から吐き出された煙は真っ青な空に雲を形成していく。自動販売機の明かりは消えているけれど、わたしはそんな自動販売機でこそドリンクを購入したくなるのだ。
自動販売機を素通りし、鞄からお酒を一本取り出す。伝わって来るその冷たさを胸の中にしまい込んで、缶の蓋を開ける。ビールの泡が吹き出し、わたしの手を伝い道路へと落ちていく。花火が上がり空一杯に花が咲き始める。こんな真夜中に花火とは近所迷惑なことをする輩がいたものだ。当然、消えていたマンションの部屋の明かりがつき始める。
道を目的無く歩くと『真夜中の金魚すくい』と看板を掲げるおじいさんがショッピングモールの高架下にいた。
「姉ちゃん、どう?」
わたしは百円玉三枚を払うと、ぽいを金魚向かって構えた。赤に埋め尽くされたプールを見つめていると、夕焼けを思い出すが、金魚すくいで大事なのは無心になることだ。欲を出しては欲しいものも手に入らないというもの。
「姉ちゃん、只ものじゃないね?」
おじいさんはいつの間に取ったのか、わたしのビールを片手にわたしの手先を真剣な眼差しで観察している。
何より金魚をおびき寄せる事が肝心だ。わたしから金魚に向かって行ってしまうのは愚の骨頂。しかし、待ちすぎるとぽいは破れてしまう。その時、わたしのぽいの近くに一匹に金魚が自ら姿を現した。わたしは直感的にぽいを水に沈めた。
「どぉおりゃぁあ!」
もちろん、ぽいは刹那に散った。
「姉ちゃん、何者だい?」
おじいさんはまるで代々継がれてきた寿司屋のテーブル席に鉄板、その上のお好み焼きを見ているかのような表情だ。
「わたしは、茶髪の後輩です」
そうわたしにおじいさんは、茶髪の後輩にはこれを上げよう、と言って金色のぽいをくれた。わたしは深々とお礼を告げ、その場を後にした。
おじいさんのテントが遠のき、目の前には多くのビル群、煌びやかな街が広がっている。
時刻は深夜二時だ。
「お姉さん一人?」
声を掛けてきたのは大学生であろう金髪の青年だ。
「お姉さん、可愛いね」
緊張をしていなそうなところを考えるにナンパ慣れしてるのだろう。
「この後予定あるの?」
「予定という程のものではありませんが、強いていうなら今わたしは夜試合中です」
「お姉さん遊び人? ……それなら俺と飲もうよ」
わたしは鞄の中から一本の花火を取り出し、直ぐにライターで点火した。
花火は火花を散らし、青年をロックオンする。
「あっつ!」
青年は直ぐにズボンを手で何度も払う動作を繰り返した。
「何すんだよ!」
わたしは笑顔を作ってクラウチングスタートをした。スカートとがひらひらと風に乗り、太ももがやけに涼しさを帯びる。不審者に捕まったとき用の花火をこんなことに使ってしまうとはわたしもまだ未熟というもの。
自転車が通りかかって、東京という名のエッジの中にわたしがいることを理解をさせられた。真夜中の散歩というものは不思議なものだ。マンホールの一つ一つでさえも物語を帯びていて、電柱には猫の写真が貼られている。
横断歩道の白い線を踏まないように渡ると、工事をしていて、一人の男性が立っている。
「何の工事ですか?」
「下水道ですよ」
男性は即答した。人の少ない真夜中の方が工事が捗るのだろう。奥からはガガガがと何かを削る音がこちらまで響いてくる。
「よかったらどうですか?」
わたしは鞄からワインボトルと栓抜き、ワイングラスを二つ差し出す。
「いいんすか⁉」
男性は魚の鱗のように瞳を輝かせた。
何に乾杯するのかは分からないけれど、二人の間の何かに乾杯を交わした。
「今日は何をされてたんですか?」
さっき金魚すくいをしたことを話すと男性は大笑いをした。わたしとしては真面目な事でも他の人からすれば全く真面目ではないのだろうか。
「実は俺、彼女にフラれてしまって」
男性の表情は悲しそうだった。そんな悲しい感情を催しているというのに仕事をしている男性、いや、全国の皆様に敬礼。
「あの、誰に敬礼しているんですか?」
「わたしの敬愛する全ての皆様にです」
そう言うと男性は再び笑った。そして、面白い人ですね、とまた笑った。褒められている気はしないけれど、男性が笑ってくれたのだ、よしとしよう。
「工事屋さんはワインがお好きなんですか?」
「お酒全般大好きです」
工事屋さんは少し照れながら頭を申し訳なさそうに掻いた。
「お姉さんは……」
「わたしは、茶髪の後輩です」
工事屋さんは何ですかそれ、と一笑いし、こう続けた。
「茶髪の後輩さんはこんな夜中に何をしているんですか?」
「人や感情が少なくなる夜。そんな夜にこの街にいる人は一体どんな気持ちで、何をしているのか、気になったものですから」
金魚すくいを開店するおじいさんもいれば、仕事中にわたしとワインを御一緒してくれる優しく面白い工事屋さんもいる。夜中はとても不思議なものだ。
「茶髪の後輩さんはやっぱり面白い人ですね。僕も面白ければフラれなかったのかな」
苦笑する工事屋さんは彼女の事が忘れられないのだろう。工事屋さんはきっと一途なんだと思うけれど、今はその一途が仇になっているのだ。
わたしは鞄の中から線香花火を取り出し、ライターで火を点ける。
「わたしは工事屋さんとワインを飲みながら、線香花火をしているこの時間はとても充実していると感じます」
「線香花火なんて持ってるんですね。四次元ポケットみたいですね」
わたしはその自称四次元ポケットから線香花火をもう一本取り出し、工事屋さんに差し出す。工事屋さんは優しく手に取り、自前のライターで火を点ける。
「こんなの見たことあります?」
わたしは先程金魚すくいのおじいさんから貰った金色のぽいを見せた。
「金色は見たことないですね……」
「人生を語れる程わたしは生きてはいません。だけれど、こうして偶然に金色のぽいに出会えることもあるんです」
上手くいかない事の方が多いけれど、今日という夜中の時間はとても楽しいもので、ありふれた一場面ですら輝きを帯びるのやもしれない、とふと思うのだ。
「このぽい、工事屋さんに差し上げます」
「いいんですか! ありがとうございます!」
金色でもただのぽい。そんなぽいにこんなにも喜びを表現してくれるとあげたのが工事屋さんでよかったと、線香花火が落ちると同時に思ったのだ。
「おい! なに酒飲んでんだ!」
上司であろう人に呼ばれ、工事屋さんは一度お辞儀をし、任務に戻った。わたしがワインをそのままそこに置き、敬礼すると工事屋さんは「茶髪の後輩さんとの時間楽しかったです」と笑顔で敬礼を返した。
再びわたしは真夜中を歩き出す。真夜中だというのに明るいビルたちのせいで真夜中だという感覚が全くない。今日一日で真夜中の東京との距離は大幅に狭まったであろう。家を出たときに比べて随分と鞄が軽くなったようだ。
今のご時世では珍しくコンビニの前に灰皿があり、わたしはそこで煙草に火を点けた。薄い煙は直ぐにコンビニの明かりに吸収された。
意外と多くの人が行き交い、それぞれの足で歩いていく。人生ゲームの一コマに立ったような気分にさえなってくるのだ。水溜まりに月が映るなんて小説みたいな風景には出会てはいないのだけれど、それこそが風情というものだ。
田舎の夜を散歩したいという衝動に駆られてしまうが、少々怖そうで中々踏み出せずにいる。都会の真夜中が苺なら田舎の真夜中は林檎といったところだろう。ゆらゆらとわたしの影が揺れ、わたしの脳は高速道路の細胞一つ一つを還元している。
するとわたしの目には見たこともない看板が飛び込んだ。そして、わたしの瞳はきっと金色に光っているだろう。わたしは半分以上も残っている煙草を押しつぶし、見たこともない看板めがけて足を走らせた。
『ランダム焼き』
何かと思い、屋台を覗くとお姉さんが一人でたこ焼きを焼いている。
「いらっしゃいませ~」
メニューはなく、代わりに大きな文字で中身はランダムです、と書かれている。
「見た目はたこ焼きですけど、中身は運次第です! もちろん、タコもあればエビも、時には納豆や、フルーツも! いかが?」
「じゃあ……」
わたしは直感で焼かれているタコ焼き機から六個選んだ。屋台の椅子に座り、深呼吸を二度繰り返し、ランダム焼きを口に含む。
中身は直ぐにわかった。ソースとマヨネーズの味が口に伝わり、次に外はカリカリとし、中は雲の見た目のように柔らかい生地、そして最後に甘い甘い粒あん。なんというミスマッチ。こんな味は経験がない。
「あんこはおすすめで~す!」
このお姉さんの味覚はどうかなってしまっている。わたしの通う病院をお勧めしようかと悩んだが、思えば味の好みはそれぞれなのでやめておいた。
六個中一個目は粒あんというミステリアスな味を味わったが、次は貝類、次はもやしと変化球だが美味しいという感覚を味わった。
次に口に入ってきたのはお世辞にも美味しいと言えないものだった。
「あ、お客さんその顔は。パフェですね?」
その言葉を聞いてわたしもパフェだと理解した。どうやら生地、クリーム、フルーツ、チョコレートを少しづつ入れているようだ。
吐き出しそうになり、咄嗟に喉に押し込んだために、少々喉を火傷したかもしれない。慰謝料を請求したいところではあるが、その気持ちをパフェ焼きと共にお腹の奥に押し込む。
残り二つもカレー、ラーメンと散々な結果だったが、お姉さんは何だか嬉しそうだった。今日のわたしの運勢は恐らく最下位で間違いはないだろう。
屋台ならではなの少し汚れたメニューを見ると、様々なランダム焼きが揃っている。ランダムタコ焼き、ランダムたい焼き、ランダム自慢焼き、ランダムイカ焼き、その他諸々、多くのランダム焼きがメニューという枠の中で軒を連ねている。
「おすすめは最新メニューのランダムラーメン! でございます!」
お姉さんはこれまた声量を上げて、勧めて来る。郷に入っては郷に従え、か。
一〇分程するとよく見る白とオレンジの器とサービスのランダム餃子がすがたを現した。サービスならば、普通の餃子を食べたかった。
メインのラーメンを手に取り、中を見下ろすと、一見すると普通のラーメンだ。
割り箸をを割り、闇鍋を食べるかの如く、ゆっくりスープを喉に通す。スープは普通の醬油のようだ。少し安心してしまったのだ、勢いで麵を食べると、麵も普通に美味しいラーメンだった。
「んっ!」
かまぼこを口に入れると、わたしはかまぼこを吐き出しそうになった。
「和菓子の生地で作ったかまぼこで~す!」
どっきり番組を見るかのようにお姉さんはご機嫌でかつ、世界の幸せをお姉さんに集めたかのような表情だ。この世界で不幸な人がいるのはこのお姉さんが幸せを吸収しているのかもしれない。
ラーメンに入っている、チャーシューやネギ、もやしすらも怪しさを帯び始める。
「餃子はこれでどうぞ!」
お姉さんが差し出した小皿にはポン酢であろう液体と、ドロッとしたラー油のような液体が注がれている。
わたしは餃子を掴みその怪しい液体にを軽く付けると、一思いに一口で含む。一噛みでわたしはこれを出そうか飲みこもうか思考を巡らせる。餃子の中身は餃子と同じような形に切られているであろう、苦みを放つグレープフルーツ。そして、拍車をかけるようにポン酢の酸味とイチゴジャムの気持ちの悪い甘みが襲う。
口に含んだものを出すというのは下品であり、それを人前でやるのはわたしの沽券が許さないので、それを無心で飲み込む。
「何故、こんなものが作れるのですか……?」
やっと出た言葉は純粋なお姉さんに対する疑問だった。
「? ランダムで適当に作るだけなので!」
要するに『簡単に作れます』という事だ。わたしは、食べ勧めるごとに喉を通すか否か迷う羽目になった。
残り四つの餃子は、二重餃子、炒飯餃子、クリーム餃子、ニンニクマシマシ餃子。ラーメンはというと、奥から大量のフルーツが出現した。フルーツラーメンというらしい。
「またのお越しをお待ちしております!」
「二度と来ません」
「ま た の お 越 し を お 待 ち し て おります~!」
殺気を感じる程の圧を背中で跳ね返し、わたしは直ぐに自動販売機に向かった。何より、~の語尾の伸ばし方にわたしのお腹は熱くなった。
直ぐに近くの自動販売機で冷たいお茶を購入し、喉に流し込んだ。
「ふぅ」
ついほっとしてしまった。明かりのついていない自動販売機で購入したいというわたしの主義に反するが緊急事態だ、仕方がない。
そういえば目的の輪投げにはまだ時間がかかりそうだ。家からならば二十分弱で着くのだがかれこれ家を出てから二時間ほど経ってしまう。
わたしは家のある方向に足を戻し、再び歩き始めた。自然と疲れは感じなかったが、家に帰ってからその疲れは怒涛に襲ってくるだろう。
真夜中に蠟燭を垂らすような温度の中にわたしは歩いていて、腕時計はとっくに止まっている。充電の切れたワイヤレスイヤフォンもまた、真夜中の散歩の醍醐味だ。
井之頭通りに出るとT字路の右側の少々広い歩道で数人が黒く泳いでおり、施設の入り口の前では路上ライブをしている。近づくと、どうやらボーカルが疲れ果てて声が出せないようだ。
わたしはまた直感でマイクを手に取った。ベースの男性とギターの女性は一度驚いた表情を見せたが、楽譜を確認し合わせ始めた。
「あの、貴方は……?」
ギターが一度咳ばらいをし疑問をわたしに投げかけた。
「茶髪の後輩です!」
そう言うと、そんな事はどうでもいいという代わりにベースがメロディーを奏で始めた。
午前三時過ぎ、真夜中も後半戦だ。
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