【短編】ある考古学者の受難

仁藤欣太郎

ある考古学者の受難

 ベトナム北部の山奥。男はついに目的の場所に辿り着いた。


 男は日本人の考古学者。彼は独自の研究により、この山に越王勾践えつおうこうせんの秘宝が埋まっていることを突き止めた。その遺跡は様々な根拠から、越で高位にあった者が南方に移り、いざというときのためにそれらの宝物を埋めたものだと考えられた。


 ほぼ正確な位置を特定するのには十二年の歳月を要した。たまたま日本で見つけた手がかりを糸口に、中国とベトナムの各地を駆けずり回り、裏付けとなる証拠を搔き集めた。男にとって、それはまさに人生をかけた大探索だった。


 その遺跡は人が侵入し辛い渓谷にあり、順路通り進まなければ方向感覚を失ってしまうほど複雑な道程の先にあった。男は持っていた鎌で草を払いながら進み、なんとか入口と思われる岩場の洞穴を探し当てた。


 早速中を除いてみると、狭い通路が奥の方まで続いていた。男は少し身をかがめ、懐中電灯を手に中へと入っていく。苔の匂いのするじめじめした通路を慎重に進むと、その先に少し開けた空間が見えた。どうやら小部屋のようだ。さらに近付いてよく見ると、秘宝と見られる石や黄金が、懐中電灯の光を反射して輝いていた。彼は期待に胸を膨らませ、意気揚々とその小部屋に足を踏み入れた。


 その瞬間、男の目に世にも恐ろしい物体が飛び込んできた。そこにあったのは、自分と似たような服装をした、二体のミイラ化した遺体だった。小さな部屋の中に、秘宝と遺体が隣り合わせに置かれている。それを見て彼はただならぬものを感じた。


 そのミイラは大昔の人間などではない。着ている服からして、過去数十年以内に亡くなった人間のミイラだと予想がついた。その身なりや持ち物から察するに、男の同業者である可能性が高い。また損壊の程度や衣服の質感から考えて、二人はまったく別の時期にここを訪れたと考えられる。すなわちこの二体のミイラは、互いに縁のない、この遺跡を探索しに来た考古学者のミイラというわけだ。


 男は狼狽うろたえた。このミイラの謎を解かなければ、自分もミイラになってしまうかもしれない。そうなれば自分にミライはない。ミイラだけに。そんなことを考えながら、彼は辺りを見渡し、手がかりとなるものを探した。


 しばらく探索していると、手前のミイラの脇に一枚の古びた紙が落ちているのに男は気が付いた。彼が恐る恐るその紙を手に取ると、不可解なことにその紙には日本語の文章が印刷されていた。


 なぜこんな場所に日本語で書かれた書類が落ちているのか? 仮にこのミイラの所持品だったとして、死に際に何の理由があってこんな紙きれを? それともこの怪しい書類が原因で命を落としたのか? そんなことがありえるだろうか? 疑問が次から次へと湧いてきた。


 兎にも角にも内容を確認してみなければ始まらない。そう思った男は、ひとまずその書類に目を通すことにした。


「このような辺鄙へんぴな場所までご足労いただき深甚しんじんに存じます。この場所に至ったということは、あなたはきっと優秀な考古学者なのでしょう」


 まるで屋敷の主が来客を歓迎するかのような物言い。これはどういうことか? この手紙の主はこの遺跡を誰よりも早く発見していたというのか? しかしそれならなぜ学会で発表しなかったのか? 男は疑念を抱きつつ読み進めていく。


「この遺跡について話す前に、私の素性についてお話することをお許しください。と言いますのも、この遺跡の性質を理解するには、私がどのような人間なのか知る必要があるからです。わけがわからないかと思いますが、少々ご辛抱ください」


 遺跡の性質。この言葉は何を意味するのか? これだけではどういった意味の「性質」について言いたいのかまるでわからない。そもそも性質もなにも、この遺跡は越王勾践の秘宝が隠された遺跡ではないのか? この手紙の主と古代の遺跡の間に何の関係があるというのか? 予想以上に不可解な話に謎は深まるばかりだった。


「諸般の事情により名前は伏せさせていただきますが、私はベトナム人の学者で、過去に放射性炭素年代測定法の研究に携わっていました」


 どうやら手紙の主は考古学に関係する研究に携わっていたようだ。しかし放射性炭素年代測定法の研究者が、いったいなんの理由があって、赤の他人に向けた手紙を遺跡に残したのか。


「私は二十代のころ、とある日本の大学の研究室に在籍していました。その関係で数年間日本に滞在していたのですが、日本は安全で暮らしやすく、大変居心地の良い国でした。そして何より独自の文化やエンターテインメントが豊富に有り、飽きることがありませんでした」


 今度はいきなり思い出話が始まった。これもこの遺跡の性質に関係しているというのか。あまりの脈絡の無さに男は理解が追いつかなかった。思い出話にはまだ続きがあった。


「そんな私が大好きだったテレビ番組があります。それが『スタードッキリ マル秘報告』です。騙される芸能人の様子。ドッキリだとわかったときの、あの落胆と安堵の入り混じった複雑な表情。仕掛けられる側からすればたまったものではないと理解しつつも、私は毎回、彼らがどんなドッキリにひっかかるのか楽しみに見ていました」


 男は妙な胸騒ぎを覚えた。未発見の遺跡とドッキリ。この二つが重なったときに見えてくるもの。それは何なのか。


「そのうち私はこう思うようになりました。自分も仕掛ける側に回りたい。自己満足でもいいから大がかりなドッキリを仕掛けてみたい、と」


 ここに来てようやく話が見え始めた。だがそれと同時に、男は言い知れぬ不安を感じ始めた。大がかりなどっきりを仕掛けてみたい。そのような個人的な願望を、なぜ見ず知らずの他人に開陳するのか?


 この先は知らない方が幸せかもしれない。男はそう直感したが、ここまで読んでおいて途中でやめるわけにもいかない。彼は引くに引けず次の段落に目をやった。


「今まで私はありとあらゆる遺跡の出土品を見てきました。その経験から、おそらく古代の遺物の精巧な贋作を作るのはそう難しくないと考えました。科学は騙せないが、人間の目なら騙せるだろうと、そう思い至ったのです」


 贋作? 人間の目なら騙せる? なぜ手紙の主はそんな話をしているのか。男はもうほとんどわかっていた。無意識下ではすでに理解していた。しかし彼の理性は理解を拒んでいた。男は己の脳裏に浮かぶ最悪の結末を必死にかき消そうとしたが、無情にも真実は明かされる。


「優秀なあなたならもうおわかりでしょう。そう! この遺跡は資料から何からすべて、私が用意した偽物なのです!」


 なんということだろう。男が十二年の歳月をかけて辿り着いた大発見は、こともあろうに、ドッキリにのめり込んだ一人の学者が仕掛けた、たちの悪い悪戯だったのだ。となると今までの苦労はなんだったのか? 血眼になって手がかりを探した膨大な時間は? 集めた証拠からやっとの思いで遺跡の場所を特定した、あの瞬間の喜びと興奮は? 受け入れがたい現実を前に男は激しく動揺していた。手足は震え、全身の肌からどろりとした脂汗がとめどなく溢れだした。


「あなたがこの手紙を最後まで読んでくださったということは、僕の悲願は果たされたのでしょう。あなたがどういう反応を示してくれたのか、自分の目で確かめられないのが残念ですが、最後に一言だけ言わせてください」


 眩暈めまい、吐き気、激しい悪寒。男の精神は崩壊寸前。彼は酷く混乱した意識のまま、恐る恐る最後の一行に目をやった。


「てってれー! ドッキリ大成功!」


 それを見た瞬間、男は白目をむいて膝から崩れ落ち、先ほどの二体のミイラの横に倒れてしまった。そして彼は起き上がる気力を失い、そのまま二度と立ち上がることはなかった。

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