海中退治譚編 エピローグ
「最近、ちょっと太ったかな……」
ミオンが指先でお腹をつまむと、プニッといった。黒い艶のあるメディアムヘア、橙色の瞳に白くて透き通るような肌、人形のように整った顔立ち。
鏡の前に立つ彼女はほとんど変化のないように見えるが、ミオンにとってこれは重大な問題だ。アンドロイドは太りすぎると、動作に支障をきたしてしまう。
三日前の、アストラモス退治を記念した打ち上げで調子に乗って食べ過ぎたせいかもしれない、とミオンは独り言つ。
アンドロイドは食事で摂取した養分をエネルギーに変換して活用できる。
だが、中にはエネルギーに変換できる養分とできないものがあり、そういったものは排出するしかない。その排出が間に合ってないときに太ってしまうのだ。
「……今日はご飯を我慢しよっか」
彼女は気晴らしに街に出掛けることにした。海底都市の喧騒はいつも通りだ。道行く人々は皆、楽しそうにしている。
ミオンは、気の紛らし程度にはなるだろうと言わんばかりに頷いた。
街中にはたくさんの人がいる。アンドロイドだっている。
ミオンはしばらく街を歩くことにした。
大通りに出たところで、彼女はふと足を止める。
――何やらこちらに向かって美味しそうな匂いが漂ってきた。
食欲を刺激されるスパイシーな香り。
いつの間にか彼女は海中都市の飲食街の入り口にいた。
ちょっと前に、ご飯を我慢しようと決心したばかりなのに、どうしてこんなにも誘惑が……!と、 彼女は料理街に立ち並ぶ店鋪を見ないように視線を落とした。
落とした視線の先で彼女のお腹がぐぅ〜と鳴る。
そこでミオンは足早にこの場を立ち去ろうとした。
しかし、それは叶わない。
踵を返した瞬間、彼女の視界に入ったのは両手いっぱいに綿あめやらクレープやらを抱きかかえたセーラだ。
ほっぺたには、カスタードクリームが付いている。
「あ、ミオンっ!!」
彼女はミオンの姿を見つけると満面の笑みで駆け寄った。
「その両手いっぱいに抱えた食べ物、どうしたの?」
「あのね、アリマさんから飲食街の料理引換券をたっくさんもらったんだ。ほら、これ、ミオンの分! いっぱい貰っておいたよ!」
そう言って、彼女が差し出した紙切れは軽く10枚はあった。
有効期限も迫ってきているようで、今日中に使い果たなけらばならないものもある。ミオンは気まずそうに「ありがとう……」と告げると、そそくさとその場を離れた。セーラはミオンの一風変わった様子にきょとんとする。
「ミオちん、マスター ウィムスーツが新しい料理をヨナベで開発してさー!! 良かったら、これからど? きょーはウィムスーツ グランマもいんよ」
「う……、今日はやめておこうかな」
「体調悪いの? 大丈夫そ?」
『ス・ウィムスーツ』の軒先でもメイシャに誘われたが、ミオンは控えめでありながらもなんとか断れた。
「……はあ」
ミオンはありとあらゆる誘惑を断つため、海底遺跡にきていた。
海に沈んだ街の跡地、ここまでくればもう一安心だ。
かと思えば――、
『――近くに美味しいと評判の料理店が2軒あります』
彼女の頭の中にインストールしてあった21世紀の地図アプリから通知が届いた。
ミオンはときどき、地図アプリに関連付けられた料理店の星レビューをもとに、そこが一体どんな店が立ち並んでいたのか想像をすることが多々あった。
アプリの提案はミオンの普段の行動から、AIが勝手に動いてしまったらしい。
まさかこれが裏目に出るとは。ミオンはそんな自分自身を祟る。
彼女が海面を見上げると、上空でクレープの形をした魚の群れだったり、タコスの形をした魚の群れだったりが過ぎ去っていった。
…………。
もしかしたら、ちょっとぐらいなら食べても太らないんじゃないか。
彼女のなかではいつしかそんな思いが浮かんでいたらしい。
その表情にはっきりと表れている。
おおよそすべてエネルギーに変換できる食材を使った料理ならば、きっと大丈夫なはずだ。脂質、食物繊維、アンドロイドは主にこれらが変換できない。
これらをほとんど含んでいない料理ならば。
つまり、食事自体が体に悪いわけがない。
何を口にするかが問題なのだ――。
「……うん」
ミオンは意を決したように立ち上がる。
翌日、体重計の上で打ちひしがれるミオンの姿があった。
◇◇第一章 海中退治譚編完◇◇
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