ケンタおじさん
西川東
おじさんの話
読者のみなさんが小学生だったとき、下校時の帰り道で出くわす印象深い大人というのが、一人や二人はいたのではないだろうか。例えば、道端で掃除をしていて「おかえり」と必ず挨拶してくる知らないおじさんや、帰り道にある駄菓子屋の前で腰掛けている気前のいいおばさんなど、そういった人物である。
しかし、時が経つにつれ、名前の知らない彼らの行動は覚えていても、顔つきや服装、そういった細かい情報はうろ覚えになってしまった・・・という方も多いだろう。
Fさんの場合はそうではなかった。いまでもはっきりと、その立ち姿、顔つき、声までも覚えている人物が一人だけいるそうだ。
その人物の名前は、通称『ケンタおじさん』といった。
川辺の小高い土手道、小学生だったFさんらが下校時にそこを通ると、必ず犬の散歩をしているケンタおじさんがそこにいた。中肉中背で四十から五十ほどか。白髪の目立ったのっぺり髪に、恵比寿みたいな細目をした、皺と黒子のある顔で、いつも煙草をくわえていた。
しかし、小学生が食いつくのは、地味な服装をしているそのおじさんではない。彼が連れている犬の『ケンタ』の方だ。
このケンタが非常に人懐っこい柴犬で、うるさく吠えることもなかったので、小学生の彼らに、たいそう気に入られていた。
なので、ケンタおじさんに出くわすと誰もが「触らせてくれる?」などとおじさんに尋ねていた。おじさんは愛想よく返事をくれ、小学生と戯れるケンタをみて「うちのケンタも喜んでるよ」と嬉しそうに話していた。
誰もおじさんの名前は知らなかった。どこに住んでいたかも分からなかった。ただ、犬のケンタを連れているから、彼は『ケンタおじさん』と呼ばれていた。
ある日のこと。
その日はいろいろな出来事が重なり、Fさんは一人で帰路についていた。
夕暮れに染まった川。長い影で黒くなってきた土手道。いつも通りの景色なのに、独りきりでいるためか、なんだか心細い。友だちと騒ぎながら帰っていたときと違い、川のせせらぎしか聞こえないこの状況に、恐怖を感じていた。
いつもより気持ち早めに歩みを進めていると、向こうから誰かがゆったりと歩いてきた。ケンタおじさんだった。
やっと知っている人に出会い。ほっとしたFさん。
しかし、やってくる人物の様子が少しおかしい。
というのも、犬を連れているケンタおじさん。その手には首輪のロープ、もう片方にはフンの後始末用のシャベルとビニール袋を持っているのだが、心なしかそのビニール袋がいつもより大きい。そして、今日は黒い。
はしゃぎながら駆け寄ってくるケンタをよそに、そのビニール袋、スイカぐらいのなにかが入った、黒いゴミ袋の方に自然と目が吸い寄せられた。
それが、どうもケンタおじさんの動きとはまた別の道理で、ぴくんぴくんと揺れているようにみえた。
そんなよくわからない袋のことで頭がいっぱいになり、ぼーっと突っ立ていると、ケンタおじさんがそれをスッと目の前に持って来てこういった。
「コレ、気になるんだね。中に何が入ってると思う?」
「でもね、みちゃったら、
恵比寿のような細目でこちらを覗き込んだその顔は、目が笑っていなかった。
その瞬間、Fさんの背筋にゾクゾクっと何かが走り、堰を切ったように、おじさんのもとから走り去ったという。
それからケンタおじさんは出なくなった。
正確には、あのおじさんがケンタを連れることなく、なにか大きなものが入った袋をぶら下げて、川の土手に佇んでいるようになった。
そして、下校時の児童の「ケンタはどうしたの?」という問いには答えず、代わりに「おかえり」「気をつけて帰れよ」などと声をかけるだけになった。
ただ、Fさんと顔を合わせたときだけ、さりげなくその袋を見せつけてきたそうだ。
Fさんは、おじさんが怖くて、その川の土手を避けて帰るようになった。
そして、ケンタを連れなくなったおじさんのことは、だんだんと話題に上がらなくなり、その後どうなったのかは全く分からないそうだ。
詰め寄ってきたおじさんの顔がトラウマになり、Fさんは、帰省することがあっても、あの川の土手近辺には絶対に近寄っていないという。
ケンタおじさん 西川東 @tosen_nishimoto
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