転生の選択 堕天の導き

新城彗

第1話

「心を清らかに、正しい選択を。生を転がし新たな世へ。現世を捨てて転生してみませんか?」


 夜9時、真っ暗な路地を丸く照らす街灯の下。塾帰りの途中だった。

 この夜にらしくなくしわひとつないスーツで、整った顔立ちのショートカットの女だった。おとなしそうな顔立ちだが、言っていることがまともじゃない。


 無視する。社会の荒波に疲れてしまったのだろう。こういうのはそっとしておくに限る。


「待ちなさい!矢上涼斗!」

「えっ」


 名前を呼ばれ咄嗟に振り向いてしまった。

 こんな知り合いはいなかったはずだが。

 顔には何故か苛立ちが浮かんでいた。おとなしそうだという印象は刹那に吹き飛んだ。


「まったく、無視するとはどういうことだ。信じられん。」

 スーツ女がぶつくさと文句を垂れている。


 「あの、」

 困惑しながらも声をかける。誰なのだろう。

 「わざわざここまで来てやったのにその態度は何なんだ。次元を越えるのは大変なんだぞ。」

 「は…?」

 やはりこころが疲れた、残念な人のようだった。

 「お大事に」

 そう言って立ち去ろうとした。

 塾で疲れたし、もう夜も遅い。早く帰りたかった。

 ガシッと肩を掴まれる。

「まて。」

「何ですか、もう。」

「さぁ、どうする。」

「は…?」

 本当にこの人が何がしたいのかわからない。

「だから転生してみないかと聞いているんだ。話聞いてなかったのか?」

 …転生?

 何を言っているのだ、この女は。

「いや、そんなの妄想の産物…」

 ほんとうに勘弁して欲しい。

「そうか。見てろ。」

 ふいに女はそういうと、振り返って腕を伸ばし、路地の奥の方へ手のひらを向けた。心なしか空気が張り詰める。

「穿て彼の地の底までも」

 瞬間、何もなかった中空に稲妻の矢が現れ、放たれた。

 女の手元を離れた矢は一直線に路地の奥へ突き進んでいき、轟音と爆風が襲いかかってきた。

 土煙が晴れた地面には、一メートル程の大穴があいていた。

 あたりの民家に灯がつく。今のでみんな起き出したようだった。

「ばかかっ!」

 悪びれる素振りもなく突っ立っている女を引っ張って、急いで逃げた。


「どういうことだ、あれは!」

 息を切らしながら問い詰める。

「どうもこうもあるか。これで私が異世界の神だということがわかっただろう。さあ、転生するのか、しないのか、決めろ」

「そうじゃない!民家のど真ん中であんなのぶっ放すなんてどういう了見してんだってんだよ!ったく!」

 10分ほど走り逃げたあと、僕らは疲れ果てて川の土手に2人並んで座っていた。

 息を整える。

「マニュアル通りにやったまでだ。実際、あれを見て私が貴様らとは違う種だとわかっただろう」

「マニュアル…?」

 異世界の神らしからぬ単語が聞こえた。

「あぁ、転生者選定マニュアルだ。貴様ら日本族は剣と魔法の世界に転生する物語をよく読んでいるから少し魔法を見せてやるとすぐに信じると書いてあったのでな。」

 そう言って彼女は一冊の本を取り出した。分厚くて赤い革張りの本だった。

「まったく、日本族は初心者向けで簡単だと書いてあるから選んだのだが。貴様夢はないのか?剣が舞い魔法が輝く夢の世界だぞ?」

「いや、怪しすぎるだろ!」

 異世界への旅立ちがこんなに雑なことがあるだろうか。塾帰りに突然話しかけられ、魔法をぶっ放され、逃げ惑う。剣が舞い魔法が輝く世界?それだけ争いがあるってことじゃないか!

「そもそも、なんで僕なんだ。まだ死んでないぞ?転生は死んだ人間が生き返るためのものじゃないのか?」

「アホか、貴様。」

 今日1番の呆れ返った視線を向けられた。

「そんなのは何百年も前の話だ。なぜわざわざ死に腐った後の人間を生き返らせる。昔は技術不足でそれも致し方なかったが、次元移動が簡易にできるようになった今、そんな必要はない。」

 異世界も発展するということか。永遠に中世の街並みを保っている異世界など幻想でしかないと言うことだ。

「で、どんなところなんだ?」

 それを聞かないことには何も決められない。

 それを聞いた途端女の顔がまたかと言うように歪んだ。

「教えられない決まりになっている」

「はぁ?そんなことが…」

「そんなこと聞いてどうする。あぁ、その点で言えば昔は良かった。こちらでは死んでいるから転生しないと生きられないしな。みんな即座に転生させれていた。今は面倒だ。全員揃いも揃ってそれしか聞いてこないのだからな。」

 女が溜息を吐く。

「それくらい自分で決めれないのか?人生で一度の分岐路だぞ。覚悟を決めて飛び込もうと言う気にはならんのか」

「だからこそだろ、慎重に決めないと後悔することになるかもしれないじゃないか!」

 もし異世界が僕の思うようなところじゃなかったら?現世に未練を残すような結果にはしたくなかった。

 「慎重に決めたら後悔しないのか?え?んなことあるわけないだろう。異世界に行き、人生を満喫する奴もいれば、帰してくれと咽び泣く奴もいる。貴様がどっちになるかは知らん。それは貴様が決めることだ。」

 女の言うことは確かに正論だった。

「わかった。時間をやろう。明日の夜、貴様の家に行く。それまでに決めておけ。」

 彼女はそう言い残し、言いたいことを言いたいだけ言って、突然空気に溶けるようにかき消えていった。

 何故か彼女がいなくなった途端、異世界が実感を伴って感じられて来た。不思議と混乱はなく、異世界という異質な存在を拒否する心はなかった。

 明日の夜。

 転生するか、現世にとどまるか。僕はまだ迷っていた。



 次の日の夜、闇に沈んだ街路を照らす街灯のしたにいた。昨日の場所だ。

 あの女が破壊した道路は新しいコンクリが敷かれ、そこだけつぎはぎされたパッチみたいになっていた。


 女は昨日と変わらずそこにいた。


「さあ、聞かせてもらおうか」


 無表情にそう言った。その様は、命を刈り取りに来た死神のようにも、福音を携えてきた天使のようにも見えた。

 現世の僕を殺し、異なる世界に新たな命として産み出す。案外間違っていないのかもしれない、などと思いながらぐっと手を握りしめる。

 覚悟は決めてきていた。


「僕は、異世界に行く。転生させて欲しい」




昨日、家に帰った僕は考えていた。もちろん転生するべきか否かと言うことだ。

 両親は故郷で暮らしている。しばらく連絡は取っていないが、やはり急に消えたと知ったら驚くだろう。だが、転生していなくなったとしても、それ以外に特に心配することがないというのもあった。

 思考の堂々巡りは尽きることがなかった。

 ふと、本棚に目が止まった。

 そこにはずらりと冒険小説が並んでいた。有名なものからマイナーなものまである。


そうだ、ぼくは昔から冒険小説に憧れていたではないか?それは今も同じだ。

 覚悟は決まった。




「そうか、では行こうか」


 女の差し出した手につかまる。

 僕の存在は夜の闇に溶けるように、この世界から掻き消えた。









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転生の選択 堕天の導き 新城彗 @KeiShinjyo

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