第2話 ロックなお泊まり会

「ウチの家は割と近めだから、終電まだなんだよね~」


 僕達はファミレスを後にし、南乃なのさんの家へと向かっている。

 電車を待つ駅のホームは、深夜ということもあって空いていた。


「南乃さん家って、結構近いんですか?」


「まあ……そこそこ? 電車自体は遅くまで通るんだけど、家までが遠いんだよね~。駅から結構歩くよ」


「そうなんですね。歩くのは全然平気なので、大丈夫です」


 ――僕は、この状況を未だ飲み込めていない。

 酔っ払いにダル絡みされ、渋々相手をしていたら終電を逃して……。でもって、その人の家に泊まることになるなんて。人生、何があるか分からないな。


「あ、電車来た~」


 光とともに、見慣れない色のラインを携えた電車がやってくる。いつもだったら窓からは座席なんて見えないのに、今日だけは違う。

 南乃さんと見るその景色一つ一つに、僕は特別感を覚えていた。


「空いてんね~。とりあえず座れるっぽいね、よかった~」


「ですね。座るの久々な気がします」


「マ? 君、いつもは満員電車なのか~。塾も大変だね~」


「まあ……今のままじゃ、行きたい大学にはまだ届かなそうで……」


「あらららら」


 手の平におでこのポーズで、あからさまに心配がる南乃さん。別にそこまで絶望的じゃないんだけど……多分。


「あっ、そういや君の名前……」


 南乃さんの質問を遮る形で、炭酸が弾けたような音を鳴らしながら扉が開く。涼しい風が僕達を出迎えてくれた。


「すずし~……まあ、後でいいや」


「あ、そうなんですね」


「まあね~。仲良くなるのに、別に名前って関係ないし? 知ってた方がいいのはいいけどさ」


 南乃さんって、本当に不思議な人だな。

 僕が終電を逃したとはいえ、名前も知らないようなガキを家に泊めようとするなんて……。


 ――もしかして、何かヤバいことでもされる!?

 やっぱり泊まるのはなしにしよう、迷惑ってよりシンプルに危険だ。


「南乃さん、やっぱり……」


「ほら、乗るよ~? よいしょっと!」


「ちょ、待ってください!」


 突然腕を引っ張りられる。これ、さっきと同じだ……。

 直観で分かった。僕はもう、南乃さんからは逃げられないと。


 電車は僕達以外誰も乗せていなかった。こんな夜中に下ることなんてほとんどないので、当たり前といえば当たり前だ。


「もう~、なんか考えごとしてたの?」


 座席に背中を預けた南乃さんが、面倒くさそうに聞く。


「すみません。やっぱり泊まるのは危ないかな、って」


「まあ……それはそう。でもさ、君を一人にさせるのはもっと危ないから。しかもこんな夜中に。わたしが全部悪いんだけどね~……」


 確かに、こんな状況になった原因は南乃さんにある。それに対しての責任感や罪悪感から出た提案が『お泊まり会』というわけだ。


「はい。その……ありがとうございます」


「一応言っとくけど、別にわたし、男に飢えてるわけじゃないよ? というか誰でもいいなら、最初ハナからアイツと付き合ってなんかないし……」


 男女二人で泊まり……決して『そういうこと』を期待していなかったわけではない。しっかりと釘を刺され、一丁前に悲しむ自分がいた。そんな度胸ないのに。


「ふふ、君にはまだ早いかな~。ごめごめ~……」


 これ見よがしに煽ってきたが、さっきよりも言葉に元気がない。きっとお酒も抜けてきて、付き合っていた頃のアレコレを思い出しているんだろう。

 南乃さんをこれ以上悲しませるわけにはいかない。まだ会って一時間半しか経っていないけど、僕はそう心の中で誓ったのだった。


「そういやさっきの続き。君、名前は?」


「えっ?」


 いきなりの質問で戸惑ってしまう。南乃さん、他の人の名前には興味があるのか?

 これといった偽名も思いつかなかったので、正直に答えることにした。


「ふ~ん、そうなんだ~……。まあいいや、なんかもう君は『君』って感じするし。気にしないでおっけ~」


「は、はあ……分かりました。大丈夫ですか?」


 仮に南乃さんから名前で呼ばれることになったら、僕は理性を失っていたかもしれない。危な~……。


「へへ~、今頭回ってないわ~……」


 やっぱり、まだお酒は抜けてないみたいだな。


「ねむ……ちょっと寝るね。立川着いたら起こして~」


「は、はい……」


 南乃さん、本当に寝始めたよ。どうすればいいんだろう?

 電車内の路線図を見る……あと四駅か。


「んん~……」


「えっ……!?」


 南乃さんの頭が肩に乗っかる。変な声を漏らさないよう咄嗟に口を塞ぐ。

 ヤバいヤバいヤバい! というかこれでワンチャンないってマジかよ。はぁ、お酒と髪の匂いでくらくらしてきた……。


「すぅ……」


 体が熱い。心臓の音がうるさい。

 南乃さんにその気はない。単に飲みすぎて疲れてるだけ……落ちつけ僕、理性を保つんだ!


「……南乃さん、次で着きますよ!」


「んん~……? あっ、ありがと……。わざわざ一個前で起こしてくれたんだ~」


「まあ、寝過ごしたらアレですし……」


 ――正直、生きた心地がしなかった。寝過ごされでもしたら、僕の理性が吹き飛んでしまう。電車のアナウンスに心底救われた。

 やがて無機質なアナウンスが目的の駅名を告げる。耐えきった、僕は耐えきったんだ。


「着いたね。じゃあ降りよっか~」


「はい!」


 南乃さんに先導され、僕達は電車から降りる。当たり前ではあるが、見たことのない景色がホーム越しに広がっていた。


「この辺は初めて?」


「ですね。なんかドキドキしてます」


「なんかわかる。謎にドキドキするよね~。こう、改札抜けた瞬間にブワ~って!」


 多分、それとはまた別物だと思う。思い出ドキドキの証は、無慈悲にも機械に吸われていった。


「そうだ、家行く前にコンビニ寄っていい?」


「はい、大丈夫ですよ」


「ん、ありがとね~。君の着替えも買っとかないとだし。わたしがオゴるからお金とかは気にしないでいいよ!」


 何度も思っているけど、そこまで世話になるのは気が引ける。せめて自分の分はちゃんと払わなきゃだよな。


「あっ、今『オゴりはさすがに~……』とか考えてたでしょ? 気にしないでいいんだって! おねーさんらしいとこも見せとかなきゃだし?」


「は、はぁ……」


 お姉さんらしい所って、そんな積極的に見せにいくものなのかな? なんか、この人って常識の一歩先を行ってるような気がする……良くも悪くも。


「っていうか、なんで分かったんですか?」


「そりゃ分かるよ~。まあそういうのって、結構顔や行動に出ちゃうからさ。ちょこちょこ脚見てるのも……ね?」


 階段の上でしゃがみながら、くすくすと笑う南乃さん。電灯に照らされた表情と丸まった太ももは、あまりにも蠱惑的すぎた。


「えっと、その……」


「ふふ、照れてる~」


 動揺しきった僕を見て、南乃さんはさらに笑顔の花を咲かせる。完全にからかわれているんだけど、不思議と嫌な思いはしなかった。

 体はさらに熱を帯びてきて、どんどん汗が垂れていく。アレもコレも全部、熱帯夜のせいにしよう。


「いらっしゃいませー」


 キンキンに冷えたコンビニは、流れ出る汗を吹き飛ばしてくれた。


「あぁ~、もう一生ここから出たくない~……」


「夏が終わったらどうするんですか」


「確かに!」


 この人、さっきから本当に何言ってるんだろう……気にしたら負けか。


「わたし飲み物見てくるから、君は着替え見てきな~。まあコンビニだからあんまないと思うけど」


「……絶対お酒買いますよね?」


「バレたか~。まあ氷も買うからセーフ!」


「そういうもんですか?」


「そういうもんです~」


 ここまでくると一杯の濃さなんてもう誤差だと思う。南乃さん、飲みすぎ……。

 あの人は棚から一切離れないっぽいので、今のうちに着替えを見に行くか。


「おっ、結構いいTシャツ。しかも色もまあまあある……」


 正直なめていた。しかしコンビニサイドはこちらの予想をはるかに上回ってみせたのだ。こりゃすごいな……。

 あとは下着と、パンツは寝るだけだしこれでいいか。それとだな。南乃さんはああ言ってるけど、まだワンチャン……いや待て。


 ――僕の分までオゴるって、そういうことか! またしても一枚上手だった!

 行き場のない虚しさが、僕目がけて襲いかかってきた。


「いいのあった~?」


「えっ!? まあ、そこそこいいヤツありました……」


「よし、じゃあ買ってくるね。外で待ってて~」


「あ、はい……」


 丸まった背中でも、センサーはちゃんと反応するみたいだ。


「お待たせ~。じゃあこっち持ってくれる?」


 僕は着替えの入った袋を受け取る。対して南乃さんはマイバッグを持ち歩いているようで、中にはお酒と氷がパンパンに入っていた。


「もうちょい歩いたら着くから、それまで頑張って~。わたしも酒持ってるし条件は同じだぁ~」


 そっちは勝手に買っただけでしょ。着替えより絶対氷の方が重いし。


「そっちも持ちましょうか?」


「ダメ! 酒は誰にもやらん!」


「別に飲みませんよ。さ」


 南乃さんは不機嫌そうな顔をしていたが、こっちは会った時点で『飲めない』と断っているんだけどなぁ。忘れたのかな?

 彼女にしばらくついて行くと、やがてアパートらしき建物が視界に映った。


「あ、もしかしてアレですか?」


「そうだよ~。駅からだと結構遠いっしょ?」


 確かに距離は遠いのかもしれない。だけどここに至るまでの体感時間は随分と短かった。


「ただいま~! ……って、いないんだったわ」


 時間差でことを痛感する。きっと今までは『おかえり』と返ってきたのだろう、南乃さんははしばらくの間、玄関から一歩も足を踏み入れられなかった。


「南乃さん……」


「大丈夫、君は何にも悪くないから。先にお風呂入っていいから……ね?」


「……わかりました」


 ――何も言わず彼女に従う。僕ができることは、それだけしかなかったから。


 シャワーはいつもより冷たくした。浮かれていた自分の頭を冷やすために。南乃さんに移さなければ、この際風邪を引いたっていいや。それもまた一つの思い出になるから。

 着替えの肌触りに違和感を覚えたが、慣れる必要はない。どうせもう着ないし、着られないし……。


「あ、出た出た~。次わたし~」


 さっきとは打って変わって、南乃さんは元気にお風呂場まで駆けていった。いくら南乃さんといえど、こんな急にテンションが戻るのだろうか。


「おかしいよな……」


 案の定、床には既に空の缶が転がっていた。


「やっぱりか、南乃さん……」


 バッグの中身も当然空。最後の望みである氷もしっかりと封が開いていた。これで南乃さんが、僕に隠れて飲んだことが確定した。

 別に飲むこと自体をとがめるつもりはない。問題は量だ。さっきバッグを持ったから分かる。いくら氷の分があるとはいえ、あの中には相当なお酒が詰められていた。


 それが、僕がお風呂場にいたあの短時間で、そんな状態でお風呂に……。


「南乃さん……!」


 体は自然とお風呂場へ向かっていた。最悪の事態だけは防がないと!


「南乃さん! 聞こえますか!? 南乃さん!」


 扉越しに彼女の名前を叫ぶ。どうか届いてくれ……!


「んん~……んっ!? 君、どうしたの!?」


「どうしたって……南乃さん、大丈夫ですか? 溺れてないですか!?」


「いや、溺れてたら返事できにゃいでしょ~!」


 ――言われて気づいた。確かにそりゃそうだ。


「まあ……心配してくれてありがとね。おねーさんもうちょいで出るから大丈夫。だから部屋戻ってていいよ! ……本当に大丈夫だから!」


 とか言って変なことを考えてるんじゃないだろうな? いや、南乃さんはずっと変なことを考えてるんだけど。とにかく心配だ……。


「はよ戻ってよ~。あ、それとものぞき? 君、意外とえっちぃんだ~!」


「そんなんじゃないです! もう、一応心配してたんですからね」


「いや、もう出るからさすがに戻ってほしいんだけど~。おねーさんにも恥じらいはありますんで~」


「はいはい、今戻りますよ」


 会話の主導権を握れた気がして、少しだけ嬉しかった。

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