金魚と青年

深川 夜

金魚と青年

 黒髪の良く似合うその青年は、穏やかな微笑みをたたえていた。

 容姿は清潔で整っているように見える。私の前に置かれたパイプ椅子に彼が座る。ぎぃ、と椅子が軋む。何も知らない人が彼を見て悪印象を抱く事はまずないだろう、と思う。しかし彼こそが五歳の少女を殺した犯人その人なのだ。

 手元の資料を見る。新井和之。二十五歳。しがない会社員。生育歴に大きな問題は見受けられない。対人関係に問題があった形跡もない。青年を観察する。特に緊張していたり興奮していたりという雰囲気はない。「落ち着き過ぎている」ことが、敢えて言うならば違和感があるといったところか。


「大分暑さも和らいできましたね」


 私が切り出すと、新井青年も小さく頷いた。


「十月に入りましたからね。蝉の声を聞かなくなりました」


 よく通る耳触りのいい声だった。外見と違わない、人に良い印象を抱かせる声だ。


「新井さんは夏は好きですか」

「ええ、縁日が好きで」

「縁日ですか」

「金魚すくいが好きなんですよ」


 大人気ないかもしれないですが、と付け加えて新井青年が笑う。


「すくった金魚をミキサーに入れて眺めるんです」

「え、ミキサーに?何故?」


 不可解な行動だと思った。生き物をミキサーに。新井青年の狂気を垣間見た気がした。

 彼はああ、といった顔をして、私に説明してくれた。


「いつだったかな、……昔、ネットで見たんですよ、ミキサーに金魚を入れている……あれはアート写真、だったか……とにかくそれが綺麗で、いつか自分もそうやって金魚を眺めてみたいと、そう思ったんです」

「金魚達はその後?」

「ミキサーのスイッチを入れるのです」


 新井青年の声色は変わらなかった。その内容と声色に私の方が動揺したくらいだ。そして、目の前の青年が殺人犯であることを再認識した。少しの沈黙が流れる。


「事件の事を伺ってもよろしいですか」


 ええ、と頷いて、新井青年の口が弧を描いた。


「元々、××神社の縁日には毎年出かけるんですよ」

「金魚すくいの為に?」

「そうです。だからあの日も、金魚すくいをして、縁日の雰囲気を楽しんだ後は、自分のアパートに帰る予定でした」

「ところが、今年は違った」

「迷子を見つけました。赤い浴衣に黄色の兵児帯の」

「被害者の高岡あゆみちゃんですね?」


 新井青年と目が合う。穏やかな笑みを崩さぬまま、彼は続ける。


「あゆみちゃんと一緒に綺麗な金魚を連れて、僕はアパートに帰りました。あゆみちゃんには、明日お母さんに会えるからね、と言いました」

「何故、少女を連れ帰ったのですか?」


 彼は答えなかった。しかし、その瞳は、「先生、そんなの、本当はわかっているんじゃないですか?」と私に問いかけているようだった。

 再び、沈黙が流れる。


「あゆみちゃんはね、」


 新井青年が切り出す。何処と無く、笑みを含んだ声だ。

 先程までの優しそうな好青年とは違う、狂気を孕んだ声。


「初めは大人しかったんですよ。買ってあげた綿菓子を美味しそうに食べてね。でも、翌日は朝から酷く泣きまして。それが蝉の鳴き声と混ざって。お母さんがいない、お母さんがいない、お家に帰りたいって煩くて」


「宥めても宥めてもあんまり泣くから。煩くて。煩くて。赤い浴衣と黄色い兵児帯を見た時は金魚のように思えたのに。金魚は泣かないじゃないですか。金魚は鳴かない。あゆみちゃんは、僕が神様から授かった金魚なのに。蝉の鳴き声とあゆみちゃんの泣き声とミキサーの音が一片に混ざって」


 はは、は、と、新井青年は笑った。目を大きく見開き、額にはうっすらと汗がにじんでいる。


「……確か、死因は絞殺だと」

「死因?」


 彼はかぶりを振った。


「いいえ?あゆみちゃんは死んでなんかいないですよ?確かに、僕はあゆみちゃんの首を絞めました。でも、死んでなんかいない」

「貴方は、あゆみちゃんを殺していないと、そう仰るのですか?」


 私の声は明らかにこわばっていた。


「気が付いたらあの子は大人しくなっていました。口から泡を吹いていた。あゆみちゃんは金魚になったんです。ちゃんと、金魚になったんですよ。僕が金魚に戻してあげたんです」


 新井青年は続ける。


「浴槽に水を張って、金魚に戻ったあゆみちゃんをそっと浮かべてあげました。ゆらゆら、浴衣の赤と兵児帯の黄色が揺れて。ゆらゆら、ゆらゆら……ああ、僕はこのために今まで生きていたのかと思う程、幸せでした。写真を何枚も何枚も撮って、部屋中に貼りました」


 新井青年が言う通り、彼の部屋からは被害者の写真が大量に見つかっている。


「では、新井さんは自分がどうして逮捕されたと、お思いですか?」


 私の問いかけに、新井青年は少し考えて、こう言った。


「皆金魚が欲しいんですよ」


 薄く笑って、付け加える。


「自分だけの特別なものが欲しいんです。でも、殆どの人は手に入らないでしょう?僕は手に入れてしまったから。それより先生、僕はいつになったらここから出られるんですか?暫く出られないなら、せめて部屋に金魚とミキサーを下さい。次の特別な金魚を手に入れるまでの間だけでも」


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金魚と青年 深川 夜 @yoru-f

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