グレタ
赤いフード付きのコートを着た赤ずきんは折り畳みのイスに腰掛けている。
折り畳みのサイドテーブルには灰皿と、その上に置いた葉巻の先端から漂う甘い香りに目を細めた。
喫煙するわけでもなく、ただ灰皿に置いている。
体長160センチの大柄な狼は、川がない街道から外れた場所に伏せていた。
「さて、行きますか」
閉じた右目に口づけをして、赤ずきんは立ち上がる。
葉巻につけた火を消し、シガーボックスに戻す。
ボルトアクションライフルを背負い、腰のホルスターには45口径のダブルアクションリボルバー。
ワンポールテントやイスはそのままに、赤ずきんはよたよたと歩く狼の歩幅に合わせて町に向かう。
「もう歩き疲れた? 狼さん」
『まだ平気だ。だが、足の弱みは仕方ない、老いていくものだ』
「無理はしないでね、おじいちゃん狼さん」
『あぁ……』
近くの町は、門のない長閑な田園風景が広がる。
横に流れる小川沿いには黄、白の花畑。
遠くに濃い森があり、先が見えないほど広大な景色になっていた。
「狼さん、どうする? 許可をもらって一緒に入ろうか?」
『いや、いい、ここら辺は人食いは滅多に出ないだろう。狩人の姿もみえん、ここでゆっくり待っている』
大人しく伏せて待つ狼と一旦別れた赤ずきんは町の中へ。
周りを見ても個人の家ばかりでお店と思える建物が少ない。
町の人に訊ねると、唯一の食料雑貨店があることを知る。
野菜のマークが印された看板を扉の横に吊るされ、穏やかな風にゆらゆらと微かに揺れていた。
店に入れば、
「いらっしゃい! お、旅人さん?」
カウンターにショートカットの女店主がいた。
「はい、何でも屋もしていまして、何か困っていることがあれば何でもしますよ」
「へぇ珍しいねぇ、よそは人食い狼がいて大変だろ? この町は森がない平原地帯だからまず遭遇することがないんだ。だから狩人も必要ない」
「良い町ですね」
「まぁね、でも前後が森だから人通りが少ないよ。ここは安全だから誰も引っ越そうなんて思わない……多分」
女店主は腕を組んで考え込む。
何かを思いついたのか、赤ずきんを真っ直ぐ見つめる。
「うちの娘グレタっていうんだ」
「はい?」
「病気がちでいつもベッドで寝ているんだよ。最近まで仲良くしてた友達が引っ越しちゃって、食欲がなくなるほど沈んでる。気晴らしってわけじゃないけど、夕食をご馳走するから話相手になってあげてよ」
赤ずきんはにっこり、笑顔で頷く。
「分かりました」
「塞ぎこんでるうえに元々愛想よくない娘だけど許してやって」
カウンターの内側に続く扉を開けて、赤ずきんを通した。
短い通路を進み、奥の部屋へ。
扉を何度か叩いた。
「グレタ、お客さんよ」
返事を待たずに扉を開ける。
どうぞ、と誘導されて部屋に入った赤ずきんはかぶっていたフードを捲り下ろす。
明るい金髪のおさげは肩に垂れ、穏やかな青い瞳でベッドにいる少女、グレタを映した。
肩より下まで伸びたストレートの黒髪をもつグレタは、弱々しい灰色の瞳で見知らぬ来客を映す。
赤ずきんの瞳と合った瞬間、すぐに目を逸らして窓へ顔を向けた。
「……そんな気分じゃないんだけど、勝手に通さないでよ」
「いつまでも塞ぎこんでるから心配してるんだ。気晴らしに旅話でも聞かせてあげて」
女店主は扉をゆっくり閉めて、お店に戻って行く。
戸惑いと緊張か、身体を強張らせたグレタは黙っている。
「はじめまして、グレタさん。私は赤ずきんと申します」
「は……変な名前」
小さい声で赤ずきんに返事をした。
「みなさんからそう呼ばれているので。グレタさん少し私とお話、しましょう」
グレタはずっと目を逸らして、ため息をつく。
「そんな気分じゃない」
「まぁまぁそう言わずに、狼さんしか相手してくれない寂しい人間なんですよ。喋り相手なってくれませんか?」
赤ずきんは丸い椅子に腰かけた。
グレタは眉を顰めて、赤ずきんを横目で覗く。
「……狩人ってこと? だったら必要ないし」
「いえいえ、なんでも屋です。なんでもしますよ、本当に。人食い狼駆除だって、簡単なお手伝いだってします。そうやって旅をしているんですよ、狼さんと」
「狼と? 狼は、人を食べるんでしょ」
「いえいえ、優しい狼さんなんです。人食い狼さんとは全く違います。もう年寄りで説教ばかりですよ」
「全然意味わかんない」
「ふふ、じゃあ呼んでみましょうか? 近くにいるのですぐに」
「い、いい。興味ない」
グレタは首を強めに速く振った。
「あらら……」
目を細めた赤ずきんに、グレタはゆっくり顔を向ける。
強張る身体は僅かに緩んでいく。
布団に隠れている膝を抱えて顔を寄せた。
「ごめん、あのさ、赤ずきん、だっけ? 友達に似てて……怖かったんだ」
「友達に、ですか」
「金髪で青い目の綺麗な女の子。シャーロットっていうんだけどさ、引っ越しちゃって……森を抜けた遠い遠い町に行くことがあったらさ、会いたいって伝えてほしい」
「分かりました。大切な、ご友人なんですね」
「…………」
グレタは何も答えない。
シャーロットについて話すこともなく、再び窓の外、遠い先にある濃い森を眺める。
赤ずきんは深く訊かず、別の話題を探すことに。
すると、窓をカリカリと引っ掻くような音が聴こえ、グレタは窓に触れる白い前脚と大きな口に驚いて後ずさる。
「な、なに?」
「あっ私の大切な相棒です。ちょっと失礼しますね」
別の窓を上に押し開けて、赤ずきんは外に顔を出した。
「どうしたの? 狼さん」
『狼が珍しいって言ってエサを持って来たり、体を撫でに来たりするもんだから逃げてきたんだ。お前を探していることを伝えたら、ここに案内された。全く、買い物だけ済ましたらとっとと戻ってこい』
「ごめんごめん。テントに戻れば良かったのに」
『テントまでついてきたんだぞ』
狼に喋りかけている赤ずきんに、グレタは信じられないと顔を引き攣らせる。
「あったま、おかしい……」
そう呟いたグレタに、赤ずきんは笑顔を向けた。
「褒めてもなにもでませんよ」
「いや、褒めてないし、けほっけほっ」
「まぁまぁ、窓から顔を出してみてください」
渋々といった感じでグレタは窓を上に押し開ける。
ベッドから身を乗り出して、窓の外にいる狼を見下ろす。
「うわ、おっきい。あれ、右目どうしたの?」
大柄な狼を前に驚き、さらに右目が閉じていることに怪訝な表情を浮かべた。
「私を狩人さんから護ってくれた時にできた傷です」
『……』
「はぁ? ますます意味わかんないだけど……」
赤ずきんの言葉に首を傾げてしまう。
笑みを浮かべて鼻先と顎に手を伸ばした赤ずきん。
「愛しい愛しい大切な相棒なんです」
穏やかな青い瞳で迷いなくハッキリと答える。
「愛しい……」
狼がいる場所を灰色の瞳に映し、徐々に潤ませていく。
グレタは窓枠に腕を凭れさせて、力なく顔を預け、遠い遠い景色を眺める。
「私、体弱いから、この町から出ることなんか二度とないんだ……だからシャーロットに、愛してるって伝えてくれる?」
赤ずきんは目を丸くさせる。
「気持ち悪いのは分かってる。でもこのまま何も言わないのは良くないって、赤ずきんと狼さんを見たら、なんか、思った」
言葉を少し躓かせながら呟いたグレタに、赤ずきんは微笑む。
「変なことじゃないですよ、誰かを愛しく思うのはごく自然だと思います」
「……ありがとう。本当は言いたかったんだ。シャーロットがいきなり引っ越すことになって、前日の夜にこの窓からこっそり会いに来てくれたのに……あの子の顔を見たら嫌われるんじゃないかって怖くて…………後悔してる」
赤ずきんは、
「分かりました。必ず伝えます」
力強く頷いた。
赤ずきんは、女店主が作った夕食を持って、ワンポールテントに戻った。
狼はアルミ製の皿に、干し肉と赤いワイン、それと豆の煮込みシチューが並ぶ。
「やっぱり手料理は美味しいね」
『呑気なことを、こっちは冷や冷やしたんだぞ』
「ごめんごめん。グレタさんと話で盛り上がっちゃったや」
器用に舌でシチューを掬う狼は、赤ずきんに、
『全く……それでグレタは、何故あんなことを言った?』
訊ねる。
「えー単純なことだってば、グレタさんはシャーロットさんを愛している、ただそれだけ」
狼は理解できず、思考を巡らせながらシチューを飲み続ける。
「ふふ、狼さん」
赤ずきんはイスから離れて、狼の尖った耳に顔を近づけた。
尖った耳を手で覆い隠し、ぼそぼそと狼にだけ何かを伝える。
『は、はぁ?』
狼は思わず尖った耳をあちこちに動かして、尻尾も揺れ動く。
イスに座りなおした赤ずきんはいつものように夕食を摂る。
『な、なんなんだ、まったく。味が分からなくなるだろうが』
狼はしばらくお座りのまま、夜空を見上げた。
治まらない心音と締め付ける何かに、疑問は深くなる……――。
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