幽霊弁慶御成敗

藤あじさい

前編


 墨汁を染み込ませたような、真っ黒な夜だった。天高く昇る月は三日月で、街頭の少ないあたりでは十分な視界は確保できない。

 この町で、南北を隔てる大きな川を渡るには、大橋を渡るしかなかった。昔ながらのこの橋は、大人三人が手を広げてようやく歩けるほどの大きさで、車の通行はできない。そして街灯の設置は極端に少ない。大きく道を迂回すればきちんと車も通行できる橋はあるのだが、近隣の住民はもっぱらこの大橋を利用している。

 川を渡す橋の長さはおよそ、十五メートル。昼間はともかく、夜はこの間をわずかな灯りで渡り切れなければならない。ただでさえ、大人でも心細くなる夜の大橋。ちょうど真ん中に設置された、街灯が小さく辺りを照らす中で。


「――橋を渡りたくば、それを置いてゆけ」


 立ちはだかった大男。

 ギラリと鋭い目を光らせた彼は、天を突くように背の高く、橋が狭く見えるほどに体格が良い。時代錯誤の僧兵姿、手には大きな長刀。


「置いてゆけ。逆らうならば、勝負をしろ」


 低く威圧感のある声が、闇の中を響く。


「負ければそれは、置いていってもらう――」




 夜の大橋に現れる怪人の話は、この頃、周辺住民の間で噂になっていた。実際に遭遇した者や、それを奪われたと語る者はいながらも、あまりに夢現な状況に警察沙汰にはならないままだった。

 しかし住民たちは、自分の家族に口酸っぱく言い聞かせる。夜の大橋を通るな。あちらに行くのならば日が昇っているうちにしろ。

 幽霊弁慶に、食われてしまうぞ――……と。



◇◇◇


 オダマキ堂は、このあたりでは一番美味しい食事処である。昼間は昔ながらの定食屋、夜は雰囲気のある飲み屋と二つの顔を持つ店で、もう何百年も昔から代々続いている店なのだ。

 看板メニューは、季節の魚を使った焼き魚定食、それから秘伝のタレが使われたしょうが焼き定食。地元野菜がふんだんに使われた小鉢や、釜炊きの雑穀米もおいしいと評判だ。

 

 近隣では世代を跨ぐ常連客が多い。昼間は気軽に学生たちが多く利用し、夜は仕事終わりの勤め人が羽を伸ばしにくる。どの客も店主と、店主の妻である女将をよく慕っていて、料理に舌鼓を打って帰っていく。

 この店の昼のアルバイト――吉乃は、そんなオダマキ堂が大好きだった。だから厨房の入り口で、今日も台拭きを片手に熱弁を振るっている。


「女将さん、この店もったいないですって!こんなに素敵なお店なのだから、もっとお客さんが来てもいいのに!」


 吉乃は産まれも育ちもこの近くで、昔からこの店には馴染みがあった。幼い頃から、ちょっとしたご褒美での外食といえばオダマキ堂であり、女将の優しい笑顔に憧れていたものだ。だからアルバイト募集の話を聞いてすぐ、このオダマキ堂に押し入って面接の予約を取り付けたものだ。

 その時の女将は随分驚いて目を丸くしていたが、「ヨシちゃんみたいな明るい子だったら、楽しそうね」とにっこり笑って採用してくれたのだ。吉乃は改めて女将のことが大好きになった。でもだからこそ、オダマキ堂の今後の話になると、吉乃の熱弁は止まらなくなる。


「この辺りも、だんだん人が少なくなってるでしょ。私の同級生たちも、進学や就職で都会に出て行く人が多いし、人が少ないとオダマキ堂のお客も減っちゃいます。私、どうにかしてオダマキ堂へ市外からも人を呼びたいって思っているんです!このお店を、この先もずっと続くお店にしたいって思うんです!」


 吉乃の訴えは決して、的外れではない。過疎化による客足の減少は、オダマキ堂だけでなく、近くの客商売は皆が感じていることだった。だが、感じていても、どうにか出来る手立てが簡単に見つかるとも限らない。


「ヨシちゃんの言うとおりだけれど……でも、こんな片田舎だしねぇ。細々と成り立っているから、とりあえずは、今のままでも満足なのだけど……」

「だめですよ、女将さん!そんなんじゃ、あっという間に経営難になってもおかしくないです!」


 吉乃はここぞとばかりに、提案を押しつけた。


「女将さん、やっぱりメシコメですよ!あれで高評価をもらえれば、更なる繁盛間違いなしです!」


 メシコメというのは、グルメ店専用の口コミサイトである。近年、全国の大小ジャンル様々なグルメ店はこぞってこのサイトに登録し、客からの評価を求め、自店の宣伝へと役立てるようになっていた。

 オダマキ堂も最近、このサイトに店舗情報を載せたのだ。そこそこの反響はあったし、評価も低くはない。だが、いまいちぱっとしないまま今に至る。その理由のひとつが店主も女将も機械にめっぽう弱いことで、メシコメ登録に至るまでも、吉乃ともうひとりのアルバイトがどうにか協力して漕ぎ着けたという経緯がある。

 そのメシコメで、高評価を得るのは簡単ではない。常連客が良い評価をしてくれても、結局来客数によりコメント数が限られるからだ。だが、少し考えればやりようはいくらでもあった。

 メシコメは一度登録さえしてしまえば、店側が情報を出す頻度が少なくても、口コミで話題になればそれだけで集客に繋がる。つまり話題性のあるコメントさえ得られれば、大チャンスなのだ。


「実は最近、隣町に伝説のメシコメライター、食堂破り侍さんが出没したらしいんですよ」

「えっ、食堂破り侍……?」

「そうなんです。その人がコメントを残した店はもれなく、大繁盛が約束されます」


 これは噂でも誇張でもなく、事実だった。正体不明のメシコメライター「食堂破り侍」。その人の投稿するコメントには、熱狂的なファンが何人もついている。今まで食堂破り侍は、全国どこへでもふらりと現れて、コメントを残している。もちろん知れた有名店へのコメントもあったが、中には誰も知らない秘境にある隠れた店や、出来たばかりで歴史の浅いラーメン屋などもあった。しかし、そのコメントは的確かつ文学的でありいつも人々の食欲を掻き立てる。結果、食堂破り侍がコメントを残した店には、客が殺到するのである。


「オダマキ堂の料理には魅力があります!ちょっと宣伝が下手なだけで……料理の良さにさえ気づいてもらえれば、一発逆転ありますよ!」


 しかし女将は、困ったように首を傾けた。


「こんなところまで、来てくれるかしらね。ホラ、このあたり何もないし……。隣町は辛うじて、温泉があるでしょう?」

「この辺には、山もあるし川もあります!」

「見て楽しい山でも川でもないわよ。せめて、何か特産品でもあればねぇ」


 女将は吉乃の言葉を笑って流す。

 吉乃はそれを、もったいないと思うのだ。事実、オダマキ堂の料理は、都会の名店に引けをとらないくらい美味しいのだ。吉乃は春先に、親戚を訪ねて東京へ出た。そのときに有名なレストランへ連れて行ってもらったが、オダマキ堂には及ばなくてがっかりした覚えもある。


「それより、ヨシちゃん。お使いお願いしたのはどうだった?」

「あっ、これですよね。ちゃんと買ってきましたよ」


 吉乃は、戸棚から紙袋を手渡す。女将は受け取るなり中身を確認し、嬉しそうに声を上げた。


「お茶請けはやっぱり、六波羅亭ろくはらていじゃないと。六波羅亭の和菓子は最高なのよ」

「女将さんったら、本当にここのきんつば好きですよね」


 そのとき、吉乃の背後から声が掛かった。


「おねえさん、それって橋の向こうにあるお店?」


 ぱっと振り返った先は厨房の外、客席である。伝票を片手にニコリと笑う青年に、吉乃は慌てて背筋を伸ばした。

 まだ常連というほどではないけれど、この数日、毎日のようにオダマキ堂へ食事を取りに来る青年だ。年齢は吉乃とあまり変わらないように見えるが、この辺りには仕事で来ているらしい。少し歩いたところの民宿に滞在しているとかで、いつも食事がてら、ぽつぽつと会話をして帰っていく。


「ごめんなさい、話が聞こえてしまって」


 ニコニコとした彼の愛嬌の良い表情のせいか、はたまた連日顔を合わせているから、すっかり顔馴染みだからか。吉乃も女将も、会話に加わろうとする青年をにこやかに受け入れる。

 なんなら吉乃は、温和なこの青年のことが最近ちょっとお気に入りだった。働いてるにしてはあまりにラフな服装で、どんな仕事をしているかは検討がつかなかったけど。


「あらやだ、聞こえてましたかお客さん」

「賑やかな話し声が楽しそうだっだから、つい。その店ーー六波羅亭?有名らしいですね。俺も行ってみようと思っていたんだけど」

「まぁまぁ、そうだったんですの!六波羅亭はおすすめですよ!数十年来行きつけにしてる私が保証しますとも!」


 ぱあっと顔を輝かせた女将が、勢いよく食いついた。彼女は、甘いものに目がないのだ。


「本格和菓子も素敵ですけど、ドラ焼きとか、おはぎとか、最中とか。おやつにぴったりな定番品も美味しいですよ。あとは、今年に入ってから洋菓子も始めて……」

「洋菓子ですか?和菓子屋なのに?」

「そうなんですよ。なんでも、可能性を広げる挑戦だとかで。私はまだ洋菓子は食べたことがないんですけれどね」

「ますます気になってきたなぁ。この後、行ってみようかな。何時までやってるお店ですか?夕方くらいには向かえると思うのだけど」

「六波羅亭は結構遅くまでやってますよ」


 でも、と声を潜めたのは吉乃だ。


「お客さん、気をつけたほうがいいかもしれないです。最近、夜は出るので」

「……出る?」

「幽霊弁慶ですよ」


 青年が目を瞬いた。


「ユウレイベンケイ……?」

「ここから六波羅亭に行くには、どうしても大橋を通らないとならないんです。大橋には街灯が少なくて、橋の両端とちょうど真ん中あたりに一つずつしかないんですけど……その中央の街灯の下で、夜に怪人がでるって噂なんです」


 吉乃は真面目だったが、あまりに突拍子もない話だったからだろうか。青年は、くすくすと笑って手を振った。


「うーん、お化けか。あんまり俺、そういうのは信じてないんですけど」

「単なる都市伝説じゃないんですよ!実際かなりの目撃情報がありますし、なにより……」


 吉乃は、ぐっと両手を握りしめて訴えた。


「六波羅亭帰りに出会ったら最後、せっかく買ったお菓子、取り上げられちゃうんです!」


 そうなのだった。噂の怪人・幽霊弁慶は、夜に大橋を渡る者に勝負を挑む。そしてその結果、戦利品として六波羅亭の菓子を取り上げてしまうのだった。というのも、この大橋を渡った向こう側にあるのは六波羅亭くらいだ。店の裏は山になっていて、登ろうと思えば県外に抜ける道もあるにはあるが、日が落ちてから山に入る者なんていない。だから必然的に、夜の大橋利用者は六波羅亭の客になるのだった。

 とはいえ、真実はわからない。吉乃も女将も、幽霊弁慶に遭遇したことは、ないからだった。


「真偽はともかく、気をつけるに越したことはないと思うんですけど――……」


 カラン、と扉の鐘がなる。

 目を向けると客がやってきたところだった。背の高い大柄の男性客は常連で、ちらりと女将と吉乃に目を向け、定位置である壁際の席に座る。青年の会計を始めた女将に促され、吉乃は常連客に水を運ぶ。


「……いつもの」

「塩サバ定食ですね!かしこまりました!」


 入れ替わりに、会計を終えた青年は店を後にした。



◇◇◇


 そんな話をしていた、翌日のことである。いつもより客足が少なく、早々にアルバイトを切り上げて良いと女将からの勧めがあった。

 折角早めに上がれたのに、すぐ帰るのはもったいない。吉乃の足は自然と川を隔てた先、六波羅亭に向いていた。


(昨日話していたら、私も食べたくなっちゃったんだよね)


 やはり疲れた身体には、甘いものだ。手提げ袋を見下ろし、吉乃はにこにこしてしまう。存分に悩みに悩み、選別したいくつかの菓子が入っている。

 六波羅亭は、老舗の和菓子屋。この地域で同じ食品を扱う店として、オダマキ堂よりも頭一つ格上である。地元育ちである吉乃は、もちろん六波羅亭も昔からよく知っていた。オダマキ堂と同じく老舗の名店だが、手土産品の和菓子は品によっては日持ちが利く。数年前からは発送での販売もしており、県外でも名が知れ始めている。


(オダマキ堂も、六波羅亭に続いてどうにかできないかなぁ……)


 そんなことを考えながら、何となく六波羅亭のメシコメのレビュー欄を眺めていた吉乃は、あっと大声をあげた。


「え!?六波羅亭に食堂破り侍さんのレビューがのってる!しかも、昨日?!」


 隣町のうどん屋のレビューがあがっていたのは、先週である。近くまで来ているらしいのは気づいていたが、六波羅亭は目と鼻の先だ。


(これは本当に、もしかしたらがあるんじゃ……?!)


 興奮する吉乃の頭からは、すっかり危機管理能力が消えていた。

 気づいたときには日がほとんど沈んでおり、代わりに街灯がつき、そして例の大橋の上へと差し掛かっていたのである。

 橋の下からは川のせせらぎが聞こえる。闇に覆われた橋の上、向かう先にひとつだけ灯った街灯。そこへ、ぬっと現れた黒い影。


「その袋、置いてゆけ」


 はっとした時には遅かった。大男の影に、吉乃は凍り付いた。脳裏に、ひとつの名前が浮かぶ。


(幽霊弁慶……!)


 わずかに残っていた日が落ちる。薄闇の黒が増していく。橋の中央にひとつ灯る明かりが、大男を照らす。

 それはまさに、噂に聞く姿だった。どっしりと、橋を塞ぐように立つ姿。右手に持っているのは、長刀か。時代錯誤な僧兵姿。背が高く体格は良いが、明かりが十分ではない為に顔の造りまではわからなかった。ただ向けられた眼光が鋭いのは、わかる。

 吉乃は威圧感に、身体が凍りついていた。怪人どころか、このような殺気を向けられることが日常においてない。問いかけられているのは分かっているけれど、うまく思考もまわらなかった。


「命が惜しくば、それを寄越せ」


 再度投げかけられた言葉に、やっとのことで首を横に振った。身を護るように、紙袋を胸の前で抱きしめる。

 どうしても渡したくないというよりも、どうしたら良いのかわからなくなっている。冷静であれば、さっさと菓子を置いて逃げたかもしれない。

 大男は動かない吉乃と、彼女が拒否する様子をじっと見つめた。それならば、と長刀を構える。


「ならば、勝負だ。我が勝ったらそいつはいただく」


 言いながら、こちらに向かって歩いてきた。ガチャガチャと長刀が鳴る。大男の視線は、真っ直ぐ吉乃を射抜く。

 今度こそ、微動だにできなかった。このまま気絶してしまいたいとさえ思う。もちろん吉乃は戦えやしないし、命乞いをする勇気すらない。

 もうだめだと思った、そのとき。


「丸腰の女子に突然勝負をけしかけるのは、礼儀にかけていると思うが?」


 響いた第三者の声。同時に一陣の風が吉乃の背後から、大男へ向かって吹き抜ける。

 ざあっと通った風に吉乃の髪が靡く。思わず目を細めながら吉乃は大男の方を見て、驚いて目を見張った。

 それは、小柄な一人の人物だった。黒衣を纏ったその人は、風と共に走り抜けた勢いそのままに大男へとぶつかっていく。

 ガチン!と、何かがぶつかり合う鈍い音が響いた。見れば大男が振り上げた長刀を押し返すようにして、刀ーーいや、木刀が打ち付けられていた。得物同士が弾きあったそのままに、くるりと後ろ向きに器用にに宙を回う。ひらりと地面に着地した。それから、大男に木刀を差し向ける。


「そんなに勝負がしたいなら、私が相手になろう」


 間髪入れずに大男が、ダン!と足を踏み込んだ。力任せの容赦のない打撃。しかしそれは当たらず、紙一重のところでひらりと躱された。

 まるで体重を感じさせない動作。その黒衣の姿は、大男に比べてひどく小柄に見えた。どう見たって大男には敵いそうにないのに、実際は互角に見えた。不利などころか、小柄な身体を利用して立ち回る姿は、舞のように綺麗だ。


 突然始まった戦いに、脳内処理がついていかない。でも今目の前で繰り広げられている光景から、吉乃は目が離せなくなっている。

 

「武蔵坊弁慶……」


 吉乃のつぶやきに、大男と対峙している黒衣の恩人が、僅かに目を細めたような気がした。



◇後編につづく

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