「くだらない勇気」4編(第15回)

小椋夏己

第1話

 私の夫はとても優しい人だ。

 世間で優しいと言われる人はたくさんいるが、私から見るとそれは優しいというより軟弱であったり、弱さであったりすることもあるのだが、夫は本当に優しい人だ。


 私はしんに優しい人とは強さを合わせ持つ人だと思っている。

 夫にはその本当の強さがある。


 例えば小学校の頃、こんなことがあった。


 クラスでいじめがあったのだ。

 私も含め、誰もそのいじめられている子を助けてあげようとはしなかった。

 それは怖かったからだ。

 今度は自分がいじめの対象になるのではないかと。


 そのいじめられている子に多少なりともそうされる理由があったのも、みんなが見て見ぬ振りをした理由の一つであった。

 はっきり言うが、性格のよくない子だった。

 というか、そうやっていじめられるようになるまでは、自分もいじめっ子の一人であった。

 だからその子がいじめられる方に回ったとしても、なんとなく仕方ないなという風に、みんな知らん顔をしたのだ。


 ある時、とうとうクラスの男子の一人が見かねて助けに入った。

 掃除の時間、いじめっ子たちが箒でその子を殴っているのを止めに入った。

 いじめっ子たちはその行動を「いい格好しやがって」と今度はその男子を標的にした。

 その途端、かばわれた元々いじめっ子から元いじめられっ子になった子は、またいじめっ子のグループ側に立って、いじめられている子を一緒になってはやし立てていた。


 そして、助けに入った男子は学校に来なくなってしまった。

 強さを伴わない優しさや正義感は往々にしてこうなることもあるのだ。

 いじめを止めた男子がいじめっ子たちより強かったら、こんな負の連鎖はなかっただろうに。


 例えば、歩道橋の下で重い荷物を持って困っていたおばあさんがいたとする。

 もしも自分に力があれば荷物を持って、おばあさんのこともおんぶをして登って降りて、反対側に連れて行ってあげるのも優しさだ。


 でも自分に体力がなかったなら、荷物を持ってあげることもできない。下手におばあさんをおんぶしたら、一緒に倒れて落ちてしまって最悪の事態を招くことにもなりかねない。

 人助けも自分の能力を的確に判断してからにしないと役には立たないといういい例だ。


 例えば、与えられた仕事ができずに困っている後輩がいたら、手伝って終わらせてあげるのも先輩としての優しさだ。

 だが、もしも自分に助けるだけの能力がなければ、かえって手間取らせて邪魔になることもある。そのことで後輩の評価が下がったら本末転倒。先輩面して優しくしても迷惑なだけになる。


 例えば、川で溺れている人がいたとする。かなり泳げる人でも助けるには危険が伴う。

 大抵溺れている人は服を着ていて助ける側も着ている。着衣水泳ができて、救助の訓練を受けていないと自分も引きずり込まれて一緒に溺れるだけ。


 そんな時は何かつかまって浮くことができる物を投げてあげるのが一番だと聞いたことがある。ペットボトル1本でも違うらしい。そういう知恵を持っている方が結果的に助けになることもある。

 

 例えば、ホームから線路に落ちた人がいたら、飛び降りて助けてあげるならば、その人をホームに押し上げて自分も上がれるぐらいの時間があるか、そうできる体力はあるのか、そこを見極めた方がいい。

 たとえその人を助けたとしても、電車が来るまでに自分がホームに上がれなかったら、そうしたら……


「あなたのように、子供を助けて自分が命を落とすということもあるのよね」


 私は優しく微笑む夫の遺影に向かって今日もそう話しかける。


 世間では夫のことを取り上げて褒めそやしている。

 なかなかできることではないとか、勇気を称えるとか、立派だとか。

 毎日のようにメディアでも取り上げられてちょっとしたスターみたいね。


 助けられた子供を連れてご両親が何度も頭を下げてくれた。

 ありがとうございます。

 感謝しています。

 一生忘れません。


 でもね、いくら誰に褒められても、お礼を言われても、私はちっともうれしくない。


「どうしてそんなことしてしまったの?」


 あなたは困ったように、


「つい体が動いてしまったんだよ」


 そう言うんでしょうね。

 今までもそうだったもの。

 本当に優しい人。

 色んな人をそうやって助けてきたものね。


 でもね、あなたはこうして私を一人にしてしまった。

 そんな勇気、果たして本物かしら?

 

 いくら勲章をもらおうが、世間が褒めてくれようが、来年の今頃にはもうみんなすっかり忘れているのよあなたのことなんて。


 そして私は一人。

 これからずっと一人。


「くだらない……」


 私はあなたの勇気をくだらないと思う。

 

 生きていてこそよ、そんなもの。

 生きて戻れる自信が、二人共助かる自信があったのかも知れないけど、結果としてあなたは助からなかった。


「もっとあなたがいくじなしならよかった」


 これが私の本音。

 

「そんな勇気いらない」


 誰もいなくなった部屋の中で私は毎日そう言って泣いているのよ。

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