夏と雪

きむち

第1話

未来から来た。確かに目の前の女性はそう言った。


そして、付け足した


「私は、あなたの将来の妻です」


と。



休日、僕の家にそれは訪れた。


インターホンが鳴り外に出ると、見覚えのない女性が立っていた。


肩の上で切りそろえられた栗色の髪の毛、柔らかな顔の輪郭に、抜けるような白い肌、そして大きな瞳。


美人だった。


けど、何故か初めて会ったという感じがしない。しかしその姿に記憶はなかった。


僕の部屋に上がり込み、話は進んで


「訳が分からない、です」


目の前に座るその女性にそう放った。


「あなたの妻が会いに来たんです、もうちょっと喜んでください!」


その返し方に少しだけイラつきを覚えた。


「まず、未来から来た。なんて人の言うことなんて全く信用できません」


「少しぐらい信じてくれてもいいじゃないですか」


彼女は高校生の僕よりきっと5つくらい歳は上だろう。

大人の女性の雰囲気を持っているが、それとは裏腹に発言は意味のわからないものだった。


百聞は一見にしかず。


「じゃあ、なにか証拠を」


「わかりました。じゃあ何をすれば信じますか?」


素直に受け止めてくれたので、かえって真剣になった。


少し悩んで僕は言った。


「じゃあ、まず僕の名前を」


「浅野 美鶴みつる。17歳。血液型はA」


「正解、です⋯」


名前は当たっているし、他の情報にも誤りはなかった。少し悔しくて言い訳をした。


「まあこんなもの調べればいくらでも分かります。次の質問いいですか」


「ええ」


「あなたは未来から来たんですよね、なら、これから何が起こるかも知っているはずです。何か一つ教えてください」


これが1番確実な方法だ。変なことを言ってみろ。警察に連れてってやる。


「んー、今日は20‪‪‪✕‬‪✕‬年7月21日だから…」


彼女は日記らしきノートを取り出す。

それをパラパラとめくり、


「あ、女優の長澤 真美が結婚を発表しますね」


そう言った。

今は15時49分。


「じゃあこの予言が外れていたら、あなたを警察に連れて行きますからね」


「わかりました」



彼女の発言は正しかった。

女優の長澤 真美は今日の16時に一般男性との結婚を発表した。

他にも彼女は自動車の事故や、最高気温を言い当てた。


「わかりました。あなたが嘘をついてないことは認めます。けど、どうして僕のところに来たんですか」


彼女は1度ため息をつく。


「何度も言ってるじゃないですか、私があなた、美鶴さんの将来のお嫁さんだからです」


真剣な顔でそう言った。


正直、彼女に全ての事実が見えていることに間違いはなかった。けど、言っていることの意味が理解できない。


将来の僕の妻だって?僕はまだ高校生だぞ。


「夫に会いに来て、何か悪いことがありますか?」


「僕はまだ結婚なんてしてませんよ…」


「あ、そう言えば自己紹介がまだでしたね。私は浅野 ゆ──、み、みゆです。気軽にミユちゃんって呼んでください」


浅野っていう苗字は僕由来だということを示しているのだろうが、ミユという人物には全く心当たりがなかった。


「残念ですけど、ミユという人に心当たりはありません」


「まあまあ、それは気にしないで。とりあえず会えた記念にお出かけしましょう!」


「何言ってんですか…」



というわけで僕は訳の分からないまま、ここ、九十九里浜に連れてこられたが、出発時間が遅かったため、既に空は茜色に染まり始めていた。


しかし、電車代等の交通費はミユさんが払ってくれたので文句は言えない。


「何しに来たんですか、ここに」


踏みしめる砂に靴底が潜り込む。


「んー、遊びに来たんですよ」


「遊びに来たって…特にすることないですよ。水着もないですし」


「とりあえずほら、座りましょうよ」


ミユさんが座って、僕にもそうするよう促した。


砂はサラサラしていて、座り心地がよかった。

寄せては返す波を見つめていた。

西に沈む太陽がそこに落ちて、水面をどこか悲しいオレンジ色に塗り替えていた。


「私、好きな人と海に来るのが夢でした」


ミユさんは独り言のようにそう言った。

キレイで整った横顔に開く瞳は、なんだか悲しそうで、遠くのものを見つめているようだった。


「行ったこと、ないんですか?」


「はい、1度も。でも、もうその夢もこうして叶えられてしまいました」


僕の方を見てから、笑って言った。

でも、その笑顔がニセモノだって言うことは僕にもわかった。


「ミユさんの旦那さんは、未来の僕なんですよね」


はい、と頷いた。


「じゃあ、行けばいいじゃないですか」


柔らかな風が、頬を撫でた。

沈黙が、長く思えた。


「そう、ですね。でも私にはできません」


「なんでですか?」


「……それは、いいんです。それより、手、繋いで貰えませんか」


何を言い出したかと思えば、変なことだった。

けど、その悲しげな瞳を拒むことができなかった。


僕は、隣に座る彼女の手を握った。初めて女の人と手を繋いだということも緊張していることも、言わなかった。


彼女の頬を、一筋の涙が伝っていることは見ないフリをしてしまった。


今更だけど、握る彼女の手の薬指に、指輪がはめられてることに気がついた。

けど、それはどう見ても言わば安物で、結婚指輪と言うには程遠かった。


「指輪、してるんですね」


「はい、安物ですけど。貰ったんです。大切な人から」


また沈黙が続いた。

けど、何故か違和感がなかった。僕と彼女はまるで空気に溶け込んでるみたいで。

海と風のようだった。


「美鶴さんは、好きな人がいますよね」


「な、なんですか急に」


彼女の言葉に驚いて、冷静さを欠いた。


「知ってますよ。私は、将来のあなたのお嫁さんですから」


「なら聞かなくていいじゃないですか」


顔に血が上るのを感じつつ、平静を保って話を続けた。


「北野 ゆきさん、違いますか?」


その名前を出されると、やはり顔に血が上って、熱が上がる。


北野 雪。僕の幼馴染で、とても穏やかで優しい人だ。

ずっと前から、好きだった。


「そう、ですよ。だったらなんですか」


「ふふ、高校生の時間なんてあっという間です。今から会いに行っちゃいましょう!」


その発言に慌てた。


「嫌です!雪の家まで案内しませんからね!」


「いいですよ、私はなんだって知ってますから、ほら、立って立って!」


急かされて僕は重い腰を持ち上げた。



震える指でインターホンを押す。


午後7時。もう空は暗くて、迷惑でしかない。


ガチャリと目の前の家の玄関が開いた。そこからは、


「はーい…って、美鶴!?」


に、、そしてをした女の子が顔を出した。


「や、やあ、雪。急にごめん…」


どうにでもなれ。そう思った。夏のせいだ。そう、夏のせい。いや、元はと言えば横でニヤニヤしている人のせいだ。


「全然いいけど…どうしたの急に」


こうなるに決まっている。

しかしどうすればいいのか分からなかった。


「はいはい、そこは私が説明します。初めまして雪ちゃん。ちょっと2人で話できるかな」


そう言って僕を追いやって、ミユさんと雪は何やら話を始めた。


何分たったろうか。割と長かった気がする。ミユさんと雪は僕の方に戻ってきた。


どこか、雪は悲しげな顔をしていた。それは、ミユさんと同じ瞳だった。



私は、美鶴と一緒にいた女性にこう言われた。


「次はあなたが助けてあげる番」





私の覚悟もできてしまっていた。


彼のことが


ずっと好きだから。



雪とはちょっとだけ話しをして別れた。

夜の道、ミユさんと2人で僕の家へ向かって歩く。


「楽しかったですか?」


「はい、とても。ありがとうございました。ミユさんがいなかったから会えませんでした」


ふふっと彼女は笑って。


「よかったです」


悲しい笑顔でそう言った。


夏夜の冷たい風が頬を通った。


「この指輪、あなたに渡しておきます」


「え、でもそれは──」


「いいんです。次は、美鶴さんが誰かに渡す番です」


そうして、安物の指輪を僕の掌に置いた。それを僕はギュッと握りしめた。


その悲しげな顔には、逆らえない。

誰かと、似ているんだ。


胸を締める感覚が苦しかった。


「私は、あなたを守りますから──」


ミユさんが何を言っているのか分からなかった。


「もう一度、手を握ってくれますか」


「はい」


僕に抵抗はなかった。なぜなら、彼女のその手の中が温かくて、とても落ち着いたからだ。もうずっと、このままがいいと思えてしまった。


横顔も、まつ毛も唇も全てを美しいと思えた。


そうして、彼女はこちらを向いて、僕の体を抱きしめた。少しだけ驚いたけど僕もそれを全力で抱き返した。


心臓が、あつくなった。


唇に温かい感触と、匂いが触れた。


「あなたのファーストキスは、私が貰いました、美鶴さん」


泣きそうな、今にも壊れそうな笑顔で、そう彼女は言った。



翌日、朝から僕はミユさんに連れていかれて、雪と海へ行くことになった。


昨日僕とミユさんが来たその砂浜で、僕達は3人で水をかけ合ったり、砂で城を作った。


夏の、一番の思い出だった。


そして、別れだった。


僕と雪とミユさんが横断歩道を渡っている時だった、居眠り運転をした運転手の白いセダンがこちらへ向かってきたのは。


「あ──」


背中に、柔らかい感覚があった。誰かが僕を突き飛ばしたのだ。


隣には雪がいる。

咄嗟に後ろを振り向く。そこには


「またね──美鶴。会えて、よかった」


笑って、いや、泣いてそう言うミユさんの姿があった。


「待って──」


鮮血が迸った。



ミユさんの正体には、薄々気がついていた。未来の雪。もしくは別の世界の。彼女がどうやってここに来たのかは分からない。


けれど、僕が死ぬはずだったのだ。


だから、彼女の世界未来には、僕がいなかった。


彼女は僕を救うために、ここに来て自らの命を張って僕を救った。


未来を大きく変えることはできない誰かが死ななくてはならない。雪はそう言う。


手に握る指輪が、痛くて、どうしようもなかった。




好きだったんだ。僕は。雪ではなく、ミユという1人の女性を。






僕の隣に立つ女性、浅野 雪。



その薬指には、安物の指輪がはめられていた。



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夏と雪 きむち @sirokurosekai

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