第44話
side ビビア
「……ライオス様」
「すぅ……すぅ……」
「お眠りになられましたか」
ベッドで眠っているライオス様に声をかけても、寝息しか返って来ない。
完全に眠っていると判断した私は、ライオス様を起こさない様にそっとベッドの脇の椅子から立ち上がり、部屋を出た。
部屋の扉の横にはアルシェード様が椅子にお座りになっていらっしゃり、護衛としてオルト様がそのお近くに立っていて部屋から出て来た私を一瞥する。
……アルシェード様、私が裏切ってしまった親愛なる主。
表面上はいつもと変わらない笑みを浮かべておられますが、私を見るその瞳に嘗ての親愛の情は感じられず冷たい視線が私の身を貫く。
「……アルシェード様、ライオス様はお眠りになられました」
アルシェード様に一礼して、報告する。
「分かったよ。ご苦労様」
「勿体なきお言葉、ありがとうございます」
この程度の事でアルシェード様に労って頂くのは過剰だと思うのですが、それだけこのお方にとってライオス様が重要なのでしょう。
「じゃあ、ライについて報告をお願い」
「承知いたしました」
報告と言っても、今日ライオス様が行った全ての事をアルシェード様にご報告する訳ではない。
気になった事、つまりはライオス様の人となりや生い立ちなどの手掛かりになる事にアルシェード様は興味を持たれておられる。
それを一日の終わりに報告するのが、私の役割である。
「……学習能力、思考能力が共に高く、才能がおありだと思います。気になった点ですが、ライオス様の母君が本を一冊お持ちだったとの事です」
「へぇ、スラム街に住んでいる貧民が本を、ね」
「はい、ご友人からお譲り頂いたとの事です」
ライオス様の母君が持っていた本について報告すると、アルシェード様も私と同じく気になられたのか、思案気な表情をして口元に手を当てられた。
「他に何か本について分かる事ってある?」
「アルシェード様からお勧め頂いた本の中に同じ本がありました。こちらでございます」
メイド服のポケットの中から件の本を取り出して、アルシェード様にお渡し致す。
「ああ、これか。西北部で有名な英雄譚だよね。暴れる強大な魔物を騎士が倒して、当時の国王陛下がご息女を褒美として娶らせたっていう内容だったかな?」
「私もそのように記憶しております」
騎士と王国の姫、大きな功績を上げたとはいえ本来なら身分が釣り合いませんが、強力な力を持つ人物を国に縛り付ける為にはよくある古典的な手はあります。
この英雄譚は西北部の纏め役ベルフォード侯爵家の開祖の話で、侯爵家が支配を盤石にする為に積極的に流布しているので、西北部で最も知られていると言って良いでしょう。
しかし、それは他の家もやっている事。こちらは同じ西部なので多少知名度は高いですが、わざわざ本を買う程人気がある訳ではありません。
ライオス様の母君か父君のどちらかは、確実に西北部に関わっていると見て間違いないでしょう。
「……ライの母親は何で本を売らなかったんだろうね。ライは何か言ってた?」
「ライオス様に聞きましたが、売らない心当たりがないとの事でした。申し訳ありません」
「いや、謝る必要はないよ。その内、ライの住んでたところに行って調べる必要がありそうだけどね……」
その後、暫くアルシェード様は考え込んだ様子をされていましたが、情報が足りないと判断したのか口元から手を退かし、椅子からお立ちになられました。
「さて、僕はもう寝るよ」
「「お休みなさいませ」」
「うん、お休み……あっ、そうだ。ビビア、聞きたかったんだけどさ、何であの時止めたの?」
扉の取手に手を掛けたアルシェード様がそうおっしゃって振り返られる。
「ライオス様は異性に裸を見られる事に抵抗を感じられているご様子でした。訓練でお慣れになられる前に見ようとすれば、アルシェード様に苦手意識をお持ちになると愚考したしました」
「そっか。なら、あの怒ってたのも演技?」
「……半分程は。ライオス様からの多少の信用を得られたかと」
無論、はしたない行動に嘗ての様に諫言致したという面もあった。
とはいえ、アルシェード様も察しておられるでしょうし、それはここで口に出す必要はないでしょう。
「なるほど……盲点だった。助かったよ。君が諫言してくれなかったら、少し不味い事態になってたかもしれないね」
「いえ、滅相もごさいません」
「ああ、そうそう。今回は嬉しい事を聞けたから見逃すけど、あまりライを苛めないでね」
「っ、畏まりました」
何て事もない口調でおっしゃられた言葉には脱衣所の時も感じた圧が込められており、アルシェード様の瞳から光が失われていた。
淀んだ瞳の闇を見ていると心の底まで見透かされている様な気分になり、慌てて頭を下げて視線を切った。
その後、アルシェード様は何もおっしゃらずに部屋に入られた。
「……ビビア殿、ライオス殿はお眼鏡にかないましたかな?」
オルト様の口から放たれた言葉に心臓が跳ねる。
「……オルト様、ライオス様に対して私ごときがお眼鏡にかなうなどと……」
「ですが、お試しになられたのでしょう?」
「それは……」
私は思わず言葉を濁した。オルト様の口調はある種の確信を持ったものだった。
察しの良いこの方の事です。あの場に居合わせていた訳ではないでしょうが、アルシェード様のお言葉で大方何があったのか、察したのでしょう。
「どうでしたかな、ライオス殿は。この場には私と貴女しかいない。聞き耳を立てている者もおりません」
「……才はあれど、未熟といったところです。そうは言っても、あの年にしては出来過ぎていますが」
あの時の選択でアルシェード様を選ぼうものなら、私はライオス様に失望していたでしょう。
選ばなかったのは、流石アルシェード様のお眼鏡にかなったお方といったところです。
……あの程度で動揺するのは些かどうかとは思いますが。
「はぁ……裏切り者の私がやって良い事ではありませんでしたね。あまりにも滑稽で傲慢な事をしてしまいました。この体たらくでは、アルシェード様からの信頼を取り戻すなど、夢のまた夢ですね」
「アルシェ様を思ってやったのでしょう?あの方もそれは理解しているはずです。そう落ち込む事はないと思いますがな。それに、アルシェ様の手の縄をわざと前で結んだのはビビア殿でしょう。それに気付かない方ではないと思いますよ」
肩を落とした私にそう言うと、オルト様は忽然と姿を消してしまった。
「……そうだと、良いのですが…………」
私の呟きは誰にも聞かれる事はなく、夜の薄暗い廊下の空気に溶けて消えた。
◆
side アルシェード
「はぁ、あの程度で嫉妬を表に出しちゃうなんて、駄目だな」
ビビアをライオスの教育係兼、世話係にしたのは僕の我慢強さを鍛える為という裏の目的もあったのだ。
ライオスに少しちょっかいを出されたぐらいで感情を表に出せば、それが隙になってしまう事もあり得る。
彼に相応しい主君になる為には、己の感情を少なくとも表面上は完璧に制御する必要があった。
最後のあれは少しやり過ぎたと思っている。
これでは先が思いやられる。
……落ち込んだ気持ちを解消する為にライオスと僕の二人共用のベッドに潜り込む。
ライオスに抱きついて、息を吸う。
「すぅ……はぁ、やっぱり落ち着く……ん?」
ライオスとは違う匂いがする……こっちも嗅ぎ慣れた匂いだった。
「ビビアの匂いが少しついてる……ふふ、ふふふっ、ボクも予想外だったよ。ここまで不愉快だなんて」
まあ、良いか。一晩一緒に寝てれば上書き出来る。
「お休み、ライ」
……ボクはライオスの体を強く抱き締めて眠りについた。
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