第43話
「……そろそろのぼせそうだし、風呂から上がる」
「畏まりました」
湯船に浸かって俺が精神力を回復させている間、ビビアはずっと直立不動の体勢で湯船の傍に待機していた。
それに少し申し訳なく思う気持ちと、体を洗われた時の恨みが心の中で鎬を削るが、得をしたといえば得をしたので前者が優勢だった。
立ち上がって湯船の中から出た俺の後ろについてビビアは粛々と歩く。
荒療治が過ぎるが、裸を見られる事への羞恥心は幾らか和らいでいた。
「なぁ、毎回これだとビビアは大変じゃないか?」
「ご心配ありがとうございます。ですが、その心配は無用でございます。ライオス様に慣れて頂ければ、いずれ私も湯船に浸かる事が出来ますので」
「そっか……ん?」
ビビアの言葉に何かの引っ掛かりを覚える。
ビビアの言い方だと、俺も彼女と一緒に湯船に浸かる事になるのではないだろうか?
「(いやいや、待て待て。流石にそこまで行くのは問題だろ。あのアルが許可を下すとは思えない。まあ、念のために聞いておこう)」
「なぁ、それって俺と一緒に入る前提?」
「はい、そうですが、何かございましたか?」
ビビアが首を傾げているが、それをしたいのはこっちだった。ちょっと何を言っているのか分からない。
湯船に浸かるには少なくとも薄着になる必要があるだろう。
そういった服装は濡れてしまえば、着ても着ていなくても殆ど変わらない状態になってしまう。
そんな状態で近くに居られたら目に毒だ。
「今日みたいのがずっと続くのかと思ってたんだけど」
それもそれで精神的にきついのだが多少の慣れで解決出来る問題なので、ハニートラップ対策の訓練が思ったより易しく、ちょっとほっとしていたのだ。
しかし、それは思い違いだったらしい。
「いえ、ライオス様がどれ程状況に慣れたかを私が判断して、徐々にステップを上げていく予定でした」
分かっていたが、ビビアによって裏付けが取られ絶望が叩き付けれる。
いっその事、役得だぜ、ヒャッハー!と少しクズな方向に開き直れれば良いのだが、それを考える度に母さんの顔が浮かんできて断念していた。
……あと、そんな開き直り方をしたらアルシェードに殺される気がしてならない。
「旦那さんがいるんだろ?ビビアはそれで良いのか?」
「……覚悟は出来ております。それにアルシェード様に任された任を粛々と熟す事が、信頼回復にも繋がるかと思いますので」
「……そっかぁ」
おかしい……アルシェードのストッパーとして味方にしたつもりだったのに、実際には俺が追い詰められている気がする。
「……残る手はアルに直談判して説得する事ぐらいか」
アルシェードをどう説得したものかと考えながら、俺は脱衣所へと続く扉を開け――
「やぁ、ライ待ってたよ。少し話したい事があるんだけど良いかな?」
――閉めた。
「ふぅ、見間違いだな……うん」
再び開け――
「……ボクを見るなり扉を閉めるなんて、酷いじゃ――」
――閉めた。
見間違いではなかったらしい。
脱衣所の先には、満面の笑みを浮かべているのに目が全く笑っていないアルシェードが、感じた事のある異様な圧を放ちながら待ち構えていた。
「……何をしておられるのですか?」
「あっ」
俺が扉を開け閉めして一向に風呂場から出ようとしない事に業を煮やしたのか、ビビアが扉を開けてしまう。
「ビビア、ご苦労様。ライに用があるからそこを退いてくれないかい?」
「ふぅ……アルシェード様、ライオス様は今衣服を何もお召しになられておりません。失礼は承知で申し上げますが、今の貴方様の行いは少々はしたのうございます」
ビビアはアルシェードが脱衣所にいた事に驚いたらしく、僅かに肩を揺らしたが、アルシェードが発する圧をものともせず、それどころか少し怒気を放ちながら諫言を口にする。
「……そう、だね。ボクとした事が少し気持ちが逸ってしまったみたいだ。じゃあ、ライが服を着たら呼んでね」
「承知いたしました」
ビビアの諫言に少し虚を突かれた表情をしたアルシェードは、一理あると思ったのか、圧を少し弱めてから脱衣所を出て行った。
それを頭を下げて見送ったビビアは、頭を上げてから俺を見た。
「……アルシェード様にとても好かれておいでなのですね」
「まあ、依存されているのを好かれてるって言うなら、そうだろうな」
嬉しくないと言えば嘘になるが、正直、アルシェードの心の隙に付け込んだ気がして罪悪感を感じてしまうのだ。
「ライオス様があの日、アルシェード様を命を懸けてお守りしたのは聞き及んでおります。あの方は意外と乙女な一面がありますから、どうであっても貴方様に恋をされたと思いますよ」
「……ありがとう」
励ましてくれているのだろう。
そして、ビビアの言葉に嘘はないと何故か確信出来る。やむなく裏切ったとはいえ、彼女はアルシェードを一番近くで見ていた理解者だったのだから、その言葉にも説得力がある。
少しだけ、心が軽くなった気がした。
「では、お体をお拭き致します。何かと当たると思いますが、アルシェード様がお待ちなので着替えまで速やかに済ませましょう」
「落差ッ!」
俺は再び、苦行を強いられた。
◆
「失礼いたします」
「うん、少し外で待っててね」
「……」
俺の助けを求める視線を無視してビビアが扉の向こう側へと消えていく。
着替えが終わった後、アルシェードがビビアに呼ばれて脱衣所に入って来て、最初に行ったのはビビアに席を外す様に指示する事だった。
俺は無言の抗議を行ったが、アルシェードに睨まれて事の推移を見守るしかなく、今に至る。
「ねぇ、ライ」
「な、なんだ?」
アルシェードの声に肩が跳ねる。
彼女が纏っている尋常じゃない雰囲気のせいで悪い事した覚えがないのに、何か悪い事をしたのかと錯覚しそうになる。
「……どうして、ボクを選んでくれなかったノ?」
「ひゅッ……!」
アルシェードから放たれる威圧感増していく。
風呂から上がったばかりだというのに冷や汗が止まらない中、俺はこの状況の原因になっただろう言葉を思い出した。
『……私とアルシェード様、どちらが宜しいですか?アルシェード様の場合、共に入浴する事もセットになると思われますが……』
「(あれか!?)」
どうして知ってるんだ、なんて事は聞けない。そんな間抜けな事を聞いたら、確実にアルシェードが爆発する。
彼女の様子からして、もう時間がない。
乾く喉を唾で潤して口を開く。
「……アルがビビアより大切だからだ。裸を見られるのも恥ずかしいし、そもそも主に体を洗わせるなんて、出来る訳がないだろ」
「……」
アルシェードの反応を待つ時間が酷く長く感じて、胃に穴が空きそうだった。
「嘘はないね。それに、僕も納得したよ」
「……ほっ、な、納得してくれたか」
威圧感が霧散して、アルシェードの笑みはしっかりと目も笑っていた。
安堵で力が抜けて膝から崩れ落ちそうだったが、流石に格好悪いので表面上何ともない様に振る舞った。
まあ、アルシェードにはバレているかもしれないが。
そんな事を思っていると、アルシェードが俺にするりと近付き耳元に顔を寄せて、囁く。
「……でも残念だよ、選んでくれたら一杯サービスしたのにさ」
「っ!」
思わず耳元を押さえた時には、アルシェードは俺から距離をとり甘い香りだけを残して脱衣所から出て行った。
「(~~っ、不意打ちは卑怯だろ!)」
顔が熱くなり、心臓の鼓動が速くなって治まらない。
アルシェード入れ替わりで戻って来たビビアが、顔が赤くなっているだろう俺を見ても何も言わなかったのは有難かった。
これがトドメになって精神的な疲労がピークに達した俺は、歯を磨いた後直ぐに部屋に戻り、泥のように眠った。
――――――――――――――――
あとがき
ちょっとしたご報告みたいなものです。
11月10日に初ギフトを貰ったので、これは何か書かなくてはと限定近況ノートの下書きを作成しています。
内容は28話のアルシェード視点です。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます