第19話

 白髪をオールバックにした老年の男は鷹の様に鋭い水色の目でこちらをじっと見つめている。

 恐らくはアルシェードの返答を待っているのだろう。

 

 咄嗟にアルシェードを後ろに庇ったが、どう考えても見覚えのある目の前の老人がこの家の主人であるのは間違いないので、後ろの彼女に目を向ける。


「ライオス、ありがとう。師匠の予想通り、緊急事態でね。だから、こうしてお邪魔したんだよ」


「……鍛錬の時以外ではオルトとお呼びください、と何度も申し上げていますが」


「ごめん、気を付けるよ。それで家に入れてくれないかな?」


「承知しました。こちらへ……」


 オルト、名前も容姿も俺の知識と一致したので間違いない。この人がアルシェードの師匠である‘‘正剣”オルトだ。


 彼は周囲を視線だけで確認した後、俺達に声をかけてから家の裏口へと歩き出す。


 ピンっと伸びた背中の後ろをアルシェードと一緒に歩く。背中を無防備に晒しているはずなのに、俺がどんな手を使っても隙を突ける気がしなかった。


 これが達人かと感心していると、オルトが振り返らずに声をかけてきた。


「少年、隙を探す癖があるのは感心だが、興味本位でそんな事をすると相手によっては死ぬから気を付けた方が良いだろう」


「は、はい!すみません!」


 俺が隙を探っていた事がバレバレだったらしく、釘を刺されてしまった。

 驚きつつ、反射的に謝罪の言葉を口にしたが、アルシェードからは少し咎めるような視線を送られる。


「……ごめんね、オルト。貴方も分かってると思うけど、彼に悪気がある訳じゃないんだ」


「構いませんが、気付かれない様にやる方法を身に付けた方が良いでしょうな」


 アルシェードの謝罪にオルトは気にしていない、といった様子で首を横に振る。


 自分の不手際でアルシェードに謝罪させてしまったのが申し訳ない。


「さ、中へ」


「失礼するよ」


「……失礼します」


 俺が肩を落としながら歩いているうちに裏口の前まで来ており、オルトが扉を開けて俺達を招き入れた。

 彼は扉の鍵を閉めると《照明》を一つ浮かべ、俺達を先導して廊下を進み、一つの部屋へと入る。


「ここなら問題ないでしょう。……アルシェ様、おかけください」


「ありがとう、でもそんなに堅苦しくしなくても良いのに。僕がプライベートだと堅苦しいのが嫌いなの、知ってるでしょ?」


「この年になるとそういった事に融通が利かなくなるものなのです。私も困っております」


「思ってもないことを言っても説得力がないよ」


「さて、何の事やら……少年、君はそこの席に座ってくれ」


「どうも」


 アルシェードとの気安いやり取りを見ていると、二人の間には確かな信頼関係が伺えた。


 彼女は長方形のテーブルの短辺、俗に言うお誕生日席に座り、俺はオルトに勧められて右端に座った。それを見届けたオルトは俺の正面、テーブルの左端に座った。


 この国は中世のヨーロッパをモデルにした文化なので、西洋式なら右上、つまり俺の方がオルトよりも上座という事になる。

 だが、この席次に他の二人は何も言わないので、スラム街出身の俺が何か言える訳もなく、会話が始まる。


「アルシェ様、本題に入る前にまずはこの少年を紹介いただけますかな?」


「ああ、ごめん。忘れてたよ。彼はライオス、僕の騎士さ」


「ほう、騎士ですか。これは少々、礼を失する言動をしてしまったようですな」


 アルシェードの紹介に合わせて頭を下げると、正面から驚いた声が聞こえた。

 俺の事を彼女の供だとは思っていても、騎士だとは思っていなかったらしい。


 だが、それも仕方ないだろう。何せ、俺は貧相な身なりでとても貴族の騎士とは思えない。

 アルシェードの供として扱って貰っただけでも十分過ぎる程だ。


「ライオスです。お嬢の騎士ですが、スラム街出身な上につい先程なったばかりなので、気にしないで下さい」


「スラム街出身にも関わらず、礼儀正しいですな。それに先程、自らの失態でアルシェ様が謝罪された事に、己を恥じていた様子ですし、よい騎士をお選びになりましたな」


「そうだろう?我ながら良い拾い物をしたと思っているよ」


 俺はまだ何かをした訳でもないので、オルトとアルシェードからの想像以上に高い評価に対して恐縮する。

 期待というプレッシャーが、のしかかって来るのを感じて小さく息を吐く。


「こっちも紹介しないとね。ライオス、こちらが僕の剣術と体術の師匠であるオルト。正剣っていう二つ名を持っているほどの達人だよ」


「そう持ち上げられると、こそばゆいですな。ご紹介に預かりました。オルトと申します。ライオス殿、以後お見知りおきください」


「はい、よろしくお願いします」


「ははは、私は鍛錬の時はアルシェ様の師としての立場ですが、それ以外の時は只の平民ですので、敬語は使わなくても良いですよ」


「あー、いや、それは……」


 オルトには長く生きて多くを経験した人特有の貫禄のようなものがあり、加えて達人としての雰囲気もある為、タメ口で話すのは抵抗感がある。


「主である僕にタメ口を使ってる時点で今更でしょ」


「それはお嬢が……」


「そうですな。プライベートな場とはいえ、主君であるアルシェ様にタメ口で、私には敬語というは宜しくありませんな」


「ぐっ……分かり……分かった。その代わり、オルトさんも俺にはタメ口を使ってくれ」


「ふむ、分かった」


 俺の煮え切らない態度に業を煮やしたのか、アルシェードが口を挟んで来る。

 そして、オルトがそれに便乗して正論を言うので、結局俺が折れる事になった。


 せめてもの抵抗に、オルトもタメ口を使うようにしたのでまだマシだろう。


「お互いの紹介も終わったし、本題に入ろうか」


「お願いします」


「まずは――――」


 アルシェードは眠らされて拉致された事、拉致された先で俺と会った事、その後の脱出、予想される敵であるハイアンと、順を追ってオルトに説明していった。


「――ということなんだ。それでオルトには、ハイアンを討伐するのに力を貸して欲しいんだ」


「……承知いたしました。このオルト、微力ながらアルシェ様にお力添え致しましょう」


 説明を聞き終わったオルトは、アルシェードを真っ直ぐと見て力強く頷き、協力を約束してくれた。

 勝利をほぼ確実にするぐらいの大きな戦力を得る事が出来て、俺もアルシェードも一安心して笑った。


「それにしても、屋敷の方の気配が騒がしい上に不躾な視線を感じると思っておりましたが、そのような事になっていたとは」


「気付いていたなんて流石だね。相手も細心の注意を払っていただろうに」


「なに、未熟者を相手に後れを取る事はありませぬ」


 屋敷の騒ぎや監視の存在に気付いてるのは、本当に流石としか言いようがない。オルトがいれば、百人力どころの話ではないだろう。


 弛緩した空気が漂う中、オルトが軽く手を上げた。


「少し、宜しいか?」


「なんだい、オルト?」


「ハイアン討伐作戦についてですが、朝駆けの奇襲が最適かと。そして、奇襲の効果を高める為にこの場の三人のみで襲撃をかけたいのですが、宜しいでしょうか?」


「構わないよ。ライオスはどう?」


「俺も良いと思うぞ」


 元々、バルツフェルト家傘下の裏組織の参戦は出来ればという話だったので、俺としても三人だけでも十分な勝算がある状況で、情報漏洩を気にして三人だけで襲撃したいというなら否はない。


「それともう一つ、どうも敵の手勢の中に手練れが一人いるようです」


 ハイアンの手勢の中にオルトが手練れと認める相手がいると知って、緩んでいた空気が一瞬で引き締まる。


「……勝てるかい?」


「そう、ですな……直接対峙していないのではっきりとは言えませんが……勝つでしょうな」


 アルシェードの問いにオルトは淡々としかし、強烈な自負の籠った言葉で返答した。


「そうか、なら大丈夫だね」


「ええ、ご安心ください。さて、夜明けまで今少し時間があります。それまでの間、アルシェ様とライオス殿は二階の来客用の部屋で英気を養って頂きたい」


「分かった。場所は分かるから案内はいいよ。ライオス、ついて来て」


「了解」


 アルシェードが扉を開けて部屋を出ようとした時、後ろからオルトが思い出したかのように話しかけた。


「ああ、それと……ビビア殿ですが、あの方がそう簡単に裏切るとは思えませぬ。家族でも人質に取られているのでしょう。決して本心からではなく、苦渋の決断だったはずです」


「……分かっているよ」


 アルシェードは平坦な声でそう答えると、扉を開けて部屋から出て行った。


 後ろからチラリと見えた彼女の横顔は、苦虫を嚙み潰したように歪んでいた。

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