第13話 empty chair その四
――それからの事はよく覚えていない。
生きているのか死んでいるのか。そんな簡単な事さえも自分で選べなかった。
自分を取り巻く濁流にただ身を任せただ静かに年老いて逝きたかった。
耳を塞ぎ蹲り、ただただ日が沈み双月が昇るのを繰り返す。そんな日々だった。
あの事件以後、フランツとの共謀による国家叛逆容疑により聖爪鉄血騎士団は解散。俺は投獄され、厳しい責め苦を受けた。
死罪の道もあったが、ピエリス大公などの抗命運動の甲斐あって免れる事が出来た。
全てを失った俺はむしろ余計な事をしてくれたとさえ思っていたのだが。
放逐となった後は各地をあてもなく彷徨い歩いた。酒に溺れようしたがそんな事すらも侭ならない日々だった。
――何処かの国を放浪中、王都が『不死人』の軍勢に占拠されたと聞いた。
かつての仇敵『炎竜』の姿もあった事。
国王は殺され、王女と先代の王弟の子が主犯格だという事。
側近として大公の令嬢の姿もあった事。
その後すぐに隣国の共和国から隙を狙われ宣戦布告された事。
ヴォルフガング騎士団長やその他の公爵家が臨時の諸公連合を発足させこれにあたり、南の獣人国家や同盟国の助力や横槍のお陰で領土の割譲などの不平等ではあるが停戦協定を早期に結べた事。
全て他人事のようだった。
まるで遙か星霜の彼方を記した歴史書の出来事の様に聞こえた。
もういい。このまま何処かで静かに野垂れ死ねたらそれでいい。もう沢山だ。
岩壁にへばりつき朝日に焼かれて死んでいく砂蜴のように。
あるいは路傍の朽ちた荒ら家のように。
道行く人ですら気付かない様な、そんな死に様がお似合いだ。
「やっと……やっと見つけましたぞ!」
とある街の聖堂の炊き出しに並んでいた時だった。
「団長殿!」
それは、街中の喧騒の片隅で紡がれる見知らぬ恋人たちの囁き声みたいに体の中に何の痕跡も残さず通り抜けていった。
「団長殿では、ございませぬか? 私です、かつて騎士団で腹心を務めたシードロが息子アプールに御座います!!」
とうに腐り果てた、蓋をした蜜壷から漂う甘い匂い。開けた所で結果など分かっている。
期待などしない。されたくない。放って置いてくれ。
「傾国の折からずっとお探ししておりました! マグレーディ近くの酒場にてやっと足跡を得て、もしやと思いこの街で張っておりました!」
人違いだ。久方ぶりに口というものを使ってみようとした。
が、思うように声にならずまたしても機先を制された。
「お労しや、すっかり風貌は変われど腰の物は変わりませぬ。我ら鉄血騎士団の誇り。その鉄剣を見て確信致しました。」
身包み剥がされ追放された俺に武器など望めるはずもなかったが、騎士の誇りだけはとリリーが持たせてくれた唯一の財産だった。
祖国を、騎士団を、家族を、愛する人を、誇りすらも。
そこに在るのが当然だと思える程に片時も離れた事のない鉄血の象徴。
轟音の濁流に流転し全ての角を削ぎ落とされて水底に小さく蹲るしか能のない苔生した礫。そんな風に思っていた俺には不釣り合いな段平だった。
売ってしまっていれば幾許かの酒代にはなったろうに。
何故、手元に残してあるのかも頭の中の靄の向こうへ放り投げていて分からなかった。
「王国へお戻り下さい団長殿! 疑いはとうに晴れて居りまする!」
炊き出しの薄いスープを口に含み、やっと絞り出せた声でこう言った。
「……もう。終わった事だ」
「団長殿……」
「……俺に関わらないでくれ」
「…」
「…分かりました。故郷の皆にはそう伝えます」
「ですがコレだけは受け取って下さい」
――仰々しい筺の中。
「ロベルトよ。この傷は父である先代の頃のもの」
「こちらは弟のガルバドスと共に初陣を飾った時のもの」
炎竜の爪痕、叔父上の鉄斧に抉られ失った肩当て。
歴戦の酷使によりすっかり薄くなった盾に鉄条の紋章。
鉄の血と鉄の剣。
そして先祖代々のもう一つの象徴がそこにあった――
「騎士団解散の時から我が身と思い大事に守っておりました」
「お戻り頂けなくとも貴方様の物です」
「しかとお渡し致しました」
「…ではこれにて…さらばです団長殿…」
次回 『Ça ne veut plus rien dire du tout』
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