3 大長老マルウバ
3 大長老マルウバ
ルルカと父さん、そしてミケロの父さんの三人が乗った砂橇は、次の日の朝早く貢ぎの岩窟へむけて出発した。砂橇は飼い慣らされた、七羽の山岳ダチョウが引いている。
マルウバがいる貢ぎの岩窟は砂漠の東の外れ、月蛙が使う砂橇で半日のところだった。真上から光を受け、岩窟は黒々と聳えていた。右側は巨大な斧が打ちこまれたように、切り取られ断崖になっている。左側は頂きから緩やかに曲線を描いて、砂漠へ消えていた。
岩窟へ近づくにつれ、ジプシーが使う巨大な家馬車が何台も停めてあるのが眺められた。巨大な家馬車は二階建てで、ふだんは家族と財産の全てを積んで旅している。
その横の囲いには、何百頭もの谷駱駝が入れてあり、バイーバイーと言う谷駱駝の鳴き声が聞こえてくる。
父さんは砂橇を谷駱駝の囲いから一番遠いところへ停めた。山岳駝鳥は谷駱駝の臭いが嫌いなのだ。中には暴れ出す駝鳥がいるくらいだ。
「風の向きが変わらなきゃいいが……」
ミケロのお父さんは、心配そうに谷駱駝の囲いを見た。
「大丈夫だよ。それよりマルウバが私達に会ってくれるかどうか、そっちの方が心配だな。向こうにその気がなきゃ、顔も見せないって聞いたことがある」
父さんが、岩窟を見あげた。
「当たって砕けるしかないよ」
ミケロのお父さんも、目を細めて岩窟を見あげた。
ルルカは足が震えそうになるのをぐっとこらえて、のしかかってくる岩窟を睨んだ。
三人は並んで、岩窟の入口へと進んだ。入り口は岩窟の正面の階段をのぼった、アーチ型の大きな木の扉だ。
遠い昔は、神殿として占いや祭祀に使われていたと言い伝えられている。今は使う人もなく、占いや昔の言い伝えを守るマルウバしか岩窟を使う者はいない。
三人は階段をのぼっていく。目は木の扉から離れなかった。
と、内側へ扉が開かれた。その奥に、父さんの二倍は背丈がある人影が立っている。ジプシーの男だ。
ジプシーは巨人族の生き残りで、古代戦争のころ驕慢な王様に兵隊として戦いに狩り出された歴史がある。彼等は村も国も捨て、戦うことを拒みジプシーとなった。
永遠の旅人になることを、天の川の神々に誓い戦いからまぬがれることを願った。だから、今もジプシーは永遠の旅人なのだ。
ジプシーの男が、光の下に現れた。
三人は足を止め、男を見あげる。
「あの顔だと、追い返されそうだな」
ミケロの父さんが呟く。
「そうだね。マルウバはご機嫌ななめらしい」
父さんが顔を曇らせた。
「マルウバ様が、お待ちです。ご案内します」
男は、ぼあんぼあんと響く声で告げた。
「マルウバが私たちを……?」
一瞬輝いた父さんの顔が、急に引き締まった。
ジプシーの大長老マルウバは、滅多に月の民やカエル族の前に姿を現したことはない。特殊な能力で、今日三人が来ることを知っていたのだろうか。まして、こうやって出迎えるなど、前代未聞のことだ。
「こちらへ」
男は後ろへ下がると、三人を中へ入れておいて、先に立って歩き出した。
通路をいく度も曲がり、階段を上り、幾つもの扉を抜け男は立ちどまった。
かすかな軋みをたてて、扉が開いた。男が促す。三人は部屋の中に入った。
「お二人は、こちらでお待ち下さい」
中で待っていた若い女性が、父さんとミケロの父さんに、右手のもうひとつの部屋の扉を開いて言った。
「私たちは、その……」
ミケロの父さんが戸惑って、あたふたした。
「マルウバ様がお会いになるのは、こちらの娘さんだけです」
若い女性が静かに言った。
「三人で会うことはできませんか?これは私の娘なのです」
父さんが食い下がったが、若い女性は穏やかに首を振り、もう一度右手の部屋をさししめした。
父さんとミケロの父さんは顔を見合わせ、仕方ないとかぶりをふった。
「じゃあ、ルルカ。大長老マルウバに会っておいで。やることは分かっているね?」
「ええ、父さん。私、ひとりで大丈夫。ちゃんと話すわ」
ルルカは父さんの目を真っ直ぐに見て答えた。
「頼んだよ、ルルカ」
ミケロの父さんが、大きくかくんとうなずいた。
案内された部屋は広く、奥に大きな炉が切ってあり、炉にはさかんに火が燃えていた。
炎の向こうに、赤茶けた影が座っているのが見える。ルルカは用心深く前に進んだ。
「お座り」
隕石熊の毛皮に座った、ジプシーの大長老マルウバがルルカに言った。
その声は柔らかく澄んでいる。
ルルカは驚いて、少し後ずさった。
百歳を超えて生きている人の声ではなかった。ルルカは気持ちを奮い立たせ、炉の前にある駱駝皮の大きなクッションに座った。
そして、炎の向こうの大長老を見る。
「あっ」
驚きが思わず声になってほとばしった。
炎の向こうのマルウバは、ルルカのお母さんより若く見えた。
「あなたが、大長老マルウバなのですか?」
ルルカは声が大きくなったのにも気づかなかった。
「そう」大長老マルウバが微笑む。
「でも、でも、あなたはずっと若くて、綺麗で……」
「百歳以上生きているとは、思えない?」
「はい」
「もっと皺くちゃの、醜い大婆だと思っていたでしょ?」
マルウバの目が、悪戯っぽくきらり、と光る。
「はい……あ、いいえ。私は……」
ルルカは言葉につまってうつむいた。
頬が恥かしさで熱くなり、胸はとくんとくんとせわしなく音立てている。
「いいのよ。百年以上も生きていると聞けば、誰もがそう思うものよ。だから、私はジプシー以外の人とは滅多に会わないの。会わなくちゃならない時も、今日みたいに顔を見せないのよ。大長老マルウバとしては、今日は特別ね」
「……(特別って、どう言う意味があるんだろう?)……」
「でも、普通のジプシーとして気ままに出歩くし、色んな人とも話すのよ。月の民とも、蛙族の人たちとも」
マルウバの言葉に、ルルカはああと、納得してうなずいた。
大長老マルウバがこんなに若く見えると知ったら、みんな驚くのが当り前だ。本当のマルウバだと信じない者も、たくさん出てくるだろう。中にはマルウバは偽物で、真実はマルウバなど存在しないとうたがう者も現れるかもしれない。
「これが、あなたのことを教えてくれたのよ」
マルウバは、右手に置いた小さな低いテーブルに掛けた布を取り払った。
布の下から現れたのは、琥珀色に輝く月の涙。
なんて大きな月の涙!
しかも透明な琥珀の球石の中には、いくつもの光の粒子が金色の尾をたなびかせて泳いでいる。
ルルカは呆気にとられ、ぽかんと口を開けたまま月の涙に見入った。魂が吸い寄せられていく。自分があのなかへすうっと入っていくような気がした。
三日月に輝くなにかが、ルルカの心を乗せ、星が輝く宇宙へといざなった。
心は軽やかに舞い、躰は暖かな光りに包まれた。
ルルカは暗い宇宙を渡り、滑らかに旋回する。
刹那、ルルカは一瞬にして、何万メートルも落ちていく眩暈におそわれた。けれどそれは悪い気持ちのものではなかった。その先にあるなにかが、心をわくわくさせる。
「あっ……」
小さく吐息して、ルルカは自分が元のところに座っているのに気づいた。
マルウバが、真剣な目でルルカを凝視している。やがてマルウバも、ほっと躰の力をぬいた。
「よかった。月の浮舟と心が合わさったわ」
そう言ったマルウバの顔には、たとえようもない喜びがあふれていた。
「月の浮舟?」
「あなたが受け取るべきもの。あなたが伝えゆくべきもの。月の浮舟」
「私が、受けとるべきもの……?」
ルルカは、マルウバの心をさぐるように聞いた。
「あなたは、選ばれたの」
「だれに? どうして? なんのために?」
マルウバはかぶりをふった。
「私にも判らない。私も選ばれたひとりだから」
「あなたも?」
ルルカは、いつまで驚きの衝撃が続くのだろうと思った。
「前のマルウバを通して、私は選ばれた。あなたは、私を通して選ばれた」
マルウバは月の涙が乗っているテーブルを、ルルカの方へ押しやった。
「さあすましてしまいましょう。月の浮舟を伝えるのは、百五十年ぶりよ」
マルウバは月の涙の前に身を移し、ルルカも同じようにと促した。
マルウバはてのひらを上に向け、月の涙へ近づけうなずく。ルルカは月の涙の光りに魅入られたように、同じく手のひらを上に向け月の涙へかざした。
マルウバは自分の手をルルカの手に下から重ね、そのままくるりと回して、月の涙へ押しあてた。
すべての音が遠のき、床の感触は消え、ルルカは月の涙の中へ入った。泳ぐ光の粒子のひとつが、ルルカの両のてのひらに乗り、すうっとルルカの中へ流れこみ消えた。
あっ。なんて暖かいんだろう。ルルカは眼を閉じた。
時の流れがとまったみたい。
柔らかく温かい光に包まれ、ルルカは自分の体が光の中へ溶け出していく心地よさにうっとりと身を委ねた。
「済んだわ」
穏やかで暖かいマルウバの声を聞くまで、ルルカはどこか遠くにいたようだ。
「気分は、どう?」
マルウバの問いかけに、ルルカはごくりと唾を飲みこんだ。
「すごく、その……とっても心が、あたたかい」
「わたしもおなじ」
マルウバはにこりと笑い、ルルカの手を優しく握った。
「もうひとつ、伝えておかなくちゃ。月の浮舟は、あなたの命が紡がれ絶えるまで受け継がれていく。あなたのこども、子供のこども。そのまたこどもへと」
「はい」ルルカは素直に答えた。心がそう語りかけている。
「マルウバは、ジプシーの言葉で命を紡ぐ者と言う意味。それは伝える者でもあるの。ルルカ、あなたも伝えていく者のひとりよ」
ルルカは力強くうなずいた。
「そうそう、大事なことがもうひとつ」
マルウバは微笑み、
「金砂病を治すのは、青い水の星に実る果実。いちご」
ルルカの全身を、稲妻が貫いた。いちご、ミケロの病気を治すくすり。
「ありがとう、ありがとうマルウバ」
重ねた手の上に、ルルカの涙がおちてはじけた。
ルルカは操り人形のように、ふわりと立ちあがった。
「ありがとう、わたし」
マルウバは静かに微笑んでいるばかり。
ルルカは扉へ歩き出し、立ちどまって振り返る。
「月の浮舟は、どうすれば出てくるの?」
マルウバは小さくかぶりをふると、そっと自分の胸をおさえた。そして声には出さず、行きなさい、呟いた。
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