月の民のちょっと不思議な物語 第一章 月のルルカと黒猫スプーン

霜月朔

1 クレーターもぐら  

月のルルカと黒猫スプーン


1 クレーターもぐら

 

 新月街道を、父さんがぎょす乗用馬車が走っていく。

 ルルカはうしろの座席に座り、窓から身を乗り出して前を見ていた。

「頭を引っ込めていなさい。もうすぐ、銀樺ぎんかばの森にはいるよ」

 父さんが言った。父さんはいつも優しい。

「砂漠の町まで、あとどれくらい?」

 ルルカが聞いた。

「銀樺の森を抜けて、三重クレーターの岩原の向こうだ。こんなことなら、船を使うんだったな。だが今日は風が強かったからな。でも大丈夫、急ぎの時は馬車に限る」

 父さんは自分を励ますように、ルルカに聞こえるように御者台から声を張り上げた。

 ルルカは、膝の上に抱えた小さな薬箱をしっかりと握り直した。バギーはガタガタと左右にゆれ、銀の樺の木の森へ入っていった。道はせまくなり、急にあたりは薄暗くなった。  

もうすぐ夜だ。今日は半欠け月。帰り道は少し明るいかもしれない。

「がんばって、ミケロ」

 ルルカは大切な友だちの名を呼んだ。

 ミケロは、月の砂漠に住む、灰色砂漠耳長月蛙の王子。ルルカとは親友だ。

 そのミケロが病気になってしまった。それも、ただの病気じゃない。

金砂平原ぎんさへいげんに住む砂蜂が運ぶ恐ろしい病気、金砂病にかかってしまったのだ。

「夏休みだからって、あんなにすぐに家に帰らなくてもよかったのに。そうすれば、おそろしい金砂病になることもなかったのに。ミケロのばか」

 ルルカは下唇をぐっと突き出した。

 ルルカの父さんは、月の民のお医者さんだ。おじいちゃんもお医者さん。

 ルルカが大事に抱えているのは、金砂病のたったひとつの薬。クレーターもぐらが栽培する、まっくらたけ

でも、これだって、金砂病を治すことは出来ないのをルルカは知っていた。

 金砂病は、眠ったままからだが凍っていく、恐ろしい病気だ。まっくら茸は、凍っていくのを、ゆっくりにするだけの力しかない。金砂病を治す薬は、月ではまだ見つかっていない。

「金砂病は、私も初めてだよ」

 父さんは言っていた。おじいちゃんも、小さかった頃に話で聞いただけの病気だった。そんな滅多にかからない病気に、ミケロはかかってしまった。

 普通なら誰も近づかない金砂平原なんて、なぜミケロは足を踏み入れたのだろう。ベテランの採掘師が万全の準備をして、やっと何とかなる場所なのに。

「さあ、三重クレーターだぞ。めちゃくちゃ揺れるから、しっかり捕まって」

 父さんが叫んだ。

 ルルカははっとして、からだを堅くして窓枠にしがみついた。ごつごつした岩のむこうに、かすかに深い陰影を落とす砂漠が見える。道は登ったり下ったりしながら、ミケロが住む砂漠に続いていた。

 馬車はぼよよん、ポヨヨンとはずみ、ガッコンガッツン揺れながら先を急ぐ。外縁がいえんクレーターは直径20キロメートル。外縁に沿って行けば平坦な道だが、そんな時間はない。危険を承知で、クレーターの中央につけられた古い街道を行くしかない。

 外縁から真っ直ぐにクレーターの底へ下り、クレーターを横切って反対側の外縁へ向かって駆け登っていく最短距離の道だ。

「ルルカ、クレーターの底に着くぞ。しばらく窓を閉めてじっとしているんだよ」

 父さんが御者台から大声で注意した。

 ルルカは急いで窓を閉め、用心にクレーターもぐら駆除に三日月草の束を手元に引き寄せた。

 クレーターには、すばしこくて悪知恵が働いて、すぐに怒って噛みついたり爪をたててくる、クレーターもぐらが住んでいる。クレーターの砂の中に巣があり、どこからでも飛び出してくるのだ。

 クレーターの底をわざわざ通る人は少ない。けれど今日のようにどうしてもクレーターの底を通らなければならない時は、馬は三日月草の草沓を履き、乗っている人は三日月草      の束を持つ。クレーターもぐらは、三日月草の匂いが大の苦手で、吸いこむと気絶してしまうのだ。

機嫌が悪いときは、気絶するのが分かっているのに闇雲に突っかかって来る。油断ならない危険な奴だった。

 馬車は右にかしぎ、左に揺れ戻しながらクレーターの底を走っていく。

「あっ!」

 流れすぎるクレーターの底を見ていたルルカが声をあげた。

 クレーターの砂が盛りあがり、畝になって馬車と並んで進んで来る。

 クレーターもぐら!砂をかき分け、地面のしたをぎゅんぎゅん走っているのだ。

「気をつけろよルルカ。窓に向かって飛び出してくるかも知れないぞ」

 父さんが鋭い声で叫んだ。

「はい、父さん。三日月草はちゃんと準備してるわ!」

 ルルカも叫び返した。

「よし。馬車の音でもぐら達が驚いたに違いない。機嫌が悪くないといいのだが」

「ギュイ、ギュイ、ギュイ! うるさいぞ!」

 突然クレーターの底が波打ち、もぐら達が叫び出した。耳障りな高い声だ。もぐらの叫び声はクレーターの壁に反響し、耐えられないくらい嫌な音の振動になって響いた。

「来るぞ」

 父さんが叫ぶのと、砂の中からクレーターもぐらが飛び出してくるのが同時だった。

 黒に近い灰色のかたまりが、馬車へ向かって飛びかかってきた。爪が馬車の窓を引っかき、キイッと不気味な音を立てた。屋根に飛び乗ったクレーターもぐらが、所かまわず爪を打ちこみ鋭い牙でバリバリかじり出す。

 窓の外を三日月草が漂い後ろへ流れ去る。父さんが撒いたに違いない。三日月草と一緒に、五、六匹のクレーターもぐらが悲鳴をあげて馬車から離れていった。

「あと少しでクレーターの底を抜けるぞ」

 父さんが叫んでいる。


 馬車がグラグラと揺れた。ルルカはかたむいた馬車の右側の扉に打ちつけられた。見ると、クレーターもぐら達が馬車の右側にかたまってぶら下がりゆすっている。

「馬車を倒すつもりだわ」

 ルルカはぞうっとした。

 クレーターもぐらたちは声を合わせ、なおも激しく馬車をゆすり出す。ケケケケケッとけたたましく笑いながら楽しんでいる。

 ルルカは手に握りしめた三日月草を見た。窓にもクレーターもぐらの顔がびっしり並んで、ルルカを見ている。馬車が倒れたら、もぐらは一斉に襲いかかってくるだろう。

「悪賢いクレーターもぐら!」

 ルルカは、紅い大きな目を光らせているもぐらを睨み返した。

 さらに馬車の揺れはひどくなる。馬が苦しそうにいななく。

 ルルカは決心すると、窓を思い切り引き開け、手に持った三日月草を窓にへばりついているクレーターもぐらめがけ突き出した。

 きゅうん、きょん、おううんと声をもらし、気絶したクレーターもぐらが次々と馬車から振り落とされていく。馬車の揺れが一瞬おさまり、馬車は速度をあげた。

 二匹のクレーターもぐらが、苦し紛れに開いた窓から中へ転がり込んできた。

ギュアア、ガギョオとそのうるさいこと。馬車の中をぴょんぴょん飛びまわって吠えまくる。ルルカは恐ろしさと気持ち悪さで、頭がぼうっとして自分がなにをしているのかさえわからなくなってきた。

 一匹が窓枠に取りつき、今にもルルカに飛びかかりそうなかまえをとった。ルルカは無意識にすっと、三日月草をそいつの顔の前につきつけた。

 クレーターもぐらがゆらりと後ろへふらついたと思うと、ひゅんと影になって後ろへ消え去った。ルルカの背中へ、残りの一匹が飛び乗り爪をたてた。

「痛っ!」

 ぼうっとしていたルルカの頭が、キンキン痛みだす。

 ルルカは躰を捩じると、クレーターもぐらの頭をつかみ、噛みつこうと開けた口の中へ三日月草を押しこんだ。ぐったりするクレーターもぐらを背中から引きはがし、窓の外へ放り投げる。

 馬車ががくんとひとつ大きく揺れた。

「大丈夫かい、ルルカ」

 父さんが喘ぎながら聞いてきた。

「ええ……」ルルカはやっと答えた。

 クレーターの外縁まで馬車を走らせると、父さんは馬車を止めた。

「ここまでくれば大丈夫だ。少し休もう」

 とうさんが窓のところへ来て言った。

「馬も休ませなきゃ可哀相だ」

 父さんの頬や額には、いくつもの引っかき傷があった。何か所からか血が流れている。

「父さんこそ大丈夫?怪我してるわ」

「大丈夫だよ。さあ、水を飲んで落ち着こう」

 ルルカはそのときになってやっと、喉が痛いほど渇いているのに気づいた。

「それにしても、ルルカが案外暴れん坊なのには驚いたな。馬車の中に飛びこんだもぐらと戦ったし、いきなり窓を開けて三日月草を突き出すとは思わなかったよ」

「私は暴れん坊なんかじゃないわ」

 ルルカはツンとして澄まし顔になった。

「判っているよ。ルルカのお陰で、馬車がひっくり返らなかったんだからね。感謝しなきゃ」

 そう言って、父さんはルルカを優しく抱きしめてくれた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る