レジグナチオン

小狸

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 人生を諦めたのは、中学二年生の時だった。

 

 ぼくの容姿は醜かった。

 

 ぼくの両親は不仲だった。

 

 ぼくはいじめられていた。

 

 ぼくの心にはもう火は灯っていなかった。

 

 以上が、ぼくが人生を諦めた理由である。

 

 誰もぼくに手を差し伸べてなどくれず、ぼくを助けてなどくれなかった。

 

 その態度から、ぼくには助けられる程の価値がないのだと理解した。


 そして――もうどうでもいいと思うようになった。

 

 それからは、無軌道で無気力な生活を続けた。続けていた勉強も、ランニングも(元々は家にいたくないから、外で続けていたのである)、何もする気がなくなった。


 そのままずるずると高校に入った。


 無理と無茶を積み重ねて、その時点でぼくの心はボロボロだった――などと抽象的な表現をすると、きっと同情を誘っているのだとか言われるのだろう。


 鏡を見て、笑顔のできなくなった自分を見た事があるか?


 まあ――いい。


 別に。


 どうせ誰も、分かってなどくれないのだ。


 分かってくれていれば、ぼくはこうなっていなかった。

 

 大学にも入る気がなかった。


 早く死にたいとずっと言ったのに、親は話を聞いてくれなかった。


 ずっと不仲だった。


 ぼくがちゃんとしなければという思いと、死にたいという思いで、受験どころではなかった。


 母親は常に苛立ち、父親は部屋で躊躇なくギターを弾き続けていた。


 自殺する時はこいつらを殺そうと、ぼくは誓った。


 不仲であった時から、ぼくは彼らを親だと一度として思ったことがない。


 浪人は許されていなかったから、わざと試験に解答をせず、全て落ちて自殺しようと思った。


 けれど奇跡的に受かってしまった。


 だからぼくは、大学生まで生きることになった。


 失態であった。


 相談?


 いやいや、そんなことできるはずがない。


 彼らに何ができるのだ。


 話を聞くことしかできないけれど――などと、親は同情を誘うようなことを言うのだろうが、それすら奴らはできない。


 話を聞く時の表情の機微は、ぼくに緻密に伝わる。どうせ都合の悪いことを言われたら怒るのだ。反論するのだ。


 いつだって自分は悪くないのだ。そんな奴らに相談するくらいなら、死んだ方がマシである。

 

 ぼくは中学二年の時に、人生は終わっていたはずだった。


 今――実際には大学を卒業して、高校の非常勤講師をやっている。


 どうしてあの頃自殺しなかったのかな、と思う。

 

 あの時死んでおけば、楽だったのに。


 あの時いなくなっていれば、こんな辛いことはなかったのに。

 

 楽しいことがなかったわけではない。しかし、三十楽しいことがあったとしても、一つの辛いことで全ては無力化される。

 

 生きている意味はないと思っていた。

 

 容姿が醜いと、学生の頃多くの人に言われた。気にしている方が悪いと言われた。気にしないと馬鹿にされた。死にたかった。

 

 いじめられていた時、言われた酷い言葉は、まだ全て覚えている。忘れることができなかった。


 自分に自信など、あるわけがなかった。

 

 親の不仲を見て、家族を持つこと――ひいては誰かといることは無意味なことだと思い知った。一人で死のうと思った。

 

 ひょっとしたら何かを努力し、続けられたら、それは成果として挙がったのかもしれない。しかし、中学二年の時点で、ぼくの精神はもう終わっていた。

 

 仕事を辞めようと決意したのは、生徒の相談に乗っていた時の事である。

 

 その生徒の境遇は、ぼくととても似ていた。

 

 家庭環境に恵まれず、容姿にもコンプレックスを持ち、何も努力できず、かつていじめを受けていた。

 

 ぼくと似ていて――しかしそれでもその子は、助けられた。

 

 周囲の教師によって、引っ張りあげられて、笑顔を取り戻した。

 

 ぼくはそこに、嫉妬してしまった。

 

 どうしてこの生徒は救われて。

 

 ぼくは、救われなかったのか。

 

 妬ましかったのだ。


 羨ましかったのだ。

 

 内なる感情を自覚し、ぼくはそのまま、職を辞した。

 

 妬み、嫉みは、何を生むかは分からないからである。

 

 職を探す気にはならなかった。

 人として、もうどうしようもない。

 

 生きる気力がない。

 

 自分はもう、生きていてはいけないとさえ感じた。

 

 自己責任――全部自分が悪いのだ。

 

 死のう。


 そう思って、電車に乗った。

 

 その最中、楽しそうに談笑する一家があった。

 

 ベビーカーを押す母親と、娘と手を繋ぐ父親。


 和気藹々と、楽しそうに――幸せそうに。

 

 ふつふつと、怒りが沸いてきた。

 

 どうして、こいつらは幸せそうに生きているのだ。

 

 どうして、こいつらは、笑っているのだ。

 

 どうして――こいつらは、救われているのだ。

 

 どうしてぼくは、駄目なのだ。

 

 どうしてぼくは、許されないのだ。

 

 そうして――感情が理性を、塗りつぶした。

 

 駅に停車する直前。

 

 気付いたらぼくは、行動していた。

 

 ベビーカーの子の首をひねった。

 赤子の首をひねるより簡単、という慣用句があるけれど、それはとても簡単だった。

 驚き、行動する前に、娘の顔面を蹴り飛ばし、ポケットに入れていた自殺用のナイフを、母親に突き立てた。

 

 それと同時に、扉が開いたので――そこから駆け抜けた。

 

 一刹那程後に、悲鳴と、ぼくの後ろからの大量の人の気配が来た。

 

 ホームへと出、隣側の線路を渡ろうと、降りたところで。


 電車が通過しようとしていることが分かった。

 

 眼と鼻の先まで、高速の電車が近づいていた。

 

 とても長い時間のように感じた。

 

 走馬燈はなかった。

 

 ぼくの人生に、回顧すべき回想はない。

 

 ただ一つ。


 殺すなら両親にしておけばよかったと、思った。


 まあ、命なんて、何でも同じか。

 

 さいなら。




(おしまい)

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