そうだ、音楽の話をしよう

呂兎来 弥欷助(呂彪 弥欷助)

好きな音楽を見つかるまでの話

我が家はロック

物心がついたころ、我が家ではTHE BLUE HEARTSが流れていた。


兄の布団がある天井には、特大のTHE BLUE HEARTSのポスターがあった。

ボーカルのヒロトがカッコイイ! と兄弟の間ではヒーローのような存在だった。


六畳一間に兄と姉と私。

奥の白い箪笥の上に、ラジカセは一台。


テレビはあれど、パソコンなんてない。もちろん、インターネットもない。

もっと言えばスマホもなければ、携帯電話もない。


電話と言えば『家電いえでん』で、

「携帯電話って言うのがあってな……そうだな、このトランシーバーみたいな大きさなんだぞ!」

と、父が言って大笑いしていたような時代だ。

※当時のトランシーバーは現在の二~三倍はあり、とてもゴツかった。


テレビも当時はリモコンではないが、テレビのリモコンの主導権のように、もちろん、選曲の主導権なんて私には皆無だった。高さ的にもムリ。手が届かない。


今、考えれば兄に主導権はあったのだろう。

当時の父はとても勤勉で、帰宅すればやさしい父で、家族を守ってくれるような存在だったから、父不在の日中は兄の天下だったような気がする。

まぁ、兄弟で楽しく過ごしていたときに母はいないので、そのことについては割愛する。


そんなこんなで。


プライベートも皆無。

部屋の隙間も皆無。

そんな部屋でTHE BLUE HEARTSが流れていたという記憶が、私の音楽の根源だ。



私は横浜生まれだが、父や祖母、母も山形の出身で夏の帰省のときにもブルーハーツが流れていた記憶が強い。




それから、私の記憶は色々と時系列がうまく配置できていなくて、気づけばTHE BOOMが流れるようになった。


兄の選曲だと長年思っていたが、中学に入った私は姉の選曲だったと知る。



兄がいるまでは、布袋さんやBOØWYさんも流れていた気がする。

そう、思い返せば兄は、私が中学に入ると家を出ているのだ。……まぁ、このくらいを冷静になって考えてみないと『そうか』とわからないくらいには、私の記憶は時系列が混濁しているので、この辺りはどうしようもないので勘弁してほしい。



小学生のころは、それこそドラクエの話で盛り上がっていた。

漫画の話で盛り上がっていた。

同人の話をする友達もいた。


でも、私にはそれが『オタク』という認識は皆無で、みんなゲーム好きだったし、みんな漫画好きだったし、絵や漫画を描くのが好きな友人とは同人の話をしていただけだ。



それが、中学生になると一変したのである。

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