渾神



 黄金姫ナベル・ハウンドは内心舌打ちをしながら、明らかに正気を失っている渾神カイムを見定めていた。

 目元から黒い血を流しながら、要領の得ない言葉をブツブツと呟く第六十一柱の神は、彼女が知る本来の姿からは程遠い。


(うざ。まったく意味がわからない。何がどうなったら、こんな状況になるか理解できない。イライラしてきた)


 プライドの高い性格のため、表面上は飄々とした態度をしていたが、ナベルからしても現在の状況はまるで想定外の事態だった。

 当初の話では、精神デカラビアの策により堕剣ネビ・セルべロスをこの地下牢宮に閉じ込め、ナベルとの戦いから逃げられない状況を作り出すという話だった。

 しかし、実際に蓋を開けてみれば、そこにはこれまで話に出ていなかった渾神カイムの姿があり、さらにはどう見ても魔物ダークに寄生されている。

 そして最もナベルを苛立たせたのは、肝心のネビがいないことだった。


(クソクソクソクソが。ここにあのクソ犬がいないってことは、あのバカ女のとこにいる可能性が高い。クソすぎでしょ。クソイラつく)


 “大食いバーサーク”オーレーン・ゲイツマン。

 黄金世代と呼ばれる若手加護持ちの中では加護数が特別高いわけではないが、彼女はその固有技能の特性上格上に強い。


(この前少し会った時のあの感覚からして、あのクソ犬はどうやったかは知らないけど、ある程度の加護数を保持してる。もしそうなら、バカ女に先を越されるかもしれない。こんな地下で遊んでる暇はない)


 横で浅く息を吐く、アスタを一瞥すると、ナベルはそのまま剣を握る手に力を込めて走り出す。

 考えるのは、戦いながらでいい。

 止まって考えるのは、彼女の性に合わなかった。


「気をつけろ! 金髪の女! カイムは強いぞ!」


「金髪の女ではなく、ナベル・ハウンドです。そして、私の方が強いです」


「aga!」


 ナベルの動きに反応したカイムが迎撃の体勢を取る。

 その独特な体勢にナベルは若干懐かしい気持ちを抱く。

 そして同時に、また別種類の苛立ちの種が芽吹く。


(というかなんで神の支配地に魔物が紛れ込んでるわけ。あのクソハゲ。神だけど殺していいかな)


 カイムの拳撃を思い切り剣で弾き飛ばし、迷わず顔面に膝蹴りを叩きつける。

 普通の人間とは比べ物にならない身体能力を誇るナベルの一撃で、カイムの体が浮く。


「容赦ないな、お主」


「この神は、このくらいじゃ死にません」


 渾神カイムは、ナベルにとっても印象深い神の一柱だった。

 ギフテッドアカデミー在学時から、常にトップとして君臨し続け、卒業後も他の追随を許さないペースで加護数レベルを上げ続けてきた神童。

 そんなナベルにとって、神々との決闘は、敗北の許されない必死のものばかりだった。



『うひゃあ! 君、強すぎない!? そんなに強くなってどうするの!?』



 ナベルは思い出す。

 渾神カイムの試練を受けた時のことを。

 

『は? どういう意味でしょうか。加護持ちギフテッドは強くなることが存在理由。弱い加護持ちなんていらない。違いますか?』


『えー? そんなことないと思うけどな。うちからしたら、魔物ダークと戦う意志を見せてくれるだけで、いてくれるだけで嬉しいもん。強い神もいるけど、弱い神だっている。でもだからって、弱い神は必要ないとは思わない』


『私は神ではなく、人の子です。同じじゃありませんよ』


『ううん、うちは同じだと思う。根っこは同じだよ。うちも、君も』


『じゃあ、この試練に負けても、カイム様は私を許しますか?』


『あははっ! なにそれ、君、面白いね。大丈夫、大丈夫、許しまくり。でも、たぶんだけど、君はうちに勝つよ。だってなんか、めっちゃ強いもん』


『ありがとうございます。では遠慮なく勝たせてもらいます。私は自分自身が、自分の弱さを許せないので』


『くぅー、自分に厳しいね。でもやっぱり、そういう人が強くなるんだろうね。いや、というよりは、すでに強いのかも』


 その神は、笑いながら、敗北を許すと言った。

 そんなことを口にした神は、他にはいない。

 敗北とは死と同義。

 ナベルの信念とは異なる価値観を持つ神だったが、それでも彼女はその神のことが嫌いではなかった。



『君は強い。この先もきっと強くなる。だからこれからは——」



 ——回想が途切れ、ナベルは目の前のカイムに集中する。

 時間をかければかけるほど、その魔は六十一柱の神の肉体を侵食していく。

 手間をかけるのは性に合わない。

 黄金姫ナベル・ハウンドは激情家。

 感情の昂りを抑える術を、彼女は知らない。



「——弱いあなたを許します。私が許せないのは、私だけでいい」



 悲鳴のような叫び声をあげ拳を振り回すカイム。

 一度距離を取ると、ナベルは自らの剣想である黄昏にそっと指を添える。

 解き放つのは、彼女を黄金姫たらしめる最光の一撃。


「少し目を閉じていてください、七十三番目の神」


「なんじゃ、眩しいのか?」


「ええ、目が灼けるほどに」


「aggaaaaaaa!!!!」


 爪を立てて、とうとう皮膚からも血を流しながらカイムが駆ける。

 その姿を眺めながら、ナベルは目を細める。

 彼女の固有技能を見たことがある者は、誰もいない。

 それは、あまりに眩く、直視できないから。

 完璧な光は、完全な闇と同義。

 その光に照らされたものは、皆永遠の闇に沈む。



「憂うには、もう遅い。《金環日食イクリプス》」

 

 


  

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