糸と鋼の踊り—鉱山街の人形遣い

蒼樹エリオ

プロローグ

勇者がいなくなった世界

 エクストル大陸における最大の不幸は魔王が存在していた事だろう。

 魔界と呼ばれる異界から現れ、度々人間を襲ってきた魔族。彼らの持つ頭抜けた身体能力、膨大な魔力、そして行使する魔法は強力なものばかりだった。

 しかしながら人間も黙ってやられるだけではない。劣る身体能力は剣や弓といった武器で補い、それらを扱う技術を磨いて立ち向かった。魔力が足りないのなら知恵を出し合うことで魔法を磨き、多様な術・魔術へと昇華させて敵を翻弄した。

 一体一体は強力であり、一人の人間が叶う相手ではない。だが我々は彼らの襲撃のたびに団結し、その脅威を退けてきた。一度に現れる魔族の数が少なかった事、人間には絆という素晴らしい武器があった事。二つの幸運が味方したことで、人々は襲われる度に対抗策を編み出しては平和を維持してきた。

 ところが、その平和もたった一つの存在のせいで崩れ去る。

 突然現れた不幸・魔王がエクストルの均衡をひっくり返したのだ。

 魔王の放つ魔力は大地を異界化・魔界と同じ環境へと作り変え、かの存在はそこへ同族を放った。人間から見れば汚染による侵略、彼らにすれば居心地の良い場所となったエクストルには魔族が蔓延るようになり数の有利は一転して魔族側へと傾いてゆく。

 エクストルにおける歴史的資料が魔王登場後に偏っていることは戦争の苛烈さを物語っている。魔王以前の平和な時代の記録はかけらほどしか残っておらず、目を見張るほどの出来事も残されていない。これは魔王以前の時代が特筆する事がないほど穏やかだったのか、それとも時代の語り手となる存在が悉く魔族の手にかかったか……召喚魔術で過去の霊魂を呼び、交信が叶えば何か得られるかもしれないが、現行の技術では死後百年以上経過した魂を呼び出すことは不可能だそうだ。現状かの時代を知る術が無い事を歴史家として残念に思う。

 話を魔王の侵略に戻そう。その圧倒的な力によってエクストルを侵略してきた魔王軍の前に人間はなす術がないと恐怖した。数の優位で総合力を上回ってきた経験が反転したことでエクストルは強硬状態に陥った。「侵略の初期で魔王軍が優勢だったのは人間が絶望に支配されていたからだ」とは多くの歴史家が語るところだ。

「そして絶望を乗り越えたのも人間の絆のおかげでである」こともまた歴史家が語るところだろう。

 どれだけ追い込まれようとも希望を捨てない人間がいる。何度でも立ち上がり、人々を守るために脅威に立ち向かう存在。人々はそれを勇者と呼んだ。

 侵略中期は勇者時代とも呼ばれている。数多くの勇気ある者が人々を奮い立たせ、敵を退け技を磨き……人間は徐々に魔族に対抗できるまでの力を身につけた。現在使われている魔術の基礎、その多くがこの戦乱の時代に培われたとは魔道協会・アークも認めるところだ。

 そして侵略後期、数々の研鑽のうちに魔王を打ち倒す五代英雄が現れたことで状況は再び人間へと傾いた。

 我が国の国父であり無双の剣士ユウディオ。人間とも魔族とも異なる神聖な獣・竜に騎乗する竜騎士ナディ。エクストル西方で栄える宗教・ドミネアの武闘僧侶サハル。パーティを資金面で大きく支えた西方商人ボージャー。そして戦後に現代魔術の基礎となる魔導協会・アークを立ち上げた大賢者アダン。

 およそ三百年前にこの五大英雄のパーティが魔王を滅ぼし、魔族を大陸の北方にある不毛の大地「世界の果て」へと封印したことで現代の平和がある。

 これ以降魔族は現れる事はなく————現れたとしても基礎的な魔術で倒せる無視できる程度の存在だ————人間は平和を謳歌し文明を発展する事へ注力することができるようになった。

 私がこうして歴史をまとめられているのも五大英雄のお陰であり、かつての無名の勇者たちのおかげであり……遡るほどに偉大な先人たちに対し頭が上がらない思いだ。

 平和を享受できることがいかに素晴らしいことか。それは歴史を学べば深く理解できることなのだが……中にはこの豊かで穏やかな時代をつまらなく思う人々もいる。

 現代では魔物を相手に攻撃魔術を行使する必要が無い。剣を持って冒険するには大陸の地図は埋まりかけており、再発見できる領域も少ない。魔術もアークが施した等級制度や学院教育によって体系化の傾向が強まり、市井の神秘が失われて面白味に欠ける。現代人の目で見るとこの時代は腑抜けているように映り「つまらない時代だ」と評価する声は私の耳にも届く。

 確かに平和とは素晴らしいものである一方で、刺激には欠けるのだろう。かくいう私も————この時代を作った先人たちには申し訳なく思いつつ————日常では得られない刺激を求めるために歴史家となり、過去の刺激的な出来事を編纂している。

 しかしながら現代という時代にも少なからず冒険は存在しており、そこで活躍した英雄・勇者と評価するに相応しい人物がいる事は心に、そして歴史にとどめる必要があるだろう。

 これは私が歴史家として大陸の各地を回った中で収集した言うなれば現代の勇者にまつわる話を編纂したものである。

 普段の私の仕事ぶりを知っている同業者は本書を読んで驚くかもしれない。私自身も日頃執筆する歴史論文ではなく、物語のように文字をしたためる経験に驚き、記録・伝達にはこのような方法もあるのかと、かつての歴史家・吟遊詩人たちの気分を味わった所だ。

 よって読者諸兄には本書をいわゆる歴史書ではなく、三百年後という平和な時代に起こった冒険譚として肩の力を抜いて読めることをお伝えしたい。本書に登場する人物の中には現在第一線で活躍している者もいれば、ほとんど創作に近い話もある。原典があればそれらの情報は巻末資料へまとめてあるので本書を読んで気になればどうぞ歴史の門を叩いてくれれば一人の歴史家としてこれ以上の事はない。

 さて、長い前置きはこの辺りにして物語の幕を上げようと思う。

 最後に本書を出版するにあたってお世話になった人々に感謝を。とりわけ本書の一番を飾る綿と鋼の人形遣い・ソラ女史には数々の話を提供していただいた。彼女の深い見識と技の数々に魅了されなければ私は本書をまとめようとは思わなかっただろう。心の底からの尊敬と、そして一言。ありがとう。

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