第2話 虫取り
あの出来事から二年が経過した。
虫取りに目覚めたキーは、とーちゃんに虫網と籠をねだり、家の近くの鉄塔のある原っぱに行っては、虫を捕まえた。
残念な事にキーは、天才だったにゃ。
虫取りの天才。
その鋭い観察眼で草の中にいるバッタ、風に舞う蝶、木の上で余生を謳歌しようと鳴く蝉等々、伸縮自在の虫網を熟練の剣士のように使いこなし、虫を捕まえ、籠に納めた。
ちなみに虫たちは、散々捕まえた後にお気に入りだけを残して逃し、うちで飼うことにしている。生き物を大切にするとーちゃんから「遊びで生き物を殺しちゃいけない」と虫取りデビューする前から散々言われた成果にゃ。
それはとても良いことだとミーは思う。良いことだと思うけど、だったらそれに一つ付け加えて欲しかったにゃ。
「光る虫のようなものは決して捕まえるな」と。
伸縮自在の虫網を手にしたキーは、大人でも背伸びしないと届かないような高さにいるワタゲをあっさりと、戸棚にしまってあるお菓子を取るかのように、スポッと網の中に納めてしまう。
そして、太陽のような笑顔で網から取り出し、
「見てミー!コーカサスだよ!」
と、天真爛漫な笑顔でミーの顔まで持ってきては自慢すると、大切に虫籠にしまった。
ミーは、嘆息して空を見上げる。
こんな事になるまで気づきもしなかったけど、ワタゲは、そこかしこに飛んでいた。ただ、手の届く高さにいないので、気づかなかっただけにゃ。
いや、大抵の人間も猫も見えはしないから気付くなんてこともない。ワタゲの存在なんて知らないまま天寿を全うし、気が付いたら、自分がワタゲになっている・・・。
じーちゃん・・・。
じーちゃんは、何でワタゲになったにゃ?
未練があったにゃ?それとも死んだら誰もがワタゲになるにゃ?
考えても考えても分からない。
分かるのは、キーがワタゲを捕まえることが出来ること。そしてワタゲが変化する前にミーが払うこと。
今はそれで十分にゃ。
ミーは、キーが他の虫に気を取られている隙に虫籠に近づき、尻尾の先で籠を叩く。
虫籠が小さく揺れ、中にいるワタゲが泥団子のように崩れ、光る砂となって籠の隙間から流れて消える。
ミーは、ほっと息を吐く。
今日は、楽にゃ。
虫籠を肩からぶら下げてる時は、家に帰るまで払うことが出来ない。キーが寝てる隙か、学校に行っている時にこそっとやるしかないのだ。
しかし、そう言う時に限って昨日のようなことが起きる。
ミーは、嘆息する。
虫取りを覚えてからというもの、キーは、ほぼ毎日虫取りに出かける。それこそ学校と雨の日以外は、毎日にゃ。
この原っぱならまだ良い。しかし、ミーがいけないような遠くの公園とか、学校の裏庭に行かれると困るので、こっそりとキーのリュックや付き添いのとーちゃんやママさんのリュック、車のトランクに隠れて付いて行き、その場所にマーキングして家のトイレと繋いだ。お陰で臨機応変にキーの対応が出来る様になったが、本来、家猫で近所しか散歩経験のなかったミーにとっては、実際には信号を渡るくらいの距離でも、未開拓の魔境に行くのに等しかった。特に初めて学校に行くときは一番ドキドキした。登校班で子どもたちと付き添いの親だけで行くから誰かのリュック、ましてやランドセルに隠れることも出来ないから、姿が見えないように壁の隙間や植木の間を抜けて付いていった。そして猫生で初めての信号をダッシュで渡ったのだ。
あんな経験は二度としたくない。
キーは、ワタゲがいなくなった事にも気づかず、草むらのバッタを追っていた。幸いにも今日は、伸縮自在の虫網でも届かない高さにワタゲも飛んでるのでこれ以上はないだろう。
お腹も空いたし今日はもう帰ろう。
ミーは、かぎ尻尾を持ち上げ、猫の抜け穴を作ろうと、地面を叩こうとして、止めた。
長老が歩いているのが見えたからだ。
長老は、ヨタヨタとした足取りのお婆ちゃんの横に寄り添い、心配そうに歩いてた。
あーさんにゃ。
乱れた長い白髪、こけた頬、輝きの無くなった目、着崩れた藍色のワンピースから覗く枯れたような細い手足、そのどれもがくたびれた老婆という表現に狂いを与えなかった。と、同時にミーの知るあーさんとのあまりの違いに目が痛くなる。
変わり果てあーさんの姿を見たのは、昨日、猫屋敷で日頃の愚痴を散々言った後のことにゃ。
「プー、プー」
猫屋敷の縁側で長老の本名であるプーと呼ぶか細い声が聞こえた。
あーさんにゃ。
その変貌に驚き、ミーは爪研ぎを止めた。
長老は、振り返り、小さく鳴くと悟ったような凛々しい表情から愛らしい飼い猫の顔に変わり、トコトコと駆けていき、縁側に登ってあーさんの足に顔を擦り付ける。
あーさんは、力なく笑い、長老の頭を撫でる。その仕草も弱々しい。
確かにあーさんは九十歳を超える。でも、ミー知るあーさんは、猫から見ても、とても綺麗で、長く、白い髪も肌も鈴蘭のように白くて綺麗で、小柄な身体には程よく肉づいて健康的で、背筋も伸び、洋服を着ても、和服を着ても着崩すこともなく清楚で、今の姿とはあまりにもかけ離れていた。
「今日は娘とお客さんがら来るの。騒がしくなるけどいい子にしてるのよ」
そう言って長老から手を離すと和室に入っていき、仏壇の前に腰を下ろして、飾られた遺影を眺めた。
古い白黒写真に写っているのは坊主頭の細面の若い男性にゃ。切長の細い目、整った鼻梁、薄い唇の美しい顔立ちの下は夏になるとテレビでよく見る軍服というものを着ていた。
「亡くなった旦那さんよ」
長老は、悲しい目をして言う。
「結婚して一年もしない内に亡くなったらしいわ。なんでも赤紙をもらってビルマに出立しようとした時に横浜大空襲にあってね。ちょうど今の二つ目池公園のあたりだったそうよ」
「どうしてあんなに元気がないにゃ?」
「この前、胃の辺りに癌が出来て手術したのよ。それ自体は大したことはなかったようなんだけど、入院して帰ってきた辺りから、ずっとあんな感じになってしまってね。写真を見ては泣いてるの」
長老の声は、本当に心配そうだった。
それが鳴き声として聞こえているのだろう、あーさんは、長老の方を向いて小さく笑い、そしてまた遺影を見ていた。
あまりに痛い姿ににミーも思わず小さく鳴いた。
「ミー何してるんだ?」
後ろから現れた大きな影と優しい声にミーが振り返ると、そこにいたのは大柄の、キーによく似た温和な顔の男性。
とーちゃんだ。
「また、勝手に明美さんの家に来てたのか?」
とーちゃんは、怒ったように唇を尖らす。
その姿がまた、キーが拗ねた時と同じ顔だ。
とーちゃんは、藍色のワイシャツにチノパンを履いていた。
仕事着であるとすぐに分かった。
「早く帰るんだぞ」
とーちゃんは、屈んでミーの頭を撫でる、「明美さんこんにちは」と和室に座るあーさんに声をかける。
「あら、こんにちは」
あーさんも頭を下げる。
その声を聞いたあーさんの娘さんーといっても七十を過ぎているーも奥からやってくる。顔の輪郭や体型、雰囲気等は、あーさんによく似ている。しかし、切長の目と整った鼻梁は、写真に写る旦那さんに似ている。
とーちゃんは、和室に上がると三人で話し始める。内容としては、「調子はいかがですか?」「訪問看護師さんはいかがですか?」「何か生活に困り事はないですか?」等々。
とーちゃんは、ケアマネジャーと言う仕事をしていて、あーさんを担当している。あーさんのことは家が近所で、死んだじーちゃんも含めて子どもの頃からよく知っていたそうにゃ。だから、最初は、自分が担当すべきでないと、断ったそうだが、これまた子どもの頃から可愛がってもらっていた娘さんにどうしてもと頼まれて担当することになったそうにゃ。
一頻り話しを終えるとあーさんは、疲れたと言って家の奥へと戻っていった。
それからとーちゃんと娘さんが話し出す。
「どう?」
娘さんは、不安げに聞く。
「気力が落ちてますね。看護師さんの話だと、バイタルも落ち着いてると言うことですから、やはりお気持ちの問題かと・・・」
「あんなに元気な母がああなるなんて」
「ずっと元気な人でしたから。病気したことも鬱になる起因の一つだったのかも、しれませんが・・・」
「知れませんが・・・なに?」
とーちゃんは、少し言いづらそうに仏壇の上にある遺影を見る。
「ひょっとしたら明美さんは、旦那さんに会いたいのかもしれませんね」
「お父さんに?」
娘さんも遺影を見る。
「私は、お父さんのことを知りません。生まれる前に空襲で亡くなったから」
「病気して不安になると、人は何かに縋りつきたくなります。明美さんにとってはそれが亡くなった旦那さんなのかもしれませんね」
そういうと、娘さんは少し怒った顔をする。
「父と過ごした時間より私や孫たちと過ごした時間の方が遥かに長いんです。それなのに七十年以上も前に亡くなった父に縋り付くなんてありえません」
とーちゃんは、娘さんに向き直る。
「明美さん、お母さんと過ごす時間を大切になさってください。ご家族のお母さんを大切に思う気持ちが今は一番の薬となるはずです」
娘さんは、目を赤らめ「分かりました」と言った。
ミーと長老は、じっと二人のことを見つめていた。
「あー大きいばあちゃんだあ」
あーさんに気付いたキーが虫網をブンブン振り回す。
キーは、じーちゃんに連れられて、良くあーさんの家に遊びに行っていた。そこであーさんを大きいばあちゃん、娘さんを小さいばあちゃんと呼ぶようになった。
あーさんもキーに気づいて、窶れた頬を釣り上げて微笑む。
「キーちゃん、お久しぶりね」
その声は、弱々しいものの、良く知る優しいものだった。
「虫は、いっぱい取れた?」
あーさんの問いに「うんっ!」と元気に返事して虫籠を見せる。
ちょっと目を離している隙に籠の中にはバッタや蝶々、天道虫がたくさん入っていた。
いつの間に・・ミーは、キーの天性の才能にザラザラした舌を巻いた。
「これも捕まえたんだよ」
そういって網の中にに手を入れて、取り出したのは、ワタゲにゃ。
ミーは、驚きのあまり顎をがくんっと落とす。
いつの間に捕まえたにゃ⁉︎
あーさんの足元にいる長老も泡を噴かんばかりに口を大きく開けている。
「あらなあに?」
ワタゲの見えないあーさんは、差し出すキーの手に顔を近づける。
ワタゲの色が変わっていく。冷たい闇色に身体を染め、粘液のような細い糸を伸ばして、あーさんの頬に触れようとする。
その瞬間、ミーは、思い切りジャンプし、かぎ尻尾の先端でキーの手、ワタゲをジャストミートしたにゃ!
キーは、驚いて手を離し、放り投げられたワタゲは、そのまま光に溶けるように霧散する。
キーは、突然のミーの行動に呆然とするも、直ぐに我に返り、手から逃げたワタゲを探す。
当然、どこにもいない。
キーは、泣きそうな顔をしながらミーを睨む。
「ミー、何すんの!」
何するのと、言われても・・・
ミーは、かぎ尻尾を丸める。
ミーは、キーさんとあーさんを守っただけにゃ。
横目でら見ると、長老が同情するような目でこちらを見ている。
いやいや、見るだけなくフォローしてにゃ!
「まあまあキーちゃん」
助け舟を出してくれたのはあーさんにゃ。
「きっと戯れつきたかったのよ。幾つになっても猫は遊びたいものなのよ。悪気はないわ」
悪気がないのは間違ってないけど、別に戯れたかった訳でも遊びたかった訳でもないにゃ。子ども扱いしないで欲しい。
ミーは、目を細め、かぎ尻尾で地面を叩く。
「キー!」
キーの名を呼ぶ声に振り返ると、ママさんがこちらに向かって歩いてきた。
「ママー!」
キーは、嬉しそうに手を振る。
「今日は、お買い物行くから早く帰ってきてって言ったでしょ」
「ごめん」
そう言いながらもキーは、ママさんの足に抱きつき、ニコニコ笑う。小学生になってもまだまだ幼いにゃ。ミーは、思わず目を細める。
ママさんもミーと同じことを思ったのか?困った顔をして笑みを浮かべる。
そして、あーさんの方を向くと小さく会釈をする。
「こんにちは。お久しぶりです明美さん」
ママさんは、丁寧に挨拶するが、その表情は少し固い。
恐らく、変わり果てたあーさんの姿に動揺しつつも、表情に出さないようにしていることが窺えるにゃ。
「あら、こんにちは」
そんなママさんの心境を知ってか知らずか、あーさんは、柔らかな笑みを浮かべて挨拶を返す。
「お久しぶりね。お爺さんのお葬式以来かしら?」
「そうですね。その節は大変お世話になりました」
「近所なのに中々会わないものね。でも、旦那さんはよく家に来てくれるのよ。良くしてもらってありがたいわ」
「いえ、何かありましたら、遠慮なく言ってやってください。しっかりしてるように見えるけど、判断が遅くて困ってるので」
「あらあらそんなこと・・・」
あーさんは、ころころ笑う。
その表情を見てると、昔のあーさんに戻ったようで、少しホッとするにゃ。見ると長老も嬉しそうにあーさんを見上げていた。
すると、あーさんの表情に翳りが差す。
「あなたは、旦那さんのことが良く分かってるのね」
ぼそりっと呟く。
ママさんは、眉根を寄せる。
「どういうことですか?」
ママさんが聞き返すと、あーさんは、驚いた顔をする。
今の言葉が口から出ているとは思わなかったようにゃ。少し困った顔をする。
「あら、ごめんなさい。ただ、羨ましいなと思っただけなの」
ママさんは、さらに分からないと言った感じで首を傾げる。
「うちの主人って、随分前に亡くなったでしょう。もう写真を見ないと顔も思い出せないくらい昔に。だから、貴方のようにあの人がどういう人で、何をを考えて、何を思っていたのか、まるで分からないの」
あーさんは、肉の無くなった腕を逆の手で握り、俯く。
ママさんは、何を言っていいのか、分からず声を詰まらせるも、一生懸命言葉を探す。
「でも、明美さんには、あんないい娘さんがいるじゃないですか。それにお孫さんやひ孫ちゃんも」
あーさんは、顔を上げる。
その表情には、悲しげな笑みが浮かんでいた。
「そうね。私はあの子たちの為に生きなきゃいけないのよ。例え・・・」
そこまで言いかけて、あーさんは、言葉を切る。
「ごめんなさい。買い物に行かないといけないの。今日は下の孫が大学の帰りに寄ってくれるらしいから、好きな物作ってあげないと」
そう言って、あーさんは、ママさんに会釈して歩いて行った。その足元を支えるように、ミーに一瞥し、歩いていく。
ママさんは、心配そうに眉根を寄せ、小さくなってしまったあーさんの背中を見送った。
「ママどうしたの?」
キーがママさんの顔を不思議そうに見上げる。
我に帰ったママさんは、慌ててキーの顔を見る。
「あーごめんね。キー」
ママさんは、愛おしそうに我が子の頭を撫でる。
「じゃあ、お買い物行きましょう。好きなお菓子一個買っていいよ」
キーは、天高く上げて喜ぶ。
良かったにゃ。これで今日のお役ごめんにゃ。
しかし、そう思ったのも束の間、ママさんのとんでもない一言にミーの毛という毛が凍りついたにゃ。
「明日、ノンちゃんたちとうちでお泊まり会をすることになったのよ」
ママさんの言葉にキーは、天上に登る天使のような歓喜の声を上げた。
ミーは、地獄に落ちる亡者のような低い唸り声を上げた。
ノ、ノ、ノ、ノンちゃん⁉︎
絶望がミーの心と身体を襲う。
その横でキーは、喜びのダンスを踊りながらママさんに手を引かれ、お家へと戻って行った。
そして翌日、ママさんの宣言通りにノンちゃん家族が我が家にやってきた。
ノンちゃんは、キーの0歳の頃からの幼いなじみの女の子、生まれた日も一緒なら生まれた病院も一緒という少女漫画なら、まさに運命ともいえる出会いをした二人にゃ。
とーちゃんとノンちゃんパパは、二人が結婚したらどうしようかと今からニヤニヤと笑うが、ママさんとノンちゃんママは、「やめてよ・・・」た本気で嫌がっている。楽観的な男脳、シビアな女脳だと考え方が違うという良い見本のようにゃ。
そして肝心の二人の相性はというと・・・。
まさにケミストリーにゃ。
「ノンちゃーん!」
「キーちゃーん!」
顔を合わせるが一番、二人は、床の底が抜けるのではないかというほどにジャンプし、出会えた喜びを体全体で表した。そして号令をかけた訳でもないのに、同時に走り出し、リビングに突入すると、おもちゃ箱をひっくり返して、電車で遊んだり、刀のおもちゃを振り回し、2階に行ったら、寝室の布団を引っ張り出して「海苔巻きー!」何がおかしいのか?笑いながらくるまって、部屋中を転がり、同じアニメを見て、同じところで笑い、昼食では普段は、嫌いで食べない物を「ノンちゃんが食べてるから」「キーちゃんが食べてるから」といって美味しそうに平らげる。
一+一どころか、一+百、いやこの世の数式では当てはまらない計算方法で倍化していく、最高級の相性にゃ。
そしてその最高級の相性の爆発に巻き込まれるのが何を隠そう、ミーにゃ。
大きめのフランス人形かクマのぬいぐるみのように抱き抱えられると、振り子のように振り回され、ぎゅーっと朝食べたゴルフォーから内蔵まで、全てが飛び出すのではないかと言うくらい抱きしめられる。チャンバラでは、ミーの手に方に刀を添えさせ、闘わされる。何発か当てられた時は、本気で噛みついてやろうと思ったにゃ。ニ階に行ったら、外に出られないように、鍵を閉められ、二人と一緒に簀巻きにされる、昼食時にはミーのご飯は、子ども達と同じテーブルに置かれ、食べようとすると「まだダメー!」「いただきますしてからだよ!」とずっと待て状態であった。極め付けは、原っぱでの虫取りの時は二人して網と籠を持って、これでもかと言うほどに虫とワタゲを乱獲し、その度にかぎ尻尾を振って消した。お陰でカチカチに固まってしまい、持ち上げるのにも鈍痛が走るようになった。
ちなみにノンちゃんには、ワタゲは見えない。キーが捕まえて「ヘラクレスだよー」と言っても首を傾げるだけだ。その時ばかりはキーも悲しげな顔をし、ミーも胸が痛くなる。
キー、ミーには見えてるから安心するにゃ。
届く訳のない声でミーは、鳴く。
しかし、キーがカブトムシやクワガタを捕まえたいのであろうと察したノンちゃんは、一つの提案をした。
「ねえ、キーちゃん、明日、二つ目池公園に行かない?」
「ダメだ!」
とーちゃんが珍しく語気を強めて言い、両手で大きなバツを作る。
「えー!」
「なんでー!」
二人は、ぴょんぴょん飛び跳ねて抗議する。
夜になり、電気プレートを使っての焼肉パーティーを終えてから、家族全員で鉄塔の原っぱに行き花火を始めた。
お風呂に入り、浴衣に着替えた子ども達は、色とりどりの手持ち花火を取り出しては、大はしゃぎ、父親二人はライターで火を付けたり等しながらも、ビールを飲みながら赤ら顔、そして母親二人は、もう何ラウンドか分からない女子トークを続けていた。
ちなみにミーは、ようやく解放されたものの、いつまたワタゲを捕まえるか分かったものではないので、草むらに隠れてニ組の家族を見守っていた。
本当にいつになったらミーに休日は訪れるのかにゃ?
陽だまりに寝転がって、優雅にゴルフォを味わいたい。
ミーは、いつ叶うか分からない夢を描きながら、じっと花火をするキーを見守っていた。
そして、ある程度花火を堪能してからキーとノンちゃんは、とーちゃん達に希望を伝えた。
「二つ目池公園にカブトムシを捕まえに行きたいと」
「なんでなんでー!いつも遊びにいってるじゃん!」
「そうだよそうだよー!」
ふたりは、猛烈に抗議する。
「いつもは昼だろ。明け方の公園は危ないんだ!」
「そうよ!大怪我した人だっていっぱいいるのよ」
ママさんも言う。
「そうなの?」
素っ頓狂な声を上げたのはノンちゃんパパにゃ。
「そんなの聞いたことないけど・・・」
とーちゃん、ママさん、ノンちゃんママがノンちゃんパパをきっと睨む。
ノンちゃんパパさんは、言いかけた言葉とビールを一緒に飲む。
なるほど、キーとノンちゃんを諦めさせる為の方便にゃ。
自然豊かといっても所詮は市管理の公園、大人が付いて怪我することなんて滅多にない。しかし、この二人のことだ。大人の発想力では考えられないようなことをすることがある。だから予防策を張ったわけにゃ。
「それに明日はみんなで水族館行く約束をしてるだろ。虫取りなんてしてたらいけなくなるぞ」
とーちゃんの言葉に二人は少しベソをかきそうな顔で唇を尖らせ、「はーい」と言い、花火するーと言って戻っていった。ノンちゃんパパがついていき、火を付けてやる。
「本当に虫取りが好きなのねキーちゃん」
ノンちゃんママが感心したように言う。
「あのくらい勉強にも集中してくれたらいいんだけどね」
ふうっとため息を吐くママさん。
「でも、つい私も乗っちゃったけど、あんま否定するのも良くないんじゃない?ああ言うのって意外と傷が残るのよ」
「その分、明日を楽しませるさ」
気にした様子もなく、ビールを飲むとーちゃん。
「それにあながち嘘でもないからな」
「そうなの?」
意外そうなノンちゃんママ。
とーちゃんは、ビールを飲み干すと、新しい缶を開ける。
「元々、大空襲で焼けた場所を再構築して出来た公園だからね。本物の自然の公園と違って過ごしやすい反面、半グレや変質者なんかがたむろしてるなんて話もよく聞くよ」
半グレ?変質者?あまり聞かない単語に首を傾げるが、恐らく時代劇でいう悪人みたいなものだろう。
確かに子どもを連れて行くには危険そうにゃ。
とーちゃん、ガタイはいいけど喧嘩弱いし。
「それに二つ目池の亡霊なんて話もあるしね」
ママさんも言う。
「二つ目池の亡霊?」
戻ってきたノンちゃんパパが聞き返す。
いつの間にか新しいビール缶を開けていた。
この調子じゃ、例え早朝虫取りをOK出しても、大人が起きれなそうにゃ。
「さっきも言ったように、あそこは昔の空襲の焼け野原を公園に再構築したところなんだ。元々、山と森もあったから公園にするのもさほど難しくなかったらしい。二つ目池も元からあった物らしいし。そんな由来のところだからか知らないけど、夏の終戦記念日が近づいた頃になると、池の近くの慰霊碑の辺りに光る人魂のようなものが浮かんでるんでいるのが見えるんだそうだ。実際に人の姿を見た人もいるらしい」
それって間違いなく、ワタゲのことにゃ。
キーのようにワタゲを見える人がそんな噂を流したのだろう。
人の姿と言うのはよう分からんけど。
「まあ、人影ってのは変質者かなんかの影で、人魂ってのは懐中電灯かなんかだろうけど、とりあえず危ないことには変わりない」
「そうね。可哀想だけど」
別に可哀想なことはないんじゃないかにゃ?
それに二つ目公園ってところにミーは、行ったことないから付いてってやれないから、やめて欲しいにゃ。
とーちゃんは、ビールをちびっと飲んで右の方を向く。
そこには明かりの付いた大きなお屋敷、猫屋敷が見える。
その視線に気づいたママさんが話しかける。
「ねえ、明美さんだけど、大丈夫なの?」
ママさんの声は、本気で心配そうにゃ。
「昨日、久々に見かけたけど、別人みたいで驚いたわ」
「だろうな。オレも変貌ぶりに驚いてる」
とーちゃんにとってあーさんは、子供の頃から気にかけてもらっていた近所のおばちゃんだ。
仕事で行っている時はおくびにも出さないけど、内心では気掛かりで仕方なかった。
「病気が起因だと思うんだけど、それ以外にも何かありそうなんだよな」
「どう言うこと?」
「うまく言えないんだけど、なんか後悔というか、懺悔というか、とにかく誰かに対して申し訳ないって気持ちがありそう」
「そういえば、亡くなったご主人のお話しをされてたわよ。明美さんがご主人のこというの初めてだったから驚いちゃった」
ママさんが言うと、とーちゃんが驚いた顔をする。
「そうなのか。やっぱり亡くなった旦那さんに会いたいのかもな」
「でも、だったら懺悔なんて思う?亡くなった旦那さんに会いたいってそんな後ろめたいことなの?」
「七十年も前に亡くなってるからね。娘さんも、旦那さんのことは知らないようだし。その辺りが分かればな」
そう言ってため息を吐く。
「知るのは本人と亡くなった旦那さんのみ。困ったもんだ」
そんな真剣に話す両親から隠れるようにキーとノンちゃんがコソコソと何かを話していることにミーも大人たちも気づかなかった。
そして翌朝、とんでもないことが起こったにゃ。
つづく
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