君の姿を僕は知らない
鷺島 馨
君の姿を僕は知らない
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「
ふわりと背後から僕の目に両手を当て目隠しをする彼女。
目隠しの後は耳元で囁く右葉に甘えた声を発する。
彼女は三歳年上の
僕は彼女の声と手の感触と香ってくる少し甘い匂い以外を知らない。
いつも僕の後ろから目隠しをされて彼女と過ごす。
「外は少し風が強いけど、舞い散る桜の
部屋の窓は閉じられたまま。
この部屋からも桜並木は見えるけれど、桜の木の下で舞い散る花弁に包まれる方が綺麗だろう。
「さわさわと枝が擦れてその度に花弁が舞うの」
染井吉野より早い時期に咲き鮮やかな色を魅せてくれる。僕の好きな華。
「外に出てみない」
「こっちを見たらダメだからね」
僕たちの間で交わされた約束、
たわいのない会話から始まった約束。
「じゃあ、行こうか?」
僕は扉を開けて部屋を出る。
階下に降り、エントランスの扉が開いた瞬間に外の風が吹き込んできた。
「わあ〜、花弁が舞っていて、綺麗……」
エントランスに吹き込んだ風といっしょに花弁が舞っている。
目で追っていると
「ダメだよ〜、約束だからね」
僕の頬に
照れ臭くなり頬が熱を帯びた気がする。
「
コクリと頷く。
「そっか〜、じゃあ、私のことは?」
耳に息を吹きかけるように甘く囁かれたその言葉が僕の中に
動きの止まった僕の体を背後からふわりと抱きしめてくれる。
僕はさっきよりもハッキリと首を縦に振る。
「ふふっ、照れてる?」
今の僕は真っ赤な顔をしているに違いない。
「少し桜並木を歩こうか?」
エントランスから外に出た際に
毛先が桜と同じ淡い桜色の透けるように白い髪。
舞った
「大丈夫?」
甘い匂いにくらりとして少しよろけた僕の肩を支えてくれる優しい手。耳元で囁かれる甘い声。
小柄な僕より、多分、
「昨日より暖かくて風がなければ過ごし易いのにね〜」
コクリと頷いたけれど、本当は背中に触れている
「見て、あそこ!」
弾んだ声を上げた
「綺麗だね〜」
舞う花弁と共に僕に触れる朱莉さんの髪、視界いっぱいに広がる桜並木と菜の花、幻想的な景色に見惚れる。
「あ、魚が泳いでる!」
さらさらと並木道に沿って流れる小川は陽光をキラキラと反射している。
その中に時折、銀鱗を煌めかせて小さな魚が泳いでいる。
弾んだ声から、
「あ〜、子供っぽいって思ってるでしょ」
僕の口角が上がっていたのかな?
「いこっ、まだまだ桜並木は続いてるんだから」
僕の肩に置いた手に少しだけ押される感触が伝わってくる。
僕と
「きゃっ」
強く風が吹き僕たちを花弁が包む。
視界いっぱいの桜吹雪。
肩に置いている
細くしなやかな指、僕の指と違う感触に心が弾む。
「ふふっ、ありがと。急な風でビックリしちゃったね」
少し照れを含んだ
降ろした腕が少し寂しい。もっと
「あそこ、メジロがいるよ!」
桜の枝をトンっと渡るメジロの姿が見えた。
こちらに気づいているのか花弁の影に隠れるように移動している。
「あそこにもいるよ」
よく見れば、もう何羽かのメジロが桜の枝に止まっている。
桜色にメジロの背中の
綺麗だなと僕も思った。
「可愛らしいね」
立ち止まり二人でしばし眺める。
「あ、ミツバチもいる」
桜の花に近づいてみるとブンブンと小さな羽音をたててミツバチが蜜を集めていた。
僕たちが近づいてもミツバチは蜜を集める事をやめず飛び回っている。
そういえば、昔刺されたことがあったな。
「あそこのベンチに座ろっか?」
桜並木の脇に
東家の
僕たちはゆっくりと東屋へ歩いていく。
「歩いたら、身体がぽかぽかしてきたね。飛鳥くんは大丈夫?」
飛鳥さんはパタパタと手で身体を仰いでいるようだ。
僕もだいぶ上気していたけど大丈夫。
「こっち、見たらダメだよ〜」
並んでベンチに腰掛ける。
横目に
足首まである淡いパステルグリーンのスカートが目に入る。
ふわりと軽やかに揺れる触りごごちの良さそうな生地。
でも、本当の僕は
「はい、冷たいお茶」
水筒のコップに入れたお茶を受け取り喉を潤す。
火照った身体が内側から冷やされていく。
心地いい。
コップを返すと、水筒からお茶を注ぎ
「あ、間接キス、しちゃった、ね」
「サンドイッチもあるけど食べる?」
僕の肩にもたれかかった朱莉さんが耳元で囁く。
それだけで心地いい。
サンドイッチの入ったバスケットを膝の上におき一つを手に取り、僕の口元へ持ってくる。
「はい、あ〜ん」
口を開けサンドイッチを咥える。
「どう?味付けは大丈夫?」
グッっと親指をたて美味しい事を伝える。
「よかった〜」
緊張した雰囲気が解けいつもの優しい
僕は
何気ない優しさを与えてくれる
でも、今はこの気持ちを伝えることはできない。
もうすぐ
進路のことは今までに何度も話し合ったこと。
「
声のトーンを少し落としてこれからのことを話してくれる。
僕は咀嚼していたサンドイッチを嚥下してそれを静かに聞く。
僕は
「そうだね。今はこの桜を、この季節を楽しもうか」
僕は頷き、もう一つサンドイッチを手にする。
そんな僕を見て
ゆったりとした気分で風を受け、舞いおどる桜の花弁を眺める。
桜の開花期間は長くない。
この桜が散ってしまう前に
僕が
歯がゆい思いはあるけれどこれは仕方のないこと。
桜を見る度に今日のことは思い出されるだろう、最愛の人と過ごした日として。
風が弱まってきて体感温度が上がってくる。
ぽかぽかとした暖かな気温と心地よい風、サワサワと揺れる桜の枝、離れたところを流れるサラサラとした水の音。
優しく僕の頬を撫でる
僕の瞼はいつの間にか閉じられて行く。
そして
俯瞰で見ている今の状況は僕の思い出だと思う。
庭園にある二段の段を上がったときにふざけ合っていた女子が僕にぶつかってきた。その子は僕にぶつかったことで体制を立て直したが、僕が後ろ向きに倒れることになった。
ぶつかってきた女子は倒れていく僕を見て悲鳴をあげている。
二段とはいえ後ろ向きに倒れたならば怪我をするだろう。
今、僕の腕には落とすことのできない荷物がある。顎を引いて後頭部だけでも守らなくては。
ここで
振り返りお礼を告げようとした僕の頬をその細くしなやかな指でおさえる。
「当たり前のことをしただけだから、お礼はいらないよ〜」
ゆる〜く告げられた言葉。
頬から指が離れた時に振り返ったけれどその時には
それからも
それでも、顔は見せてくれないし僕も無理に見ようとしない。出会ってから変わらない暗黙のルール。
ある時、僕は
『君がなんだか危なっかしくて、つい目で追ってしまうの』
クスクスと笑い声が聞こえる。
優しさと
何度かの邂逅ののちに僕と
連絡先の交換をしたときにアイコンに登録するからと
去年の冬、
『
悪戯っぽくいう
『
最後の方は照れたのか小さくなって聞き取れなかった…
けれど
『ありがと。その気持ちは嬉しいよ。それでね、私は来年卒業します。
理解しているかの確認に頬をプニプニと押される。
それまでの間、僕たちは触れ合うことはできるけどプラトニックな関係で過ごすことになる。
この歳になってプラトニックな関係など何をやってるんだという者も出てくるだろう。
でも、それでいいと思えた。
『その時はお互いに学生じゃあないから
会えない期間があるけれど、それを乗り越えられるのかと問われた気分だ。
それでも僕の
僕は
決意を込めて僕は頷く。
『一緒にいられない時も気持ちを持っていられるように、沢山、思い出を作ろうね』
それから僕たちはいろいろなところに行った。
僕は
こういった工夫もなんだか面白かった。
これから先の三年間を過ごすための大切な宝物。
不意に強く拭いた風に
視界に入ってきたのは
よかった、
「あ、起きちゃった」
名残惜しそうな
ずっと、頭を撫でていてくれたんだろうか?
疑問に思っていると、
「眠っていたのは20分に満たないですよ。もっと、眠っててもよかったんですけど……」
少し拗ねたような、甘えるような
まだ、僕は
「
首肯すると
これも僕たちの決めたこと。
僕が立ち上がると
その感触を感じながら歩み始める。
桜並木を端まで歩いていく。
せせらぎと枝の擦れる音の他は僕たちの足音。
もう少しで
行かないでくれと叫びたい。でも、その気持ちを告げることはできない。
もしこの気持ちを告げることがあるとすれば、三年後、
「
桜並木を歩き始めた頃に比べると
「私は、
足をとめ僕の耳元で囁く
「始まりは偶然でした。でも、何度か見かける度に、色々困っている
僕の頬に
少しだけ震えていた。
その手に僕の手を添える。
「いつの頃からか、
僕の頬にあった手がスルリと前にのび、後ろから抱きしめられる。
右の頬に
僕は目を瞑り続きをまった。
「私は
「だって、余りにも身勝手な約束を押し付けているのだから……私が、卒業した後、会えない時間が増えて行くのに、
涙を流し独白を続ける
その事を負担に感じる必要はない。
これは僕が
そう伝えられるように優しく頭を撫でる。
「ありがとう
僕が待てなくて心変わりしたとしても、許してくれると
でも、僕は
「ごめんなさい。本心では、待っていてほしいです」
引っ張っていた手を離し頬を撫でる。
「
僕は首肯し
僕に回している腕がぎゅっと締め付けられる。
僕と
暫くして気持ちが落ち着いたのか
「ありがとう
甘く優しく告げられた言葉。
僕の心にゆっくりと染み渡ってゆく。
僕たちは桜並木の最後の桜の木のところまで歩いた。
「
僕は
これから三年間、
三年後、胸を張って
「
それでも
これでいい。
僕が
約束をしたのだ。
僕は
それでも、僕は
それでも、そう、それでもだ。
僕は
それは
顔のわからない女性。
優しく僕を包み込んでくれたその女性を外見に捉われず僕は好きになっていった。
気遣いができ、相手のことを思いやれる性格。
優しく、慈愛にあふれた可愛らしい声。
スラリとのびた美しい指。
銀糸のようにのび、毛先の桜色が美しい髪。
唯一知っている優しい碧い瞳。
あげればキリが無いほど
ちょっぴり悪戯なところや拗ねたりする少し子供っぽいところ、案外涙脆いところも
大丈夫、僕はこれからも
海外に行った
お互いの近況は伝え合っている。
気持ちも確かめ合っている。
それでも不安に駆られることがあるのだろう。
時々、
『
その度に僕は
僕を疑っているのではなく、
これも僕たちが表情ではなく声に含まれた感情を読みとって関係を築いたからできていることだと思う。
表情を見て感情を読み取っていたならばこの関係は成り立たないだろう。
もうすぐ三年、
もう少しで約束を果たせることを応援してくれる者。
卒業したらすぐに結婚するんだろ、結婚式には呼べよとからかってくる者。
遠距離恋愛を続ける秘訣を教えてくれと言う者までいた。
でも、僕にはそれに対するアドバイスは出せない。
僕たちは普通の恋をした訳では無いのだから。
ありきたりな『お互いのことを信頼しあって、まめに連絡を取りあって』なんて言っても、普通の恋をしている人には意味がない。
だって、彼らは相手の姿を見て触れ合うことができていたのだから。
遠距離恋愛をした時の喪失感は、心で惹かれあった僕と
僕たちでさえこれだけ辛いのに。
その喪失感を埋めるために、別れて新しい恋に進むんだと思う。
これはあくまで僕の想像だけど。
もうすぐ
来週には僕は卒業する。
昨日は久しぶりに
『
僕は肯定して卒業式の日を告げる。
『私も来週には日本に帰れるから、早く
少し緊張をはらんだ
物音がする。多分、電話の向こうで
本当に可愛らしい、僕の最愛の
それから確認しておかなければならないことを確認していく。
僕の方も今の住居を引き払う準備なんかもあって
『早く逢いたいね。逢ってぎゅって
僕も早く逢いたい。
そのことを告げると
海外通話は電話代もバカにならないので名残惜しいと思いながらも通話終了を切り出した。
『それじゃあ、
それに首肯しておやすみなさいを告げる。
『おやすみなさい、
最後に電話口からキスの音が聞こえた。
待ちに待った卒業の日。
僕はいつもより早く目覚め、
少しズレた時間に連絡を取り合うことがこの所多かった。
それでも徐々に日本時間での連絡を取れるように意識してくれているらしい。
朝食を済ませ、身支度を整えて寛いでいた。
今日、
この三年間の思いを
僕は
そんなことを考えていた。
正直、卒業式どころではない。
スマホの着信を知らせる通知がくる。
「
「いよいよ、今日卒業だね」
「待ちきれなくて早くに目が覚めちゃった」
少し照れくさそうな
いますぐ抱きしめたい。
「あ〜、待ちきれないよ〜、本当に三年間、長かったから。今すぐにでも
いつもの落ち着いた感じじゃなくて少し子供っぽいところのある我儘な感じの
僕も、今すぐ
そして、抱きしめたい。
僕が大学に行く時間まで
「
時計を確認すると余裕を見て出かけるならそろそろ家を出なけねばならない。
家を出ようと思うことを伝える。
「
卒業式が終わり学友たちとの別れを惜しんだ後、僕は
僕の心に舞い込んだ桜色をした彼女の顔を僕はまだ知らない。
けれど、僕と
他人からすれば、『姿を知らない人との約束に意味はない』と言われるかも知れない。
それでも僕と
あの約束の日から三年、僕は今日、卒業した。
あの日と同じ桜並木を一人で歩いている。今、僕の後ろに
それでも僕は歩いていく。
そうしてあの日の
ベンチに座っている毛先が桜色の白く長い髪を
あの日に見た淡いパステルグリーンのロングスカート。
僕が近づいて行く足音に気がついた女性がこちらを振り返る。
僕の想像していたとおりに大きな優しい碧い瞳。
整った顔立ちは桜並木の中にあって妖精の様。
膝下まである白く長いストレートな髪は風に
華奢な体躯にスラリと伸びた手脚。
彼女のまとう雰囲気は出会って四年経ったいまも、変わらず優しいもの。
最愛の彼女がそこに佇んでいる。
初めてみる彼女の容姿に見惚れてしまう。
彼女からはあの時にかいだ甘い匂い。求めてやまなかった、懐かしい匂い。
僕たちはどちらからともなくお互いを抱きしめた。
「
「ただいま。
「ありがとう」
「ふふっ、あの頃より逞しくなったね」
「
「まあ、お上手ね」
しばしの間、無言で抱き合い僕は告げるべき言葉を紡ぎ出す。
「
「
「
息を整えまっすぐに
「僕と結婚してください」
「はい、私でよければ……」
涙を浮かべ微笑む
あの日の間接キスではない、本当の口づけ。
最初は啄むように徐々にしっかりとお互いを確かめるように口づけを交わした。
周りにはあの日と同じように桜の花弁が舞い踊り、僕たちの再会を祝福してくれている。
あの日二人の道は分たれた。
それでも約束を胸にお互いを信じて三年間を過ごした。
この日、僕と
二人で幸せになるために……
–了–
君の姿を僕は知らない 鷺島 馨 @melshea
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