第1章 46 沸き起こる彼女への疑念

 宿屋を出るとそのすぐ裏手に平屋建ての石造りの温泉施設が建っていた。


出入り口の木製扉は2箇所あり、建物の奥からは薬草のような香りが漂っている。


「こちらは右側が女性用、左側が男性用となっております。どうぞ身体の疲れを癒やして下さい」


トマスが説明してくれた。


「ええ。連れてきてくれてありがとう。でもこの建物は戦争でも無事だったのですね?良かったです」


「はい、この町が狙われたのは主に武器倉庫でしたから」


「そうだったのね…」


そこまで話した時…。


突然女性用の出入口の木製扉が音を立てて開き、奥からリーシャが姿を現した。


「あ!クラウディア様!それに…」


「トマスです。リーシャさん」


トマスは笑顔で挨拶した。


「そうでしたね。確かトマスさんと仰る方ですよね。すみません、名前をまだ覚えていなくて」


頭を下げるリーシャ。


「いいえ、そんな事は気にしないで下さい。ところで『クリーク』の温泉はいかがでしたか?」


「はい、とても気持ちが良かったです。何だか身体が元気になれた気がします」


「そうですか、それは良かったですね」


にこやかに対応するトマスを私は感心しながら眺めていた。するとリーシャがこちらを振り向き、声を掛けてきた。


「クラウディア様は今から温泉なのですね」


「ええ。そうよ」


「それではお手伝い致しましょうか?」


「えっと…そうね…」


メイドとしてはリーシャの台詞は当たり前なのだろうが、先ほどのスヴェンの言葉が頭から離れず、対応に困ってしまった。


するとトマスがまるで助け舟を出すかの如く、リーシャに声を掛けてきた。


「リーシャさん。実は今後のことで大事なお話があるので、ひとまず宿屋に戻りませんか?」


「え?旅のことで…ですか?でも、私はクラウディア様のお手伝いを…」


チラリとリーシャは私を見た。


「私のことなら大丈夫よ。それに折角温泉から上がって来たばかりの貴女に手伝ってもらうのは気が引けるわ?これから後最低でも5日以上旅は続くのだから自分のことくらい、1人で出来る様にならないとね」


「そうですか…?」


「ええ、そうよ。それよりトマスさんが貴女に大切な話があるそうだから、まずは彼の話を聞いてあげてくれる?」


「分かりました。クラウディア様がそう仰るのであれば、そのように致します。」


そしてリーシャはトマスを振り返った。


「では参りましょうか?リーシャさん。王女様はどうぞごゆっくり温泉にお入りください」


最後に私に声を掛けてくるトマス。


「ありがとう、そうさせて頂くわ」


「クラウディア様、又後程」


リーシャは無邪気な笑顔で私に手を振る。


「ええ。又ね」


「はい!」


そしてリーシャはトマスに連れられて宿屋へと戻って行った。



「…」


2人が去って行く後姿を見届けると、温泉の出入り口の扉を開いて私は中に足を踏み入れた。


つい先ほどまではトマスとここへ来るまでは存分に久しぶりのお湯を堪能しようと思っていた。

けれども、今では私の頭の中は温泉の事よりも先ほど別れたばかりのリーシャの事が頭の大半を占めていた。



「リーシャって…あんな風に笑ったり、手を振るような少女だったかしら…?」



 回帰前に私の知るリーシャ。


彼女は…私が最後、処刑されるために断頭台に向かって歩かされているときに感情を押し殺し、ただ静かにハラハラと涙を流し続けるような少女だった。


感情を露わにするようなタイプでは無かった気がする。


一度沸き起こった疑念は中々消えることは無い。


私が知るリーシャは…今のリーシよよりもずっと大人だった気がしてならなかったのだ―。

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