隻腕無双

涛内 和邇丸

第一話


 毎日、同じ夢を見る…。

 

 多くの鱗王兵の屍が散らばり、二人の戦士だけが刃を交わす戦場、その息をもつかせぬ攻防にも、決着の時が近づき…。

 

 予想以上の強敵であった、翠と青のオッドアイを持つ、鱗王の国の銀色のトカゲの戦士ジレコの胸を、愛刀の大太刀『雲斬り』が貫き、勝利を確信した次の瞬間!

 

「私ハ、メルラ様ノ…剣デ盾…」

 

 銀色の戦士ジレコは、文字通り最後の力を振り絞り、首元を狙い噛みついてきた。


 大太刀を離し下がろうとしたが、ジレコの持つ槍を右脇に抱えていたことが仇となり、それを持ち上げられたことで、足が宙に浮いて逃げきれず、咄嗟にかばった左腕を、銀色の戦士のあぎとが上腕部からもぎ取っていった…。

 

 失った腕の痛みと言うよりは、その記憶の鮮烈さでいつも目を覚ます。

 額には大粒の汗をかき、張り付いた髪の煩わしさを感じてはいるが、今の彼にはそれを拭う気力が無かった…。

 

 彼の名は、尾上黒曜丸おがみこくようまる

 刃王の国剣士隊、元六番隊隊長である。

 若く長身で眉目秀麗、その強さと美しい容姿で、王都で人気の黒曜丸であったが、やつれ果てて頬もこけ、いつも獲物を求めてギラギラしていた瞳は、その気持ちを映すかのように暗く曇っていた。

 

「失礼します」

 障子の向こうから涼やかな声が響き、返答を待つ間を置いて、静かに障子が開いた。

 

「お目覚めだったんですね?」

 黒目がちな切長の目に、整った形の小ぶりな鼻と口、柔らかで優しい表情をした、小柄な若い女性は部屋に入ると、

布団から身を起こし、背中を丸めてぼんやり座っている、黒曜丸に笑顔で声をかけた。

 

 ここは、鱗王軍との戦場になった辰巳野から、一番近い街道沿いの町『鈴音ケ原すずねがはら』にある、樹蘇童いつき そどう将軍の屋敷である。

 左腕を失い重傷であった黒曜丸は、蘇童将軍の厚意で、王都へ帰還することなく、ここで治療、療養にあたることになった。

 そして、部屋に入ってきた女性は、蘇童将軍の三女、清泉きよみである。

 

 黒曜丸がこの屋敷で世話になるようになって、既に五十日が過ぎていた。

 鱗王軍との戦も終結し、占拠されていた辰巳野の砦も、元の刃王の国の所領となり、穏やかな日々が戻っていた。

 小桜山の抜け穴を使い、黒曜丸の家族たちも会いに来たが、黒曜丸が頑なに面会を拒んだため、家族は蘇童将軍に黒曜丸を託し、王都へ戻った。

 

 

 清泉はいつものように黒曜丸の髭をあたり、髪をとかして結い上げると、着物を脱がせ上半身を拭いた後、後ろに回って左肩に両手を当て、治療の気を送った。

 黒曜丸が屋敷に運びこまれて以来、清泉は黒曜丸の世話を続け、今では左腕の傷口は完全に塞がっているが、時折、幻肢痛があるため、気の治療も続けていた。


 

「朝の涼しいうちに、少し外でも歩いてみませんか?」

 清泉は黒曜丸の着物を新しいものに着替えさせると、そう話しかけた。

 清泉が身の回り世話をしてくれている間、黒曜丸は話しかけられても、ほぼ無反応で、ボソっと感謝を返す程度しか、言葉を発しないのだが、この日は違っていた。

 

「何か花は咲いていますか?」

 

 思いがけない黒曜丸からの言葉に、清泉は表情をパッと明るくし、

「ハイ、クチナシと先日から朝顔が咲き始めました!」

 普段見せる優しい笑顔ではなく、満面の笑みを浮かべてそう言った。

 

 

 蘇童将軍の屋敷の庭を、黒曜丸と清泉は並んで、ゆっくりとした歩調で散策していた。

 

 小柄な清泉の背丈は、長身な黒曜丸の胸にも届かず、草花の説明のたびに見上げることになったが、清泉は楽しそうであった。

 黒曜丸の方は、少し瞳に生気が戻ってはいるが、説明を聞きながら清泉を見て、頷くか短い返事程度の反応はしても、相変わらず笑顔を見せることはなかった。

 

 手入れの行き届いた庭木の中に、一本だけ場違いというか、異彩を放つ木が有り、黒曜丸はその前で足を止めた。

 清泉はすぐそれを察し、その木の説明を始めた。

 

「これはヤマモモの木なんですけど、十年ほど前にカミナリが落ちて、裂けて焼けてこんな風になったんです」

 そのヤマモモの木は、根元から二メートルくらいから上の幹が、裂けて半分しかなく、黒曜丸たちから見て右側だけに葉を茂らせていた。


「庭師が抜こうとしたのを父が止めて、しばらく様子を見ることにしたら、新芽が生えてきたので残すことにしたそうです」

 ヤマモモの木を見上げる黒曜丸を見上げ、清泉は説明を続けた。

「先日お出ししたヤマモモの実は、この木になってたものなんですよ!カミナリを受ける前より何故か甘くなって、私もつい、食べ過ぎちゃいました…」

 いつもより女の子らしい、お茶目な口ぶりで話す清泉であったが、黒曜丸を見て言葉を失った…。

 

 清泉が見たのは、両の目から涙を溢れさせた黒曜丸の、初めて見る微笑みだった。

 

「スゲェなぁ、おまえ…」

 黒曜丸はヤマモモの木に近づくと、幹の裂けて焦げた部分に手を伸ばし、その表面に手を当てて目を閉じた。

 そしててのひらに意識を集中させ、ヤマモモの木の樹液流動を感じ取った。

 

 それを見て清泉も、黒曜丸と同じようにヤマモモの木の幹に手を当てて、目を閉じて意識を集中させた。

 

「こんなに力強く生きているんですね」

 掌から伝わる樹液流動の生命力に、清泉はその感動を思わず口にした。

 葉を茂らせて花を咲かせ、実をつける姿を見ていたにもかかわらず、樹木は人より長い一生を、その場所から動くことなく、静かに過ごしているものだと、清泉も思っていた。

 

「ああ、強いな!」

 これまで黒曜丸は、植物にこれといった興味や関心を持ったことが無かった。

 清泉に花のことを聞いたのも、これといった理由もなく、外と聞いてなんとなく連想しただけで、こんなにも真剣に植物と向きあったのは、黒曜丸にとって初めてであった。

 

 このヤマモモの木が人であれば、腕を無くした自分どころのケガではあるまい。

 なのにこの木からは、今を生きて明日に繋げる、生命の流動しか感じられない。

 おそらく、自分も余計な雑念にとらわれていなければ、傷口を塞ぎ癒そうとする、己れの肉体の生への欲求に、もっと早く気づけていたのかもしれない。

 

「やっぱり、俺は弱かったんだな…」

 

 そう言うと、黒曜丸は清泉を見て笑いかけた。

 目には生気が戻り、痩せて頬はこけてはいるが、元来、美しい顔立ちの黒曜丸である、清泉は思わず見とれてしまった。


「今までちゃんとした礼も言えず、すまん!俺みたいな馬鹿を見放さずに、ここまで回復させてくれて、本当にありがとう!」

 黒曜丸は、身体を直角近くまで折って、清泉に深々と頭を下げた。

 黒曜丸がこの屋敷に来て初めて聞く、張りのあるよく通る声で礼を言われて、清泉は何か答えなくてはと思ったが、言葉に詰まり、喜びの感情は涙となって溢れ出た。

 

「あ…ホントすまん、泣くほど辛かったんだな、許してくれ…」

 と、まるで見当違いな謝罪をする、ちゃんと感情が見える黒曜丸に、清泉の嬉し涙はさらに溢れ、しばらく止まらなかった。

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