15湯目 フィオのことわざ講座?

 普通自動二輪免許取得への試練は続いていた。


 7月に入り、ようやく少しずつ、400ccのバイクにも慣れてきていたが、それでも私はまだ一本橋で転落し、S字やクランクで転倒し、スラロームで秒数を稼げずにいた。


 自分のバイクへの適性に違和感というか、疑問を感じながらも、私は教習を受け続けた。


 その間、少しでも父に恩返しをしようと、アルバイトも入れていたため、自然と温泉ツーリング同好会の部室に行く機会も減っていた。


 フィオに会えないのが、少しばかり寂しいと感じ始めていた頃。


 7月の下旬。もうすぐ夏休みに入ろうとする頃。

 早く免許を取らないと、夏休みに入ってしまい、せっかくの長期休暇に出かけられなくなるという危機感を私は抱いていた。


 そして、その「焦り」が返って己の道を誤ることになり、しょっちゅう教習で失敗しては、教官に呆れられていた。


 さすがに、ヘコみ始めたある日の教習後。


 教習を終えて、とぼとぼと自動車学校の建物に帰ろうと歩いていると、一際目立つ、金髪の美少女の姿が目に入った。


 その日は、平日だったため、学校帰りの制服姿だった。


「瑠美!」

 もちろん、その笑顔の天使は、フィオだった。


 満面の笑みで手を振っている。相変わらず、いつでも明るくて可愛い彼女が少し羨ましい。


「フィオ。どうしたの?」

「ん。最近、瑠美が部室に来ないから、寂しくてネ。こっちから来ちゃった」

 屈託のない笑顔で、微笑む彼女は、その言動も相まって、まさに「生きる天使」そのものだった。


 ましてや、このアイドルみたいな容姿に、鮮やかなブロンドヘアー、抜群のスタイルだ。


 自然と、彼女は注目の的になっており、すれ違う男子がいずれも振り返る。


「それで。何か話があるの?」

 彼女を大勢の人の目にはつきにくい、建物の外にあるベンチに招いた。これは少しでも彼女を独占したいという、私のささやかな欲望かもしれない。


「それは、ワタシが言う言葉ネ。どうしたの、瑠美? 元気ないヨ?」

 そんな些細な仕草や、心の機微、親切心が嬉しかった。フィオはいつでも明るくて、前向きで、優しい。

 年は1個上だが、もう長年の友達のように思えてくるから、不思議だ。


「うーん。まあ、教習が上手くいかなくて」

「そうだと思ったヨ。でも、Nonノン tiティ preoccupareプレオックパーレ!」

 そのセリフは、確か石和温泉に行った時にも聞いた気がするが、イタリア語で「大丈夫」という意味だったと思い出す。


「フィオは、前向きだね」

「そうかな。でも、人生、大抵のことは何とかなるもんだヨ。ほら、日本語でも言うでしょ。『慣れてしまえば、習うことない』だっけ?」

 微妙にことわざを間違えてるのが、フィオらしくて、私は自然と笑みがこぼれていた。


「それを言うなら、『習うより慣れよ』ね」

「そう、それ!」

 そんな私に対し、フィオはいつものような柔らかな笑顔で、


「一本橋も、S字も、クランクも、スラロームも、キューセイドーも大したことないヨ」

 そう笑い飛ばすように明るい笑顔を見せていた。急制動だけ、微妙な発音なのが、かえって可愛らしい。


 ふと私は、彼女の原動力について、聞いてみたくなった。

「フィオは、二輪免許は日本で取ったの?」

「そうだヨ」


「へえ。すごいね。難しくなかったの? 大体、日本って、変なところで細かいでしょ」

 それは常々、私自身が感じていた感情で、日本人は世界的に見ても、「細かい」民族だと思う。

 その細かさが、時としては味方になるが、敵にもなる。


 しかし、フィオは、相変わらず「ブレなかった」のだ。


Nonノン c'eチェ` problemaプロブレーマ! 全然、大丈夫だったよ」

 また新たなイタリア語が出てきた。しかも、以前とは違う「大丈夫」のニュアンスらしい。イタリア語は奥が深い。


「へえ。苦労しなかったの?」

「全然」


「フィオは、きっとバイクの才能があるんだよ。私にはないな」

 そう、思わず呟いていると、私のおでこに、小さくて可愛らしい指が迫ってきて、少しだけ弾かれていた。いわゆる「デコピン」だが、優しいフィオらしく、手加減した可愛らしいものだったから、痛くはなかった。


「No。瑠美は考えすぎヨ。バイクに才能なんて必要ないネ。『ワタシはバイクに乗りたい!』って気持ちさえあれば、誰だって乗れるヨ。瑠美にはないの? そんな気持ち」

 言われてみて、改めて思った。


 私は、そもそも何故バイクに乗りたいのか、と。

 最初は、それこそ「先輩たちに気を遣うから」という理由だった気がする。だが、それはある意味、「後ろ向き」の理由だ。

 能動的な理由ではない。


 では、何故わざわざ苦労をして、バイクの免許を取りたいのか。


 思い直して、ようやく気付いていた。

 目の前の美少女と、一緒にツーリングがしたい、と。


 そう。温泉ツーリング同好会に入ることになったのも、フィオがきっかけだったが、免許を取りたいと思ったのも、フィオがきっかけだったのだ。


 彼女の底抜けの明るさが、私に与えた影響は計り知れない。


「あるよ」

「どんな理由?」


 改めて聞かれると、言葉にするのは、非常に恥ずかしい。

 だが、きっと私は、彼女と出逢うべき運命で、出逢ったことで変わったんだ、と思うと、告げたいと思った。なけなしの勇気を振り絞る。


「フィオと一緒にツーリングに行きたいから」

 その瞬間、イタリア産の天使は、ふんわりと甘い匂いを纏いながら、ゆっくりと両腕を伸ばし、私に抱き着いてきた。


 周囲の人間が注目するから、恥ずかしかったが、これはこれで悪くはない気分だ。


「嬉しいネ。ワタシも、瑠美と一緒にツーリング行きたいネ」

「うん」


「だったら、簡単なことだヨ。ツラい試練の先には、必ず明るいバイクの世界が広がってるんだから」

「そうだね。ありがとう」


Pregoプレーゴ

 それは、イタリア語で「どういたしまして」という意味だと、私はすでに覚えていた。


 フィオの応援は、私にとって、何よりも嬉しい出来事だった。

 教習は、さらに続く。

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