8湯目 フィオと琴葉

 風呂上り後。


 私は先輩たち3人と、野外にある店で、温泉揚げ卵、という揚げ物を買ってそれを食す。


「美味しいですね!」

 その揚げ物は、温泉卵を揚げており、中に入った半熟卵が、薄い衣で包まれており、想像以上に美味だった。


「だろう? これがここの名物だ」

 と、まどか先輩は、得意げに言っていたが、食べ終えると、


「じゃあ、あたしは先に向かってるから」

 とだけ言い残して、右手を上げて、さっさと立ち去ってしまった。


「まどか先輩。どこに行くんですか?」

 その背に問うと、代わりに琴葉先輩が横から答えてくれた。


「あそこにある休憩所よ」

 彼女が指さした先には、プレハブ小屋のような建物があり、中で横になれるような場所らしい。


「あの子は、子供だからね。お風呂入って、食べたら、すぐ寝るの」

「あはは。まあ、気持ちはわかりますよ」


「じゃあ、ワタシたちも行こうよ! 瑠美、さっきの話、してあげる」

 今度は、フィオに腕を取られ、私は食べかけなのに、強引に連れていかれそうになる。


「ちょっと待って、フィオ」

「いいから」

 そんな私たちを、琴葉先輩は、優しそうな瞳で見守っているように見えた。


 結局、休憩所の建物に、フィオと共に入ると、そこには多くの人が横になっていた。

 木で組まれた、ログハウス風の建物で、床も落ち着いた木目で統一されている。

 軽く20畳はある、大広間で、そこの隅の方で、すでにまどか先輩が、座布団の上で可愛らしい寝息を立てて、眠っていた。


 私は、フィオに連れられてきたが、嬉々として語りそうな彼女に、

「フィオ。みんな寝てるから、小さな声でね」

 と子供に注意する親のような気持ちで、告げていた。


 フィオは、可愛いらしく、コクコクと頷いて語ってくれた。

 それがなかなか興味深い話だった。


 イタリアは、日本と同じく火山大国で、古代ローマの時代から「温泉」に入る文化が根付いているという。

 フィオが生まれたのは、イタリアの中部、ウンブリア州ペルージャという小さな街で、そこはイタリアでも唯一の「内陸州」だという。


 つまり、イタリアの他の州と違って、海に面していない。そういう意味では、この山梨県が海に面していない「内陸県」なのと似ている。


 イタリア語で、温泉は「Termeテルメ」。

 中でも、


Terme di Saturniaテルメ・ディ・サトゥルニアがいいネ」

 フィオが嬉々として、オススメしていたのが、その場所。もちろん私は知らない名前だ。


「どんな場所?」

「古代ローマ時代からある、歴史ある名湯ネ。しかも、五つ星ホテルがあるスパやサウナもあってネ。自然もあるし、サイコーに綺麗ヨ」


「フィオは何歳までイタリアにいたの?」

「えーと。10歳くらいだったかな」

 つまり小学校4年生くらいまで。それから日本に来て、日本語を学んだのか、元々、日本人の母から学んだのかはわからないが。それでもフィオの日本語は、割と上手だと思うのだった。若干、発音が怪しい部分はあるが。

 だんだん、フィオ自身に興味が出てきた。


 ちなみに、この時、琴葉先輩は、私たちの近くで横になって、暇そうに携帯をいじっていた。


「ご両親は何をしてる人?」

「パパはCucinareクチナーレ、料理する人ネ。ママは今、学校の先生してるネ。パパは、イタリアにballerinoバレリーノ、えーとダンスの修行に来た、ママにColpo di fulmineコルポ・ディ・フルミネしたんだって」


「コルポ……、何、それ?」

「えーと。ヒトメボレかな」


「おお。一目惚れ。さすがイタリア人。情熱的だね」

「そうネ。イタリアの男性は、女の人を口説き落とせて、一人前って言われるからネ。Timidoティミード、シャイで大人しい日本の男性、ワタシは好きじゃないヨ」

 そう告げているフィオの横顔は、映画の女優のように美しい。


 日本の男性諸君は、積極的にならないと、フィオを落とすことが出来ないだろうな、と妙に同情してしまった。


「お父さんは、今何やってるの?」

「パパは、日本でイタリア料理店開いてるヨ」


「えっ、どこで?」

「甲州市だヨ」


「マジで。めっちゃ地元じゃん。今度、行っていい?」

「モチロン! ワタシたち、もうamicoアミーコ、友達ネ。いつでもいいヨ。歓迎する」


「ありがとう」

Pregoプレーゴ! Amore e odioネ!」

 それは、確か逢った時にも言っていたフレーズだったから、覚えていた。「切っても切れない関係」だったと思い出す。プレーゴは、予想すると「どういたしまして」くらいだろう。


 相変わらずのラテン系のイタリアのノリで、たまにイタリア語が混じるが、フィオは本当に天真爛漫で、可愛らしいところがある、純粋ないい子だと思い直した。

 自然と、もっと、彼女のことを知りたくなっていた。


「ねえ。フィオリーナって、どういう意味?」

fioreフィオーレderivatoデリヴァート、えーとハセイ語ネ」


「ああ、派生語。fioreって?」

「日本語で言うと、『花』ネ」


「おお、花。じゃあ、日本人的に言うと『花ちゃん』だ。可愛らしい名前だね」

Grazieグラーツィエ!」

 さすがにそれが「ありがとう」という意味なのは知っていた。

 その眩しいばかりの笑顔が、幼い子供のように可愛らしい。愛想がよくて、いつでもニコニコしていて、それで「得」をしているのが、彼女だ。

 ただでさえ、可愛いのに、この笑顔は反則的だ。まさに「笑う門には福来る」状態。こんな彼女を嫌いになる人は、そうそういないだろう。


 ところが。

「先輩は何やってるんですか?」

 ふと気になって、近くにいた琴葉先輩の方に近づくと。


 その時、横になっていた、琴葉先輩が手に持つ携帯の画面が少しだけ見えてしまった。

 そこに踊っていたのは、あまりにも「不吉な」文字だった。


「ウザい」

「カス」

「クズ」


 などなど。

 およそ、温厚な琴葉先輩と同一人物とは思えない、相手を呪い殺すかのような文字が、SNS上で踊っており、しかもそれ自体を琴葉先輩が「打った」のは明らかだった。


「えっ」

 さすがに引いてしまう私を見て、彼女は、

「みーたわーね」

 まるで、幽霊のように、暗い瞳で私を睨んだ。


 それが心底怖かったので、私は思わずフィオの後ろに隠れていた。

 しかし、琴葉先輩は、


「冗談よ」

 と言って、笑ってはいたが、目は笑っていなかった。


(ヤバい。この人、怒らせるとマジでヤバいかも)

 そう思っていると、


「瑠美。琴葉は、絶対怒らせちゃダメヨ」

 フィオが小声で囁いた。

 どうやら、彼女も経験があるらしい。私と同じようなことを考えていた。


 一見、一番優しそうに見える琴葉先輩が、この中では一番怖い気がした。彼女を怒らせてはならない、と私の中の何かが、警鐘を鳴らしていた。


 フィオの家族構成、性格などを知るきっかけになったが、同時に、一見優しそうな琴葉先輩の「闇」の部分を垣間見てしまうのだった。


 こうして、私にとって「初めて」の温泉ツーリングは終わりを告げた。

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