第41話夏休み中に講義の話
休日の朝は、遅い。
ある程度生活リズムを整えている俺だって、休みの日はゆっくりと寝ていたい。
だというのに、起きてすぐに気づいたメールのせいで、少しばかりの準備を強いられていた。
「ぬ……。ん? ……なんじゃ」
朝からドタバタ、というほどではないにせよいつもと違うことをしていれば妖狐と言えど気になるようで。
いつも通りよりは少し早い時間に目を覚ましたハクは、いつもと違う様子の俺に違和感を覚えながらも、寝ぼけた頭では何も考えつかずにひたすら首をかしげている。
くたり、と尻尾も同じように半ばで折れていたり、耳が片方だけあらぬ方向を向いていたり、あまりに可愛すぎる姿に一生見ていたい気持ちになるが、朝の時間は有限である。
顔を洗うように促せば、フラフラとした足取りで洗面台に向かったのち、水音が聞こえてくる。
「……はふ。して、どうしたのじゃ? パソコンなぞ準備して」
さっぱりとした様子でもう一度出てきたころには平常運転のハクに戻っていた。
「集中講のメールが来てね。オンラインで受けろって」
「しゅうちゅうこう、じゃと?」
「そうそう、集中講義。動画見るだけでいいはずだったんだけど。なんか急に授業が入ってきちゃった」
「夏休みにも授業か、勤勉じゃな」
「必修なんだよねぇ……」
別に夏休み中に授業しなければならないわけではないが、こっちの方が労力が少ないのでこういう形になっている。
なっていたのだが。
「何時からじゃ?」
「10時半くらい」
「急じゃなぁ」
「参加できない場合は、後で動画見てレポート提出。だって」
「夏休みなのにか」
「夏休みなのに、だねぇ」
こういった価値観において、ハクは想像以上に現代的で、若者的な意見を出してくれるので、つい一緒になって愚痴ってしまう。
愚痴ばかりを言ってもしょうがないとため息をつくものの、さすがにやる気は出ない。
「むぐ。始まったか」
昨日のあまりものをまとめた朝ご飯をハクが食べ終えるころに、授業が始まった。
俺は先に食べていたので、一人での食事になってしまったのは申し訳ないが、平日であればいつものことだと思いなおす。
スピーカーから授業の音声が流れ、ハクが耳を動かして反応している。
イヤホンで受けるとハクの声を聞き逃す可能性があるのでこうしているが、授業中に話しかけてきたことはいまのところない。
『急な授業ですみません。この間の学会で急に……』
授業初めの出席確認が済み、次々とカメラをオフにする生徒たち。
俺もそれに乗じてカメラをオフにして、楽な姿勢を取る。
「なんじゃ、いつもよりラフじゃのう」
「さすがにねぇ。やる気が、ねぇ……」
だらけた俺の様子を見かねてか、食器を洗い終えたハクがふっと笑う。
今日は何の予定もない日で、のんびりとハクと寝ているつもりだったこともあり、喪失感が大きいのだ。
じっとハクを見つめれば、何かを察したらしく目を細めて近付いてくる。
「授業はよいのか?」
「聞いてはいる」
隣に座るハクを目で追っていると、あきれたような声音で問われてしまった。
ごまかすような俺の回答に余計に目を細めるハクだが、俺としては先に見ていた動画と大きな違いがないので、ただ聞いているのも退屈なのだ。
むしろ、ハクは興味があるようで、パソコンの画面に映し出された講義の内容をちらちらと覗き見ている。
「面白い?」
「聞いたことのない単語ばかりじゃな。新鮮ではあるが、理解はできとらん」
「まあ、それなりに分かってる人向けだからね。……んー、じゃあ俺が解説しようか」
「おぬしの退屈しのぎになるのであれば、お願いしようかの」
さすがに三年向けの内容を初見で理解はできないだろうし、俺も暇なので解説役は願ったりというやつだ。
なにより、人に教えるのは非常に勉強になるので、一石二鳥だ。
「これは、どういう意味じゃ」
「えっと、こっちの参考書がわかりやすいかな。こっちを先に覚えないとダメなんだ」
「なるほど、事前知識がいるやつじゃな。む、こっちはなんじゃ」
「あ、そっか、それもか。これはね……」
講義の合間にハクの質問に答えていく。
なんだかんだで専門の知識が増えていたんだなぁ、と自分の成長を感じるとともに、基礎的な知識を説明することの難しさを感じつつ。
とはいえ、ハクはそれなりに理解力が高いのでそう苦労はしなかった。
「おぬしの説明が上手じゃからじゃよ」
ハクを褒めようと思ったら褒め返された。
下手に謙遜するとそのまま褒め殺しの体制に入るので、話題をそらすことにする。
「それにしても、ハクも結構勤勉だよね」
「そうかのう? 新しいことを知るのは好きじゃが……。特にこれは、おぬしに関係することじゃからな」
ふわり、と糸がほどけるようなかすかな笑顔を浮かべて、ハクがつぶやく。
すぐ隣から聞こえる声を聞き逃すほど耳が悪ければ平然とできたのだが、ばっちり聞いてしまったので顔を赤くしながら黙ることしかできない。
言った後で恥ずかしくなったのか、ハクもうっすらと頬を染めて黙ってしまう。
こちらが静かになっている間に、画面の向こうの講義は締めの挨拶に入っている。
「あ、えっと。ハク、どいてて」
「う、うむ」
最後の確認のためにカメラオンを求められたので、ハクには画角から出てもらう。
対面に座りなおしたハクの顔を見ないように画面だけを注視して、何とか乗り切る。
いつも通りに一言程度の感想を送り、今日やることは終わりである。
つまりは、念願のハクとのイチャイチャタイムなのだが。
「昼ごはん、作るね」
「うむ、晩は任せよ」
どこか気まずい空気を漂わせながら、キッチンに逃げる。
別に、ああいう発言は何度かあったし、俺だってそこまで初心じゃない、ハクにとってもなんて事のないジャブ程度のものだ。
じゃあなんでこんなに心が乱されているのかというと、だ。
距離が近かった、の一言である。
「なんであんな無防備な……。寝ぼけてたのかなぁ」
俺の都合もあって、程よい距離を置いてくれることの多いハクが、今日にかぎって手が触れ合いそうな距離で居たのだ。
おかげさまで、ハクの笑顔とのろけを至近距離で食らうことになった俺は、跳ねる心臓をどうにもできず、そんな俺の様子を見たハクもいつも通りに過ごせなかったというわけだ。
お湯を沸かしながら、ほてった顔を冷ます。
何ともちぐはぐな状況に、つい笑みがこぼれる。
ハクと恋人になって数週間、意外と順応が早いものだと、嬉しく思うのは仕方ないだろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます