第32話お誘いが来た話

 とっぷりと夜も深まり、町の灯も消え、暗闇におおわれるような時間。

 食器洗いを済ませ、順番に風呂に入り、ゆったりと寝るまでの時間を二人で過ごしていたところに、何とも特徴的な、メッセージアプリの着信音が割り入った。

 隣で座っていたハクが耳を立て、首をかしげる。


「珍しいのう、誰からじゃ?」


「ええっと、あぁ……。誰と言われれば、知り合いだけども……」


 特に気になる、というよりかは、思わず聞いたというほうが正しいであろうほど感情を伴わない問いかけに、どう答えるべきか迷う。

 そんな俺の反応に興味をひかれたのか、するりと俺の腕の中に頭を突っ込んでくるハクに携帯の画面を見せる。


「ふむ? のぞみ……かの?」


「うん、そう。一条イチジョウノゾミっていうんだけど……。なんと説明すればいいやら」


 画面に映った名前を読み上げ、俺に向き直るハクに、その通りだとうなずく。

 いくつか説明するための言葉が思い浮かぶが、どれも適当ではない気がするし、あるいは当てはまっている気がするといったところ。

 複雑というほど親密な関係ではないのは確実なのだが、かといって一言で済むほど簡単な関係でもない。

 うーん、とうなっている俺を見て、ハクが少しばかり尻尾を揺らしニヤリと笑う。


「女じゃな」


「そうだね。ついでに言うと、友人の恋人だよ」


 からかいの混じったハクの言葉に、特に動じることなく返答する。

 アレに対して恋愛感情を抱くことは天地がひっくり返ってもありえないと思っているし、あちらも同じように返答するだろう。ついでに友人から睨まれる。

 欠片も甘い感情が混ざっていないことはハクにも伝わり、なんともつまらなそうに尻尾の先を俺の頬に寄せてくる。


「……ハク?」


「むぅ。なんじゃ、そやつに返信せんでよいのか?」


 ……無意識、なのだろうか。

 すねた様子を押し隠しているのは、いつも通りとして。

 まるでかまってほしい時の猫のように尻尾が首筋に擦りつけられているのは、いつも通りではない。

 妖狐にとって尻尾は非常に重要で、繊細な部分であり、無遠慮に触った日には腕ごと落ちてもおかしくない。と、ハクの友人であるカンナからも教わっている。


「ねえ、ハク」


「何か用か?」


 わずかに機嫌を上向けたハクが、耳をピンと立てる。


「尻尾、触ってもいい?」


「……は! なぬ……?」


 ビクン、と跳ねさせた尻尾が俺の後頭部をしたたかに叩く。

 一瞬赤くなり、困惑に固まり、愕然として口を開き、焦燥にまた赤くなる。

 ハクの百面相を眺めつつ、どうするのが正解か考えてみる。


「いや、ちがうのじゃ。これは、そうそう、おぬしが考え込んでおるようじゃから、少し落ち着けてやろうと思うてな……」


「……あ、なるほど。落ち着ければいいのか」


 ハクの言い訳を聞いて、ピンときた。

 もちろん、俺はハクと触れ合えば落ち着くのだが、もしかしたら、ハクもまたそうではないだろうか。

 そんな思い付きを実行に移すべく、隣に座っていたハクをひょいと抱き上げてみる。


「ぬおわぁあ!?」


「え、軽っ!」


 悲鳴を上げているハクをそっちのけに、その軽さに驚く。

 筋トレも多少はしているが、そんなことは関係なしにめちゃくちゃ軽い。

 そのうえ、何とも言えないほど手に収まる、馴染む。

 お気に入りのぬいぐるみを手にしたとき、こんな気分なのだろうか。

 思わずそのまま膝の上にのせて、腕の中に収めてしまった。


「あわわわ……」


「すごい。このフィット感、まさに神。神的に落ち着く」


 いっそこの素晴らしさを誰かに大々的に吹聴して回りたい。

 いや、やっぱこの心地よさを知っているのは俺だけでいいな、やめやめ。

 目を回し始めたハクと、反比例するかのように心地よさにゆったりと浸る俺。


「おぬしー! こういうのはダメなんじゃろー!」


「意識しなければいけるんだよねぇ。意識したら……、うん。トイレ行ってくるね」


 珍しく取り乱しきったハクの叫びに、少しだけ正気に戻る。

 正気に戻った代償は重く、やっぱり軽いハクを優しく隣に置きなおして、のそのそとトイレに向かうことになった。

 とりあえず一通り、晩御飯をトイレに流すことで何とか落ち着き、すこしふらつきながらもリビングに戻る。


「なにか……、すまぬ」


「ううん、俺もだいぶ悪かったし……」


 落ち着いて考えてみると、すさまじいことしてたな。

 考えるとまたトイレに向かわなくてはならないので、可及的速やかに記憶から抹消するべきなのだが、同時にあの至上の心地よさを忘れることへの拒否感がある。

 まさに二律背反、どうしたものかと発作を起こさない程度に頭をひねってみる。


「それで、望とやらからのメッセージはよいのか?」


 先ほどの騒動とは裏腹に、随分と安定した様子のハクが話題を変えてくれた。

 そういえば、そんな話からだった。

 望との関係について説明するのが難しいと思っていたら、ハクがすねてしまった訳だが、よく考えてみるとメッセージを確認していない。

 どうせメッセージで送るものなど緊急の用事ではないので後回しでいいのだが。

 ハクの提案を拒否する理由もないので、さらりと目を通す。


「ああ、そういうこと」


「ふーむ、どういうことじゃ?」


 メッセージに書かれていたのは、日時と場所。

 それ以外には何も書かれていない、簡素を通り越して無味に近い内容である。

 まあ、アレをよく知る身としては何の驚きもない、当たり前の文面であるが、ハクは知らないのでよく分からないだろう。

 ついでに言うと、俺とアレの関係で一番わかりやすいものを忘れていた。


「つまりは、バイトのお誘いだね。雇用主であり、友人の恋人であり、ごく一部において理解者であるわけだけど」


「バイト、とな。金には困っておらぬと思っておったが。……いや、その様子じゃと同じ大学生のはずじゃな、どういうことじゃ?」


 いぶかし気に推論を述べるハクに、これは長くなるな、と少し苦笑する。

 一番簡単に、望のことを説明するならこう伝えるのが一番いいだろう。


「ただ、マッドサイエンティストの作ったおかしな薬を飲んで、その感想を言うだけのお仕事だよ」

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