第16話やる気を出すための秘策の話


「課題が終わらぬ」


「どうしたのじゃ? 口調がおかしいのう」


 そりゃあ、口調もおかしくなるというもので。

 学生の特権、夏休みも近いというのに、期末レポートが全然終わらないのである。


「最近、のんびりしておったからかの?」


「そこまで無計画じゃないよ。ただ、ちょっとタイミングがね……」


 確かにハクとの日々をゆったり過ごしていたのは事実だし、影響が全くないと言えば嘘だが。

 それ以上に課題を出されるタイミングがひどかった。


「レポート課題の発表が、全部提出の一週間前はしんどすぎる」


 ついグチってしまうくらいには追い詰められている現状である。

 レポート課題自体は苦手じゃないのだが、ここ二日ほどレポートにかかりっぱなしでハクとの交流が減っているのが一番しんどい。

 しかして、このレポートをサボるわけにはいかない理由もたくさんあるので、泣き言を言いつつもパソコンに向かっているのである。


「とはいえ、あまり根をつめても仕方ないじゃろ。少しは休んだらどうじゃ?」


「ん、ありがと。これももうちょっとで終わるし、これが終わればもう一つだけだから。最後のひと踏ん張りかな」


 ハクの淹れてくれたお茶を飲みつつ、揺れる尻尾を目で追いかける。

 心配そうな目をしているハクには申し訳ないが、こういったことはさっさと終わらせるタイプなので、もうひと踏ん張りは容赦してほしいところだ。

 今期の受講をフルで合格できれば、来期以降の受講数が圧縮できるし、将来のハクとのイチャイチャの為に今は我慢である。

 とはいえ、やはり体は正直なもので、ハクの綺麗な赤い瞳、ゆったりと揺れる尻尾、のんびりとこちらを向いている耳、とじっくりと堪能してしまう。


「……ふむ。では、最後のひと踏ん張りのために、わしが一肌脱ごうかの」


 なにやらハクが意味深に頷くと、ゆったりとした動作で立ち上がった。

 まるで野生動物に警戒心を抱かせないようにする時のような、ゆっくりとした静かな動きで俺の後ろに回り込む。

 いったい何をするつもりなのやら、と思いながら彼女の動きを観察する。


「……気恥ずかしいのう」


 するりと、脇の下からハクの腕が入ってきて、前で繋がれる。

 ……抱きつかれた。ということである。

 混乱した脳内に、さらに追い打ちがかかる。

 もふ、とこの世のものとは思えない極上の肌触りが右の頬を襲ったかと思うと、左の肩にほんのりと赤くなったハクの顔が乗っかる。

 あまりの衝撃に、ヒュ、と変な音が喉から鳴り響き、静寂を彩る。

 俺もハクも何も言えないまま、長い沈黙の時間が流れる。


「……なにか、言わんか」


「え、あっはい。すごく嬉しいです。ハクのあったかさがすごく俺の心の疲れにスゥーっと染み込んでくる感じとか、ハクの真っ赤な顔がすごい近くにあってやっぱりどう見てもかわいいし綺麗だしこんな芸術品をずっと眺めてられることを神に感謝し、いや神じゃなくてハクに――」


「もうよい、もうよい! えぇい、分かっておったとはいえ、そこまで饒舌にはなるとは思わなんだわ」


 沈黙に耐えかねた不安げなハクの言葉に、俺の思考回路がすさまじい勢いで回転する。

 少なくとも、俺の言葉を止めたハクには恥ずかしさしかないようで、リンゴもかくやというほど赤くなったハクが口先だけは不満そうにする。

 ぐりぐりと、尻尾を右頬に押し付けてくるあたり、機嫌は過去最高クラスに良いらしい。

 まあ、口元がにやけているのを見れば、誰からしても機嫌がいいのは分かるだろうが。


「……それで、どうしてこんなことを?」


「なんじゃ、不満か?」


「もう一回どころか、百回分くらいハクの良いところをささやいてあげようか?」


「やめよ」


 はぐらかそうとするハクに、独特な脅しを決める俺。

 なぜなら、ハクはどうもささやかれるのに弱いらしく、もともと褒められるのに弱いのも相まって効果が倍増するのである。

 ちなみに、ささやきに弱いのは添い寝のときに偶然知ったことである。

 珍しくハクが身じろぎするものだから目を覚ましたら、顔を真っ赤にしてぐったりしたハクが居たのだから、今と同じくらい混乱したのは言うまでもない。

 そんな感じなので、当然ハクに対する脅しとしては最上級である。

 なかなか聞けないマジな声で拒否されつつも、ハクを見つめて逃がさないという意思を伝える。

 もぞ、とハクが居心地悪そうに身じろぎすると、そのつつましすぎる起伏が……実を言うと全く感じないのだけども。

 もともとほぼ平坦なうえ、着物の上から柔らかさを感じるのはさすがに無理だ。

 とはいえ、そういった想像を掻き立てられるのも事実。

 俺がそういったことが苦手なのも相まって、ハクが過度なスキンシップをしてくることはこれまでなかったわけで、何かあったのかと勘ぐってしまうのも仕方のないことである。

 長々と考えるほどに、ハクがもぞもぞと動いたり、目を泳がせたり、尻尾で頬を撫でたりと、喋りたくなさそうに時間稼ぎをしている。

 それでも全く離れようとしないあたり、この体勢をだいぶ気に入ってしまったらしいが。


「……わしも、何か返したいのじゃよ」


 そんな感じで、随分と長い間抵抗していたものの、俺が諦める気がさらさらないと察したらしく、ついに白旗を上げた。

 なるほど、真面目なハクとしては仕方のない考えだろう。


「それで、なんでこんなことを?」


「……じゃから――」


「それ以外にも、あるでしょ。これ以上は聞かないけど、俺はそれで誤魔化されるほど甘くないってこと。……言えることなら、いつでも言ってね」


 むぐ、と言葉を詰まらせるハクの手を、そっと握る。

 俺がハクのことを分からないと思ったら、大間違いだ。

 聞きはしない、ハクの望まないことをさせるくらいなら、死んだほうがましだ。

 だからといって、ハクに流されるままの男ではなく、頼りになる男でいたい。

 とりあえずはそれさえ伝えられたら、今は良いだろう。


「むぅ……。ちょっと生意気じゃのう」


 多少ニヤけつつ、不満そうな口ぶりを維持するハク。

 相変わらず尻尾は押し付けてくるし、腕はだいぶ力が入っているし、耳は俺の頭に当たるほど暴れているし、過去最高の上機嫌はこの短期間で更新されてしまったらしい。

 真意を聞き出せなかったのは多少気になるものの、ハクの喜びようからするにそこまで深刻なもではないらしいし、ハクが喜んでいることに勝るものは無いので別にいいだろう。


「……あ」


「ん、どうしたんじゃ?」


「レポートやんなきゃ……」


「……もうすぐ晩御飯じゃが」


 ハクの追求に時間を使いすぎたこともあって、これ以上レポートを進めることはできなさそうだ。

 ……これは本末転倒というやつなのでは。


 なお、翌日の進捗はそれまでと比較にならなかったので、何も問題はありませんでした。

 問題と言えば、時折ハクがスキンシップを図るようになったことぐらいです。

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