第5話スイーツを食べる話


 非常に、非常に悪いことをしたと、思っている。


 いくら謝っても謝り足りないし、この罪を償うためならば、何でもしよう。


 そんな思いを込めて、床に膝をつき、頭を垂れる。


「本当に、申し訳ございませんでした」


「いや、何のことじゃ」


 厳かに土下座をかます俺に対し、特に気にした風も無い声で答えるハク。

 その手には、どこかから買ってきたコンビニスイーツ。

 もちろんのこと、俺が用意したものではなく、ハクが自主的に購入したものである。

 お判りいただけただろうか。実は、ハクは甘いものが好きだったのである。


「確かに、甘いものは好きじゃが。まず、恩返しの相手からおごられることを考えるわけがなかろうが」


「それはそうかもしれないけどさ。俺の心配りが足りなかったことに関しては謝罪のしようも無く……」


 女性だけでなく、人類というものは甘いものが好きな者が多数である。

 仕事終わりのご褒美に、ちょっとした贅沢に、日々の色どりに。

 スイーツというものは、さまざまに人類の生活に貢献しているのだ。


 それにもかかわらず、俺はここ一週間ほど晩御飯を作ってくれているハクに対して、何の謝礼もせずに……。

 いや、思いつきすらしていなかったのである。


「そうは言うてものう……。おぬしはあまりスイーツを食べんではないか」


「あ、それは単純に我慢しているだけだから。甘いもの好きだから、多少我慢してないと食べ過ぎちゃうんだ」


「ぬ? なんじゃ、それは良かった。ほれ、もう一つ買ってきたから、おぬしも食べるとよい。最近は食べておらんじゃろ?」


 実のところ、好きな食べ物にチーズケーキとみたらし団子をあげるくらいには甘いものが好きなのだが、あまり食べすぎるのも良くないと我慢しているのだ。

 それのせいで、ハクは俺が甘いものが好きではないと勘違いしていたらしい。

 それを聞いたハクは、ガサゴソとビニール袋を漁ると、もう一つスイーツを取り出した。

 一人で食べるつもりだったのか、俺に渡すつもりだったのかは、ハクの表情を見ればなんとなくわかる。ついでに言うと、パタパタしている尻尾でもわかる。


 そう嬉しそうにされると受け取りたくなってしまうが。


「さすがにハクから貰うわけには」


「気にするな。わしだけ食べておるのも、気が引けるゆえ。わしを助けると思え」


 へにょ、と耳を倒しながら微笑みかけられれば、俺は何も言えなくなる。

 丁重に両手で受け取れば、カスタードとホイップのシュークリームだった。

 安めだけれども美味しい、コンビニスイーツの王道と言ってもいい。

 実にハクらしい、素朴ながらも堅実な、いいチョイスだ。

 薄い包装を手で開き、ハクが見つめる中で一口いただく。


「うん、美味しい」


「ふふ、それは良かったのじゃ。しかし、おぬしも甘いもの好きならば、わしが何か菓子を作っても良いやもしれんな」


 ほほえましそうに、俺がシュークリームをほおばる様子を見ながらハクがそんなことを言い出した。

 ハクの料理はとてもおいしいが、それはこれまで積み上げてきた経験と、日々の勉強のおかげであると知っている。

 もしやすると、また勉強をするつもりだろうかと眉をあげる。


「ハクって、お菓子も作れるの?」


「それほど本格的なものはできんがな。それに……、何でもないのじゃ」


 尻尾をくるんと曲げながら、気になる言い方をされた。

 何かしらの不満があるときの口ごもり方だ。

 シュークリームを食べるのを置いて、じっとハクを見つめる。

 普通に追求してものらりくらりと避けられるので、本当に聞きたいことはこうするに限るのである。


 正確にはハクと話していると疑問を忘れてしまうので会話を中断せざるを得ないという、俺の問題なのだが。

 この手法を何度も繰り返しているせいか、ハクも俺の言いたいことを察して、仕方ないのうと言わんばかりに息を吐く。


「……まあ、なんじゃ。本格的な道具が無いじゃろ?」


「あー、確かに」


 男の一人暮らしに、お菓子作りに使えるような器具があるはずもなく。

 はかり、泡だて器、ふるい、ゴムベラ、型抜き……などなど。

 簡単なものならともかく、本格的なものを作ろうとなれば、そういった器具が無いというのは致命的だろう。


「しかし、お菓子作りの為だけに買うものでもないじゃろ。わしとて、そのような器具があっても困る」


 口ごもったのはそういった事情があったらしい。

 確かに、ハクの手作りお菓子の為に本格的な器具をそろえるのも考えはしたが。


「ハクの手作りお菓子の為なら……と言いたいところだけども。ハクを頑張らせるのは本意じゃないしなぁ」


 料理の一件を考えるに、本格的な器具を買ってきた場合、勉強して本格的なお菓子を作り始めるだろうことは容易に想像できる。

 そうでなくとも、お菓子作りは大変だと聞く。

 ハクにはのんびりと日々を過ごしていてほしいのに、俺が仕事を増やすようなことをするのは本末転倒である。


「たまには、良いかもしれんがのう」


「んー、そういうときはちゃんとしたお店で買えばいいかなって」


「ほう、その口ぶりじゃと、どこか心当たりがあるようじゃな?」


「うん、大学で話題になってるお菓子屋さんが近所にあるんだ。最近できたらしいんだけど、すごく良いところだって」


 ほう、と嬉しそうに顔をほころばせて、耳をピコピコと動かす。


 ちょっと小耳にはさんだ程度なので、どんなお菓子が売っているかとかは分からないが、話題になる程度には美味しいのだろう。


「おぬしは良いのか? 食べ過ぎてはいかんのじゃろ?」


「それは大丈夫。甘いものばっかり食べると体に悪いから、ちょっと気を付けてるだけだし。栄養分を細かく数えてるわけでもないから、実のところフリだけだよ」


「なるほど、フリであろうとも、気を付けるのは良いことじゃ。体は大切にせんといかん」


 俺の爺くさい理由を聞いて、ハクはニコニコとしながら、お母さんみたいなことを言い始めた。

 同い年の大学生相手に言うと、まだ若いのに、というようなことを言われるばかりなので、年の功を感じる反応だ。

 俺よりも若そうな見た目のハクにそんなことを言われると、なんだか不思議な気分になるが、同時に俺の体を心配されていることに嬉しさも感じる。

 ハクとの同居も3週間だが、毎日心がぽかぽかすることばかりで、やっぱりこれを恩返しに選んだのは正解だったと胸を張って言える。


「食べたいのか?」


「へ?」


 だらしなく頬を緩めながら見つめていたせいか、ハクがスプーンをこちらに向けて来た。

 黄色いプリンがハクの持つスプーンの上でプルプルと震えている。

 …………? これは、なんてことだ。


 ハクは何の気も無しに、見つめていたから俺も甘いものが食べたくなったのだと思い、そのスプーンをこちらに向けているのだろう。しかし、その体勢はすなわちあーんというものであり、いわゆる恋人同士のイチャイチャのために使われるシチュエーション……!


 当然のことながらハクとの恋人関係などあるはずもなく、そんな恩返しは一生どころか一瞬であろうとも身に余るほどの喜びなので……っ!


「……ハッ。お菓子屋さんに行くので! 大丈夫です!」


 頭の中がぐるぐると、混乱に見舞われている中で見えた一筋の光。


 よく考えてみると、なんであーんを回避しようとしてるのかは謎だけども。

 とりあえず今は回避できたら何でもいいのだ、という思いのもと、力強く断言する。


「ふむ、それもそうか。では、はよう行くとしよう」


 俺に向けていたプリンを、その小さな口の中に入れる。


 食べ方一つ見ても、楚々としていて可愛らしいな。とあーんを惜しむ気持ちと、ハクを愛でる気持ちがないまぜになりつつ、ハクがスイーツを食べ進める様子を見つめる。


 混乱から脱した余韻があったせいか、気づくのに遅れた。

 あれ……、今の話し方だと今すぐに行くことになってないか?


「うむ。ごちそうさまじゃ。では、ゆくとしようかの」


 プリンを食べきって、ちゃんと手を合わせてごちそうさまをする。


 そのまま間を置かずに、スンっと着物が変わり、耳と尻尾が消える。

 アジサイの花がちりばめられた着物に、薄紫の袴。なんとも梅雨時らしい装いだ。

 さらに言うと、耳と尻尾を隠すのは、俺以外の前に出るときの姿なので。


「……どうかしたのか?」


「あ、いえ。はい。向かいましょう」


 玄関で草履を履きながら、こちらを振り返るハク。

 それを聞いて、俺も急いで出かける準備をする。大学から帰ってきてそのままなので、服装はそのまま、とりあえず財布とスマホだけ持てばいいだろう。

 混乱しつつも、ガスの元栓やらを確認し、出かける準備を秒速で終わらせ、靴を履く。


 なんか、流れのままにお出かけをすることになってしまったのだが。

 大丈夫なのだろうか。主に俺の心臓的な意味で。


 そんな不安を抱えながらも、ワクワクと足取りが弾むのを感じるのだった。

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