のじゃロリ狐娘と過ごす日々は最高だと思いませんか

天河 龍汰楼

第一部

第1話 出会う話

 どうしようかと、途方に暮れる。

 いつも通りの帰り道、雨が降る中で傘をさして歩いていたわけだが。

 そんなわけで、最初は傘のせいかとも思っていたのだが。

 そういうわけでもなさそうなので、余計にどうしようかと途方に暮れてしまう。


 何のことかと言われれば、誰に見向きもされず、道ばたでぐったりと倒れている狐である。

 濡れ鼠ならぬ濡れ狐なわけだが、当然あのままでは命の危険があるだろう。


 しかし、狐は危険である。肉食という生態だけでなく、エキノコックスなどの寄生虫もおり、触れるだけでも気を付けなければならない相手だ。

 よって、誰も触っていないのは正しいことなのだが、それにしたって一瞥もくれないのはなかなかに異常な光景である。


 人が歩くような場所ではないが、見えにくい場所というわけでもない。

 少なからず視界に入るはずなのに、ここ30分の間、誰一人としてピクリとも反応しない。

 傘と雨のせいで視界が悪いせい、というだけでは説明がつかないくらいの無視っぷりだ。


 当然ながら、そんな光景にどう対応すればいいのかなど、考えたことも無いわけで、途方に暮れたまま観察しているわけだが。

 流石に、俺も雨の中で立っているのは限界なので、なにかしら行動をとりたい。


 ……とりあえず、家に持って帰るか。


 どうせ保健所に連絡してもいたずら電話扱いになりそうだし。

 自分が見えているのがどうしてかは分からないが、見えているのにそのままにするというのも寝覚めが悪い。

 白昼夢の類なら家でシャワーを浴びれば消えるだろう。

 などとうだうだ考えつつ、狐をかかえあげる。


 ピクリとも動かず、生きているのかも怪しいほどで、気になって耳を押し当てる。

 トクン、トクン、と心臓の音が聞こえて、一安心すると同時にふと違和感を覚える。

 濡れた毛玉をかかえていたので、着ていた服をべたべたに濡らしながら家へと帰り、違和感が大きくなる。


 ……考えすぎだったのか?


 白昼夢の類ではない、どう見ても、考えても、実在している……はずだ。

 もしヤバかったらどうしよう、病院に連れていくか? いや、白昼夢の可能性も残ってるしなぁ。


 雨の中で小一時間立ちっぱなしだった疲労と、自分を信用できない異常な状態に、正常な判断力は残っていない。

 混乱の極みに居る中で、狐にシャワーを浴びせ、タオルで拭き、ドライヤーで乾かす。


 かつて犬を飼っていた時と同じ感覚で、大体のことはやった。

 心なしか、毛にもツヤが出て、精気が戻った気がする。

 クッションの上に寝かせてやると、すうすうと落ち着いた寝息をたてる。


 とりあえず体温は問題なさそうだし、後は食べ物がいるだろうか。

 スマホで狐のご飯について調べつつ、頭の片隅に放り投げていた思考を引っ張り出す。

 外を見ると、どっぷりと夜の深まった様子の街。


 正直なところ、いまだに疑念は晴れない。

 狐が一体どういう存在なのか、その白い毛並みを撫でながらぼんやりと考える。

 すぐには納得できないが、やはりまともな生き物だとは考えづらい。


 俺以外に見えている様子が無い、というのが俺の勘違いな可能性もまだ残っているが、それ以上に一緒にシャワーを浴びて思ったのが、あまりにも汚れが少ないのだ。

 飼い犬ですら、お湯が濁るほどに汚れがあるのに、野生動物なはずの狐から汚れらしい汚れが出なかったのである。


 よく考えたら、道ばたで倒れているときも泥はついていなかった。

 着ていた服を洗濯カゴから出して確認してみると、びしゃびしゃになってはいるが毛も泥もついていない。


 ……よし、今日は寝よう。

 あまりにも非現実的な状況に、俺は思考を放棄した。


 軽くサバ缶を煮込んで、油を落としてほぐして皿に盛り付け、狐の前にサバを置いておく。

 そして、電気を消し、ベッドに入って目をつぶる。

 色々と気がかりなことが頭の中をぐるぐるとするうちに、うちに俺の意識は暗闇に沈んでいった。




 ***




 というわけで、翌朝になったのだが、自分は寝起きの良い方だと思っている。

 なぜかと言えば、目覚めた瞬間に自分の置かれている状況を直ぐに認識できるからである。

 起きた瞬間に、自分の寝ている場所や今の時間などを一瞬で把握できる、一種の特技だ。


 なのだが、さすがに自分のベッドに狐耳の生えた美少女が寝ている状況に全く覚えがなく、夢かうつつか疑うことになった。

 確かに昨日連れて帰ってきた狐のことはすぐに思い出したし、髪や耳の色も真っ白で見覚えがある。


 だが待ってほしい、起きた瞬間に好みの美少女と同じ布団にくるまっていることを認識したときに、あー昨日助けた狐が美少女化したのかー、なんて考えた日には、俺はだいぶヤバい精神状態だと診断されるべきではないだろうか。


 一日ぶり二度目の混乱の極みに寝起きで叩き込まれ、ごろんと転がり落ちながらベッドから逃げ出す。


「ぅ……んん」


 そっと床に着地すると、隣からぬくもりが消えたことで目を覚ましたのか、美少女の声がする。


 ひえぇ、俺のベッドからすごいかわいい声がするぅ……。


 よく分からない恐怖に震えながら、ゆっくりと立ち上がる。

 布団からチョコンと顔を出した美少女の真っ赤な瞳が、眠たげにこちらを見ている。

 ピシッと固まって、美少女と見つめ合う。


 眠たげな瞳は、とろんと垂れていて、まつげは長く、髪の毛と同じく真っ白な色をしていて、眉毛はちょっと細目で、色はやっぱり真っ白で、唇は小さいけれどもぽってりした厚さとピンク色でどこかアンバランスな色気があって……。


 じっくりと顔を観察すること数秒、彼女が眠気に負けて瞳を閉じ、しばらくして寝息を立て始めるまで俺はずっと固まっていた。


 美少女は寝息まで可愛いな、と気持ちの悪いことを思いながらぎこちなく方向転換をして洗面所まで右手と右足を同時に振り上げながら歩く。

 感情に合わせた動きを、オーバーなほどに取ることで自分を客観視して落ち着くことができるという理論は正しく、俺は洗面所で落ち着いて顔を洗い、歯を磨き、普段しない髪の毛のセットまで完ぺきにできた。


 いややっぱ理論正しくねえわだいぶ混乱したままだ。


「落ち着け、落ち着く必要はないかもしれないが、慌ててもいいことは無い」


 鏡に向かって諭すように語り掛ける。

 いつもよりさっぱりした顔を見つめながら、考えをまとめる。


 ……やっぱり狐、だよなぁ。


 昨日の狐と同じ毛色だし、昨日はぐったりしていたから目の色が同じかは分からないが、あの狐耳は偽物とは思えない。

 さっきもピコピコ動いてて可愛かったし。


 昨日の狐が普通の狐ではないのは良いのだが、いや良くないとしてもまだ理解できることなのだが。

 だからといって、あそこまで俺好みの美少女になるものだろうか。

 いくらなんでもご都合主義が過ぎやしないだろうか、そこまで善行を積んだ覚えはないのだが、前世でどんな徳を積んだというのか、あるいは、来世でどんな仕打ちが待っているのか。


 もしも、ご都合主義なんて存在しないと考えるなら、昨日の狐が俺の頭の中を読み取って化かしているのか。

 なるほどそれなら納得、してる場合じゃないな、危険すぎる。

 このままじゃ牛骨と馬糞の飯を食わされることになるわ。


 でもやっぱその線が一番濃厚か? 化け狐には違いないもんな……。


「ぬっ! ど、どこじゃあ?」


「はいはい。ここです、ここです!」


 はっ、しまった。のじゃロリの声がしたからつい返事してしまった。

 見た目だけでなく口調まで完ぺきに俺好みとは、化け狐、恐ろしい子……っ。


 戦慄しているうちにとたとたと足音がして、先ほどまでベッドにいた美少女が顔を出した。


「おぉ、おった。よかった、一安心じゃ」


 パッと顔を明るくして、心底良かったというように息をつく。


 立った状態だと、背が小ささがはっきりと分かる。俺の肩までもないぐらいだ。

 自慢じゃないが、俺の身長は160にギリギリ届かないくらいの低身長。目算で140あるかないかというくらいの女の子は十分小さいだろう。

 それに対して、真っ白な髪は非常に長く、くるぶし辺りまでまっすぐ伸びている。

 人間だったら手入れが大変だろうが、そこは化け狐、あまりにもサラサラで水が流れるかのようにたなびいている。

 服は、清楚な白ワンピースを簡素に着こなしていて、全体を儚げな雰囲気にまとめている。

 美少女が首を傾げ、髪がサラサラときらめきながら揺れる。


 はっ、見とれてしまっていた。


「……はて。どちら様でしょうか」


 ひとまずは本人確認でも、と思ったのだが。

 その言葉に自分の状況を思い出したのか、ピンと耳を立てて目を見開く。

 そして自分の体を確認するように首を巡らせ、一度俺を見る。


 様子をうかがうような目線に、何となく頷いてやると、そっと壁の後ろに身を隠す。


「おぉ、狐だ」


 ぽん、と小さな音がして、いそいそと顔を出したのは昨日の白狐。

 おずおずと歩み寄ってくるので、つい抱え上げてしまった。

 人の姿と同じく、真っ赤な瞳と真っ白な毛並み。

 何となく申し訳なさそうな表情に見えるのは、人の姿を知っているからか。


 うーん、可愛い。もう化け狐でもいいんじゃないかな……。


「えぇっと、そういうこと……なんじゃが……」


「うん、まあわかってたよ。いわゆる化け狐なんだなぁって、思ってただけ」


 じっくりと観察していたせいか、狐が言いにくそうに切り出した。

 その姿でも喋れるんだなぁ、とか思いつつ茶番であることを明かす。


「そうか……。その、下ろしてくれんか? さすがに怖いんじゃが……」


 あばれたりはせず落ち着いた様子に見えたが、さすがに足が宙ぶらりんなのは怖いらしい。


 そっと地面に戻すと、てててーと壁の向こうに行って、ぽんと変化して帰ってくる。

 化ける瞬間を見られてはいけないとかの決まりがあるんだろうか。

 と思ったら服装が変わっていた、どうやらさっきのワンピースは寝間着だったらしい。


「やっぱり、俺の頭の中とか、覗いてらっしゃる?」


「ぬ? わしはさとりのまねごとはできんが。なんじゃ、この服が好きなのか?」


 無地のシンプルな白の着物に、黒の袴を合わせた大正モダンな着こなし。

 化け狐といえば、といわんばかりのいで立ちだが、きっちりと前を合わせているうえに、くるぶしまで裾があるので肌の露出は非常に少なく、現代的かといわれるとそうでもない。


「すごい好き。なんかもう、全部好き」


「恥ずかしげもなく言うのう……。まあ、喜んでもらえるのであれば何よりじゃ」


 つい欲望が垂れ流しになってしまった。


 この状況では、全然話が進まないのがよろしくない。

 眼福なのでもっとじっくり見ていたい気持ちもあるが、それは後にして、リビングに戻ることにした。


 だいぶ冷静になったこともあり、リビングでちょこんと向かい合って座るころには空腹を感じる程度には余裕も出て来た。


「では、自己紹介からお願いします」


「急にかしこまって、どうしたのじゃ」


「だって、真面目ぶるのは性に合わないし」


 正座をして、綺麗に背筋を立てたまま、ツッコミを入れる狐。

 実際、ちょっとくらい茶番を入れていくくらいでちょうどいいだろう。

 あまり真面目にやるのも、今の状況を考えると意味不明になってしまう。


「気を取り直して、自己紹介をお願いします」


「続けるんじゃな……。わしはハッコ、親しいものはハクと呼んでおる。おぬしにもそう呼んでほしい。見ての通りの妖狐、おぬしの言うところの化け狐じゃな」


 すこし困ったように眉を落としながらも、気を取り直して自己紹介をする狐、もといハク。

 見た通り、というか多分白狐と書いてハッコなのだろう。


「なんでここに……は、俺が連れて来たからだな」


「そうじゃな」


「うーんと、ああそうだ。目的は?」


「おぬしは命の恩人じゃから、恩を返したいのじゃ。おぬしに助けられず、あのまま雨に打たれておったら、わしは命を落としておったろうからな」


「何歳くらい?」


「300からは数えておらぬが、500は生きておらぬ。まだまだ、ひよっこじゃ」


「なんで死にかけてたの?」


「あー。……それはのぅ」


 俺の怪しいビデオ風のインタビューに対して、はきはきと答えていくハク。

 と思ったら、急に言いよどんだので、答えにくいのかと顔を見つめる。


 興味のある順に聞いていた中でも、後ろの方に位置しているわけで、正直それほど強く聞きたいわけではないのだが。

 わたわたするハクをつい見つめていたら、続きを催促されていると思ったのか口をもごもごとさせながら言葉を続ける。


「……ねずみを、追いかけておったんじゃよ」


「雨の中で?」


「……捕まえられんかった。へとへとになったところに、雨が降ってきたのじゃ」


「狐なのに?」


「うぅ……。わしは狩りが苦手なのじゃ、あんなすばしっこいヤツをどうやって捕まえろというのじゃぁ」


「どうやって生きてきたの?」


「わしは生まれからして化け狐じゃ。野ネズミなど捕まえんでも、食えるものはたくさんあるし、まともに生きておればあんなもの要らんわ」


 頬をほんのりと赤くしながら泣き言をもらしたり、開き直ったりするハク。

 狐耳や尻尾もへにょりとしたり、ピンと立ったり、ぶんぶん振ったりと忙しい。

 なんだこの可愛い生き物。さっきまで堂々としていたのは大人ぶっていたのだろうか。


 あまりの可愛さにやられて無意識のうちに口角が吊り上がっていたようで、ハクがむっとした顔で詰めよってくる。


「そんなことよりも、恩返しじゃ! わしにして欲しい事は、なんぞないのか!」


 テーブルに手をつき、身を乗り出して声を張り上げるハク。

 鋭い犬歯をむき出しにしながら、威嚇するような顔なのだが、優し気な目つきが吊り上がりきっていなくて、正直可愛いの方が強い。

 怒らせるのも本意ではないので、少し考えるそぶりをする。


「恩返し……、と言われてもなぁ。どんなことがしたいの?」


「ぬ、ぬぬ。何かしらあるじゃろ、ほら。言うてはなんじゃが、綺麗じゃろ、わし」


「ぜひとも家にいてください」


 確かに、超好みの美少女が家に居るとかそれだけで人生勝ち組になれるわ。


 なんだよ、化け狐っていい奴じゃん。恩返し最高!


「うむうむ。ほかには?」


「……?」


「わしは、置物ではないんじゃぞ! 家におれば何かすることはあるじゃろ!」


 そう言われてもな……。


 家事の類といっても、やってくれたら嬉しいとはいえ、一人で暮らしている都合上そこまで困ってもいない。

 恩返しというからには、やはりハクだからこそできることの方がいいと思うのだ。


「……ぐーたらしていただけたら」


「それのどこが恩返しなんじゃ! おぬし、真剣に考えておらんじゃろ」


 バレたか、にらみつけてくるハクからすっと目をそらしてごまかそうとする。


 そんな俺をジトっとした目で見つめてくるハク。


 段々と視線がきつくなってきたので、さすがに時間稼ぎはやめにしとこう。


「正直、家に居てくれるだけですっごく嬉しいので、できれば、できる限り長い事居てほしいなって」


 他のことをして恩返し完了、とすぐに帰られてしまったら俺の癒しが無くなってしまう。

 できる限り長い間、出来れば一生いてほしいとすら思っている。

 でも強制はできないので、そこはこちらがご機嫌取りをしようかなと。


「どちらが恩返しをしておるのか分からんな……」


「ま、縁があって同居ぐらいの感覚で良いんだよ。ハクみたいな美少女とお知り合いになれた時点で、すごい幸運だと思うし」


「それを言えば、わしも今生きておられることが幸運なのじゃが。うーむ、このままではらちがあかんのう……。せめて、してほしいことが思いついたら、言うてくれんか」


「それくらいならいいよ。逆に、ハクも何かあったら言ってね。協力はおしまないから」


 グッとこぶしを握る俺に対して、うむ、と頷いて、はあ、とため息を吐く。


 恩返しをしようとしたのに、結局何もしないことに落ち着いて、釈然としない様子のハク。

 それに対して、超好みの美少女との同居生活の約束を取り付けて、人生最高の瞬間といわんばかりの俺。


 そんな、なあなあな感じで、俺とのじゃロリ狐耳の同居生活は始まったのだった。

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