くらげのいのち。

きむち

第1話

笑って僕の唇を奪ったのは、ただ1人の幼なじみだった。



「あのさぁ幹也みきや、まだ私は──」


死ぬって決まった訳じゃないよ。きっと君はそう言うつもりだろう。

だから僕は、


「うるさい、少し黙っててよ」


強く。そう言った。


部屋に沈黙が続いた。


相川 愛奈あいなは、病気を患った。

心臓の病気で、彼女自身が死ぬかもしれない。

最初に聞いた時は信じれなかったけど、だんだんと信じられるようになってきた。


彼女とは家が隣ということと、同級生ということで、幼なじみとして普段から仲良くしてきた。


高校生になってからは学校も違って、まともに会う機会はぐっと減った。しかし、依然として彼女が僕の信頼できる唯一の友であることに変わりはなかった。


「……そんな話をなんで僕に?」


「……知っておいて欲しいじゃん」


「はぁ……」


彼女が死ぬかもしれない。

急にその事実を伝えられて、僕の頭はパンクしそうだった。


とりあえず、この空気をどうにかしなければ。そう思って僕は彼女に出かけようと提案した。



炎天下の夏のコンクリートの上を、2人で歩く。

こんなのいつぶりだろうか。


「なんか食べたいものある?奢るよ」


「まじ!?じゃあアイスクリーム食べたい」


2人ですぐ近くのアイスクリーム屋に向かう。


ただ歩くことさえ尋常ではないほど神経を使った。


やっとのことで手に入れたアイスクリームを2人揃って舐める。ヒンヤリとした感覚がとても心地よかったが、すぐにトロリと溶けてしまう。

いろいろな感情が混ざった僕の脳みそも一緒に溶けてしまいそうだ。


ふと、彼女を見て。


以前の彼女と今の彼女が違っていることに今更ながら気がついた。

うなじは白くて、流れる髪の毛は絹のようにツヤがあって滑らか。それでいて伸びるまつ毛はとても長い。

美人だと、そう思った。

そんな気持ちを誤魔化すように、質問をした。


「愛奈は、どうしたいと思ってんの?」


僕の問いに困惑しながらも、髪を耳にかけてゆっくりと答えた。


「……そりゃあ、もちろん、生きたいけど、それでも死んじゃうのは、仕方ないかなって」


曖昧な答えだった。


まだ、僕は死というものを理解していない。

だから彼女と死の関係が未だに結びついていなかった。


しかしひとつだけ、確実に言えることがある。


彼女は、嘘をついている。


昔からの癖だった。愛奈は嘘をついたり、隠しごとをする時に髪を耳にかけるのだ。それだけは変わっていなかった。


彼女は生きたいのだ。死ぬことを『仕方ない』なんて思っていない。


でもそれがわかった所で、僕には何も出来なかった。ただ胸がキツくしまっただけだった。


2人で歩いて家へ向かう。その途中で、僕は彼女にひとつ提案をした。


「こんど、どこかへ行こうか」


「……?なに、デート?」


「ああ、いいよそれで」



土曜日午後2時に電車に乗る。


僕の隣には愛奈がいて、


「何しに行くの?」


「まあ、着いたらわかる」


「……そういう変な性格してるから彼女出来ないんだよ、幹也は」


「余計なお世話だ。それにそれは愛奈もだろ」


僕はつまらない人間で、変な性格をしていて、周りから人がよってくることもないし、僕からも行くことはなかった。

それに対して愛奈は、明るくて、美人で、性格もとてもよかった。

それなのに彼氏はいないらしい。


電車が揺れて、彼女の体がグッと僕にのしかかる。


半袖から伸びるきめ細やかな肌をした腕が、僕の腕にぶつかって、愛奈が笑って何かをはぐらかした。


──なに意識してんだ、僕は。



「うわぁ!すっっごい!」


巨大な水槽の前で愛奈ははしゃぐ。

水槽の中で色んな魚が泳いでいる。名前は全然わからないけど。


僕は水族館に彼女を連れてきた。

昔から彼女は水族館と回転寿司が好きで、よく行っていた。今更だが、そのふたつに、魚が回っている。というくだらない共通点があることに気がついた。


薄暗い水族館の中を2人で歩き回る。

猛暑の外と比べたら、この水族館の中は雰囲気も気温も天国そのものだ。


色々な水槽を見てはしゃぐ彼女は、僕に何度も笑顔を振りまいた。その笑顔は、以前から全く変わっていなかった。


僕の、、愛奈だった。

以前は彼女のことが好きだった。けど、彼女と僕の住む世界が違くなっていることに気がついてから、僕は彼女から離れていった。


やがて、ゆっくり歩いて彼女は海月クラゲを見つけて、その前に留まった。


「これ、ベニクラゲ」


淡く漂うソレを指さして彼女はそう言った。


「このクラゲちゃんね、不思議なことに、不老不死で死なないの」


宙に漂うようなそれを僕も見つめる。


暗くてつまらなそうな世界に、静かに悲しそうなそれは、彼女とは真逆だった。

生きる世界も、性質も、命も。


「もしかしたら気づいてるかもしれないけどね──」


愛奈が口を開いた。


「私ね、本当は絶対に死んじゃうの」


「…………」


「治らないんだ、もう。誰かが心臓を私に移植してくれるなら生きれるって医者は言ってたけど、運良くそれが私に渡ってくることはないよね」


正直、気がついてなかったと言えば嘘になる。

彼女の悲しげで、遠くの何かを見つめるその瞳を見て、体では拒否してても、頭は勝手に理解してしまっていた。


だからこうして、彼女に好きなことをさせて、思い出を作らせてやりたくて。


「……うるさい」


「本当は黙っておくつもりだったんだ。でも、やっぱり幹也には知っておいて欲しかった」


「うるさいって、言ってるだろ」


「……ごめん」


怒りだった。純粋な。けど、逆にそれが僕の素直な心を彼女に打ち明ける引き金になった。


「俺は、愛奈、君に生きていて欲しいって思ってるんだよ。だから、死ぬなんて、言うなよ。どれだけ俺が愛奈のことを大切に思ってるか、知ってるかよ。お前はこんな俺と一緒にいてくれた唯一の友達なんだ。それなのに、さ。死ぬなんて、ふざけたこと、言うなよ……」


歯切れが悪くなって、目の奥は何故かいつからか熱くなった。それは、僕が彼女の死を理解してしまった証拠で、彼女と死が僕の中で結びついた証拠でもある。


「……」


彼女は何も言わなかった。けど、横顔から見える頬には雫が伝っていた。


僕は、そのまま彼女の手を思い切り握った。


「僕は、もうこの手を離さないからな」


それに彼女は僕の手を強く握り返して返事をした。


暗い空間に漂う海月。

それを、僕達はまた眺めていた。



「さっきの言葉、忘れないからね」


水族館から出て、茜色に染まった空を見上げて、彼女はやっと口を開いた。


ずっと、今まで手を握ったままだった。


「逆に忘れるなよ」


2人で歩いた。そして近くにある海辺の砂浜に僕達は座った。


「私ね、幹也のこと好きだよ」


「は、何言って──」


「うるさい、黙って聞いて」


僕の驚きの言葉を遮って、彼女は言葉を続けた。


「小さい頃から幹也のことが好きだったの。変な性格で、ひねくれてるけど、本当は優しいの知ってるもん。私が小学校でいじめられてる時も、幹也だけが助けてくれた」


そうだった。たしか彼女は小学校の頃にその容姿を妬まれていじめられていた。

それを僕が、助けたって……


「幹也はなんでもないことだと思ってるけど、私はとっても嬉しかったの。ずっと、そばに居てくれた。今も」


「当然のことだろ……」

そう、当然のことだった、ただ彼女を憎んでそれに当たる人々に嫌気がさして、それと、僕は彼女のことが好きだったから、ずっと一緒にいた。ただそれだけだった。


「だから、こっち見て……」


そう言われ隣に座る彼女に目を向けた途端──


「──っ!」


唇を温かい感覚が覆った。

目の前には目を瞑る彼女がいて、長いまつ毛がとても目立った。

それは、紛れもないだった。


「な、なにして──」


「うるさい、こっちだって恥ずかしいんだから」


そうして再び唇を交わらせた。


揺れる波の音だけが、僕たちを包み込んだ。



彼女を救ってやりたい。そう思う気持ちだけが膨らんで。僕の心を握りしめる。


しかし、僕にできることは何も無い。それがたまらなく悔しかった。


2人で、病院に行った。

彼女の寿命がもう長くないこと。

助かる可能性はほぼゼロだと。

それだけを伝えられた。


「ごめん、ね」


暗い星空の下の夜道に、彼女の声だけが響く。

震えるその声は、しかしよく通った。


「謝る必要なんてない」


「僕は、最後まで一緒にいる」


そう決めた。握りしめたこの手を二度と離さないと。


彼女の歩みが止まる。

彼女はぽつりぽつりと言葉を漏らした。


「いやだ、ほんとは、怖い」


「……」


「怖いよ、怖いよ、死んじゃうの怖いよ」


柔らかい唇から弱々しく零れるその言葉は震え、彼女の瞳は潤んでいた。

僕がしてあげられることは、そんな彼女を抱いてやることぐらいだった。


「やだよぉ。怖いよぉ。幹也ともっと一緒にいたいよ……死にたくないよ」


怖いだろう、辛いだろう。けれど、僕はそれを分かってやれない。とても弱いのは僕の方で、彼女はとても強かった。死を伝えられてなお生きたいと言った。そんな彼女が強くなくて誰が強いのだ。

そして、僕が泣くのは間違っている、だけど、涙は勝手に溢れて、馬鹿になってしまった。


彼女の涙が収まって、僕達は2人でまた歩き出した。


「1人にはしないから」


それだけしか言えなかった。


やがては車通りが多く、明るい道に出た。


その瞬間だ。白いセダンが、赤い信号を無視してこちらに向かってくるのが見えたのは。


何もしなければ、僕と愛奈はきっと死ぬ。それにすぐ気がついた。


けど、僕に出来ることが1つある。


そうか……こうやって、救えってのか。


「愛奈、ごめんな──」


僕は優奈を押し出し、それからすぐに硬いものに突き飛ばされた。


彼女が何かを言った気がした。


僕は、彼女との約束を破ることになった。


あっけない終わり方だった。


もう生きれない。


ああ、でもこれで──





相川 愛奈という私の中で、彼、杉澤 幹也という人間は、今も鼓動している。


今も正常に脈打つ心臓は、彼が約束を破ったお詫びで、確かに私が受け取って、今私が生きている。


「約束やぶったの、許さないから──」

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くらげのいのち。 きむち @sirokurosekai

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