務めと見守り 完
朝香るか
第1話務めと見守り
私は看護師として務めるようになって10年になる。
沢山の患者さんを診てきた。
月1回ほど通院してくる人から、末期患者として長期入院する人まで。
私は笑顔を作って毎日を過ごす。
悪いところがあっても笑って
病院を出ることができる人は素直に笑顔を作れる。
病気の苦痛がある人には寄り添って、傾聴をする。
人はたくさんの悩みに満ちている。
そんなことを悩むんだというごく小さな悩みから苦しいだろうなという痛みまで。
私が寄り添う苦悩するのは長期的に病気に向き合っている人だ。
先天性の病を患っている方たちは
その病気と付き合う術を幼いころから身に着けている。
自分のできることにもあ義理があることを知っているから、
周りの人に素直に助けを求めることができる。
決して簡単なことではないにしろ、
親や教育者の手を借りて育っていくのだろう。
しかし、問題があるのは後天性の病にかかってしまった人の場合だ。
もちろん老いは誰にでもやってくる。
身体の変化に順応できる人はあまりいない。
まだできるはずとこころは思うが、体は衰えていく。
衰え、故障した機能は完璧に戻らないことも多い。
人は悲観する。このままでいいわけないと。
のたうち回り、時にはいらだちを看護師にぶつける。
老いに順応できるまで、見守りが必要だ。
自分というアイデンティティの確率も、まだできない人が多い。
許容できる人はほとんどいないのではないだろうかと思う。
見ている看護師でさえも。
人は自然と自我が芽生えるが、死は一人では立ち向かえない。
人生の終わりは人に頼まないとできないことだ。
人は自分の生の終わりを考えない。
若くて働き盛りの人ならなおさらだ。
私だってそんなことを考えたことはなかった。
ここ数日は考えるようになってしまう。
なぜなら私と同じ年の人が入院してきたからだ。
愛する人を介護するようになったら、どうしよう。
そんな不安が私の脳裏に浮かんでくる。
本日、診察を受けるためにやってきたのは夫婦だった。
人間ドックを二人で受けたようなのだ。
夫婦ともに四十代前半といったところ。
私は担当ではないから詳しくは知らない。
けれど私の担当する科にかかっている。
私の科は重病の人が来る。
奥さんは夫のいない部屋で泣いていた。
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