第25話
院長室から帰ると、栞が心配した顔でオフィスの前に立っていた。
内田 栞:「お母さん何て言ってた……?」
栞は廊下に現れた僕を見つけると、周りを確認しながら駆け寄ってきた。
目黒 修:「小山さんの無断欠勤のこと」
僕も周りを気にしながら、栞に内容を伝える。
内田 栞:「……それだけじゃないでしょ?」
栞は不安気に疑いの目を向ける。
栞も母親がそれだけの要件の為に僕を呼び出していない事は理解していた。
目黒 修:「……関係も、聞かれたよ」
僕は周りを気にしながら言葉を選ぶ。
内田 栞:「やっぱり……」
栞は俯いてしまった。
目黒 修:「大丈夫だよ」
僕は栞の方にそっと右手を置いて、優しく微笑んだ。
内田院長が僕らの関係を嗅ぎつけたのは最近ではない。
付き合い始めた頃から、院長室に呼ばれては問い詰められていた。
内田院長の‟女の勘”は的を射ているが、証拠がない為、僕は何度も言葉巧みに逃げていた。
同僚の女性に口裏を合わせてもらい、彼女のフリをしてもらえれば内田院長も納得してくれると思うのだが、栞に反対されたので僕には恋人が居ない事になっている。
だから度々、告白を受ける事があるのだ。
栞だって、モテないわけではない。
だが、栞は病院側の誰もが知っている通り、内田院長の愛娘。
内田院長の恐ろしさを知っているから誰も手を出さないので、栞に告白をする輩は若い患者やその見舞いに来る若い男たちがほとんどだった。
目黒 修:「はぁ~……」
ため息をひとつ。
栞は仕事に戻ったので、広いオフィスに溜め息が吸い込まれていく。
これから、どうしたらいいのか正直、分からない。
病院で 栞と付き合っている事を公表したい。
告白されるのも、それを断るのも、独り身という設定のせいで勝手に哀れまれるのも、食事会だと騙して合コンに強制参加させられるのも、疲れてしまっていた。
でも付き合っている事がバレたり、関係を認めてもらったとしても、 どちらかが別の病院に飛ばされる事になる。
この場合、飛ばされるのは 僕だ。
僕は付き合っている事を堂々とできるなら、それでも構わないと思っている。
でも今は、この病院に居なくてはならない。
僕好みの 美しい女性が勤務する病院は他に無いだろうから。
公表 したい気持ちと、したくない正反対の二つの気持ちが僕の心を支配する。
精神科の専門用語で言う 『アンビバレンス』状態である。
アンビバレンスとは 『両面感情』『両価性』の事を言い、同一の対象に対して「好き・嫌い」や「愛・憎しみ」などの反発した感情を同時に、または交互に抱くことである。
この症状が激しいと精神科で診てもらった方がいいと思うが、少なからず僕の様に反発した感情を抱いた経験は誰しもあるだろう。
栞との関係に関しては、ずっとアンビバレンス状態だ。
考えても答えは出ない。
こんな時は癒しを求めて、大きな水槽で優雅に泳ぎ回る熱帯魚たちに餌でもあげよう。
僕は椅子から立ち上がり、水槽の前に立つ。
誰が掃除をしてくれているのか知らないが、いつも手入れが行き届いている水槽は今日も綺麗だった。
僕は水槽の蓋の上に乗った円柱型の容器を取る。
中にはオレンジ色や緑色の薄い餌が入っている。
だが、そろそろ無くなりそうで、容器の底が見えていた。
近々、栞と餌を買いに行こう。
明日は日曜日だから栞は夜まで仕事だ。
餌を買いに行くなら二人の 休みが重なる月曜日にでも予定しておこう。
目黒 修:「餌だぞぉ~」
色鮮やかな熱帯魚たちが小さな口を開けて餌に喰らい付いている姿を、中腰になって眺める。
モーリー、スノーホワイト、グッピー、ネオンテトラ、プラチナエンゼル、レオパード。
僕と栞の好きな熱帯魚だらけだ。
でも、少し見飽きてしまった。
餌を買うついでに新しい熱帯魚も買おう。
月曜日の計画を立てるだけで、僕の顔の筋肉は緩んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます