第9話 やっちまったぜ☆
アラタは現在中学一年生。ここより別棟に中等部の校舎はあるのだが、どうやらそこから歩いて来たようだった。
距離もそれほど遠い訳ではないため、アラタやサキは時々こうして僕の教室の下までやって来るのである。
「にぃさんっ、一緒に帰ろ?」
良い笑顔。ウチのクラスの連中もキャーキャー言ってる。その愛くるしい容姿は、年齢性別問わず他者を魅了するのだ。猫みたい。
アラタはとても美少年である。少女と間違われるほどに。その中性的な容姿もあって校内での人気は半端ではない。三大ファンクラブが四大ファンクラブになりそうな勢いだ。
そんな彼は今、人目も憚らず僕の腕に抱きついている。見た目美少女なだけに、まるで僕の彼女みたいだ。猫のように頬を擦り付け、ふすふすと鼻を鳴らしている。着崩した制服から鎖骨がのぞく。わざとやっているのだろう。アラタはあざとい事を自覚している。
暫くして僕の左腕を堪能したアラタは笑顔のまま口を開いた。
「ねぇにいさん、動画見たよね?」
途端にその笑顔が悪魔のように見えてくるのだからあら不思議。手足に震えが出てくる。ガクガクブルブル。
僕は咄嗟に言い訳を口にする。
「……アラタ。アレは医療行為だよ。あのまま先生を放置もできなかったし、不純な動機でもないでしょ?」
先生の恥ずかしがる様子が面白かったからつい意地悪してしまったとは言えない。不純過ぎる動機である。
「例えにぃさんにその気がなくても、事実は変わらないよ。それに、わざわざ先生をお姫様抱っこなんて、する必要なかった」
アラタの笑みがどんどん深くなる。
まずい。これはまずい兆候だ。昨日の今日である。まさかアラタが容赦するはずがないだろう。嬉々として僕の体をいじくり回しに来るに違いない。
焦る僕、笑みを浮かべるアラタ。対照的な僕らを周囲は仲の良い兄弟を見る目で微笑ましげに眺めている。一部ハアハアと息を荒げている者も居るが無視だ無視。
周囲に助けを求める事は不可能。さてどうするか。
そこに本日聴き慣れた、若干幼くも聞こえる声が響く。
「あ、あの、すいません。またしてもお取り込み中に……」
前を向く。そこには天使……いや、我らが御使い黒桜舞乃先生がご降臨なさった。こちらの表情を窺うように上目遣いで見上げてくる。
心なしか後光が差しているようにも見えた。
天の助け!(本日二回目)
「先生!元気そうで何よりです!怪我は回復したんですか?!」
若干勢いづいて先生に問いかける。
これに少し驚きながらも、先生はしっかりと応えてくれる。やはり神か。
「は、はい。昼休みの件は申し訳ありませんでした。お陰様でこの通り快復しましたが、明日の生徒会の打ち合わせをすっかり忘れてまして…………あの、今からお時間有りますか?」
「ありません。回れ右してお帰り下さい先生。にぃさんは僕との用事があるんです」
「ちょっ?!」
僕が応えようとした矢先、アラタが先に先生に応答してしまった。アラタは教師だろうと総理大臣だろうと噛み付く平等主義を掲げているのだ。狂犬かな?
僕はその言葉を訂正しようと声を上げるが、アラタに腕を力強く掴まれ黙らされる。痛いです。骨がミシミシいってます。
先生は目を白黒させながら、アラタの方に顔を向けた。
「あの、そちらは……三神くんの弟さんですか?」
「パートナーです」
だまらっしゃい。
アラタは僕の腕をより強く抱き寄せ、あたかも自分の物だと主張するようにピタリと引っ付いてみせる。
「な、なるほど?仲が宜しいんですね……?」
「そうです。大変宜しいんです。先生の付け入る隙なんてありませんから。にぃさんは僕が大好きなんです」
混乱する先生に畳み掛けるようにそう宣言するアラタはどこか勝ち誇っているように見えた。
もしかして黒桜先生の事を敵だとでも思っているのだろうか。あり得るな。アラタは家族以外の女性を敵視している節があるから。
しかしそれでも負けずに先生は言葉を続ける。個人的にはこちらを推したいです。
「あの、すいませんがご本人に直接伺いたいのでお兄さんをお貸しいただけますか?」
この言葉が良くなかった。先生はきっと、社交辞令的な意味での文言だったのだろう。
しかし此方はヤンデレ。その言葉を額面通りに受け取ってしまう彼ら彼女らである。
案の定アラタの逆鱗に触れた。
「……貸りる?貸りるだって?にぃさんを?この僕から?」
ピクピクとアラタの形の良い眉が揺れる。
これはいけない。アラタの怒りが爆発寸前だ。先程にも増して良くない兆候が現れる。
アラタの怒りが爆発すれば、この場はB級映画さながらのスプラッタが炸裂するだろう。主にそれは目の前の小さな先生へと向けられる。それはいただけない。
何としてでも止めねば。
「ア、アラタ?埋め合わせは後でするからさ、今日は生徒会の用事を優先しても良い?他の皆んなにも迷惑かけちゃうし、ここは「にぃさんは、僕より先生の方が大事なの?」」
息の詰まるような冷えた声色。心なしか空気まで凍えた気がした。
「……そ、そんな事言ってないよ。勿論アラタの方が大事だけど、僕が仕事をやらない事で周囲に迷惑がかかるんだ。それに、埋め合わせもするから」
「……埋め合わせって、何?」
そう言われても、直ぐには思いつかない。そもそもアラタの趣味といえば怪しげな薬品の開発や改良だし、アラタが望んでいるものを僕が用意できるともあまり思えない。
アラタが満足できる『埋め合わせ』が、僕には想像できなかった。
だからちょっと、捨て鉢気味になってしまったのが良くなかったのかもしれない。
「な、何でも!僕にできる事なら、何でも良いよ!あ、痛いのとか苦しいのとかは嫌「分かったよにぃさん!何でも良いんだねっ!うわぁっ、嬉しいなぁ!」……」
すぐに、失敗したと分かった。
満面の笑みを浮かべ、ニコニコと機嫌良さげに僕の顔を見上げるアラタが恐ろしい。
唯一状況を理解できず、首を傾げている先生の存在が僕の正気を保たせてくれていた。
やっちまったぜ☆
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