最終話 神様の万華鏡
「雨、やんだみたい」
その声に誘われて、彼女の方を振り向くと、左の手のひらを窓ガラスに添えるような姿で、ユイは窓の外に視線を送っていた。
ルカも目をこらして、窓の外に視線をやったとき、窓ガラスの端が、一瞬光った。ビルのシルエット、そして、低く垂れこめた雨雲の輪郭の一部が、その光に照らし出されて、つかの間、浮かび上がり、すぐにまた宵闇に沈んでいった。ややあって、遠くの方で、小さなくぐもった音の雷鳴が聞こえた。
「遠雷。梅雨明けも近い・・・ 」
ユイの声には、不思議な響きがあった。ひとり言のようでありながら、実は、世界に向かって宣言しているようでもあった。
ユイは顔をガラス窓の外に出そうとしたのか、わずかに窓を開けた。ずっと降り続いた雨で、外気温は上がっていない。ヒンヤリとした風が、室内に流れ込んできた。
心地良かったのだろう。ユイは窓を開けたまま、外気に身をさらしていた。
ガタン!
突然吹き付けてきた突風で、窓枠が大きな音を立てた。慌てて、ユイは窓を閉めようとしたのだが、窓はびくともしなかった。
次の瞬間、空気を切り裂く音とともに、突風、いや、暴風が吹き込んできた。予想だにしなかった、あっという間の出来事に、ユイもルカもなす
室内に点っていた唯一の灯り、赤いキャンドルの火が消えた。ほぼ同じタイミングで、テーブルの上に置かれたタロットカードが宙に舞い上がった。
パラパラパラパラパラパラ・・・
ヘキサグラムの形に配されたカードが吹き飛んだ後、積まれたカードの束から一枚ずつ、軽やかな音を立て、風に乗ったカードが、天井近くまで飛び去っていった。
キャンドルの火が消えてしまい、室内は闇に閉ざされたはずなのに、テーブルから次々に舞い上がるカードと、天井の辺りで乱舞するカードの絵柄が、ルカの目には、はっきりと識別出来た。
(ん? 何故? )
疑問が湧くのと、理由の分かったのが、同時だったために、かえってルカの頭は混乱してしまった。
棚に、ずらりと並んだガラス器が、一つ残らず、妖しげに輝いていたのだ。ゆっくりと明滅を繰り返すガラス器は、呼吸をしているかのようだった。
生命を宿したガラス器の光が、宙に舞うカードを照らし出していた。テーブルから飛び立ったカードは、一枚たりとも落下せずに、天井を覆い尽くすのではないか、という勢いで、大きな円環を描きながら、ぐるぐる回り続けた。だが、一枚一枚のカードの動きはランダムで、表を向けたり、裏を向けたり、横向きになったり、天地逆さまになったり・・・ 中には、コマのように回転し続けるものまであった。
タロットカードの絵柄は、カラフルで美しい。それが大勢で群舞するように、変幻自在に動き回り、ガラス器の放つ妖しい光を受けて、複雑な色どりを見せるのだから、美しさはさらに極まった。
ルカは、色彩を
偶然なのか、必然なのか、ガラス器の放つ光が重なり、飛び交うカードの群れの一角を照らし出したとき、その意味は分からなかったが、ルカには、それがタロット占いによる、一つの運命を表しているように感じられた。とっさに、ユイの顔を見た。
ダンスホールと化した天井付近を、
以心伝心。ルカの無言の問いかけに応じるように、ユイは、天井で円舞を踊り続けるタロットカードを見上げたまま、語り出した。
「天井で舞ってるるタロットカードは、私がマスターだってことを忘れて、自分の意志で、次から次へと占ってる。占ってる相手が誰なのかは、分からないけどね」
(やっぱり)
ルカは強くうなずいた。
「ほらっ! 」
光を放ったカードを指差して、ユイは叫んだ。
慌ててルカも振り返ったのだが、ユイの指差したカードが見つからない。それでも、ユイは語った。
「赤い衣装をまとった『法王』は結婚式を、踊る裸の女性が描かれた『世界』は結婚を意味してる。ウチのような結婚相談所にとっては最良のカードよ。でも、ちょっと前には、別れの危機が訪れてた。白馬の騎士で表された『死神』が、それよ。これからも、関係が進展せずに、イライラする時期がやってくる。手足を縛られ、頭を下にした格好の『吊られた男』ってカードが、それを暗示している。でもね。互いに結婚願望が強いから、将来的に結ばれる運命にある、と出ていたわ」
「見えないんですけど・・・ 」
無念そうに、ルカはつぶやいたのだが、ユイの返事はつれなかった。
「見えるのは、一瞬よ、一瞬。光るカードは、どんどん変わっていっちゃうんだから。動体視力が良くないと見えないわよ。それと、何と言っても、集中力の問題ね。
ほらっ! 今、光ってる。
仮に、お見合いまでたどり着いても、お相手の性格はイマイチだ、って『悪魔』のカードが教えてくれてる。それでもいいから、と本人は願ってるの。『魔術師』のカードに表れてるわ。だけど、仮交際に踏み切っても、将来的には幸せになれない。天地が逆になった『戦車』のカードにはっきり出てる。だいたいが二人の住んでる世界が違いすぎてると、これも天地が逆になった『死神』に示されている。同じく、ひっくり返った『力』のカードに表れているんだけど、今だって、関係を良くしようとする勇気を持てずにいる。逆になったカードばかりなんだけどね、『吊られた男』に出ているのは、いっくら相手に合わせようと努力しても、全然報われない、根本的に縁のない相手だった、ということなのよ」
ユイの解説を聞いて、ルカはガッカリしてしまった。ユイの言いつけに従って、一瞬現れる明るく輝くカードの組み合わせを、目を皿のようにして見入っていたというのに、悲惨な結末を告げる占い内容だったからだ。
「ひどい・・・。 真剣に見なきゃ良かった」
ルカが、ボソッと愚痴をこぼしたものだから、すかさず、ユイはこう
「ないわ~、って思えるカップリングの場合、その現実から目をそらして、金もうけのために、何が何でもお見合いを成功させ、成婚にまで持ち込んでしまう、というのは間違いなの。やたらと結婚願望だけが強い会員さんと出会うけど、現実が見えてない人が多いの。たとえ、結婚さえ出来れば、それでイイ、って言われても、あの人はダメ、やめときなさい、って、はっきり言ってあげることも、私たちの仕事なんだからね。
タロット占いも同じよ。一期一会の真剣勝負。悪い占い結果が出たら、まずは、その結果を受け入れて、自分を見つめ直すきっかけにすることで、違う道を探る努力をすべきなの。それをしないで、いい結果が出るまで、占いを繰り返す人がいるんだけど、そんな人はタロット占いをする資格なんかない。
現実は、現実として受け入れること。全てはそこから始まるの」
ユイの諭しを聞くうちに、ルカはうつむいてしまった。
(ひどい現実を受け入れて、私は生きているんだろうか? 受け入れるも何も、ただ流されて、ユイさんのもとへ流れ着いてしまった・・・。 ユイさんは、どうなんだろう? ひどい現実を受け入れたからこそ、結婚相談所を開けたんだろうか・・・? )
だが、ルカには、ユイに聞く勇気はなかった。
ユイはルカから目を離し、再び、天井で光りながら、くるくる回るタロットカードに目を向けた。口を開いたユイの声は明るかった。
「ホントに、キレイ! いつまでも見ていたい気分だわ。一瞬一瞬、タロット占いの結果を告げているけど、たちまちにして消えていく。同じカードの組み合わせは、二度と現れない。結婚運が良かったり、悪かったり・・・ 無数のバリエーションを見せながら、教えてくれてるわ。でもさ、運が良かろうが、悪かろうが、宙を舞ってるタロットカードを見てると、どれもこれもが、例外なく美しい。
ねえ、これって、スゴイ発見じゃない!? 」
急に話を振られて、ルカはドギマギしてしまった。挙動不審に陥ったルカを、楽しそうに眺めながら、ユイは話を続けた。
「結婚運の良し悪しって、人生を大きく左右するんだろうけど、実は、大したことじゃないのかもしれない。・・・人って、どんな人生を歩もうとも、美しく輝ける生き物なんじゃないかな? 一瞬にして消えてしまう、宙を舞ってるタロット占いとおんなじで、人生も、ホントに、はかない。でもさ、はかないからこそ、美しく輝けるんだよ、きっと」
棚に並んだガラス器の放つ光を反射して、妖しく、そして、美しく輝くタロットカードに負けないぐらいに、ユイの目も、キラキラと輝いていた。
(ユイさんの語る言葉は、真実なのだろう。分かるんだけど、きっと、私の目は、ユイさんのようには輝かない・・・。どうしても、私みたいな人間が、美しく輝けるようになるとは想像出来ない・・・ )
ユイの目の輝きが強まるほどに、ルカの心には、寂しさが募っていった。
そのとき、開いた窓から傍らに立つユイの足元から、子供の笑い声が聞こえてきた。
ユイの表情は変わらない。
(ユイさんには聞こえないんだ)
笑い声よりも、そのことの方が、ルカには不可解だった。
キャッキャッ、という笑い声に、パチパチと手を叩く音が重なった。その声と音が、どこから発せられたものなのか、ルカにはすぐに分かった。
ユイの足元、光の届かぬ暗がりに、それは納められていた。あの西洋人形だった。
(あなたにも見えるんだ。キレイだね~ )
そう思えた途端、ルカの心を閉ざしかけていた寂しさの影が、少しばかり薄らいだように感じられた。
(ユイさんは、一度も光を放っているガラス器に目をやってない。光が見えないのだろう。人形の笑い声や手を叩く音も聞こえてない。でも、私には、見ることも聞くことも出来る。
今の私は、ただユイさんの傍にいるだけで、何の役にも立ってないけど、いつか、彼女には見たり聞いたり出来ないことを、私が補うことで、何か役に立てる日が来るかもしれない。そうなれば、もしかしたら、こんな私でも輝けるかも・・・ )
この気持ちを、少しでもいい、ユイに伝えたいと、ルカが口を開きかけたとき、機先を制するように、ユイが話しかけてきた。彼女の目が発光してるんじゃないか、とカン違いしそうなほどに、その目はキラキラ輝いていた。
「聞いて。面白いこと思いついちゃった。天の啓示だわ。このくるくる回ってるタロットカードって、神様が大きな手で筒をくるくる回して見ている万華鏡の模様なんじゃないかってこと。
世界中の男と女を、結婚という切り口で切り取り、万華鏡の筒の中に放り込んであるの。神様の万華鏡だもの。無数の男女の組み合わせで生まれる結婚運の占いなんて、お手のものよ。神様から見たら、人間なんて、ちっぽけで愚かな生き物。どんな幸運だって、悲運だって、神様からすれば、大差ないわ。
でも、くるくる回して眺めることが、楽しくって仕方がないんだと思う。そんな神様の喜びが、この美しさになって表れてるのよ。
どう、面白くない? 」
ルカはまた、どう答えていいのか、分からなくなった。
(ユイさんは、私を置いてきぼりにして、どんどん先に行ってしまう。とうてい追いつけるもんじゃない・・・ )
ルカは言葉が出ず、口を半開きにして、ポカン、としていた。
すると、ユイの足元から、幼児の笑い声が響いてきた。
(そう。あなたは、ユイさんの万華鏡のお話が面白かったのね? )
ルカが、そんなことを思ったとき、予想もしていなかったユイの言葉が、口をついて出た。
「ルカも面白いと思ってくれたのね。嬉しいわ。だけど、あなたって、小さな子供みたいな笑い声をあげるのね? 」
「え!? 」
ルカは目をまん丸に見開き、ユイの顔をじっと見返した。
視線の先にあったもの―ユイの得意とする、人の心を見透かしたような、どこか底意地の悪い、片方の口角だけを上げた、あの笑顔だった。
(完)
マリッジ・ハンター ユイ ともひで @tomohide0716
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