第21話 桂川
「ルカ、どうしてここにいるの!? 今日は休みなさい、って言ったよね」
ユイの詰問調の声が、事務所内に響いた。だが、それ以上は追及しようとしなかった。それよりも、ルカと母親が、まるでホンモノの母娘のように抱き合っていることの方が、ユイには不可解だった。
ユイは興味深そうに身を乗り出し、でも、意地悪そうな目つきで、二人を見比べながら聞いてきた。
「ふ~ん・・・。今日、会ったばかりなのに、ずいぶんと親密そうじゃない? 私の知らないところで、いったい何があったの? 」
ユイの言葉に含まれた毒気にあてられて、ルカはすぐには返答出来ず、おろおろするばかりだった。彼女とは対照的に、ルミ子は腹が座っている。泰然自若とした態度で、娘の問いに応じた。
「ルカさんは、ホントにいい子ね。ひと目見ただけで、ビビッときたわ。こんないい子を助手にするなんて、あんたにしては上出来だわ。私にもう一人、娘が出来たお祝いに、ハグしてたところよ」
当たらずといえども遠からず。ルカは、そう言ってしまえば、その通りのような気がした。体験がないから、ホントのところは分からないが、たぶん、母親に抱かれるというのは、こんな感じなのだろう・・・。
その母親の返答に、不敵な面構えに変わったユイが、挑発的な言葉を口にし始めた。それは、ルカにとっては初耳であり、びっくりするような内容だった。
「それは、それは。親子の契りを結ぶめでたい席に、突然お邪魔して、悪かったわね。大学を卒業したと思ったら、妻子持ちの中年男に熱を上げ、生きるの、死ぬのといった修羅場を演じた挙句に、男に逃げられて・・・。廃人同然の引き込もり生活に陥った。いい加減、好いた、惚れたの世界には、うんざりしたはずなのに、どういう風の吹き回しか、母親が道楽でやってた仲人役を引き継ぐようにして、結婚相談所という稼業を始めてしまった。いったい、何を考えているのやら、さっぱり分からない
あなたの言う通り、ルカはいい子よ。私だって、会った瞬間、ビビッときたもの。この子だったら、支えになってくれる。もしかしたら、この子にとっても、私は必要なんじゃないかしら? 出会ったとき、そんな不思議なことを考えたもの。
自分が必要とされる―会員さんとの関りで、そう感じるときもしばしばあるけど、結局は仕事、お金が絡んできてしまう。仕方ないけど、それが寂しいところね。でも、ルカは違うのよ。安くて申し訳ないけど、給料は払ってるわ。だけど、そんなことは関係なく、ルカが傍にいてくれると、自分の存在理由みたいなものが感じられるの」
ルカは細い肩を震わせながら、うつむいてしまった。ユイも話始めた時の不敵な面構えが消えて、穏やかな表情を取り戻していた。ユイの言葉を引き取るようにして、ルカの震える肩を、そっと抱き寄せつつ、ルミ子が話し出した。
「そうね。あんたの言う通りかもしれない。何も否定するつもりはないわ。
ルカさんが、あんたとの関係の中に入ってきてくれることで、何かが変わるかもしれないわ。あんたが話してくれた、ルカさんが見たっていうムームーを着て、人形を抱いていたおばあさんの話。生前に母から父のことで、そんな話を聞かされたことは一度もなかった。愛してるだの、幸せだのって・・・。だから、意外すぎて、今も私は混乱してるの。心の整理がつくまでには、もう少し時間がかかりそうよ。私にとっても、ルカさんが来てくれたことは、すごく重要なんだ、と思えるの」
三者三様、それぞれの思いに沈潜するように、誰も喋らなくなった。そんな沈黙を破ったのは、ユイだった。
「お母さん、私に渡すものがあって、今日、ここへ来たんじゃなかったの? 」
ルミ子は苦笑いを浮かべて、バッグの中から、一通のクリアファイルを取り出し、ユイに手渡した。
「イヤだ、イヤだ、年をとるって。肝心なことを忘れちゃう。茶道教室の生徒さんから、またお見合いの相手を紹介してほしいって頼まれてたの。20代後半の男性よ。いつも通り、顔写真と全身写真、それと釣り書きを、そのクリアファイルの中に入れておいたから、あんたの方で、何とか面倒見てやってちょうだい。話を聞いた限りでは、ちょっとてこずりそうな方かもね。
私はもう帰るから、何かあったら、また連絡ちょうだい。トランクは、誰かに取りに来させるから、事務所の隅にでも置いといて」
そう早口でまくしたてると、もう一度、ルカのからだをギュッと抱き締めて、彼女の耳もとで何事かをささやいた。それから、キッチンにあった花束を手に取ると、
「じゃあね」
と、ひと言残して、事務所から出ていった。
顔面大アップの写真を、テーブルの椅子に並んで座ったユイとルカがにらみつけていた。
写真のフレームをひと回り小さくしたような真四角な顔。ひげそり跡が、青々としている。お見合い写真だという意識が強すぎるのだろうが、必要以上にあごを引いているために、二重あごになっている。頬が出ばっているせいで、鼻がめり込んでしまい、低く見える。歯を見せまいとしているのか、唇を閉じたまま、微笑もうとして、口角が下がり、不機嫌そうな表情になっている。手入れをしていないせいで、形の整わない太い眉。つぶらな目で、奥二重ではあるが、まぶたがはれぼったくて、口もと同様、機嫌が悪そうな印象を受ける。
特に、問題なのは、髪の毛だった。
本人はナチュラルヘアを意識し、広いおでこを隠そうとしているのかもしれないが、おでこにかかっている前髪が、すだれのようで、すきまが多くて、かえって薄毛が強調されてしまっていた。
この顔で・・・というのは失礼な話なのだが、無修正で、顔を大アップにして、お見合い用の写真に使おうとしている神経が、まるで分からなかった。
しかも、背景が、会議室にあるようなドアと茶色の壁の一部が映りこんでいて、殺風景きわまりない。背景に緑を配したり、夜景をバックにすることで、その前に立つ人物の印象を引き立たせるという、お見合い写真を撮る上での基本を、全然分かっていないように思えた。
どちらともなく、ため息が漏れた。脱力気味にユイが聞いた。
「この写真、点数をつけるとしたら? 」
ルカの眉間に皺が寄った。口をとがらせた後、苦しそうに答えた。
「この方には申し訳ないんですけど・・・0点。・・・マイナス、かな? 」
ユイは、口をへの字に曲げて、応じた。
「同感。よくもまあ、これをお見合い用に使おうとしたものよね。今どきのオシャレ男子のレベルを求めるつもりはないけど。まだ20代だというのに・・・シャレッ気、なさ過ぎだわ~ 」
釣り書きを手にして、ルカはつぶやいた。
「28歳、今年29歳になるのか・・・。実際の年齢より老けて見える」
ユイは、穴が開くほどに顔写真をにらみつけながら、怒ったように言った。
「世界に誇る、日本の代表的な自動車製造メーカーの本社勤務。この年齢で、年収1000万を超えるというのは、なかなかのエリート社員のはずなんだけど、残念ながら、この写真でチャラね。とてもじゃないけど、お見合いにまで漕ぎ着けられないわよ」
この結婚相談所に勤めるようになって、毎日のように数多くの会員の方と出会ってきたが、希望する異性について、何だかんだと理想を述べる人は多いものの、結局は顔。イケメンや美人でないと、第一関門をクリア出来ない。パッと見の第一印象で、あれやこれやの理想が、全て吹き飛んでしまう実例ばかりを目にしてきたように思う。
写真から目を上げたユイは、
「すだれ君・・・桂川さんに、まず会う必要があるわね。母が言ってた『ちょっとてこずりそう』という原因を探るところから始めるしかない。それが、単純に、お見合い写真の問題に過ぎないのか・・・? もしそうだったら、『ちょっとてこずりそう』という言い方を、あの人が使うとは思えないのよね」
その週の土曜日に、桂川さんは事務所にやってきた。はき古したスニーカーに、ジーンズ。グレイのTシャツの上に、厚手の黒いパーカーを身につけていた。顔面どアップの写真のままの顔つきで、ユイが「すだれ君」と命名した通りの髪型で現れた。
この事務所を目的にやってきたというよりも、通りがかりに、ふらっと立ち寄ったといった
ドアを開け、桂川さんが、ぬっと顔を現した途端、ユイは、すぐ傍にいたルカにだけ聞こえる声で、
「おおっ! 」
と言った。確かに、おおっ! だとルカも思った。
「ようこそ、いらっしゃいました。お待ちしておりました。どうぞ、こちらにおかけ下さい」
おおっ! とは、まるで別人の声で、ユイは桂川さんにテーブルの席に座るよう、促した。
身長は180センチはあるだろうか? 体重も100キロ近くはありそうだ。真四角な顔と同様、体型も四角い。
(冷蔵庫みたい・・・ )
と、ルカは思った。
まず、ユイは会員規約の説明を始めた。立て板に水。よどみなく、静かな口調で説明は続いた。桂川さんも規約文に視線を落としながら、黙ってユイの説明に耳を傾けていた。
ルカが、桂川さんの前に差し出した紅茶とお茶うけの菓子にも、これといった関心を示さず、わずかに頭を下げただけだった。
その態度に変化が生まれたのは、規約の説明が終わった直後に起きた、小さな出来事のときだった。
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