第13話 マリナと阪田
時間は、人の思いを置き去りにして、無常という言葉そのままに、流れ去っていく。だが、ダダをこねてばかりいる人の思いなど、一切忖度することなく、流れ去る無常の力によって、逆に、人は救われることだってある・・・。
マリナさんが事務所を訪れた翌日から、また違う女性からの相談を受けていたことで、思いもよらぬ慌ただしい日々を送るようになった。
ユイは目に見えて不機嫌になった。書類を手もとに引き寄せ、目を走らせながら、誰に言うともなく、ブツブツと文句を言っている場面を、ルカは何度も目にした。電話連絡を受けると、会話中の丁寧な口ぶりが一変、人格が交代したように、大きなため息を吐いてから、
「あ~あ、イヤだ、イヤだ! 」
と、吐き捨てるみたいに大声を出すこともあった。
ワレモノ注意―ルカは細心の注意をはらいながら、ユイと付き合っていた。
タイミングを見計らい、気になっていた、例の切れてしまったランプの糸について指摘した。ユイの返事は拍子抜けするようなものだった。
「あっ、そう。そのままにしておいて」
はあ!? ルカは気をつかっていたことが、バカらしく思えた。
ところが、翌日、ルカが事務所にやってきたとき、驚いた。ランプを固定させる糸が、元通りに張り直されていたからだ。昨晩、ルカが帰った後で、ユイが張り直したものなのだろうが、糸張りの作業をするユイの姿が想像できなかった。いったい、どんな気持ちで、糸を張っていたのか?
(おじいちゃんが、世界中を放浪しながら、買い求めたガラス工芸、って言ってたけど、ユイさんにとっては、何なのだろう? 会ったことのないおじいちゃんにつながる思い出の品々? でも、おじいちゃんのことを『ダンナや父親としてはサイテーのクズな男』とも言ってたしなあ。謎だわ・・・)
今はとてもじゃないが、聞ける状態ではないけれども、いつか機嫌のイイときに、聞いてみよう、とルカは考えた。
そんな具合に、ジタバタ、ジタバタと錯綜した思いに絡めとられ、動かぬ時間の中で、もがいているばかりに思えていたときに、事務所の電話が鳴った。
仏頂面したユイが、受話器をとると、その顔つきは柔和なものに変わった。
「マリナさん、どう? 気持ちの整理はつきました? 」
マリナさんからの電話だった。彼女が事務所を訪ねてきてから十日ばかりが経っていた。事務所の外の世界では、確実に時間は流れていたのだ。
「そう。あなたの気持ちを尊重するわ。結婚をまとめることが、結婚相談所の仕事だけど、まとまるばかりが正解じゃない。婚活を通して、人との出会いを重ねることで、自分を見つめ直すこと。そのお手伝いが少しでも出来れば、私は嬉しいと思えるわよ。一度っきりの人生だもの、自分で自分の人生を生きなくっちゃ、面白くないわよ。
・・・そう、いろいろ迷ったのね。そうよね・・・理屈や理想だけで、割り切れるものじゃないもの・・・」
電話での会話は延々と続いた。ユイはもっぱら聞き役に回り、ときおり、そう、とか、へ~、そうだったのね、とか、最低限の相づちを打つのにとどめていた。
通話は一時間以上続いただろうか?
「・・・分かりました。阪田さんへの連絡は、私がしますから、心配しないで下さいね。絶対に直接あなたに連絡するようなことはありませんから。散々ルール違反を重ねてきたんだから、最後くらい守ってもらうわ。強く言っておきます。立派な音楽家が、ストーカーにまで落ちぶれるおつもりですか? とね。大丈夫。阪田さんみたいなタイプは、強く言われると弱いから。
じゃあ、また連絡します。婚活にとって、時は金なり。急いで、今度こそ、あなたと幸せな家庭を築けるお相手を見つけますから、待ってて下さいね・・・」
そう言って、ユイは電話を切った。それから、ルカに顔を向けると、何も聞かれぬ内から喋り出した。一刻も早く、誰かと情報を共有したくて、うずうずしている感じだった。
「お見合いの日に会った、マリナさんのお父さんのこと、覚えてる? やたら積極的に、阪田さんのお父さんに話しかけてたでしょ? あれ、営業だったのよ」
営業? 何のことなのか、ルカにはさっぱり分からない。キョトンとした顔をしていると、待ってました、とばかりに、ユイのマシンガントークが炸裂した。
「マリナさんのお父さんは、経営コンサルタントの社長。そして、阪田さんのお父さんは、医療法人の理事長。マリナさんと阪田さんが結婚するという話になれば、二人の将来をどうするつもりか? ということが、当然話題になってくる。阪田さんのお父さんにしてみれば、息子には、プロのピアニストになる、なんて夢みたいな話はいい加減諦めて、自分の跡を継いで、医療法人の経営に本腰を入れてもらいたいわけよ。
そこが、マリナさんのお父さんにしてみれば、狙い目になる。大事な跡取りのお嫁さんのお父さん、つまり義理の親子になるわけだから、婿どのが理事長になる医療法人の経営にも、首を突っ込みやすくなる。上手くすれば、大きな利権だって、手に入れられるかもしれない。そうマリナさんのお父さんが、計算してもおかしくないわけよ。そこに向けての営業第一段が、あのお見合いの日だった、ということね」
ルカは目をパチクリさせながら、聞いた。
「政略結婚・・・ということですか? 」
いやいや、という具合に、手を振って、ユイは答えた。
「それは言いすぎ。マリナさんのお父さんが、今回の見合いを仕組んだわけではないしね。たまたま舞い込んできた、おいしい結婚話にあわよくば、そのおこぼれにあずかろう、という程度だと思うわ」
ルカは顔を曇らせて、
「何か、イヤな話ですね。娘の結婚に乗っかろうなんて・・・」
と言うと、ユイはしらっとした口調で、こう答えた。
「マリナさんのお父さんが、特別強欲だとは思わないけど。程度の差こそあれ、人間なんて、いざとなれば、似たり寄ったりじゃない? 私だって、あなただって」
ルカは心外だ、という顔つきになり、考え込んだ。
(私の心の中に、そんな欲望が潜んでるんだろうか? そんな欲望、エネルギーがあれば、世の中や世間の人たちともっと上手くやっていける気がする・・・)
話を引き戻そうと、ユイは再び喋り出した。
「ともかく、そんなことを企んでたお父さんだから、マリナさんが阪田さんとの交際をやめたい、と切り出したときには、反対したみたい。当然よね。マリナさんは、阪田さんからどんなことをされたのかも、お父さんに正直に話したって言ってたわ。そこが、マリナさんの育ちの良さと言うか、何というか・・・。
さすがに、そのときは、お父さんも父親に戻ったのか、絶句したらしいわ。
でもね、すぐにこう聞き返してきたって言うの。
『それで、生理はあるのか? 』
って。それからこう付け加えたらしいの。
『できちゃった婚、というのは、昔はみっともない話だったが、今では珍しいことでもないだろう。いつまで経っても、プロポーズしてこない男を、その気にさせるには、それぐらいの手を使うのも、ありじゃないのか? 』
だって! お父さんも言うよね。世間的には、ハイソと呼ばれている人たちも、一皮めくれば、同じ穴のムジナ、ってところね」
そう言って、ユイはケラケラと笑った。でも、目は冷たい光を放っていた。
ルカは全く笑えなかった。
放火による両親の焼死という悲劇から始まった、児童養護施設での孤独な日々。そして、居場所を見つけられないまま、幾つものアルバイトを渡り歩いてきた、これまでの27年間の人生において、自分が身を置いてきた世界とは、まるで無縁な世界の物語だった。
ユイさんから「同じ穴のムジナ」と言われてもピンとこない。同じ穴? いつ、私がマリナさんや彼女のお父さんと同じ穴に入ったというのだろう? もしも、違う穴に住んでいたら、同じムジナのようにみえても、やはりそこには格差があるに違いない。トンデモナイ格差を無視して、ハイソも庶民も同じよね、と言って、笑い飛ばす気にはなれなかった。ユイさんみたいに、ケラケラと笑い飛ばせない、自分のこり固まったような、孤児根性が、無性に悲しかった・・・。
ルカは、自分の心の奥深くへと沈み込んでいった。
「でも、結局は、お父さんも折れざるをえなかった。娘に泣いて訴えられたなら、ね。
あ~あ、似た者同士で上手くいくかな、と思ったんだけどね。・・・仕方ない。気合を入れ直して、すぐに阪田さんに連絡を入れよう。イヤなことは、サッサと片付けるに限る」
と、最後は自分に強く言い聞かせるようにして、ユイは受話器を手に取った。
そのとき、棚の中で、あのキノコ型をしたランプシェードの一つが、淡い青白い光を放っていた。電話中のユイはもちろん、このときはルカもその光に気付いてはいなかった。
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