綺麗事に至る険しき道則
全てを話し終えた頃、部屋が静まり返っていた。まぁ、当たり前だよね。もしも立場が逆だったら、そんな人に向かってどう声を掛けたら良いかなんて見当も付かないし。
今、二人はどんな顔をしているのだろう。私の視線は自分の足元の方を向いていて、二人の表情を知る術が無い。だけど二人の顔を見るのが怖くて、私はいつまでも俯き続けていた。すると。
「なぁ雫」
不意に目の前のバレルさんから声を掛けられて、ビクッと体が跳ねる。何を言われのだろう。いや、そんなの決まっている。きっと拒絶されて、私は――。
「合格だよ。お前の体調次第だが、その気になれば、明日にでもイルミナスへ行ける」
「…………えっ?」
「本当なら、あと一週間くらいは様子を見ようって考えていたんだが、あれだけできれば文句無しだ。シャロ、何か異論はあるか?」
「いいえ、ありませんわ」
「なら安心だ。それじゃあとりあえず――」
「ま、待って下さい‼ 話を聞いていなかったんですか⁉ わ、私、は……」
「道具もその用途も、そいつを作った誰かの決めた通りに使わなければならない。雫、もしかしてお前はそんな風に考えているんじゃないか?」
「え……? そ、の……そう、ですけど……」
「ナンセンスだな。そんなもの俺に言わせれば、思考を放棄した貧相なオツムのマヌケな考えってもんさ」
「マ、マヌケ……? 貧相って……。……ッ、でも! 武器は戦う為の道具で、それが人を殺す目的の技で使われたなら、もうどうやったって人を傷つけてしまうに決まっている……じゃない、ですか……」
マヌケと言われたことに少しムッとした私は、語気を強めて反論するように言う。だけど真っすぐに私の方を見るバレルさんと視線が合うと、昼間の光景がフラッシュバックしてしまい、私の目は再び無意識にバレルさんの左腕に吸い寄せられ—―。
「あ、いえ、あの……ぜ、全部がそうじゃないかもしれないですけど……。でも私の場合は、もうどうしようもありませんよ。だって、私の技は……。それに今日だって、偶然バレルさんが無事だっただけで、一歩間違えていたら……」
言葉はどんどん弱々しくなってゆき、私はとうとう黙ってしまった。するとバレルさんは穏やかに、静かな口調で話し始める。
「結果はどうあれ、少なくとも今日戦ってみた限り、俺にはお前が俺を殺そうとしているようには思えなかったぜ。それとも雫、お前はその剣と技を、いずれそれを教えたやつの言うままに扱うつもりだったのか?」
「ち、違います‼ そんな訳……でも、そんなこと言ったって……ッ、結局私の技は人を殺す為の技なんですよ⁉ そんなのもう、私にどうしろって言うんですか⁉」
「そのまま使うのが嫌なら、別の用途で使っちまえば良いのさ」
「いや、逆って……それは、どういう……?」
「武器もそれを用いた技も、確かに元は誰かを傷つけ殺す目的で作られたものかもしれない。だがそれらは本来、人に扱われるそのときまでは害も無害も無い筈の代物だ。なら、人を不幸にする目的で作られた道具を幸福にする目的で使おうが、殺す為に生み出された技術を生かす為に使おうが、結局最後は使う奴次第で全てが決まる。それにどんな
「…………、……例えば、そういう逆行するような使い方をしたとして、それがもし、いつか誰かに
「俺ならそいつに向かって、こうして、こう言ってやるね」
バレルさんはサムズダウンのジェスチャーを取り、ベッと舌を出して
「
と言う。バレルさんのその言葉と表情で、私の心の奥底でむず痒くも暖かい何かが湧いて来るようだった。だけど。
「……綺麗事、ですよ……」
それを私は、心の奥底に押し込んだ。バレルさんの優しさを受け入れるのは簡単で、心地の良いことかもしれない。だけど幼い頃から今日まで抱き続けてきた
「あぁ、お前の言う通りさ。今言ったのはただの綺麗事だ」
心の内側で揺れる私を他所に、バレルさんはあっさりとそんなことを言う。私は暫くその言葉を飲み込むことができずに呆然としてしまった。
「……えっ……いや、あの……否定、しないんですか?」
「雫がそう言ったんだぞ、綺麗事だってな。それともなんだよ、ありとあらゆる屁理屈を並べて、お前を騙してやれば良かったか?」
「だ、だって、そんな、そんなの……む、無責任じゃないですか‼」
「悪いが、俺が今言ったのは本当にただの綺麗事なのさ。弁解の余地も無いね」
「…………」
「良いか雫、人は誰だっていつも選択を迫られる。もしもその選択肢が誰かを不幸にする正論と、誰かが幸福になれる綺麗事の二つだって言うなら、少なくとも俺は後者を選びたいね」
「……それは……でも、そんなの……簡単にできること、なんですか?」
「いいや、大変に決まっている。なんせ元ある用法を捻じ曲げてでも綺麗事を通そうっていうんだ、楽である筈がない。なら雫、お前はどうする。さっきと同じ選択を迫られたなら、前者の方を選ぶか?」
「そ、そんなことはしませんッ、けど、…………、この技を、本当にそうやって使えるのか、正直自信が無いです……。それに、いつか誰かに咎められたらと思うと、やっぱり、私は……」
「技の方はこれから時間を掛けてどうにかすれば良い。俺たちがいるんだ、練習するには事欠かないだろ?」
「それくらいでしか、うちには利用価値が無いとも言えますわ」
「……まぁ、その通りだが……」
「バレルさん……シャロ……」
「それにもし、お前の決意に対して野次でも飛ばすようなやつがいたなら、俺がそいつのケツを蹴飛ばして黙らせてやるよ。それで安心だろ?」
「それなら、前を蹴り上げるのは私が担当しますわ」
「……おい、もう絶対にやるなよ? 特に俺のはだ。その行為には正論も綺麗事も関係無いからな」
「今日までずっと葛藤していたのですが、今後は割り切って、躊躇い無く実行に移せるというものですわ。たまにはバレルも良いことを言いますね」
「何が葛藤だよ! お前、俺の
「…………、雫?」
「えっ? あ、れ……?」
何気なく、いつものように話す二人を見ていると、突如無意識に涙がこぼれ始めた。すると少し遅れて、ずっと堪えていた何かが込みあげて来て――。
「……あ、あぁ……うッ……あッ、あぁぁぁぁ……ひ、ヒグッ……うッ、ぁああ……」
堪えよう、堪えようとしたその何かは、
この日私はシャロに抱きかかえられながら、わんわんと声を上げて夜通し泣き続けることになった。
***
――数時間前 ストーンヒル 屋上 雫の気絶直後――
「――それで、見ていてどうだった?」
「どうだも何も、雫の技、あれはどう見たって、誤魔化しようもなく、明確な殺人術ですわ」
「まぁ、そうだよな」
「今日まで雫がこの技を使わなかったのは、それを
「別にどうもしないさ。ま、いつも通りで構わないだろ」
「……はぁ、頼りない男。まさかノープランとは」
「そう言うなよ。俺たちが突然態度を変えようものなら、雫だって居心地が悪いってもんだぜ」
「それは、まぁ……」
「
「……フン。凶悪な顔をした
「……凶悪な顔は余計だろ」
「それともう一度言いますが、そこの床、ちゃんと今日中に直しておいてください。そっちの給水塔もですわ」
「あっ、おいシャロ! お前も手伝えよ! こんなの俺一人で直せる訳がねぇだろうが!」
「私は雫を背負っているので手が使えませんわ。それではごきげんよう」
「待てよ! おい、嘘だろ⁉ 雫を置いたら戻って来いよ⁉」
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