5 Risk one’s life.
最後の晩餐
――ストーンヒル 屋上――
「ハッ……ハッ……ハッ……ハッ……」
「大丈夫ですか、雫?」
「ハッ……ハッ、ンッ……だ、じょぶ……」
「ランチの時間には丁度良いところですし、一旦休憩にしましょうか」
その言葉に返答するだけの余力が残っていなかった私は、頷いて了解の意を伝える。肩で息をして、体中汗でびしょ濡れの今の私は正に満身創痍そのもの。そんな一切余裕の無い私とは対照的に、シャロは涼しい表情で両手に持ったナイフを鞘へと納めていた。
ネイトさんの店で剣を買ってから三日。それから今日まで私は、最終試験の下準備と称して、バレルさんとシャロに連日朝から晩までずっと稽古を付けられていた。
稽古の内容は至極単純。剣で私が斬り込んで、相対している二人の体に当てれば良いというもの。そんな危ないことを。なんて、最初の内は思ったりもしたけれど、この三日間、私は二人の体に剣先を掠らせるどころか、ただ一方的にあしらわれ続けていたのだった。
「大分良くなってきましたが、まだまだ動きも視線も直線的ですね。それでは次にどこから攻撃が来るのか丸わかりですわ」
「……そ、んなこと……言ったって、さ……」
今は十一月の半ば。であるにも関わらず、私の全身から汗の蒸気が立ち昇り、どこからともなく流れ出した汗が両手に握られた真新しい愛剣の柄を伝い、ポタポタ床へと滴り落ちる。確かに、私とこの二人とで経験値に差があるのを頭では理解していた。だけど、この歴然とした圧倒的な力の差はなんなのだろう。少なくとも、今の私にはここまで強くなれるイメージがまるで沸かない。
「ハァー……直線的、かぁ……。ねぇシャロ、それってなんか、コツみたいなものって無いの?」
「それはまたザックリとした質問ですね」
「……だって」
私だって、ただ
「一概にどこをどうすれば良いというものでもありませんが、雫の場合、攻撃の方法よりも先に、まずは視線を改善してみてはどうでしょうか」
「視線って、目の視線?」
「そうです。雫は攻撃するにも攻撃を避けるにも、目を見れば次にどう動くのかがはっきりしすぎているのですわ」
「う~ん……そう言われてもなぁ。具体的にはどうしたら良いの?」
「私のやり方が参考になるかは分かりませんが、そうですね、あえて言うならば、ボーっと見る、でしょうか」
「えっ、ボーっと? 集中して見るんじゃなくて?」
「ボーっと、ですわ。言い換えるなら、標的を注視しない、意識しないと言えば良いでしょうか。目から入って来た情報を処理して行動に移そうとする場合、どうしても動作にラグが生じるものです。だからあくまで目で見るのは標的の位置情報だけに留めておき、頭ではなく、体で動作を決定するように意識するのですわ。そうすれば、相手もこちらの視線から次の動作を読み取り難くなるでしょうし」
「…………、…………ッ、難しい……って言うか、無理じゃない? だってそれ、一歩間違えれば相手を見失っちゃうと思うんだけど……」
「確かに、やろうと思って簡単にできることではありませんね。ですが標的からある程度意識を緩めるという技術は、覚えておいて損はありませんわ。例えば相手に動きを悟らせない以外にも、自らの恐怖を緩和するのにも有効的ですし」
「う、う~ん……。…………、う~ん……?」
「雫の場合、理解するよりも体で覚えた方が早いかもしれませんね。できることなら、実戦の中で経験を積めれば良いのですが」
「実戦、実戦かぁ……。そういうシャロはどうやって実戦を積んできたの?」
「元々私は暗殺者だったので、日常が実戦そのものでしたわ」
「あぁそっか、暗殺者でねー。…………、えっ、暗さ……えっ?」
「さ、ランチの前に汗を流しましょう」
「えっ、ちょ⁉ シャ、シャロ⁉ 冗談、それって冗談なんだよね⁉」
呼び止めようとするも、シャロはさっさと階下へと降りて行ってしまった。
その後も気になって、湯船に浸かりながら正面のシャロを凝視していると『そんなに私の体が気になるのですか? 雫は
そうして私は真偽を確かめることができず、バレルさんが買ってきてくれた昼食のハンバーガーを食べている頃には、そもそも疑問を抱いていたことすら忘れていたのだった。
「それで、雫の調子はどうだ?」
私が六つ目のハンバーガーに手を伸ばそうとしていると、そうバレルさんが切り出した。
「バスルームでは私の肢体に釘付けでしたが」
「ち、違ッ⁉ み、見てない‼ いや、見てない……ことも、ないけど……」
「そうじゃねぇよ。イルミナスでやっていけるのかって、そういうことだろうが」
「動きは随分と良くなりました。そもそも雫には基礎があるようですし、戦闘技術だけなら、既に長剣を使っていたときとは比較になりませんわ」
「なら、何が足りていない?」
「覚悟、ですね」
「えっ、そ、そんな⁉」
「なるほど。まぁ俺やシャロが相手じゃあな。気負って戦えと言われてもそう簡単にできることでもないか」
「ではどうすると? このままイルミナスへ向かうのですか?」
「そうだな。…………、いや、折角だから最後に一つ、スリリングな特訓をしてみようじゃないか」
「そういうことなら、私がやりますわ」
「いや、俺がやるよ」
「……本気ですか?」
「俺たちじゃ、どっちがやってもそう変わらないだろう。それにリベレーターになろうっていうんだ、いつまでもリスクを避け続けるなんてことはできやしない。そうだろう?」
「まぁ、そうかもしれませんが」
「そういうことで雫、昼からはちょっと変わった趣向の訓練をするからな」
「えっと、それって具体的には、どんなことをするんですか?」
「やることはこの三日間でやったのと同じさ。ただ」
「ただ?」
「俺と命懸けで戦ってもらう」
「い、命懸け、ですか……?」
「あぁ、命懸けの訓練だ。勿論本気でな」
そう言ったバレルさんは、相も変わらずニヒルな笑みを浮かべていた。
命懸けって、そんなまさか……。本気、じゃないよね? だって、私とバレルさんとではあまりにも実力が違い過ぎるし、どれだけ私が本気になったところで勝てる訳がないのだから。
それに一切の無駄を省いたような戦い方をするシャロとは対照的に、一貫性の無い武器を使い、まるでパフォーマンスを披露するかのように戦うバレルさんと命懸けで戦えと言われても、正直いまいちピンとこないというか……。
……。…………。
いや、そうか。そういうことだったんだ。だからさっき二人はあんなことを。それなら私は――。
「分かりました! 全力で、命懸けでやりましょう!」
そう私は返答する。
そうだ、簡単なことだったんだ。訓練のとき、私は私なんかが二人に勝てる筈が無いだとか、訓練だから手を抜いてくれるだろうとか、そんな甘い考えがあったことを否定できない。さっき二人が私に覚悟が足りないと言っていたのは、それを見透かされていたからなのだろう。
そして昼からはバレルさんが相手で、しかも命懸けでというのだから、それはきっと今までのようなパフォーマンスじみた戦い方ではなく、より厳しくて、より過酷な訓練をするつもりに違いない。
だけど、もう私はそんなことで狼狽えたりはしない。二人のようになるには、今日まで感じ続けていた圧倒的な差を埋める為には、甘い考えは捨てて、もっと必死で訓練に臨まなくちゃいけないんだ。それこそが、きっとバレルさんの命を懸けてという言葉の回答になる筈。
「なんだか知らんが、やる気があるのは良いことだ。ならこいつが最後の
「時間的に、晩餐というよりも遅めのランチですが」
「細かいことを言うなよ。だが最後の昼飯がバーガーっていうのも色気の無い話だよな。どうする、これから街へステーキでも食いに行こうか?」
「いやいや、そんな大げさですよ。あっ、でもそういうことなら、悔いが残らないようにもう一つ、いや、二つもらいますね」
そうして私は六つ目のハンバーガーに手を伸ばし、幸せ気分でそれを頬張った。
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